なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

目碁でもあるまいにパートX

2007-05-16 02:33:19 | Weblog
 以前目碁でもあるまいにという話をしたことがありまして、その後何回と無く目碁的なことについて話をしてきました。
 今回も繰り返しになる部分もありますが、少しだけ見方を変えた方がいいかな?という意味も含めたはなしです・・・マア余り大きな違いは無いかもしれませんが。
 初めに「目碁でもあるまいに」という話をするきっかけになったのは、確か九州の何処かで行われた少年少女囲碁大会についてブログで読んだことがきっかけでした。
 優勝者には賞品と全国大会に出場する権利が与えられるという大会だったそうで、スイス方式の4回戦・・・でも16名以上の参加があれば2名以上の全勝者が出る可能性がある。
 プレーオフをやらないで、そこを解決するためのやり方だったのでしょうね。
例えば中押しで勝つと+20Pで数え碁は目差がポイントで20Pが天井。
 4回戦での勝数、同じ勝数ならば獲得ポイントで争う・・・
  確かに主催者としては運営上時間的な制約もあるし、会場の問題もあるかもしれないけれど・・・
 仮に5目程度の差が逆転できないと読みきった子は、投げると相手に20Pプレゼントすることになって、もし最後まで打つとそれは5Pしかない。
 更にこれが負けたほうに勝者に与えられるポイントと同じだけマイナスポイントがつくとしたら、20目以上負けていなければ投了しない方が良いことになる。
 更に優勢な局面では、20目以上勝ちを目指すという変な頑張りが必要となる。
  それらは普段教わっている碁では無いはず。
 勝ち負けを争ってはいるけれど、頭のどこかに20目というハードルがある。
  事前にこういうやり方を発表してあれば・・・悪法も法ですから納得せざるを得ないのでしょうか。

 変なルールだけれど、こういう大会ルールは実は私にも経験があります
  かなり昔のことですが、当時も変なルールだと思いましたが、マアおじさんとオバサンの大会だし、賞品が少し変わる程度だから”お遊び”という意味では”マいいか”という範囲かな。
 いつものコミュでの親睦囲碁大会もこれに似たルールのようです・・・
  平日の大会だし参加する気も無いので、口を出しませんが、やっている人が違和感が無いのだろうか?
 オジサン、オバサンはともかく、少年少女たちにこのルールには馴染んで欲しくないと思うのです。

 目差が大きいほど良いというのは、勝ったほうの立場で「より安全に寄り切った」「あるいは相手の弱点を的確に咎め続けた」という意味でしょう?
 だけれども劣勢の方の立場では「投げるか投げないかは20目差がライン」・・・
19目差以内の負けを目指して変な頑張りを続けることになりそう。
 数目の差を読みきる”質”と、ともかく差など関係なく最後まで頑張る”質”の差はどういうものだろうか?

 話が変わって「目碁」「賭碁」というのは私は経験が無い・・・勝負にコーラ1本も賭けたことがないのですが、周囲では「缶ビール+おつまみ」とかの座興的な賭碁はよく目にします。
 これは勝ち負けに対して賭けているのであって、目差で内容は変わらない。
  だから良いということではない無いのですが、マア二人で缶ビールを飲んでどちらかが勘定を払うかだけの意味ですし、表で飲めば自分が勘定を持とうとする人達が、碁会所では勘定を押し付けあっているだけです。
 これが東京の某所にような「目碁専門店」だと話が変わってきます
  勝敗に対していくら・・・これを”お台”というらしい
  更に目差10目単位でいくら・・・これが1本、2本と数えてトータルでお金が行き来するらしい。
 これはそこの常連さんから聞いた話でそれ以上の詳しい話は知りません。
  ともかく儲けるコツは勝つ時に大きな差で勝つことがコツらしい。
 だから・・・そういうルールの影響だと思うのですが、目碁の常連さんは何処か打ち筋が違うのです。
 はっきりここが違うといえないのですが、違いを感じます。
  アマの高段者とかプロ棋士の中にも目碁経験者はいて、中には「賭碁」を強くなるために勧める人までいました。
 確かに「稼ぐ」ということは除外して、「負けないように必死で考える」というところを強調すれば修練だということかも知れない・・・これはそうとうな域に達した人が言うことで、私などザルとは無縁のことだと思う。
  また相当なお稽古代が必要でしょうね。
 それより賭けたことで、特に目碁ではやはり賭け事のいやらしさが出て、それが染み付いていくような気がします。

 ともかく私レベルでは、「なるべく大きく勝つ」なんていう碁を考えたら、多分おかしな碁を打つだろう。
 さて少年少女の場合「1目勝てば良い」というような変に悟ったジイサマみたいな碁はダメで、ガンガン行くような元気が良い碁が良いということはあるのだろうか?・・・分かりません。
 
 さて、目差が大きいほど鮮やかな勝ちで、小さいほど接戦で・運のいいほうが勝ちみたいな感覚がある・・・いつものコミュで多くの人がそう思っているみたい。
 確かにそういう面はあるのだけれど、僅差での敗戦を拒否して勝負に出て、結果大差で負ける・・・こういう打ち方が軽視されているかも知れない。
 何となく最後まで打って、何となく小さな差で負け・・・

 ところで似たようなことが職場碁でもありました。
 Fさんは何時に無く慎重に打ち進めて・・・マア多少へコミ気味なので100%良い手ばかりではないのですが、向う4子だから白として大変迷惑な?打ち方。
 取り敢えずジリジリと差を詰めていくしかないが、大寄せに入る辺りでやっと細かくはなりそうなところまでは来たけれど、もしかして黒が残るか?という形勢。
 終盤黒甘いところがあって結局白の5目勝ちとなったのですが、そこでFさんの感想 「やはり、こんな風に考えて打たなくてはいけないね」・・・
 勝敗では無く5目負けという差に多少満足しているのか?
  いつも捻り合いで負けていたFさんの気持ちとしては分からないでもないのだけれど・・・「本人がそれでやる気が増せば良い」とここは私も黙ってにっこり。
 本心を言うと「最後のヨセも勝敗の分岐点として問題点だけれど、本当はジリジリと追撃を許した打ち方が問題なんですよ」・・・マアそういうことはきっとFさんも分かる日が来るのだろうな。 
 

棋譜倉庫で

2007-05-15 04:25:07 | Weblog
 「棋譜倉庫」は棋譜置き場が正しい名前かどうか分かりませんが、ともかくネットで打った直近の200局くらいが検索できます。
 古棋譜とか、ネットでの高段者対局、観戦履歴のある棋譜なども呼び出すことが出来ます。
 マア、自分の対局記録で200局くらい前のものを見てみました・・・概ね半年前くらいです。
 私の対局が進むにつれて古い順に消えていって新しいものと入れ替わるのですから、ともかく今見られる中で一番古いものということです。
 さてこれはLさんという方と向う先逆コミ3目半という手合いで、9目半負けています。
 これは大差です・・・白番で投了せず最後まで打っているのですが、何を考えて打ったのか我ながら興味があります。
 そこのところは今となっては思い出せないのですが、相手のLさんにしてみれば「諦めの悪い白メ」と思ったことでしょうね。
 棋譜を初手から再現していきまして、「詰むや詰まざるや」的な局面が出てこない・・・ということは、何となくごく自然に負けた?
 それは相手が手合い違いに強かったか、白の私がアホな打ち方をしているかどちらか>>>両方か。
 が、一箇所だけポイントらしいところを発見!
  それは何気ない中盤の流れの中で大寄せに向かって行く場面。
 黒のヨセの手に(それは先手らしく見える・・・受けなければ白大損しそう)もし受けずに他へ回ったらどうなるか?
 白は15目くらいは損害があるのだが(だからこそ黒は先手だと考え打ってきたに違いない)、このとき黒地の中で取られている白に動き出す手があるか、無いか?
 これは難解な問題です
  <先手・後手><大石どおしの競り合い><地の計算と周辺の影響>
 この部分だけでは白の強手は成立しないように見える。
  しかし棋譜の進行を追うと、条件が整った瞬間があった!!!
 半年前の棋譜をああだこうだといじっています。
  これは「死んだこの年を数える」よりは客観的には棋譜を見れます。
 但し、今気がつくことがその時に出来ないのが情け無い
  何気なく通り過ぎてしまったのですね、この対局でこの場面でこんなに考えた記憶が無いのですから。

