なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

囲碁方言?でしょうか。

2009-10-04 00:04:35 | Weblog
 もしかしたらプロの世界にもこういうことはあるのだろうか?
  例えば、棋譜を並べていて・・・それが概ね現代のもので、何かの棋戦の報道などで紹介されていないもので、ある国の国内での対局の棋譜とします。
 昔読んだ中山先生の「囲碁講談」で紹介されているように、殆どの先生は古今の有名な棋譜とか、入手しやすい棋譜などは並べて知っている可能性が高いという前提でこういう条件を設定します。
 そこで、棋譜を並べていてどこの国の棋戦か感じるものがあるかどうか?
 マア、プロの棋譜としてはたいていは日中韓、それに台湾の棋士が殆どで、欧米とか東南アジア方面に多少いらっしゃるかも知れませんので、どこの国の棋譜かという質問はあてずっぽうに答えても六角形の鉛筆を転がすより正解の確率が高いかもしれません。
 それでも、最近の流行とか研究成果が出ていたり、あるいは研究対象となるような形だったりで、どこの国の棋士の碁か感じるものがあるような気がするのです。 勿論私にはさっぱり分からない事ですが、でも、プロはそのくらい凄いj人たちみたいな畏敬の念を抱いているという事です。

 さて、これが我々アマの世界では・・・
  例えばかなりローカルのことですが、仮にある町の碁会所と隣町の碁会所で交流戦を行ったとします。
 その時お互いの碁形に何か違いを感じるかどうか?
  つまり、仮説的に言うと「狭い範囲でのグループ内での囲碁の形に何らかの傾向みたいなものが生じてはいないか?」どうか・・・だからどうだとは言わないで下さい。
 例えば村でも川一本越えると多少言葉の言い回しが変わったり、浜の方では怒ったような話し方をすると言った塩梅です。。
 囲碁は手談でもあるので、言葉と同じような傾向は無いだろうか。
  
 最近ネット碁で4つのネットで観戦しています。
 どこが一番強いとか、そういうことは分かりませんが、ともかく観戦していてどこかイメージが違うのです。
 これがどこがどうと言えないのがもどかしいのですが、印象が違う。
  勿論タイゼムは韓国人が中心でそこに中国、日本などの人が集まっているので、一つの国の傾向とは言えません。
 パンダなどの場合は欧米系の人もかなり接続しているので何かしらそういうことが反映されているかもしれません。
 尤も欧米と言ってもアメリカとロシア、ドイツなどでは相当に違いを感じますが・・・。
 幽玄の間の場合はアメリカ人などもかなりいるとは思いますが、概ね日本人が多い・・・そういう意味では私が参加している実名サイトと大きくは変わらないとは思いますが、ただ、こちらは外国の方は数人しかいないので、そこのところは違いがありそう。
 そういう国による違い、いくつかの国のブレンド具合またはストレート?、その違いはあるとは思いますが、時間のルールによるゲームの進め方とか、コミの大きさ(もっとも最近はほぼ6目半)、または段級・あるいは点数などでの昇降のルールなどで違いが出て来るのでしょうか?
 つまり、いろんな制約の中で、一番勝率が好さそうな作戦とか作法みたいなものが選択されて行く筈で、それが独特の方言とか、狭い範囲でのイントネーションみたいな違いになっている?。
 そのあたりが上手く言えないけれど、何か感じるような気がします。
  それも観戦の楽しみの一つでもあるので、どこが良いということではない。
 その日の気分で、「激しい碁」いや「きびきびした戦い」を見たければ何処、じっくりした碁を腕枕で観戦なら(失礼)何処とか・・・。

 ともかく、それぞれの場所で一番勝率が好さそうな定石とか、時間の使い方とか、戦いの仕方(あるいは戦わない作戦)とかが長い時間かかって蓄積されて行くのでは無いでしょうか。
 それは、どこかの偉い先生とか、人気のある棋士が「こうあるべき」みたいな事を言えばそれなりに影響はあるとは思います。
 いずれにせよ今では国境と言う壁、民族的気質の違いと言うより、ルールとか新研究成果の広がりみたいなもので、それぞれの方言みたいなものが出来て行くような気がします。