なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

台風一過・天気は爽やか・・・

2007-07-16 13:12:41 | Weblog
 一病息災という言葉があるけれど、その反対の(そういう言葉があるかどうか分からないけれど)万病息災・・・いや万病だから息災ではないか
 ともかく進歩した現代医学の成果・優れたお医者様と、たくさんのお薬のおかげで生かしていただいている。
  仏様に「生かされている」というところをソレに置き換えるとピッタリみたい・・・そういうのを”罰当たり”というかも
 さて持っている病気の中で最も危険なのはやはり心臓で、これは血管に欠陥、つまらない語呂で合わせますが実体は詰まっているから問題!
 これに血糖値だとか血圧だとかいろんな要素が絡んで来る。
  差し当たっての方針は「体重を落としなさい!」
 まずそこから、いや「そこがネックですからね」というご託宣
  高校を出て家を離れて一人で生活を始めたときに最初の1ヶ月で5kg痩せてその後の11ヶ月で3kg、合計1年で8kg痩せた。
 これは一人での生活が食生活を含めていかにでたらめだったかと言うこともあるけれど、その前の高校時代、特に3年生の時は運動をしていなくてヤヤ太り気味だっただろうから、そういうギャップもありますね。
 ともかくその頃から見ると15,6kg増量していたから、体重履歴からみると
多すぎるという判定でした(当然ですか)
 
  それで栄養士さんの指導があって(その方針は専門医の先生が出しているのですが)、ともかくバランスの良い食事・・・カロリーを取り過ぎない事
 カロリーそのものは2000まで許容範囲ですから、これは楽な設定ですが、塩分は1日5g以下・・・これは相当な少なさ
 マア患者ですから私は、やるしかないわけです
  だから「方針」はいいのですが、問題は「結果」
 初めの3週間で1kgの減量!
  こんなものなのか、感覚的には2,3kg減っていても良さそうなのに・・・つまりそのくらい我慢する部分があった対価としては少なすぎるような気がする
 そして今度の土曜日には次の3週間目の体重測定(検診日)。

 この”バランスを保ちつつ”という優等生的なやり方が実は私最も苦手なんですよね。
 私は「降れば土砂降り」タイプです。
  やる時はやるとしても、やらない時は全くやらない・・・良い事も悪いことも、遊びもスポーツも・・・
 私は10年前に、1日60本吸っていたタバコを止めました。
  それは「このまま吸い続けたら命の保証は無い」という体から最後通牒を突きつけられたのだと思うけれど、禁煙を思い立ったその日の朝に止めました。
 以来完全禁煙ですが、マア間接喫煙は多少はあるかな
  ともかくやめられた
 これはしかし、節煙が出来ないから完全禁煙になったのです・・・そういう自分の性格が分かっていたのです。
 私が思うには節煙できる人、1日10本程度の喫煙者などは相当意志が強くないと出来ないと思う。

 さて病院の話に戻って
  体重計の測定をした看護婦さん「1kg・・・やりましたね」と、まあまあよくやったと言うような口振り。
 これはきっと「褒めてその気にさせる作戦」みたいだ。
  この1kgという結果がどういう数字なのか分からない。
 そう言えば、着ていった服を褒められたり・・・「ストライプの胸に可愛いワッペンがついてますね」
 確かに看護婦さん・若い娘さんに褒められれば悪い気はしないけれど、チョッと褒めすぎというか、こちらは自分の妻と娘に貶されてばかりだから、慣れない事は困るのです。

 ところで減量
  「バランスよく」は私向きで無い、寧ろ「断食道場」の方がすっきりすると思うのだけれど・・・それはそれで問題があるのだろうか
 普段仕事をしながらだからそういう極端なことは無理だとは思うけれど
  10日間の「合宿」みたいに短期集中みたいにやったら・・・リバウンドがあるかな
 現在は塩分を除けば緩やかな食事制限なんだけれど、気分としては摂取することに何だか欲求不満的なものが多い。
 平日仕事をしている時は感じないのですが、夜とか、休日は・・・
  何処かで気持ちが落ち着かないような・・・それが原因かどうか分からないけれど、どうもネット碁に集中できていないような気がするのです。