 さて、問題の場面で白が思い切って振り替りを強要したとして、その後双方最強に寄せたとして計算すると・・・逆コミを差し引いて白3目半勝ちとなるらしい。
 実戦とは上下13目違い
  手の研究ということではそれで良いかも知れませんが、実は振り返って逆転の場面で・その時そこまで追い込まれていたということは、それ以前に白に拙い手があったことに他ならない。
 その点は大問題でしょうね
  ともかく実戦は逆転を目指して最大限の努力をしたと言い難いし、さりとて手が無いと見て投了していない。
 全く自分の情け無い碁を見てしまった。
  多分気がついたときには「投げる方が失礼」な場面まで行ってしまっていたに違いない・・・それにしても情け無い。 

詰むや詰まざるや

2007-05-14 00:23:03 | Weblog
 これは本のタイトルです
 「囲碁頭の体操 詰むや詰まざるや」 碁楽編集部・山海堂 平成8年第1冊
  この本は相当前に買った本です・・・10年くらい前だろうか
 これまでに何度か読んで・・・イエ問題集なので問題に取り組んできたというのが正しい。
 取り組むといっても、それほど強烈に難解な問題ばかりが出ているのではない。
  この本の面白さは、全てノーヒントであることと、事前に結果が示されていないということです。
 詰め碁の形をしている問題ですが、詰むのか詰まないのかコウなのか、コウにしても本コウなのか1手ヨセコウなのか事前には示されていない。
 つまり実戦に近い状態で問題に取り組むことを意図している
  余談ですが、”詰む”ということが読みきれるなら、比較的楽なんですね。
 考えても詰まないように見える時が厄介なものです・・・読み落とし、読み間違いが無いかどうか不安になる。
 コウの時も同じで、本当にそうなのか何度も読み直す・・・読みの結論が1手ヨセコウなら本コウにする手段は無いのかともがいてみる>そういう気にさせてくれる問題集です。
  だから、この本はこれまでに何度も取り組んできました。
 10回くらいは・・・
  同じ本をこれほど何度もめくるのは私としても珍しいのですが、今回は偶々部屋の隅から出てきたというか、出かけるときに携行したということで再々々・・・です。
 繰り返しになりますが問題そのものはそれほど難しいとは思えないのが良い。
  難解な詰め碁の本になると、例えば中国の古い詰め碁の本など、高段者やプロ棋士には必須の課題かもしれませんが、難解な上に形がいかにも作り物みたいな気配がするのですが、こちらの方は実戦に出てきたもののような気がするのだけれど、どうだろうか。
 もう一つの特徴はこの本にはページが印刷されていません。
  本の1ページずつのつくりがトランプみたいになっているのです。
 つまり片道100第・問題の裏ページに答えで、本をひっくり返すと101から200題となるのです。
 往復200問
  
 さて自分としては恐ろしいことを思いついてしまいました。
  いつものネット碁の棋譜倉庫から自分の碁を古い順に取り出してみる。
 直近の200局くらいが検索可能ということなので、古い順に見ることになります。
 それで、棋譜をなぞってみるのは当たり前ですが、途中で「詰むや詰まざるや」をやれるかも知れないと思いついたのです。
 1局の中で必ずそういう場面があるはず・・・相手を詰めることが出来るのか、あるいは手抜きで自分の石はどうなるのかを考えるポイントがあるはず。
 だからそういう場面を抜き出すことが出来ると、マイ詰むや詰まざるやが出来るような気がするのです。
 そして今まで当たり前の進行だと思っていたものが、実は手があったということなど発見できるかも知れない。
 勿論反対に”実は手無しだった”というものもあるかも知れません。
  ともかく実際には起こらなかったことを発掘するみたいな意図で棋譜を見直すのも面白いのではないかと考えたのです。
 ザルとしては大それたことかも知れないけれど、誰に迷惑がかかるわけでなし、セクションペーパーの小さな手帳を用意して、ボツボツやってみます。
 案外面白くて嵌ってしまうかも 
 

4子によくある形

2007-05-13 03:09:30 | Weblog
 自分の席でお弁当を食べながら考えた・・・”今日はFさんとKさんに打ってもらおう”、”彼らに打ってもらって・横から見たほうが良いか悪いか微妙な感じだ”。
 自分で打ちたくないということではなくて、Kさんに対する遠慮みたいなものです。
 どう考えてもKさんの対局数が少ない気がします。
  マア彼は一応ここのナンバーツーなので昼休みとはいえ遊んでもいられないことも多いので仕方が無いのかもしれないが、ナンバーワンのN氏が囲碁の横で将棋を指していることが多いので・・・ナンバーツーの方が忙しい!?。
 ともかく私が昼に打てない曜日もあるので、その時はFさんとKさんが対局するということになった。
 今まで何となくそうなっていたのを、言葉にしただけですが。
  さて彼らの碁を観戦したことは一度しかない。
 横から見ていて、Fさんは見られていることを意識していたように感じたのだが、私程度のものに見られていたからと言って緊張するわけは無いはずだから、ともかく”誰”ということではなくて、見られることに慣れていないのかも知れない。
 そういう意味では「すれていない」とも言えるけれど「集中力が足りない」のかも知れない・・・あるいは「誰に見られようと、変わらない」という開き直りみたいなものが無い?

 お弁当を食べ終わって・・・Fさんから「どう?」と声がかかります。
  これは「打てますか?」という質問では無くて、(打つのは当たり前で)「準備できましたか?」という、促す合図です。
 この日は何となく”今日はジックリ打ってみよう”と考えました。
  特に心境の変化というものではないのですが、ここのところ全て昼休みの時間内に決着がついている。
 ・・・ということは「余り考えない・まさに昼休み碁になっている」・・・それは私はともかく相手のKさんやFさんには良くないことかも知れないと感じていたから。
 彼らに「打ち方の使い分け」では無くて、「昼休み的な打ち方が身についてしまう」心配があるなどと自分のことを棚にあげて偉そうな心配をしたのです。
 ・・・と、奇しくもFさんの口から「考えれば良いのだけれど、昼休みだからね」、「考えていると、重たくなって・・・」なんだかよく分からないことを言い始めた。
 分かるような分からないような。
  私には早打ちの言い訳のように聞こえますが、心の中では「そういう使い分けが出来ればもう少し強いんでは?」と不遜なことを感じていますから、やはり性格が悪いんだな(私は)。
 マ、口では「イエイエ、ここという時には充分に考えて下さい」と言っています。
  これも本心ではあります。
 早碁とはいえ、全て同じペースで早く打つわけではないのですから、早足もあれば「おやッ」と立ち止まることもある。

 今日はいつもと少し進行が変わった気がする
  4子局で隅の星に白がケイマでかかって、黒大ケイマ受け。
  白背中の星に小ケイマカカリ、黒辺の星にハサミ(というか割り打ちというか)。
 ”そう来なくてはいけない!”と心の中では思う・・・しかし、白としても困ることには違いないので、早くも座りなおす場面です。
 白は辺の星にハサンきた石に当然ボウシ・・・ここからが問題。
  4子局以上ではよく現れる局面ですが、たいての黒さんはこのボウシが厭だと感じるらしい。
 確かにうっとうしいけれど、自分が一方的に攻められている気分になるようです。
 黒はボウシされた石を逃げ回っているうちに形勢が悪い流れになっていくように思うらしい・・・だから初めに星に挟んだ手が良い手ではないというように思うのかも知れません。
 ところが白は違うことを考えている
  挟まれた瞬間に白は弱い石が2つ出来たことになったと感じています。
 したがって基本的にはしのぎの立場ですが、挟んできた黒石にボウシすることで調子を見ているだけなのです。
 勿論黒が不味い手を打てばそこにつけ込んでいくのですが・・・
  これを黒さんは自分が一方的に攻められていると???
 「これが上手く打てれば4子は卒業」だと思うのだけれど・・・

 黒さん白のボウシにゴツク突き当たってくる。
  それは良い手かどうか分からない、黒も少し丈夫になったけれど、白も強くなっているし。
 そうは言うものの、もともと4子の置き碁だから白も大変(涼しい顔をしていますが)
 そして今日のFさんはなかなか大崩れを見せない。

 結局は白と黒の超大石どおしの攻め合いになって、これはコウではあるけれど黒からの1手ヨセコウだから、この時点で勝負あったようなもの。
 余りに大きな攻め合いだから仮に黒から本コウに出来ても、白は天下聞かずでコウを解消します。
 ということは黒が2手続けて打って見合うところがあるかないかが問題。
  この場面あるいは、こういう重大な場面に陥る以前によく考えて打って欲しいというのが今日の宿題みたいですが、Fさんもそう思ったかどうかは分からない。
 ともあれ1時ジャストに黒が投了。
  
