なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

言葉も文字も進化する?

2009-10-14 17:17:25 | Weblog
 漢字の読み方は決めごとであり、ルビをふるテストはそれを正しく憶えているかどうかを試している。
 当然決まりごと通りに出来なければ×
 子供の頃は漢字の試験で「重複」は「ちょうふく」でなければ×、それが今では「じゅうふく」でも良くなっている。
 元々二通り読み方があったのか、「じゅうふく」で×をつけられる方が多数派で「・・・でも好いじゃないか」「・・・のどこが悪い」「良いことにしよう」の声が多数派になって行ったのだろうか?
 マア、決まり事ですからそれでも良いけれど、なんだか悪貨が良貨を駆逐するみたいなイメージはある。
 そのうち、「ちょうふく」がそんな読み方は無いと×になったりして・・・。

 言葉もそうですが漢字の場合は仕事上困ることがありました。
  土地に関する仕事をしている時がありまして、申請書に謄本とか土地の登記簿が添付されて来ます。
 名字では気をつけなくてはいけない名字がありますね・・・例えば「わたなべ」さんとか「さいとう」さん。
 「なべ」に「渡辺、渡邉、渡邉」と三つあり渡部さんも読みが同じだったりします。
 同様に「斉藤、斎藤、齊藤」さんがいます。
  それで、申請書類と謄本類が一致していれば問題が無いのですが、本人が普段は登記と違い略字を書く癖があったり、代理人が間違ったり、本人の勘違いで何代か前に別の文字で登記されていたり・・・これがややこしい。
 こういうものを、単なる勘違いの範囲でOKとするか、表記が違うのだから本人とは認め難いとするか・・・土地の権利がかかっているのです。
 文字で言うと、冗談みたいな間違いもありました。
  広と言う文字・・・これが旧字では廣となりますが、これが案外間違いやすいのです。
 冗談みたいですが本人が間違って覚えていたり、出生届の際に役所で間違った形で受け付けていたり(要するに受付係も間違って)・・・代理人が正しい旧字で申請して、本人は文字の登録のない字で署名してあったり、こういう字で登記簿謄本に記載があったり・・・収集がつかない事もありこういう場合の取り扱いも困ったりしました。
 読み・ルビの変化はともかく、辞典に無い文字が発生したり増殖して行っては困ります。
 
 今はパソコンの普及率が高いのでこういう無い文字で書かれる間違いは無くなって来てはいます。
  代わりに増えているのが入力ミスと変換ミスで、これは判読クイズ・当て字クイズみたいになります。(偶然愉快な物が出来たりもしますが・・・)
 私も2,3回見直さないと危ないし、それでも間違えて入力してしまい指摘していただき、あり難いけれど恥ずかしいこともあるのですが、ともかく入力ミス・変換ミスがあります。
 例えば私くらいの年になりますとTVコマーシャルなどで飛び交っているハイテク関連の言葉など殆ど理解できないのですから、一瞬外国語の世界です。
 「ワンセグ」などと言われても、コチトラは携帯は通話出来てメールが出来れば他に期待していない・・・それなのにTVも写真機能も付いている。
 それで、人に聞いても分かりやすく説明してくれる人がいないので、ネットでパソコンなどの用語集で調べることになります。
  この場合私的ブログと言うより、辞典的な位置づけですから、私みたいなものにとっては書かれていることが真実・バイブルみたいなものです。
 解説を読んで理解できたとは言えませんが、多少は分かったような感じ・・・
  そういう意味で私にとってこういう用語集は辞典に当たるわけです。
 ところが、こういうものの解説文中に変換ミスがあったりするから・・・まあ今時の若者たちが作っているような雰囲気がしてくるので人間臭さはありますが、それでも私にとっては貴重な解説書ですから頼らなくてはいけない・・・。
 「子tなる」と書かれていて、一瞬「!?」でしたが、直ぐに「異なる」だろうと分かってしまう・・・慣れと言うか、私も多少同じ傾向があるのか、変換ミス仲間と言う事かも知れません。
 こういうはっきりしたミスは分かりますが、ミスなのかそうでないのか分からないものがあったら困りますね。

 話はガラッと変わって
  碁会所などでは、ゴロ合わせ的言葉が飛び交うことがあります。
 「アワヤノリコと言う時に・・・」とか「ダメクラチヨコになっちゃった」など・・・単に「アワヤと言う時」「ダメになった」と言えばいいのに、別に芸能人に恨みが無いしからかう気もないけれど、言葉として調子が出るようです。
 本人が聞いたらやはり眉をしかめますかね。
  でも、こういうたぐいの言葉はそれなりの年齢層が使うので、やがて使い手はいなくなる筈・・・死語みたいになるのは寂しい感じもします。
 そうでなくてもネット碁の方が盛んになれば、まさかこういう言葉をメールでやり取りはしないでしょう。
 尤も、プロの世界では昔梶原先生が言った言葉が残っているように、案外生き残ったり、時代とともに進化したりして・・・勝手な想像ですが、でもそんな気がします。