  そんなことでネット対局室での観戦からHP散歩に行きました
  紹介するのは(勝手にですが)囲碁アミーゴというHP
 私としては著名人からのメッセージというコーナーで吉原慎也選手を見つけたからひきつけられました。
 彼はマア普通の人から見たら著名・有名ではあるけれど失礼ながらBIGではない・・・サッカーが好きなら知っているかもしれませんが彼は横浜Fマリノスに在籍していたことがあり、今ヴェルディのGK・・・梅沢由香里がおくさんだったのは・・・知りませんでした。
 そう最近は棋士とか、女子アナ、女子のアスリートなど結婚しても名乗りを変えないことが多いから結婚したのは知っていても「旧姓」とか「新姓」など気にしない時代なんでしょう。
 ともかくトリビア的発見
  それとそのコーナーに登場する人が、小沢一郎、普天王、ゴスペラーズなど面白いから是非オススメ。
 それとトリビアのページがあって
  「あのイチローも」という記事も、成る程そうだろうなという感想
 嬉しいのは「脳みそもアンチエイジング」
 更に嬉しいのは「どうやらダイエット効果も」
  本当にそうであってくれたら・・・私にも当てはまるといいなー
   
  プロは1局で数キロ体重が減るらしい、運動ではないのに・・・
 となると、集中できないなんて言っていないで、真剣に打たなくてはいけない?
  でもプロ限定というか、ザルは関係ないだろうな 

 
 

雨の夜のつれづれに・・・

2007-07-15 16:18:09 | Weblog
 (これは土曜の夜に書いています)
 雨の夜のつれづれなるままに・・・という書き出しは真っ赤な嘘が混じっています、もし雨でなければ”やること”があって忙しかった筈みたいに・・・
 もし若くて、外で一杯やるのが好きだとか、近所のカラオケとか、そういう趣味があれば家に居ない方が自然かもしれないけれど、そういう方面の趣味は無いし、目的が無くても出かけるほど勤勉な性格ではないです。
いずれにせよ、関東も台風が通過するらしいので、その影響も出始めているというところだから、よほど止むを得ない用事が無ければ出かける気にならないのが普通。
 マア雨は程ほどに降ってくれなければ困りますが、”過ぎたるは・・・”だし
  私も碁会所のメンバーだった頃は、それこそ”雨が降ろうと槍が降ろうと”休んだりしなかったですね。
 台風とか雪の日も来る人は来る! 寧ろ腰を落ち着けて打ちに来る
  今はそういう元気は無くなったですね
 ともあれ夏の夜・・・そう私が子供の頃50年近く昔、あるいは30年くらい前の話で
  「○○ぶら」というのでしょう、例えば父親の給料日の後、夏の夜など家族で夕涼みついでに地方の○○銀座をぶらつく・・・
 チョッとしたものを買って、何か食べてというパターンです。
  映画はありましたがTV出現以前で、父親にとってはパチンコはあったけれど、家族で遊べるものは縁日みたいなものしか無かったですね・・・扇風機さえない夏の夜です
  それで私など子供の格好は浴衣に兵児帯、下駄が多かったと思う
 家から行き帰り歩きだから、手軽に済ませる夏の夜の楽しみ
  雨が降れば当然順延? 傘を差してまでは出かけない
 まさに、やることが無い週末の夜になる。
  
 それは「手軽に済ませる」方の家族レク?で、もう少し大掛かりとなると家族でデパートに行くということになります。
 これは土曜日の夜では無くて、日曜日の昼間
  何故”大掛かり”かというと私の田舎にはデパートと言うものが無かったからです。
 スーパーなるものも出現するずっと以前のことですからね
  隣の県庁所在地の市へ当時の国鉄で2駅・・・あるいは私鉄の電車で出かける・・・デパートの食堂で家族で食事をするあの「おのぼりさん的」パターンです。
 
 このパターンは少なくとも私が大学生の頃にはまだ生きていました。
  場所は違って、私の進学先の町ですが、ココは電車で都心まで1時間以内の県庁所在地で市内の住人では無いと思われる子供連れがデパートへ・・・
 ココの市民は家族連れで都内のデパートに行く図式かな
 それから40年以上経っていますが、発展途上の国では町が家族連れで賑わっている・・・食堂に家族連れが多い・・・懐かしいパターンのような。