 大急ぎで盤・石を片付けて2階の執務室に戻ったのが1時3分・・・このくらいなら文句も言われませんが、周りからチラッと見られたような気がする・・・自意識過剰か。

 ところで、話が戻って
  今日のFさんは負けたのにサバサバというか爽やかというか・・・彼として満足のいく内容だったのか、あるいは何か感じるものがあったのか・・・少し気になります。 

成る程、そのように思っていたのか

2007-05-12 01:31:45 | Weblog
 この日の職場の昼休み、Fさんと私はほぼ同時にお弁当を食べ終わったので、Fさんから声がかかるかなと思っていたら、背中からKさんの声がかかった。
 FさんとKさんは”わが社”閉店後に居残りをしてまでも碁を打つ方たちだから、多分今日はKさんが私と打つことが予定されていたんでしょう。
 ともかく1階の男子休憩室へ降りていきました。
 
 碁は向う4子です
  白が隅のに小ケイマにかかって黒1間受け、反対側の(かかった白の背中側)星にも小ケイマかかり、今度は黒上につけて来て、黒からツケノビ定石をイメージしているようです。
 マア、注文通りのツケノビでも良いのですが、余り形を決めすぎるのも面白くないので、ここは黒のツケ、白ハネ、黒ノビの後白は這わずにコスミで打って見ました。
 これはこれで何と言うことも無いのだけれど、多分Kさんは余り経験していない形だと思うので、Kさんにとって「何処と無く気持ちの悪い手」だと想像している。
 この辺が白のずるさというか・・・冷静に見たら黒が圧倒的に有利なはずなんだけれど、こういう「不安なポイント」も残して置くのです。
 序盤ですから黒も頭の中では「状況は黒良いはず」と思っている・・・はず。
  そして、今の内に白を叩いてしまおうと目論んでいるはず。
 特にKさんは好戦的な碁だから「生意気な白」「一見威張っていても弱そうな白に灸をすえようと」積極的です。
 この時が白にとって最大のピンチでもありチャンスでもあるのです。
  今日もKさんの意気込みは良かったのですが、返り討ちに・・・
 時間が残っているので、今度は(Kさんの3連敗)5子で対局となった。
  内心私は「ボロボロにやられる」と覚悟をしていたのですが、またまた返り討ちに・・・
 短い昼休みに2局打ってしまった。

 さて3時のお茶の頃、Fさんが近くにやってきて「どうでした?」と昼休みの結果を聞いてきました。
 結果を話すと「Kさんは好戦的な碁だから・・・」というので、多少弁護的な気分で「いやァ、私も戦いが好きですからね」と言ったのですが・・・
 F:「そうですね、貴方のは纏わりついてくるような碁ですから」!!!
  これには相槌は打てない
 確かに私には「戦いが好きで、力碁も辞さないところはある」、しかし纏わりつくという表現はなんなんだろうか?
 多分置き碁で下手を戦いに引きずりこんで苛める悪い上手のイメージなんだろう
  「おとなしく言うことを聞けば良し、聞かなければ成敗してくれよう」という越後屋とぐるで悪事を企む悪代官のイメージです。
 確かにそういうところが皆無だとは言いませんが。
 「あっさり打って、数えると白数目残っているという碁では無いよね」
  実はそういうのが私は理想としているのですよ(と言いたかったのだけれど)
 実際にどうなるかは別として、互い先、2子くらいの碁ならそのように思っています。
 ところが、相手あっての作戦です。
  あっさり打って勝たせてくれれば言いのだけれど、黒さんだって堪らず何処かで堪忍袋の緒が切れる・・・そうなれば淡々とした碁が一転火花が散る碁に変わるでしょう・・・
 あっさり打って白が勝てるのなら、余程黒がおとなしいか弱いのでしょう。
  
 それとも「白煩いことをやらずに、あっさり打って素直に負けなさい!」と言っているのかな。
 ま、置き碁だからそれもあるかも知れないけれど・・・そういう風にお行儀良く打って白は兜を脱ぐ・・・お稽古ならそうなんだろうか?

 Kさんの投了直後の感想はそうではなかった
 「黒が白を取りに行くのが無理なんでしょうか?」
 「いえ、取りに行くやり方が間違っているのですよ」「間違いなく攻めれば、白はたまらないですから」・・・これは私の本音でもある。
 若い頃からK畑師匠にこういう風に鍛えられてきました。
  向う4子とか5子で行儀よく打って白が残るようでは、手合いが違うのではないだろうか・・・ねじりあいは手合いが拮抗している証拠?
 さて、そうは言っても5子は打ちにくい・・・本音で言うと、自分が自分に5子置いたら絶対に白は潰れでしょう?
 そろそろ、誤魔化し手などは勿論、様子見の手も控えて、黒がきちんと勝つようにしなくてはいけないでしょう。
 KさんもFさんも悪いたくらみを始めた・・・「二面でどうかなと話しているのですよ」
 それは勘弁をして下さい、とても無理です。 
 
 

余裕あり過ぎ!?

2007-05-11 00:06:19 | Weblog
 余裕というかゆとりというか、そういうものは無くてはいけないのですが、当然程ほどに有るのが良い。
 当たり前の話なんですが、丁度良くより少し余裕があるのが良い。
  ところが、こういうアローアンスというかユトリを見ていても失敗することもあるのです。
 今年のリクルート関連の話で・・・ある日会社説明会が催される予定になっていて、それにはエントリーしたらしい。
 会場は新宿駅近くの・・・本人が言うには分かりにくいところだとか。
  マア地図もあることだし、多少の余裕を持って出かければ大丈夫・・・ところが規格外に方向音痴というか、訳の分からない人間はいるもので、1時間近く迷子になった挙句、現地に着いたときは説明会は始まっていて、遅刻者はシャットアウトだったそうな。
しかも着いてみれば駅の前だったというから呆れてものが言えない
 全く親の顔が見たいというか・・・私なんですが。
  ということは余裕がありさえすれば良いというものでは無いということが分かります。
 余裕はあくまでも、補助的なものであって、出来るかどうかは本人の実力ということでしょう・・・確かに道に迷うような者は雇いたくは無いでしょうな。
 さてそれではこの子は一体どうなるのでしょう?
  ”親ばか”というのも有りますが”子供のことは親が一番知っている”ということわざもあったっけ。

 その夜は「開運お宝鑑定団」の日でした
  これが数少ない夫婦そろって好きな番組なのです。
 素晴らしいお宝をTVを通してですが鑑賞出来るのが嬉しい・・・恐らく持ち主の家に押しかけたって見せてもらえないでしょうから。
 生まれた時から、先祖代々伝わってきたお宝・・・「本人の努力とは関係ないではないか」という妬み嫉みを感じつつも、鑑定価格には一喜一憂しています。
 尤も、期待が外れてがっかりする出品者を見て胸のすく思い(?)を禁じえない・・・他人の不幸を喜ぶみたいで厭な性格を自分に感じてはいますが・・・
 それが終わってから入浴・ネット碁と進むのですがこの日はどういうわけか置き碁が多い。
 それはそれで良いことでもあるのですが、対局室に押しかけるのも多少気が引ける部分もあるのです。
 置き碁の・それもたくさん置いた黒さんは、観客にも気を使って・・・気を散らすかもしれないですからね。

それでは・・・ということで自分の過去の対局を再現してみる。
  棋譜一覧から呼び出せば過去直近の200局くらいが呼び出せるのです。
 しかしこの日は何となく気が乗らないというか、、、自分の碁が面白くない
  当然だけれど、自分の進行だから分かっているし、全くヘボ碁だ!
 だから、自分の碁を見ながら眠ってしまったらしい・・・気がつくと日付けが変わっている。
 約1時間のうたた寝でした。
  日付代わりだからブログの更新をして、ネット碁に戻ると・・・どうやらさっきと同じメンバーが並んでいる。
 今日は蒸し暑い1日だったけれど、メンバーの風通しも悪い?・・・などとけしからぬことを考えていたはずなんだけれど。
 突然「今日は30度を越えるかも・・・」と元気な声がかかる
  30年来この声には私敏感です・家の力関係が分かるでしょう。
 さてスリープ状態のパソコンのパッドを擦って時間を見ると既に朝6時半!!
前の記憶は1時ごろのはずだから、5時間以上うたた寝していたことになる。
 同じ格好で横になっている
  格好から言うと確かにうたた寝だけど、睡眠時間から見てこれもうたた寝の部類に入るのでしょうか?
  自分でも気がつかないのに仕事で相当疲れているのかな?>>>いやいや、だらしが無いだけなのは分かっているつもりです。
 さてこの時間のネット碁のメンバーはと見ると・・・アレ?夕べと変わっていない。
 この時間から入れ替わっていくのでしょうね。 

それは禁句ですぞ!

