囲碁ブログ検索のページがあるので、そこから入ると新着ブログが紹介されているので便利です・・・朝早くとか深夜で対局相手が少ない時などは利用しています。
プロの方のブログ、初級者指導のブログ、それに(一方的に思っている)囲碁仲間のブログなどなど楽しいものが多いです。
その中で少し前に目にした「初段を目指す本」と言う題の話で、その方が読んだ本が写真で紹介されていました。
所持されている本の量から察するに相当な勉強家だと感心しましたが、そういう風に本で勉強するきっかけと言うのが碁会所での初級者の居心地に悪さと言う事なので、それはそれで考えさせられます。
私も碁会所で打つことが長かったので、概ねどういう状況だったのか想像できます・・・碁会所で初級者・初心者にも楽しんで勉強して貰えるように対応できれば良いのですが、酷い時には放っておかれることだってあるようです。
思うに席亭が碁の普及・碁を広めたい、碁の楽しさを皆に知って欲しいと言うことと、ご自分の囲碁に対する情熱が両方あれば良いのですが、中には自分が打ちたい、自分が楽しむことが優先みたいな席亭もいるのです。
最近は前者のタイプが多いように思いますが、昔は後者タイプが道楽でやっていて、なかには「俺が好きでやっているのに文句あるか」みたいな人もいましたから、初級くらいでそういうところに迷い込むと「二度と行くものか」と思わせられるような経験をすることもありました。
私も二級くらいの時にそういう経験があります・・・今は無くなってしまいましたが。
ある程度打てる人たちは自分が打って楽しむことが中心という雰囲気のところもあります・・・でも考えようによってはそういうところで俗手筋で揉まれなくて良かったかも知れません。
本中心の勉強ですと、実戦が少ない分初めは力碁や、嵌め手みたいな手にやられる確率は高くて、「筋は良いけれど力が無い」などとからかわれたりします。
でも気にすることは無い、後の伸びシロが違うのですから。
ともかくそういう勉強で強くなったのは立派です。
私の場合は丁度5級くらいから2,3級の頃に街で「囲碁・将棋道場」という看板を見かけたのがきっかけで入門しました(特にプロを養成する道場では無くて、楽しむなら”本格的に”という呼びかけだったのではないかと考えます)。
今にして思うと、迷った末ですが思い切ってそこのドアを叩いたのが良かったです。
そこでは自由対局は禁止で先生の2面打ちでの指導を受けるか、先生に指定された相手との対局のみで、そのほかの生徒は(生徒と言っても私を含め全て社会人)盤の横で観戦です。
先生は元将棋のプロですから囲碁の方の棋力はプロ並みと言うわけにはいかないとは思われますが、指導法はどうやらご自分の将棋の修業時代のやり方などを参考にしていたでしょう。
とりわけ厳しく躾けるのが対局作法です。
対局は石を置くことだけですから作法などは打つこととは関係ないような気もしますが、でもアマでも守らなくてはいけないこと、きちんと守るところは守って楽しむこと・・・挨拶・正座・膝を崩すタイミング・碁笥の置き場所・蓋の場所・・・こういうことは今でも思い出します。
変な話ですが歯科大の待ち合い室で診察・治療に呼ばれるのを待つ間、出来るだけ背を伸ばして気持ちヤヤ前かがみ・・・なんだか碁盤の前にいるみたいだと苦笑してしまいます(他の人は長椅子に寄りかかっているので自分だけ場違いな姿勢だと思わなくもないですが)。
さて私もこの時期にはたくさんの囲碁関連の本・雑誌を読みました。
私の好みは梶原九段・坂田九段・石田九段、それに読み物は中山先生・・・この方は本の写真では趙治勲九段、依田九段が多いようです。
すると少し(だいぶ?)世代が違うのでしょうね。
共通の本もありました・・・「これが出来たら囲碁初段」
基本的な詰め碁が並んでいますが、中には3段くらいでも間違えそうなものがあります。
問題として出されれば案外解けるものでも、実戦では気がつかずにやり過ごしてしまうもの、問題があるのに間違ってしまうものなどがあるのですが、そういう意味では実戦で役に立つためには謳い文句より高いレベルの問題が解けないといけないようなところがあります。
そういう意味ではペーパーテストで5段合格の場合・・・何日も考えたり、参考図書などを開いたりしたりだった場合、結果は大きな割引が必要でしょう。
勿論出来ないより出来た方が良いに決まっていますが。
昔勉強熱心な囲碁仲間がいまして、その方にもっと基礎的な力をつけて欲しいと「これが出来たら囲碁初段」を贈りました・・・しかし神経を逆なでしてしまったかも知れません・・・嫌な顔をされました。
その方は自分では3段くらいの棋力はあると思っている・・・マア碁会所ではそうですし、場所によっては4段かもしれません。
そういう人に「出来たら初段」の本を贈った私が非常識だったかも知れませんが決してからかっていたわけではありません。
初段の問題の中に含まれている3段クラスの問題までも、一見して解ける力、間違わない力が無いと3段維持、4段以上に上がっていくパワーがつかないと思ったからです。
まあ、おせっかいだったのかも知れませんが、自分では○段だと自負している人でも、この問題を全て出来るとは限らない。
要するにどういう風に考えるかです・・・「問題を80%出来たら合格」と言う風に考えるか、「上の段を自称する、あるいは目指すのなら1問でも間違えてはいけない」くらいの気持ちで見るか・・・