 こんなようなことを思い出したのには、やはりきっかけはあります
  今夜ではないけれど、最近NHKで「青春時代劇」とか言うものをやっていて、話が私の出身県に始まっている。
 設定が県の中部から西よりにある藩ということになっているから、「それって祖母の出身地辺り」です。
 婆ちゃんの祖父の代まではその辺りで2本差していたから少し興味があったのですが、ストーリーと史実とは関係無い様でした・・・
 突然若い侍の口から「バカッ面」という言葉が出て驚きました。
  私の子供時代には若い世代では使われていませんでしたが、親が子供を叱る時とか、年寄りの話の中には出てきそうな言葉です。
 「・・・ヅラ」「・・・ズラ」か、その言葉ならこの地方の方言として有名=明治に出来た「ちゃっきり節」の”・・・雨ずらよ”
 もっともそれは山梨や長野でも使われたらしいから余り狭い範囲では無い気もします
 この田舎では・・・「ヤッキリする」とか「ゴセッポク無くて・・・」などの方がこの地方らしいかななどと考えたり。

 ともあれ、止め処も無く連想と言うか何と言うか彷徨っています
  ベッドに腰掛けて小さなキャスター付の机にパソコンを置いて座っているだけなのに、あっちへ行ったり、時代を行ったり来たり。

 さて昔の侍の階級でもこのような言葉を使ったのでしょうか?
  原作者がそこの出身なのか、脚本を書いている人が出身者なのか・・・
 何だか強引に方言を使ったような臭いを感じたのです。
  方言と時代的な言葉使い、それに階級的なものがあったでしょうが、余り史実を再現する方に拘るとストーリーの展開とか、視聴者への働きが弱くなると言うこともあるかも知れない・・・ともかく、方言と階級の言葉の関係に興味が湧いたりしました。
  確かに”つれづれ状態”でしょうね。
 
 強引にこの話と”囲碁”を結びつけると
  舞台設定と、方言を無理に結びつけたと仮にすると、これは「定石を憶えて2目弱くなり」に属するのかな。
 ドラマの中でのセリフの使い方が何だか言葉だけ浮き上がっているような気がしたのです。
 それを喋っている役者さんが「方言だぞ!」ってはしゃいでいるみたいに。
  
 私の耳も王様並に「ロバの耳」かもしれないですが 

 これを書き込んでいる時には台風の影響がある範囲からは脱したようです。
  日差しが漏れたりしていますが「まだ暑い夏日が続く」とうんざり気分ですが、まだこれからなんですよね。
 台風のコースからはまるで秋みたいな気分なんだけれど。

紙へのこだわり

2007-07-14 18:13:24 | Weblog
 紙のオムツなど当たり前の時代ですよね、私の子供時代、いえ相当年をとっても、アレは晒しとか浴衣の使い古しがいいとか・・・
 紙で作った服もあるし、江戸時代などは和紙に柿渋を塗って合羽にしたとか、理科の実験的には折り紙で作った箱でお湯を沸かせる・・・そういう拘りではなくて普通に物を書く目的とか・・・マア普通の使い方
 いかにも良い紙の自家用レターペーパーとか自分専用の封筒など持っていそうですし、日本画の心得のある人なら専用の和紙を産地に注文して取り寄せていそうな感じですが(気持ちはアル)。
 あるいは自家製のクッキーなども極薄い綺麗な紙に包むとか、包装・ラッピングなどに拘りがあるとか・・・
  作家などでは名前入りの専用原稿用紙とか>>こちらはブログに書いているだけだだから必要が全く無いから、贅沢を通りこして無駄なゾーンです・・・
 実はそういうものに相当興味はあるのですが、経済的な裏づけが許してくれませんので、思うに任せない面はある。
 だからささやかに出来る範囲で紙の感触と見た感じを楽しんでいるのです。
  例えば、和紙の産地などの近くに行ったら即売所に必ず立ち寄って、気に入ったものを少し購入する。
 最近は大きなデパート、スーパーにも多少は置いてあったりするから、文房具コーナーはこまめにチェックします。
 漉いただけの白いもの・漂白していないもの、一色に染めたもの、四角に畳んで染めて開いたもの・・・千代紙みたいな柄の入った紙もいいですね。
  見るのも好きだし、触ってみる感触も好きです
 但し、買うとするとこれを何に使うといった目的とか必要性は無いのだから、家族からは随分無駄なことをしていると思われています。
 (この辺は趣味と言うか価値観の差だと思うしかない)
 娘が小さな時にはこの紙を使って小さな人形をこしらえて、五段飾りくらいで色紙に貼って、額縁に入れました。
 マア結構様になっていたと自分では思っています。
  大きな黒く染めた和紙で運慶の阿吽の像を切り絵にして玄関近くに飾った時は・・・余り評判がよくなかった。
 他にもちぎり絵とか、和紙の花とかマア下手の横好きのザル碁と同じですね。
  本人が勝手に楽しんでいる分には誰にも迷惑はかからないでしょう
 子供の頃住んでいた社宅は社宅としては広かったけれど廊下の無い家で、部屋の仕切りは全て障子だから、子供ながらにも当時の憧れは廊下のある家と、襖で仕切られた部屋・・・これも紙への拘りの一種かも知れません