2007-05-10 01:36:27 | Weblog
 昼の12時15分頃から打ち始めて、「どんど晴れ」のオープニング曲が流れている頃Fさんが投了して、その言葉が発せられました。
 「私は全然考えていないから・・・」
  いつもは向う3子で打っているから、言葉は悪いけれど私のほうがホンの少し楽をしているかも知れません・・・そろそろ10連勝くらいです。
 だからFさんが黙って4つ置きました。
  これは相当に期すものが有るかも知れないので、要注意です。
 向う4子は1戦1敗ですからね
  さて碁盤の上の進行は猛烈な捻り合いを呈しています。
 というより、4子局ですから白は黒に根拠を脅かされて、攻められていたのですが、鹿を追う猟師というか、中原に鹿を追うというか・・・
 白は黒の攻めの甘さを突いて隅で生きてしまい、真ん中も逃げてしまう作戦
  (いつもの作戦)
 だから、何処かの白を取ってしまわなければ地では黒が足りなくなるに違いない・・・そういう進行・そういう不安感にFさんは弱いのかな?
 だから黒さんは白を取るしかないという気持ちになるのだけれど、この頃には自分の弱みがだんだん見えなくなってくるか、多少の欠点など考慮していられない気分になるらしい。
 こういう時黒は白を包囲して捕獲しようとしていると考えるのだけれど、実は白を攻めているように見える黒を白が割っているということもある、あるいは堤防に蟻の穴が開いていればそれは白を支えきれないのです。
 そんなことで、昼休みを15分も残してFさん投了でした。
私:「白が運がよかったかも知れない・・・」これはホントは半分お世辞で半分嘘!
 本音は、中盤の捻り合いで勝敗が別れた形だけれど、本当は序盤に問題があると思うのです・・・と、これは言えない
 説明に時間も手間もかかるだろうし、こういうことは本人が熱心に検討したいと思わなければ意味も効果も無いと思うのです。
 こういう”運”云々が誘い水になったのかFさんから「私は全然考えていない・・・」発言が出たのです。
 マア本人としてはそれほど重大な発言だとは思っていないでしょう。
  でも私は、突然木石人になって、建前人間に変身してしまいます・・・心の中だけですが。

 私の考えではこれは「禁句」です、絶対に言ってはいけないのです。
  第一囲碁は建前からして、「勝敗」を争うにしても「考えることを楽しむ」ゲームのはずです。
 自分が負けたとき「私は何も考えていないから負けたのです」と言って、それが事実であろうと無かろうとたいへん失礼な話です。
 ひねくれて受け取れば「ちゃんと考えれば、そう簡単に負けるはずが無い」とも受け取れる。
 
 母親が自分の子供の成績について「○○チャンはちゃんと勉強すれば出来る子なんだから・・・」と言っているようなものですね。
 「出来るはずの子がちゃんと勉強して、できることを証明してもらいたいものですね」
 碁の話に戻って。
  読み負け、読み抜け、勘違い・・・そういう読みの内容で負けたというなら普通です。
 いつも言うようにミスで負けたのなら問題は少ない。
  考え方の基本的な部分で間違っていれば、これは少し厄介・・・詠むことすらないのは論外!。
 これは、「昼休みの碁は単なる時間つぶしです」と宣言されたような気がする。
  そういう意味でショックを感じました。
 マア私程度を相手に昼休み碁ですから、さして勉強になるとも言えないとは思うけれど・・・明日からどうしよう?
 この辺が職場碁の難しいところです。

 想像ですが、彼に言わせれば「白だってろくに考えていないクセに」と反論があるかも知れません・・・確かに白も偉そうなことは言えない。
 でも経験の量の蓄積に歴然とした差がある。
  だからこういう機会は黒も経験を積んでいく上で、多少は良い機会だと思うのだけれど・・・
 そういうことで、経験の浅い黒さんが白と同じペースで打つ事自体・・・本当は黒のハマリだと思うのだけれど、そこまで言い切ってしまうと白も威張り過ぎかな? 

京の湯漬け?

2007-05-09 00:50:56 | Weblog
 ”京の湯漬け”は関東で例えたら”逆さ箒”くらいでしょうか。
 私もかなり前に(私のかなり前は10年や20年では無い)聞いたことがあります。
 最初は上方落語の枕の辺りだったか・・・私米朝のファンですからかなり聞いています(TV・ラジオ専門ですが)
 その後TVタレントというか○○評論家なのか”市田”さんの話にも出てきたかも知れません。
 私などもし知らずに「漬物しかありませんが、湯漬けでも・・・」なんて言われたら、「親切だな」か「丁度お腹がすいていたところです」か「一食助かった」かともかく「嬉しい」と言ってしまいそうです。
 食べ物には目が眩んでしまいます。
 「湯漬け」が「ハヨお帰り」の意味ですね
  関東ではサザエさんの漫画調で”逆さ箒”ということになるらしい。
 マアサザエさんは(長谷川さんですが)元々九州の出身だったと思ったけれど・・・これは九州の習慣?あるいは関東?
 お客さんからチラット見える所に置くらしい・・・これは、「この家の奥さんは、お客の長尻を怒っています」のサインですね。

 さてここまでが今日の話の枕(?)
  話は私が囲碁を憶えて間もない頃の初級時代と、更にそれより以前の・初級以前のことです。
 小学校の頃、毎日訳も分からずに新聞の囲碁欄を見ていたのですが、何にも知らなくても毎日見ていると少しずつ分かってくることもあるのです。
 マア難しい漢字は飛ばし読みにしても、概ね書いてあることはそれなりに(分かるというより)字として読める。
 それで、序盤の布石みたいなものは=こういう始まり方なんだなと・・・分かるというよりそういうものだと刷り込まれるのです。
 だからこれより大分後になって初級者の頃馬鹿の一つ覚えみたいな立ち上がりしか出来なかったのは、きっとそのせいではないだろうか
 ① 黒隅に小ケイマ、白1間カカリ、黒ケイマ受け、白ツケ引き、黒カケ継ぎ、白大々ケイマ
 ② 黒隅星、白1間高ガカリ、黒ツケ引き、白ツギ、黒1間開き、白3間
  マア、別段何のことは無い・・・無難というか、教科書通りというか。
 ”普通”は悪いことではないはずです・・・しかし、「悪くは無いはず」=「取り敢えず打っておけ」という、どちらかというと消極的な態度ではある。
 しかもその頃は、戦いは中盤から始まるのだから、初めは不利が生じなければ良いくらいの布石・・・
 この頃は「筋は良いけれど、力が無い」と言われてた時代とダブります。
  「筋は良い」について説明すると、これは本当に「良い」のではありません。
 単に教科書に出てくる形と同じという意味であって、後の「力が無い」を言うために多少持ち上げているに過ぎないのです。
 ですから本当の意味は「力が無くて、工夫が無い」という意味でしょう
 
 この頃から現在に至るまでには大分年数がありますが、省略して言うと・・・
先に揚げた打ち方の”気分は”全くの”受け”ですから、これは多少棋力差が無ければ状況は難しいままでしょう。
 そういうのも無いことも無いとは思いますが・・・
  いずれにせよ、序盤はこれから始まる激しい戦い・あるいは厳しい競り合いに備えて基礎を作っているわけで、相手より多少は仕事をしたい・・・
 それでこちらが先着している隅に相手がかかってきた時
  これが最初の「京の茶漬け」のチャンスだろうと思う
 イエ相手にご馳走を出そうなどとは思っていませんよ、真意は「相手に気まづい」=「居心地の悪さを感じてもらう」そういうチャンスだと思うのです。
 一寸形を崩しておく、あるいはもう1手必要かもしれないと心配な形にする、あるいは部分的には普通でも、他とのコーディネイトというかアンバランスなところを強調とまではいかなくても・・・安心させない。
 こういう例は適当かどうか分かりませんが1手10点の価値があって・・・相手は2手打って20点の価値があるのだけれど、それでは多少心配なのでもう1手手を入れたくなる・・・相手はそれで安心を得るのだけれど手としては5,6点の価値しかない・・・・すると相手はこの間の3手の平均点は8点台ということになります。
 マアこんなに上手くいけばいうことはありませんが、模式的にいうとそうなりそうです。
 それの始まりが、最初の「居心地の悪さ」からとなります。
  マアこの説明が的を得ているかどうか余り自信は無いけれど・・・
  
 

3800勝!?

