連休の間、深夜から明け方にかけて何局観戦しただろうか。
観戦も多すぎるとけっこう疲れるし、乗り物酔いみたいな観戦酔いがあるかもしれません。
それも私と同じくらいのレベル中心ですから、未舗装の林道を走るバス・昔の歌にあった「田舎のバスは・・・」みたいなもので、慣れれば平気ですが慣れないと酔ってしまう、あるいは慣れてはいても時には眩暈がするような・・・。
見ていて疲れるなら見なければ良いのですが、そうはいかないのが碁キチ。
ネットで自分の入っている実名サイトで丁度良いお相手が皆対局中だったので、その碁を数局観戦した後日本棋院の幽玄の間で観戦・・・ここは入場して観戦すると対局者の他には観戦者が一人でgesutとして色つきで表示されています。
私以外に観戦者はいないようなので、それが私のことらしいのですがやはり25級表示でした(しつこい恨みブシみたいな感じ)。
それはともかく、ネット碁のはしごで東洋囲碁(タイゼム)からパンダまで日本、東アジア、世界と駆け巡った気分・・・3連休中ですと寝ていられない性格。
だからと言って昼間寝ているわけではないのです、『いやー、仕事と違って連休は疲れる」となる。
普段仕事で忙しいパパが連休では家族サービスで疲れるように、私の場合は自分サービスで疲れるのです。
さて観戦の中で感じたこと・・・観戦は野次馬ですから言いたい放題であるし、傍目八目ですから対局者より冷静に碁盤を見ているという面もあるらしいので、その辺は割引して聞いてください。
勿論ひとりごとです。(先日どこかのブログで読んだのですが、負けた腹いせに面と向かって相手の悪口雑言を書き込む人がいるらしいのとは違います。)
プロが番碁などの解説をする場合、他のプロも聞いているであろうし、尊敬とは別に多少の同業者的遠慮もあるようですが、ザルの場合は自分の棋力は棚に上げて遠慮せずに方向違いだろうが感じたままを・・・。
ネットのその対局者は少し前までは私が常先か場合によっては2子置かなくてはいけないくらいの手合いの方々ですが、今日表示されているポイントを見ると逆に私が白でコミ無しくらいになっています。
『これは一体!?』
考えられるのは私が強くなった?・・・ということは考えられません・・・まだ自己MAX手前でウロウロしていますし。
相対的距離、と言うことは、あの両者が弱くなった?・・・これが難しい。
ポイント表示では下がっているので、負けが込んだから下がった=弱くなった?、かもしれないとは言えますが。
でもその辺りがどこかダブルスタンダード、いやトリプルスタンダードのようなものがありそうな気がします。
初めから正体不明のものを持ってくるのはおかしいけれど、人それぞれ変化・進化はあるでしょうが何かその人なりの本当の「棋力」みたいなものがあるような気がする。
例えば、囲碁に関する知識・経験を盤面に反映できる力と言うか、碁の理解度と言うか深さと言うか幅と言うか・・・マアはっきりとは言えないけれどその人の持つ囲碁ランクのイメージと言うか。
それに対してポイントの方はそういうトータルの力の結果・反映とはいえ勝負事ですから相手の調子、自分の調子と言うものが左右する事が多い。
加えると、その時に対戦する相手との相性に恵まれたり、逆だったりでそういう事の巡り合わせとか、体調とか、仕事・生活・家族などとの関連でプラス・マイナス要因があったり。
結局はトータルでポイントに表示されてくるので、ポイントが全てと見るか、「いやこの人はこのポイントでは無いぞ」と見るか。
よく親が子供のテストの点数で「お前はやればできる子なのに」と叱る場合、「もっと努力しろ」と言っているのですが「テストの点数で表示された点数と本当の成績ランキングポイントとは違う」と励ましている面もあるでしょう。
囲碁のポイントもそういうところがあるわけで、私が実感として自分より上手と思っていた人が、「では一局私の先で」などと黒石の碁笥をもたれたら逃げ出したくなる。
楽番ならそれも好いですが、一応ポイントをかけているわけで、そういう向こう見ずな戦いはしたくないと言うのが本音です。
従って、そういう人達の碁を観戦すると言うことは、「本当にこのポイントが適正なのか?」と考えながら見ることでもあります。
自分よりどのくらい強そうなのか?、そうでもないのか・・・あるいは互い先でも打てそうなのかを感じることですから、かなり受ける印象と言う曖昧な物で物差しがはっきりはしない。
碁は丁々発止、流石に実力がある人たちの戦いではある・・・それは感心。
しかし少し、野球で言うとストレート系が多いような気もするし、露骨な変化球やブラッシュもあるような・・・。
そういう意味では力はありそうだけれど、受け止めることができ、危ない弾は避ければなんとかなるかも知れない・・・その見極めが難しい。
他人の碁を見ていて気がつくことと、自分で打つ時にそれが出来るかどうかは別な面がある。
戦いが激しくなり・・・何か肝心なところが読み抜けているような感じで、そこを放置しての戦いが続き・・・有利だと思われていた方が見落としで逆転されて決着。
さて最後の場面を見ると、やはり今の棋力はポイントに反映されていると言えそうではあるけれど、もし私が打つとなると、彼らは急に気持ちに余裕が出て、私などは一蹴されるような強さを取り戻すかも知れない・・・そこが怖いし迷惑な感じ。