 さてこういう「紙好き」と言うのは父の職業の影響だろう
  父は昭和初年製紙会社に職工として働いていた。
 今のように機械化が進んでいない時分ですから、人の職人的技が頼りの時代で、兄弟子から弟弟子へ技が伝えられていく時代だったらしい。
 その頃技術を覚えて、戦後は機械化されたほうの製紙業に携わった・・・
  ともあれ家にはいろんな紙が置いてありました。
 主力製品は和菓子を入れる箱などに向いている薄くてシッカリした紙で確か板紙と呼んでいた様な記憶がある、これは輸出用だったらしい。
  他にも高級和菓子を包むような薄く透け通った紙。
 紙を撚って紐にする撚糸
  当然チリ紙の類は買ったことがない。
 それに作っていたのかどうか分からないけれど、多分受注用の見本帳の類
  これは紙見本と色見本があったでしょう

 私はこういう紙を見るのが好きでしたし、触って感触を確かめるのが好きでした
  そして紙を切ったり貼ったりして紙で模型のようなものを作るのも好きでした
 こういう感覚が今でも残っているのでしょうね、、、何処かで気に入った紙を見ると欲しくなるのですから・・・当面何に使うか目的が無くても欲しくなる
 東京でも大きな紙問屋さんがありましたから、横を素通りするのが大変

 最近では勤め先の事務所に届く使用済みの角封筒をペーパーナイフでせっせと切り開いて、裏側を使ってメモ用の手帳とか、一寸したスケッチノートにしています。
 他人が見れば、何とセコイささやかな内職仕事だと思うでしょうが、出来上がった小さなノートがどれだけ役に立つかも大事ですが、紙に触っているのがすきなのです。
 材料がたくさんあるからまさに宝の山ですが、使う量より増えるスピードの方が早そうですね。
 材料はただで、暇潰しと精神安定作業でしょうか、
 あの紙は再生紙を材料にしているのでしょうが、再度再生紙の材料にする以外の他の使い道を考えています
 私はやはり紙が好きなんですね。
 
 一つだけ人様に感謝されたことはあります、紙ということではないのですが
  前に話したことがありますが、囲碁教室で対局した棋譜です
 対局を見ながらキーボードでパソコンに入れてこれをプリントアウトします。
  表紙に対局者・対局日・対局場所などを入れて印刷
 棋譜は総譜、と50手くらいづつの分譜
  もし講評とか、感想があればそれもます。
 これをA4サイズの和紙風の紙にプリントしてプレゼントしました。
  素人のどうでもいいような碁をこんなに丁寧に棋譜にしなくてもいいように思う人もいるでしょうが、「誕生日記念対局」とか「昇段記念対局」とか・・・
 素人だっていろんな楽しみかたをしてもいいですよね。

 尤も私に限って言えば、碁も好きだし紙を触っているのも好きなだけで、人に感謝される為ではないのです。
  同じ紙でも聖徳太子や福沢諭吉が印刷された紙なども嫌いではないのだけれど、何故かこちらには縁が薄い、残念!! 