2007-05-08 00:27:19 | Weblog
 先日ネット観戦で、その人の戦績をチェックしたら100勝65敗でした(これは勝ち負けの数は正確ではありませんが、概ねそのくらいの数で差が+35は正しいのです)。
 35ポイント勝ち越しているのだから単純に考えればこのネットに入って出発した点数から35点上がっているのが現在の点数ということになるだろう。
 35点差、これは凄いです、ここでは約3段近い差です。
  但し、「サンサン棋院」の対局は点数の上下に影響がありますが、もし「なかよし棋院」の成績が入っていると、これは勝敗は出るけれど点数には影響が無い。
 だからこの人の成績を正しく表すならば「サンサン棋院: 勝 負」「なかよし棋院+指導碁+トーナメント戦: 勝 負」というようにポイントに影響のある戦績とそうでないものを分けて集計しないと、戦績と現在の点数の関連が分からないのです。
 そういう意味では現在の戦績表示は改良の余地があると思う・・・もし既に改良してあったら事務局に御免なさいを言わなくてはいけないですが。

 さて、そういう改良が無かったとして、
  この方の戦績が全て「サンサン棋院」でのものだったとした場合。
 非常に模式的に考えると、初期の登録点数から正しく実力を現す点数に変化するとして・・・もし現在の点数がここでのほぼ正しい点数だったとすると、初めに35勝してその後1勝1敗を繰り返し(つまり65勝65敗で)100勝65敗となっていると見ることが出来るだろうか?
 それとも2勝1敗ペースで現在も上昇中なのか?
  タイゼムなどの段級位制ならば後者が考えられるけれど、点数制で65敗という負け数を考えると、ほぼ横這いの安定期に入っていると考えるのが妥当かな。

 人の点数を見てあれこれ考えています・・・それも楽しみの内です
  人のことばかり言うのも何なんで、自分のある日での成績合計は>>>365勝358敗つまり+7勝。
 これは約2年間の成績。
  考えてみれば、毎日毎日結構真剣に打って、結果7つです。
 アホな遊びと見るか、皆が真剣にやっているのだからマズマズと見るか。
  自分では年が年(必ず言い訳に登場する)だからこんなものかと思うのですが、もし家族に聞かれたら言わない方が良いかも知れないなァ。

 期間は約2年と言いましたが、これは丁度システムが新しくなってからの戦績が出ているので、これより以前のものは出ていません。
 そういう意味では分かりやすいかも
  ところで、今日入場者の成績を勝手にチェックすると・・・なんといつもの高段者:3894勝3756敗!!!
 これは毎日10局以上は打っている計算になる。
  そうですね、いつも深夜にはこの方とは「対局可能」・多子局でも打つ人ですから超超対局数で且つ140勝ち越している。
 サンサンでも「なかよし」でも、4子でも井目でも・・・

 さてこの時間に入場している百数十人の中で、これほど勝敗差のある人は、数人しかいなかったのです。
 サンサンのHPに「実力より点数が上がりすぎると必ず下がり、実力より点数が下がりすぎると必ず上がる」と点数制を説明しています。
 「実力=棋力」と「点数」の関係で多少の問題があると思いますがまあそれは置いておくとして、サンサン事務局の説明によると「好不調で20から40点上下を繰り返す・・・」と言っています。
 マア40点はオーバーにしても割合大きな波が普通にあるということらしい。
  すると私の10点から15点の波は大波の部類には入らないのかも知れないので、少し安心

 大きく勝ち越しているのは、先程の人以外では[357-271][496-358]の合計3人だけでした(今日見ただけですが)。
 そして3人とも碁会所で打てば七段と言っても打てる点数で、アマチュアの大会の県予選にも出そうな人たちだから、指導碁や相手してのマッチもあるのでしょう。
 それ以外には大きな勝ち越しは有りません。
  プラスもマイナスも15点以内くらいです。
 初級者の方では大きく負け越している人もいますがここのゾーンは連敗でマイナス1点というルールのゾーン。
 丁度プロに先の人達が連勝で+1点と対象的なゾーン。

 さて2人の新人を発見!!
  名前を見ても見覚えはないし縁もゆかりも無いのですが、二人の戦績が[0-0]と[1-2]。
 今のところ新しい人たちと点数から見て対局しそうも無いけれど、新しい人たちの名前を見ると微風が吹いているみたいで嬉しくなりました。 

表看板

2007-05-07 00:35:00 | Weblog
 表に堅気の商売の看板を揚げて置いて裏でなにやら非合法の活動という映画・ドラマ仕立てではないので、その辺がややつまらないのですが、(頭の具合は普通とも言えませんが)普通の勤め人なのでそうそう特殊な経験も知識も無いのが残念。
 囲碁に関して看板というと「棋士」というのは立派に金看板で、段位が上な程輝きが増しますが、コチトラはアマでザルなので、この辺の表示ははっきりしない。
 イエ、初対面の人と打つ場合はお互いにその辺のことに気を使うのです。
 「たいへんお強いようにお見受けしますが何段でしょうか?」
 「それが、はっきりといえるようなものは無いのです」
 「日本棋院とか?」
 「日本棋院も関西棋院でも免状を貰っていません」
 「そうですか、普段何処かの碁会所で打っています?」
 「はい○段で」
  たいへん面倒な手続きが有ります・・・
 それでこういう口頭での質問で相手の棋力が分かるかというと、そういうことは言い切れないのです。
 第一碁会所の常連と言っても、その碁会所によって棋力の基準が違います。
  リアルでは家の近所だけでも、碁会所・コミュニティ・生き生きプラザなどがあって皆基準が違う。
 更に「ネットなどで打っています?」と質問することを忘れてはいけません。
  そこでの段位あるいは点数表示を聞いておくと参考になります。
 勿論ネットによって差があることも知っておかなくてはいけないのですが
  ここまで気を使うのは何も段位という権威・あるいは権威らしきものに拘っているというよりか、初対面の人に手合い割の設定で失礼があってはいけないと気を使っているのです・・・ということです。
 但し、こんなにしつこく尋問しても、実際の棋力は分かるわけが無い!
  結局は「取り敢えず打ってみましょう」
 「そうですね,何局か打ってから修正があれば変えましょう」ということに落ち着くのですが、この落ち着き所に行くための手続きみたいなものかも知れません。
 
 そういうことで現在の職場のFさんとはそのように始めました
  Fさんはネットにも入っていないし、碁会所のメンバーではないらしくて初めに手合い割をどうしようか迷ったものです。
 もっとも、この春に転勤して行った人が何らかの段級的物差しだったらしくて、いまはここには居ない人ですが、その人を基準にして手合い割を決めたような経緯があります。
 
 さてリアルで家の近所の「コミュニティ」と「生き生き・・・」が直ぐ側に並んでいます。
 「生き生き・・・」の方は名前からも分かるように60才以上ということになっていますから、コミュが休館のときなどに誘われることがあってもやはり60才以下の若僧では敷居が高いもので一度も行ったことは無いので、聞いた話です。
 どうやらコミュニティより段位が甘いらしい。
  マア年令から言っても、その人の一番打ち盛りのときの段位を名乗っていると思えます。
 それとか、そういう人が・・・現在の棋力と看板に差が出来てしまった人が基準になっているのかも知れません。
 だからという訳でもないけれど、コミュの方から「生き生き」に遊びに行く人はいるけれど、向うからこちらに遊びに来る人は殆どいないようです。
 慣れているところが好いでしょうが、それ以上に普段より段の名乗りを下げるのは厭なのかも・・・考えすぎかな?
 こちらのコミュで指導的立場にいる人が二人居て、一人は最年長(?)で会長と呼ばれている人でこの人は精神的リーダー、もう一人がN山さんといってここでの棋力ナンバーワン。
 それでN山さんの棋力が基準となってここの段位が出来ている。
  この人はいろんな碁会所の強豪とも手合わせしているので、名乗りの段位は普通の碁会所より概ね1から1.5段くらい厳しいと思われる・・・マア一番辛いネットよりは甘いでしょうが、普通のネットよりは辛いといったところ。
 ともかくトップの段位が基準で設定されている
  例えばトップが六段とします。
 ですからこの人に5子で打てなければ初段とは言いにくい・・・そういうムードがあるのです。
 勿論普段の会員同士の手合いは点数ですから、段級の名乗りは関係ないし、点数と関係なく当人同士が決めるのも自由だし、「○番手直り」もあります。
 このコミュはトップダウンの段位
  ところがコミュニティによっては違うのです。
 例えば隣のH区のコミュでは恐らく初段を名乗る人の段位が基準になっている。
  基準になる人あるいは人達が居てその人にどういう手合いかで段位が決まるのだと思える。
 だから得てしてこういう決め方では、段位は上のほうに伸びていくもので、そこでのトップは九段なのです!!
 しかもそこの九段に私程度が白番で連勝・・・それでは私は十段、そしたらNさんは十一段だ!