プロの方のブログ、初級者指導のブログ、それに(一方的に思っている)囲碁仲間のブログなどなど楽しいものが多いです。
その中で少し前に目にした「初段を目指す本」と言う題の話で、その方が読んだ本が写真で紹介されていました。
所持されている本の量から察するに相当な勉強家だと感心しましたが、そういう風に本で勉強するきっかけと言うのが碁会所での初級者の居心地に悪さと言う事なので、それはそれで考えさせられます。
私も碁会所で打つことが長かったので、概ねどういう状況だったのか想像できます・・・碁会所で初級者・初心者にも楽しんで勉強して貰えるように対応できれば良いのですが、酷い時には放っておかれることだってあるようです。
思うに席亭が碁の普及・碁を広めたい、碁の楽しさを皆に知って欲しいと言うことと、ご自分の囲碁に対する情熱が両方あれば良いのですが、中には自分が打ちたい、自分が楽しむことが優先みたいな席亭もいるのです。
最近は前者のタイプが多いように思いますが、昔は後者タイプが道楽でやっていて、なかには「俺が好きでやっているのに文句あるか」みたいな人もいましたから、初級くらいでそういうところに迷い込むと「二度と行くものか」と思わせられるような経験をすることもありました。
私も二級くらいの時にそういう経験があります・・・今は無くなってしまいましたが。
ある程度打てる人たちは自分が打って楽しむことが中心という雰囲気のところもあります・・・でも考えようによってはそういうところで俗手筋で揉まれなくて良かったかも知れません。
本中心の勉強ですと、実戦が少ない分初めは力碁や、嵌め手みたいな手にやられる確率は高くて、「筋は良いけれど力が無い」などとからかわれたりします。
でも気にすることは無い、後の伸びシロが違うのですから。
ともかくそういう勉強で強くなったのは立派です。
私の場合は丁度5級くらいから2,3級の頃に街で「囲碁・将棋道場」という看板を見かけたのがきっかけで入門しました(特にプロを養成する道場では無くて、楽しむなら”本格的に”という呼びかけだったのではないかと考えます)。
今にして思うと、迷った末ですが思い切ってそこのドアを叩いたのが良かったです。
そこでは自由対局は禁止で先生の2面打ちでの指導を受けるか、先生に指定された相手との対局のみで、そのほかの生徒は(生徒と言っても私を含め全て社会人)盤の横で観戦です。
先生は元将棋のプロですから囲碁の方の棋力はプロ並みと言うわけにはいかないとは思われますが、指導法はどうやらご自分の将棋の修業時代のやり方などを参考にしていたでしょう。
とりわけ厳しく躾けるのが対局作法です。
対局は石を置くことだけですから作法などは打つこととは関係ないような気もしますが、でもアマでも守らなくてはいけないこと、きちんと守るところは守って楽しむこと・・・挨拶・正座・膝を崩すタイミング・碁笥の置き場所・蓋の場所・・・こういうことは今でも思い出します。
変な話ですが歯科大の待ち合い室で診察・治療に呼ばれるのを待つ間、出来るだけ背を伸ばして気持ちヤヤ前かがみ・・・なんだか碁盤の前にいるみたいだと苦笑してしまいます(他の人は長椅子に寄りかかっているので自分だけ場違いな姿勢だと思わなくもないですが)。
さて私もこの時期にはたくさんの囲碁関連の本・雑誌を読みました。
私の好みは梶原九段・坂田九段・石田九段、それに読み物は中山先生・・・この方は本の写真では趙治勲九段、依田九段が多いようです。
すると少し(だいぶ?)世代が違うのでしょうね。
共通の本もありました・・・「これが出来たら囲碁初段」
基本的な詰め碁が並んでいますが、中には3段くらいでも間違えそうなものがあります。
問題として出されれば案外解けるものでも、実戦では気がつかずにやり過ごしてしまうもの、問題があるのに間違ってしまうものなどがあるのですが、そういう意味では実戦で役に立つためには謳い文句より高いレベルの問題が解けないといけないようなところがあります。
そういう意味ではペーパーテストで5段合格の場合・・・何日も考えたり、参考図書などを開いたりしたりだった場合、結果は大きな割引が必要でしょう。
勿論出来ないより出来た方が良いに決まっていますが。
昔勉強熱心な囲碁仲間がいまして、その方にもっと基礎的な力をつけて欲しいと「これが出来たら囲碁初段」を贈りました・・・しかし神経を逆なでしてしまったかも知れません・・・嫌な顔をされました。
その方は自分では3段くらいの棋力はあると思っている・・・マア碁会所ではそうですし、場所によっては4段かもしれません。
そういう人に「出来たら初段」の本を贈った私が非常識だったかも知れませんが決してからかっていたわけではありません。
初段の問題の中に含まれている3段クラスの問題までも、一見して解ける力、間違わない力が無いと3段維持、4段以上に上がっていくパワーがつかないと思ったからです。
まあ、おせっかいだったのかも知れませんが、自分では○段だと自負している人でも、この問題を全て出来るとは限らない。
要するにどういう風に考えるかです・・・「問題を80%出来たら合格」と言う風に考えるか、「上の段を自称する、あるいは目指すのなら1問でも間違えてはいけない」くらいの気持ちで見るか・・・