慣れか進歩か

2007-07-13 17:53:33 | Weblog
 昼休みのF氏との向う5子局の成績は、黒のFさんから見て[○●●●●●○○●○●]、約3週間の星取表です。
 この表でも分かるように、最近黒のFさんはだいぶ5子局に慣れてきたかも知れません。
 何に慣れたかと言うと、”戦い”と言うより一局の進行ペース・あるいは”に戦わない”と言うことに慣れてきたように見えます。
 単純に言うと、序盤での考慮時間が少し長くなっているようにも思えますが、そういう絶対時間ではなくて、”戦いの呼吸”みたいなものが変わってきている。
 5子局を私の方から見ると、黒さんは必ずしも戦わなくても良い、但し白が無理・無体をしたら断固戦うと言う準備は必要。
 平和を唱えながら、場合によっては断固武器の使用も辞さないみたいな・・・少しきな臭いな・・・まあその辺の呼吸ですね。
  常に5分の分れなら置いた方が有利な状況です、それで多少損でも”シッカリ(後に手が残らないように)打つとしたら、どの程度までが許容範囲なのか?
 後手の先手みたいに自陣の味は消して後日の戦いを有利にする・・・とか
 きっと、5子局辺りではこの辺の呼吸を飲み込むのが難しいのではないのかな?
  少しのユルミ・凹みが後退の引き金になるみたいな事はあるから、後退は臆病なようで物凄く勇気が要ります。
  そういう要素は互い先では多いのだけど、4子、5子でもよく表面化しませんか

 F氏くらいになると、囲碁の知識もだいぶあるし、ある程度の自信も出来ていると思われる・・・そこが進歩には欠かせないことであっても、落とし穴になる事だってあると思うのです。
  これまでにも話して来ましたが、今日の囲碁から見た角度で話します。
 端的に言うと[多少ぬるくても・・・]という[ぬるく]を我慢できないのだと思う
  [いっぱいいっぱいに打っている]方が「碁を打っている充実感」というか「碁の楽しみ」を感じるのかも知れません。
 それにそういうことを「上達のための必須条件」みたいに思い込んでいる・・・と言うことは無いだろうか?。
 確かにそういう面はあるし、否定は出来ないでしょうね
  が、こういう方針で打った結果が先にあげた星取表の前半部分ではないだろうか、そこが難しい所だと思う。
 黒から見て前半は1勝5敗、後半は3勝2敗・・・これは偶然ではなくて明らかに打ち方が変わってきた結果だと思うのです。
 それで「多少ぬるくても・・・」と関連して、こういう打ち方を「勝ちに拘った打ち方」みたいで「小さくまとまる」打ち方と見るか、「5子の置石の特性を生かした戦法」と見るか・・・どうでしょう。
 都合の良い言い方をすると、「ぬるい」=「シッカリした」ではないという事が分かることだともいえないでしょうか。

 置き碁は「黒、戦いなさい!」それも「白石と黒石の比率の差が大きいうちに」・・・マア要所に白石が来る前に戦いなさい・・・確かに一気に行くのは黒として非常に魅力的。
  それが出来たら気持ちがいいし、自分が強くなたと「確信に近いもの」を得られるかも知れません。
  究極と言うか目標はそうかもしれないけれど・・・
 私が思うには、5子局でいつもそういう風に打てる人は4子はおろか、3子局でも打てるのではないだろうか、つまり5子は手合い違いかも。
 現状5子の壁を乗り越えようとすることが目標の人にはかなり難しいでしょう
 やはり5子には5子の打ち方があって、それをマスターして4子に進むのが順序のような気がする。
 それが何かと問われると詰まってしまいますが・・・

 もう一つF氏が私に対して持っている気持ちにも問題点があるように思うのです・・・この点について白の立場からのコメントは非常に誤解を呼びやすいから、口外は危険な感じもしますが・・・
 最初彼は私に対して3子でも何とかなると思っていた・・・節がある
  それが4子になり5子になったのだから「そんなバカな」であり「目に物見せてやる」になったようです。
 それが星取表の前半部分と重なるはずだと推測
  後半部分で、現実のギャップを受け入れたかな?

 さて今日もそんなことで白は苦しい戦いを強いられていた。
  白は何処に打っても打ち込みみたいなものだから、打ち込んできた石を攻め上げるのは戦法の一つ・・・但し、攻め手の隙を狙って返し技を仕掛けるとか、囮作戦で白は多方面での成果を重視するとか・・・だが黒は白の動きをみながら打つようになって来ている。
 白としては仕方が無い、5子のギャップがありますからね
  「ボチボチ行って3回に1回勝てればいい」くらいの気持ちです。
 白としては勝敗に拘るとか拘らないとかでなく、勝敗など忘れることが必要かも知れないと思っています・・・どんな形勢でも最後まで打つということではなくて・・・
 実戦では終盤の入り口で、白の様子見に黒が受け損なって形勢が逆転した。
 時刻は「どんど晴れのエンディングテーマ」が流れは始めた・・・
局後のF氏の感想:「チョッとかっこつけすぎたかな?」「そろそろ4子でもやれそうな気がしてきている」・・・5子で負けたセリフとしてはチョッと「ムッ」と来るセリフだと思うのだけれど、実際にそう思っているんだろうな。
 さっき「勝敗を忘れ・・・」なんていった割には、こういうセリフにはアンテナがピクピクします。
 白も修行が足りないのです。