 マ、そういう冗談みたいなことも現実にある。
  ところでネットの世界でも、初めて対局する相手とはこの辺が問題に感じる時もあります。
 初めて新しいネットに入って・・・入る時に登録するのに概ね二つの傾向があるように思います。
 一つは多少甘めでも目一杯の段級で登録する人と、普段より1,2ランク低く申請する人が居るように思えます。
 ネットはリアルよりやや辛いという”一般常識”もあります。
  ところで私の経験でもありますが、他の方のブログに出ていた話
 最近の成績19勝0敗・・・こういう人から対局のオファーがあったら、喜んで受けますか?
 私は厭ですね、まづ対局は避けます。
  表現は悪いけれど何だか得体が知れないと言う感じです。
 タイゼムではこんなに成績がよければ2階級特進ですが、それでも落ち着くところに落ち着いてから、改めて相手をして下さいというところです。
 それはかなり低く初めの申請をしたか、猛烈に進化している人でしょう。
  だから跳ね飛ばされないように「触らぬ神に祟り?無し」みたい
 とは言っても気持ちの中に「どれだけ強い人なのか触れてみたい」気持ちが全く無いわけではないのですが・・・触ったら火傷ぐらいはしそうですね。

 段級という看板はあったほうが便利かもしれませんが、有っても役に立たないことも多い・・・さてさて「看板」は難しい、「羊頭狗肉」もあれば「魚腸」もある。 

音、空気・風、光

2007-05-06 00:55:39 | Weblog
 今日はもうGWの終盤で、いい天気・・・といっても何処にも出かけませんが。
 自分の部屋の窓を開けると・・・本当は自分では開けないのですから、この表現は少し嘘が入っている。
 つまり、我が家で一番元気で働き者の女房殿が私の部屋に押し入ってきて、強制的に掃除を始めた。
 私は抵抗できない・ガンジーではないけれど無抵抗!・・・抵抗したら大変です
  とりあえず掃除機ですが、その前に部屋の窓をフルオープン!
 初夏みたいな気温ですから、窓が全開でも震えることは無いし綺麗な空気が流れ込んでくるから特に不愉快ということは無いのですが、それではこれが良いかというと一寸微妙な気持ちもある。

 例えば、私の夢の一つですが伊豆辺りの山の上に別荘があって、そこの庭に小さな亭屋、そこで友人と碁を打つ、あるいはそこに光ケーブルがあってネットで碁を打てる・・・そういうことが出来たら好いなと思っている。
 空気が気持ち良いだろうし、富士山とか駿河湾とかが眺められて景色がいいだろうと思うのです。
 但し碁を打つに、これが本当の理想的な最高の環境かというと首をかしげるところもあるのです。
 それは、我が家で窓を開け放った時と似ていることが起きる。
  我が家の方は伊豆の山の上とは違いますから窓を開けても眺めが好いとは言えません、隣の集合住宅が見えて、その建物越しに高層住宅が見えるだけ。
 (そういう環境だから仕方無い、緑地に木が多いのが救いです。)
  さて、そういう景色は碁を打つに当たって、実は関係無さそうです。
   見えるものは大きな原因ではなさそうです
 問題になるのは「音」と「空気」かと思うのです。
  音は気になりますね
 小さな音ならイライラするようなことは無いにしても、集中力を欠くような気がします。
  (小さな音でも断続的に続くものはダメ)
 車の音(騒音は勿論)・アイドリングとかバイクのエンジンを噴かす音は嫌い
  子供の声も(少なくとも碁を打っている時は)困る。
  我が家の近所に保育園があって、「運動会」は勿論「夕涼み会」「お泊り保育」ななどの日は碁を打つ環境ではない。
 あんな小さな保育園の庭で、何でおきな音でマイクを使うのかは知れませんし、絶えず曲を流すのも分からない・・・盆踊りでは「あられちゃん音頭」を連続20回近く聞かせて戴くのです・・・
 マア、家の娘も息子もここにお世話になったから今更文句も言えません。
要するに碁を打っている時に、碁と関係の無い音は厭・・・というのは我侭だろうか?
  車の音などいやな音は当然気づいて気になる、しかし鳥の声・静かな好みの音楽や鳥の声なら気にならない=もしかしたら聞こえていないのかも知れない。
  石を打つ音や、扇子をパチパチさせる音は一向に気にならないのですから・・・これは多分家族のものとは反対の感覚でしょうね。
 夜中に部屋でネット碁を打っている時に、扇子の音が隣の部屋の者には迷惑だとか・・・

 音については誰でも気になるでしょう
  二番目の「空気」の方はどうだろうか?、、、これはいろんな人に訊いてみないと分からないけれど、私は・・・
 部屋で碁を打つとき、淀んだ空気は当然困ります。
  それは人間も動物なんですからね
 でも、それでは空気が新鮮ならば良いかどうか・・・強い風が入り込むのは論外として。
 私は若い頃は眠る時にも真冬でも少しだけ窓を開けておきました。
布団から顔だけ出して、顔に風というか空気の流れを感じるのが好きでしたから。
 年をとって窓を閉めて寝ていますが、風を感じるのは好きです・・・程度問題ではあるのですが
 程度問題というのは、風を感じることが神経の集中の邪魔にならない程度にという意味です。
 実際はそんなに神経が細かいわけでもないのですが・・・
  初めに戻って
 大自然の中で碁を打つとして、音や空気の流れ、それに光も微妙に作用するような気がします。
 だから、三番目に光の要素もありそうです。
  光溢れる自然は素晴らしいのですが、それが碁を打つのに良い環境かどうかは別のようです。
 過ぎたるは・・・で、丁度好いというものがあるような気がします。
  だから案外大自然の中の、小さな建物の中で打つのがよいかも知れません。
 オープンな条件は向いていないのかも知れません。
  ということは、伊豆の山の上に別荘を持てたとして、そこの庭の木の下で打つのが最高でもないということになる。
 ウーム、中国の仙人は何気なく碁を打っているようで、物凄い集中力だったのかも知れませんが、蜜柑の実の中で打っている仙人は、自然の中の小さな亭で打っている事になるとすれば条件が会って来る・・・大分こじつけたけれど。
 でもそういう時、周りが暗い・宵以降なら好いかも知れない
  穏やかな夜に自然に囲まれて小さな灯りで碁盤を囲む・・・これが最高の贅沢になりそう・・・イヤ待て!
 蚊取り線香で虫対策は充分だろうか?
  虫にも弱いのです 

今日は疲れた

2007-05-05 02:21:24 | Weblog
 今日は暑いくらいの天気だったけれど、風が強かったのでチャペルに向かって歩く時に娘のベールを抑えなくてはいけませんでした。
 花嫁にエスコートして半歩前を歩く・・・のにベールが風に舞わないように背中を軽く押さえる・・・そんな器用な歩き方が私みたいな手の短いオジサンには無理な話だ。
 加えてあの無用に長い裾・・・忠臣蔵の長裃みたいな・・・アレを3回は踏んづけたと思う。
 娘も私も転ばなくてよかった
  ところで神父さん・・・もしかしたら牧師さん?
 外国人でした・・・特徴のある抑揚、そう昔ラジオで聞いたこことのあるドラマを思い出しました。
 ストーリーではなくて言葉の抑揚だけです
  井上ひさしのマッキンポット神父だったと思う・・・
 声の出演は森繁久弥だったかどうか定かではないが、あの言葉の調子です。
  なんだか可笑しくなって、最前列に座って笑いをこらえるのに必死でした。
 神父さんの後ろはガラスの窓で、明るい日差しが差していて、遠くに海が見えていて船が浮かんでいる。
 その船を見ることで笑いをこらえました(私は皆が真面目な顔をしているとお葬式の最中でも可笑しくなる=病気かも)
 
 あの神父さんカタカナの日本語は、日本に慣れていないから?、それともよく喋れるようになっていると聞くべきか?
 尤も、私はもっと意地悪なことを考えていました・・・「アレは営業用の喋り」
  事実このチャペルでの結婚式を主宰する神父さんを「日本人」「外国人」のいずれかを指名できるのだそうで、勿論お値段に差がある。
 いや、お布施に差がある。
  ということは日本人が日本で結婚するのに信徒でもないのにチャペルで結婚式を行って、神父さんは外国人を有り難がる・・・
 言っていることは本当に良いことです「健康な時も、そうでない時も・・・」全くその通りなのだから、誰がどんなイントネーションで言おうとこの言葉が頭と心に沁み込んでいけば良いのです。