観戦も多すぎるとけっこう疲れるし、乗り物酔いみたいな観戦酔いがあるかもしれません。
それも私と同じくらいのレベル中心ですから、未舗装の林道を走るバス・昔の歌にあった「田舎のバスは・・・」みたいなもので、慣れれば平気ですが慣れないと酔ってしまう、あるいは慣れてはいても時には眩暈がするような・・・。
見ていて疲れるなら見なければ良いのですが、そうはいかないのが碁キチ。
ネットで自分の入っている実名サイトで丁度良いお相手が皆対局中だったので、その碁を数局観戦した後日本棋院の幽玄の間で観戦・・・ここは入場して観戦すると対局者の他には観戦者が一人でgesutとして色つきで表示されています。
私以外に観戦者はいないようなので、それが私のことらしいのですがやはり25級表示でした(しつこい恨みブシみたいな感じ)。
それはともかく、ネット碁のはしごで東洋囲碁(タイゼム)からパンダまで日本、東アジア、世界と駆け巡った気分・・・3連休中ですと寝ていられない性格。
だからと言って昼間寝ているわけではないのです、『いやー、仕事と違って連休は疲れる」となる。
普段仕事で忙しいパパが連休では家族サービスで疲れるように、私の場合は自分サービスで疲れるのです。
さて観戦の中で感じたこと・・・観戦は野次馬ですから言いたい放題であるし、傍目八目ですから対局者より冷静に碁盤を見ているという面もあるらしいので、その辺は割引して聞いてください。
勿論ひとりごとです。(先日どこかのブログで読んだのですが、負けた腹いせに面と向かって相手の悪口雑言を書き込む人がいるらしいのとは違います。)
プロが番碁などの解説をする場合、他のプロも聞いているであろうし、尊敬とは別に多少の同業者的遠慮もあるようですが、ザルの場合は自分の棋力は棚に上げて遠慮せずに方向違いだろうが感じたままを・・・。
ネットのその対局者は少し前までは私が常先か場合によっては2子置かなくてはいけないくらいの手合いの方々ですが、今日表示されているポイントを見ると逆に私が白でコミ無しくらいになっています。
『これは一体!?』
考えられるのは私が強くなった?・・・ということは考えられません・・・まだ自己MAX手前でウロウロしていますし。
相対的距離、と言うことは、あの両者が弱くなった?・・・これが難しい。
ポイント表示では下がっているので、負けが込んだから下がった=弱くなった?、かもしれないとは言えますが。
でもその辺りがどこかダブルスタンダード、いやトリプルスタンダードのようなものがありそうな気がします。
初めから正体不明のものを持ってくるのはおかしいけれど、人それぞれ変化・進化はあるでしょうが何かその人なりの本当の「棋力」みたいなものがあるような気がする。
例えば、囲碁に関する知識・経験を盤面に反映できる力と言うか、碁の理解度と言うか深さと言うか幅と言うか・・・マアはっきりとは言えないけれどその人の持つ囲碁ランクのイメージと言うか。
それに対してポイントの方はそういうトータルの力の結果・反映とはいえ勝負事ですから相手の調子、自分の調子と言うものが左右する事が多い。
加えると、その時に対戦する相手との相性に恵まれたり、逆だったりでそういう事の巡り合わせとか、体調とか、仕事・生活・家族などとの関連でプラス・マイナス要因があったり。
結局はトータルでポイントに表示されてくるので、ポイントが全てと見るか、「いやこの人はこのポイントでは無いぞ」と見るか。
よく親が子供のテストの点数で「お前はやればできる子なのに」と叱る場合、「もっと努力しろ」と言っているのですが「テストの点数で表示された点数と本当の成績ランキングポイントとは違う」と励ましている面もあるでしょう。
囲碁のポイントもそういうところがあるわけで、私が実感として自分より上手と思っていた人が、「では一局私の先で」などと黒石の碁笥をもたれたら逃げ出したくなる。
楽番ならそれも好いですが、一応ポイントをかけているわけで、そういう向こう見ずな戦いはしたくないと言うのが本音です。
従って、そういう人達の碁を観戦すると言うことは、「本当にこのポイントが適正なのか?」と考えながら見ることでもあります。
自分よりどのくらい強そうなのか?、そうでもないのか・・・あるいは互い先でも打てそうなのかを感じることですから、かなり受ける印象と言う曖昧な物で物差しがはっきりはしない。
碁は丁々発止、流石に実力がある人たちの戦いではある・・・それは感心。
しかし少し、野球で言うとストレート系が多いような気もするし、露骨な変化球やブラッシュもあるような・・・。
そういう意味では力はありそうだけれど、受け止めることができ、危ない弾は避ければなんとかなるかも知れない・・・その見極めが難しい。
他人の碁を見ていて気がつくことと、自分で打つ時にそれが出来るかどうかは別な面がある。
戦いが激しくなり・・・何か肝心なところが読み抜けているような感じで、そこを放置しての戦いが続き・・・有利だと思われていた方が見落としで逆転されて決着。
さて最後の場面を見ると、やはり今の棋力はポイントに反映されていると言えそうではあるけれど、もし私が打つとなると、彼らは急に気持ちに余裕が出て、私などは一蹴されるような強さを取り戻すかも知れない・・・そこが怖いし迷惑な感じ。