 ここであることに・・・当然囲碁がらみ・・・気がつきました。
  私も、囲碁の後輩的な人にアドバイスらしいことを言う時があります。
 コミュニティなどのリアルの碁を観戦した後では偶にある。
 自分ではかなり基本的なことに限定しているつもりなんですが、いまいち受けが良くない。
  時として当人が問題と考えている事と別の所を問題にしているのかも知れない
 ともかくお笑い芸人ではないのだから受けなくても良いのですが、せっかく発信したことが受け止めてもらえないと寂しいですね。
 更に訳を考えてみれば単純な話・・・要するに「発言内容」ではなくて「発言者」が信用が無いのです。
  鮮やかな手を打つでなく、当たり前の手を打って勝てといっているので、全く強いと思われていないし、勿論尊敬など無縁。
 同じことを例えばプロ棋士が言ったのと、ザル碁のヘボが言ったのでは、受け手の反応が違う・・・これが「外国人神父効果」と同じかも
 私が棋力的に信用が薄いのはマア仕方ないとして、だからといって言ったことまで信用出来ないとすると、正しいこともないがしろにされてしまう危険性があります。
 これは不幸なこと
  それを防止するには聞き手に正しい耳を持ってもらうのが一番良いのだけれど、最も手っ取り早いのは「ヘボはあれこれ言わない!」だろうな?
 黙って見ているのも修行の内かな 
 

相も変わらず取り碁かな

2007-05-04 02:36:44 | Weblog
 前にここで話したことが有りますが(囲碁の)先輩に言われた言葉で、どうにも耳から離れない。
 それから25から30年近く経っているのです
  その時私はN囲碁センターで打っていました。
 それはいつもお世話になっているK畑師範に挑戦する一局で、日頃の点数制ならば3子は置かなくてはいけないところ特別企画でオール互い先のリーグ戦。
 そのセンターでは通常の席料と月例リーグの参加費が必要でしたが「オール互い先」にも参加していました。
 その時K畑師範相手に白を持って、その時自分では判断できないのですがかなりの善戦だったらしい・・・後で考えるとそうらしい。
 K畑師範、小さいけれどボヤキが入ったり、日頃3子ぐらいの置き碁の相手にかなり慎重になっていた。
 そういうムードが伝わったのかこの対局の周りに人垣ができた(少しオーバーですが5,6人です)
 局面は、中盤での大きな分かれ道にさしかかっていました。
  白善戦もこの勢いを優勢に繋げるのにはどうしたら良いのか?・・・そういう場面です。
① 盤面で互角として、それを維持できれば良いけれどここから先、ヨセにかけて上手相手にやや不安。
② 目の前の黒の弱い石に襲い掛かって取ってしまえば話が早い。
③ さて取る手はあるのだろうか
 そんなことを考えて相当な時間を費やした・・・但し持ち時間45分(切れ負け)の中での時間だからたいしたことは無いでしょうが、それでも15分か20分くらいは考えたはずです。
 これは私みたいなザルとしては充分長考の部類に入るかも知れません
  但し上の①から③にない「黒石が取れなくても優勢になる」は考えが及ばなかった。
 長考15分といっても、極端に言うと黒を取る事だけを考えていたようなものです。
 だから長考の末、次の一手を打った時に、背中から「ナンダ、取り碁か」の呟きが聞こえた時一瞬からだが凍る思いがしたのです。

 小さいけれど、誰の声か背中越しでも分かります。
  彼の意見はこの場でのマナーはともかく、恐らく当たっているだろう
 取り碁=弱い、且つ取り碁=目先の利を追い大勢を逸する・・・まさにその通りなのですが、その時取る事しか考えていなかった・・・それにこれが当時の私にとってもっとも分かりやすい方針だった
 「分かりやすい」は簡明とも言いますが単純でもあるわけで、こちらが分かりやすいと同時に相手にも分かりやすい。
 確かにこれで上手く行くならば世の中楽なんだけれど、単純なだけに返し技で返り討ちに遭う確率も大きい。
 碁は案の定そこから形勢がおかしくなったのですが、それではどうすればよかったのかはその時も、その後の検討でも分からなかった(さして優勢でもなかったということでしょう)
 
 さて昼休みの碁
 向う4子で1度負けましたが、3子では全勝・・・さて置石はどうしたものか
  指導碁ではないし勝負をかけているのでもない、さりとて時間つぶしと言い切っては相手のFさんに失礼ですね。
 この置石の数は不思議です。
  向う4子では1度の対局しかないけれど、私は完膚なきまでに叩かれた。
 だからこれは4子の碁では無いだろうと考えたのです
  ところが向う3子では6,7局全勝となっている・・・Fさん自身それをどう受け止めているのだろう?
 3子と4子の間には大きなギャップがあるのかも知れません
 先日も話したように、Fさんの言葉を借りれば「白が黒を取りに来るから、戦いに引きずり込まれてやられてしまう」ということかも知れないのですが、黒が白の誘いに乗っているということでもあるわけです。
 しかし、置き碁の真髄とばかり、厳しく白を追求してくる人を相手では、負けずに押し返すしかない・・・さらっと交して、相手にマワシにも触れさせないことができればいいのだけれど、そこまで私は強くない。
 時代劇風に言うと、相手に鋭く切り込まれた場合、交しながら有利な体勢を作って、最後には相手の攻撃的な意志を挫く・・・私の場合は切り込まれたら、攻撃を跳ね返して、こちらから切り込む・・・やはり「取り碁」なのかな?
 
 そういう中初めて数え碁になりました。
  NHK「どんど晴れのエンデイング出並べて地合い計算」結果しろ18目勝ち
 これは大差なのにFさんが投げなかったのですが、恐らく終盤では計算できなかったのでしょう。
 大きな石の振り替りがあったからもしかしてFさん「相当やれる」と思っていたかもしれない。
 この碁は序盤で黒大石が討ち死にした・・・これが20子あったから本来ならここで投げる手もあったと思うのだけれど、Fさんは20子を40目と数えたらしいのですが実はこれが大問題で、死んだ石は20子でも周辺の形から見たら70目の価値があるはずでこの30目の評価の差が大きい
  中盤から終盤で大きな振り替り発生して白は20子近い石を献上した・・・が僅かですが多少は替りの黒石を頂戴して、他の方面では先手で大きなヨセを打つことが出来たので実質の損は大きくない・・・で、結果18目

  もしFさんからアドバイスを求められればいろいろあるのだけれど、マア教えてくれと言われてもいないのだから押しかけ師範は止めて置きます。
 しかし私が「取り碁」と言われた時を思い出すような碁になることが多いです。
  それが上手く行けば最も簡明なんだから、誰でも通る道なんでしょうね。
 但し、私の場合はそこから進歩しているのやらいないのやら
  Fさんは恐らく今私を「取り碁」だと思っているに違いない。
 私は進歩していないから、たぶんそうなんだろうな、そこで一句?
  「・・・・・相変わらずの取り碁かな」初めの5文字が決まらない・・・そこで 「取りにいく 相変わらずの ヘボ碁かな」碁もヘボだけれど句もヘボだな。    
  

大富豪と貧民と

2007-05-03 00:10:16 | Weblog
 今読み終わった本はところどころに興味のあることがちりばめられていました。
 ストーリー自体はスピーディーな転回ではないし、ドラマ性という点でも”?”かもしれませんが、時代背景とか物語が展開する場所がよかった。
 時代は大正から昭和初期、場所は浅草界隈・・・私の生まれるずっと以前のことだし、場所も田舎育ちの私とは縁の無いところなんだけれど・・・主人公の周りに登場する人達・・・そういう人の名前を見ただけで時代を感じます。
 物語は芥川龍之介が死んだ報道から始まる・・・登場してくるあるいは主人公と直接間接に拘わる人は・・・久保田万太郎、川口松太郎、永井荷風、田谷力三、榎本健一、佐伯祐三、花柳正太郎、杉村春子、それにこの時代の舞台演劇とか映画に関わる人々、新派・新国劇・小山内薫、歌舞伎の大御所、寄席・講釈などで名人と言われた人たち・・・こういう名前を聞くとたまらない。
 私は戦後生まれだし田舎生まれの田舎育ちなんだけれど、ラジオの演芸番組を通して名人緒芸を少しは聴いたことがある人もいるし、TVの初期には新派や新国劇などの記憶があるから、ホンの少しだけれど分かるような気がするのです。
 それはともかく、面白い話が織り込まれていました。
  主人公が年配の人に話すショートストーリーで「この話知っています?、誰の話だったでしょうか?」みたいに話が出てくる。
 これが面白い・・・というか身につまされる。
(大意)『公園のベンチに二人の男が座っている。二人とも老人ですが一人は富豪でもう一人は貧民。貧民の方の老人が思い出話を語ります・・・いろんな思い出があるらしく、次々と語るうちに元気になってくる。富豪の方の老人はポツリと”話すような思い出が無い”』とまあこのような話。
 私自身この貧民の老人にシンパシーを感じる。
  何といっても自分自身が出世とか名誉とかと無縁の人生でしたからね。
 仕事は基本的に食っていける分を稼げば良いと思っていましたから、老後の生活に不安を抱えるというツケは背負っています。
 だから悠々自適な老後ではなくて、恐らくここに出てくる貧しい方の老人の仲間です。
 若い頃から「生活できて、碁も打てれば・・・それ以上は望まない」ということで実際には一時期(周りから見たら)マージャン・競馬などにものめりこんでいた時期もあって仕事以外のいろんな人とも付き合いがあったりしました。
  要するにドロップアウト寸前の崖っぷち人生だったのです。
 そういうことで損得無しの付き合いというか、思い出話はたくさんある。
  普通のというか真面目なサラリーマンなどが知らないことにも直面したりしました。
 全てが良いことばかりではないけれど、思い出としては整理しきれないくらい詰まっているわけです。
 
 営業の仕事をしていた頃毎月ノルマを達成していて、その点では自分でも優秀?な部類ではあったけれど、大きく上回ることは決してしなかったし、他のグループでは残業が当たり前だったにに、私のグループはほぼ定時退社を原則としていた。
 アフター5とか6の付き合い飲み会には行ったことはないし、休日のゴルフなど無縁です。
 まあそんなことで出世コースとはかけ離れた裏街道を歩いてきました。
  夕方会社を出たら、必ず碁会所に寄ってから帰宅するのが定石だったから、残業しても、飲み会でも、どちらでも家に着く時間は同じになるから、要するに時間とかエネルギーをどう使うかということでした。
 何かを選ぶということは、他の事を選ばないということです。
  そういうことで、ささやかではあるけれど碁に関していろんな出会いがあって、思い出に刻まれる有りました。
 仕事一筋で、功なり名を上げた人には”良い思い出”がないとも思いませんが、マア私としてはお金は貯まらなかったけれど、その分思い出だけはたっぷりと残ったということです。
 本当は両方あれば一番良いのですが、どちらかを選べといわれたらやはり碁の方でしょうね。
 蟻とキリギリスの寓話で、蟻が幸せの家庭・キリギリスが必然的に不幸になる・・・そうは思えないのです。

 初めに戻って
  公園のベンチに立派な身なりのお金持ちの老人が座っていて、隣に貧しい身なりの私(老人)が座っていたとしましょう。
 多分現実に起こるとすればこういう風になりそうです。
  私は負け惜しみ的に思い出を楽しそうに話すでしょうが、心の中ではお金持ちの生活を羨むでしょうね・・・上手く行かないものです。 

 
 

逆転現象?

2007-05-02 02:40:25 | Weblog
 GWの隙間の5月1日、出勤してみると窓に沿ったところに机と椅子のある偉い人たちは皆揃っているのに、その反対側・つまり私などが机を並べる偉くない人たちの側はポツリポツリ席が空いています。
 ここは公的機関の出先ですから、自分の担当する仕事に支障が無く且つ年休などのルールの範囲内なら、概ね堂々と休みを取れます。
 だからその反対に、偉い人たちは休めない・・・となるらしい。
 私の場合は別に偉いわけでもないし、期待されている仕事が忙しいわけでもないけれど、単純に言えば”家にいても仕方無い”動機不純型です。
 さて我が課はベテランが緊急入院・手術で後のメンバーは皆新任・・・したがって初の月末処理、月初の仕事でてんやわんやです。
 尤も私はパソコンへのデータ入力とか窓口処理、申請書の月末処理が殆どですから対岸の火事みたい・・・無責任にも!
 且つ、こういう日はお客さんも少なくて”いいこといいこと!”
  まるでスカパーのCM・ドキッチ状態=瞼に目の絵を描いて高鼾・それが出来たら良いな
 暇すぎるのも疲れるものです=贅沢な不満
  だから外部から届いた郵便物は私が引き受けて種分け・・・これを課内で閲覧したらデータを入力する予定なんだけれど・・・皆閲覧する余裕が無いからこれは明日の仕事になりそう。
 明日もこれが続くのだろうか?
  あんまり暇なのでメモ用紙に小さな字でこの文章を書いています。
 誰かに覗かれても何が書いてあるのか一瞬では分からないくらいの大きさで、尚且つ私の悪筆ですから書いた本人も判読がやっとです。
 前の職場では忙しい最中でもワードパットなどに原稿用紙2,3枚分くらいは打ち込んでいたのだけれど、アレは忙しいほうがリズムがあるみたいです・・・要するに暇だから内職ができるのではないらしい。

 そういうことは囲碁に関しても言えそうです。
例えば囲碁を打たない人と話をしていて、趣味に関することが話題になったとします。
 「私は下手の横好きだけれど、囲碁を打ちます」と言ったとします。
 「好い趣味ですね」まあこれはお世辞含みでしょうが「私も停年になって暇ができたらやってみたいと思っているのです」・・・マアだいたい平均的な会話です。
 ところで<停年になって><暇ができたら>が問題なのです。
  勿論政治家の公約ではないから必ず守らなくてはいけないわけではないし、多分に碁を打つ人へのリップサービスもあるでしょう。
 但しこの人は<暇が有ればやる>と思いますか?
  (忙しいからという理由でやら無い人は、暇でもやらないと思う・・・私は暇でも掃除をしないし・・・)
  話がドンドン逸れていきましたが、要するに忙しい時の方が脳が活性化しているかも知れないと思ったのです。

 さて昼休み碁です
  初めに3子で○、続いて4子で×、そこから3子に戻して○が5,6個並んでいる。
 今日もそういうパターンの碁となった。
  黒のFさんは気がついているのだろうか?・・・早く気がついて対策とか改造を考えて欲しいものです・・・気がつくのを待つつもり。
 どういうパターンかと言うと・・・
黒は白の弱点がよく見えるからそこを攻めてきます・・・勿論それは良い
 さてその攻勢の行く末が問題なのです
  今日の碁の例で言うと黒は白の大石を攻めまくっていて、ノゾキを打ちました・・・これは白継がなければ当然切られます。
 だから黒氏は白が当然継ぐと思っていた。
  しかし白としてはこういう時黒とは別の基準もあるのです。
①、どんな僅かな損でも負けになるのなら、例え殺されても継ぐ。
②、切られて取られた分だけの問題なら、これは大きさの問題。
③、継ぐ手と他に打つ手の一手の差、切られても2手続けて打てるようなもの。
 マアそんなことを考えているわけです。
  話せば当然なことなんですが、概ね置き碁の黒は白が受けるものと決めて・勘違いしているところで逆手を取られることが多いみたい。

 更にこの碁ではもう一つ
  白の大石が追いかけられて・・・猟場で黒に狩り出されているようなもの・・・そのように見えるのですが
 正面で待ち受けるのは黒の壁・漁師が鉄砲を持って並んでいるようなもの
  そして白の大石を二つの黒が猟犬か勢子のように襲いかかるのです。
 このとき漁師・勢子である黒は山を見失うことが多いのです・・・何のために獲物を追いかけているのか?
  自分の立っている足場が見えなくなることもある。
 「取って勝てるのならそれが一番良い」
 「例え取れなくても、攻めることで優勢を確立する」
  これが模範的な答えでしょう。
 しかしその前に今日の碁のように落とし穴があるのです。
  一つの石を二つの石で追うのですから、何処かにほころびが出る可能性も有るのです。
 つまり黒があくまでも白を捕まえようとすると、自分で罠に嵌っていくこともある・・・これがよくある。
  白があまりの筋悪で悪力が強いと感じているのでしょうね。
 でも本当のところは、自分で落とし穴に落ちるというか、追いかけている黒がいつの間にか取られている・・・

 ここが3,4子から2子になるためのギャップだろうと思う。
  部分的な読みではそんなに違わないのだから、『大して強くない白にやられる』のは何故なのかを考えて、乗り越えるチャンスでもあるのです。
 このようなことはFさんが自分で気がついて変えていかなければいけないでしょうね。
 私は本人に上手く説明できないでしょうし、偉そうなことを言っていると思われるだけでしょうね。