 ところで私は対局前に彼に「何処かで打っています?」と質問・・・これもちゃんと伏線なんです。
 「今はココだけですよ」の答え
 だとすると、職場碁で強くなっている面もあるはずなんだけれど白とかライバルへの感謝の気持ちは感じられない・・・
 いや感謝してくれとか何かしてくれではないのだら、こういうことを言うと誤解されるだろうな。
 置かせている相手が強くなれば頼もしくもあるけれど、この場合は「ムムッ嘗められている」みたいな気持ちのささくれも出てきます。
 Fさん一流の挑発行為かも知れませんね、「摩擦っぽい」ことも楽しんでいる

 さて逆転の場面で「これさえなければ楽に4子の碁」と見ているみたいです・・・が逆からみるとそこが大きな問題でもあるはずなんです。
 「これが出るうちはマダマダ5子」と考えるのは間違いだろうか・・・
  例えば5子の手合いの彼が4子で打ったとして、対戦成績は勝率0ではないはずです・・・例えば1勝2敗とか1勝3敗ペースであったとして、両者間の手合いは4子といえるのだろうか?
 マア勝負ではなくトレーニングと考えれば何でもありですが、そうならばトレーニングマッチに勝っても威張るのはおかしいでしょうね
 さて彼は前者でしょうが私は後者乗り
  元々遊びの昼休み碁なのだから口論しても始まらないから3番手直りでやるのがいいかもしれないけれど、トレーニングでもいいかも 

ドン・キホーテの国へ

2007-07-12 18:26:37 | Weblog
 私が18才の時・・・つまり遥か昔、生まれ育った町を後にして首都圏の大学に入学しました。
 以来、その町に40年住んでいて、新しい町で家庭を作って子供もいて、その子供が成人して・・・
 田舎を出る時は第一感「さあ思い切ってやりたいことをやるぞ!」だったが心のどこかに「これからは何をやるにせよ全て自分の責任」という覚悟みたいなものもあった。
 こういうのも成長の節目でしょうが、私みたいに地方育ちは皆そのような感じでしょうね、高校を出たら家・故郷を離れるみたいなことが当たり前みたいな感覚です。
 現実には何割かは大学を出てからUターンするのでしょうが・・・私はそれを考えなかったですね。
 高校時代から結構やりたいことをやっていて、田舎には住み難いみたいなところが・・・私自身は人に迷惑はかけた記憶は無いのですが少し引っかかりはある。
 第一、田舎には親戚や知人が多すぎますから、行動を監視されているわけではないにしても、いつも誰かに見られているような・・・
 そういえば、11才年上の兄の会社に高校の同窓生が二人大学を出てUターン就職をして・・・兄の部下になった。
 私の話題で兄が冷や汗をかいたとか・・・やはり故郷は住み難いに違いない。
  さて、私など田舎出身は家を出て行くのが当たり前ですが、私の娘・息子は初めから首都圏に暮らしている・・・東京都内へは1時間もあれば通えるわけで、家を離れて進学するという選択を持っていなかった。
 いや全く無いとは言いませんが、それは他所の県の大学に行くのではなくて、隣の町の大学の側にワンルームを借りようという・・・何という贅沢な発想

 だから、「食べるものと住む所の心配」などしたことがない・・・だからアルバイトしても好きなことにお金を使うだけ・・・これって自立できない典型ですよね。
 それでもともあれ娘は国家試験の免許を取って巣立っていったからヤレヤレ
  だが、あと一人が問題。
 日頃から彼には「やりたいことを思い切ってやってみろよ」と言ってきたから・・・彼の希望を聞いてやや考えさせられた。
 やや、というのは彼の言い分が分かったという意味ではないのです、どちらかというと「結局は彼の人生」だから「自分で選ぶしかないんだよね」と思い至ったという程度です。
 彼は語学の学生で、今度はその国に留学したいという希望です。
 留学と言っても「○○学」を学ぶみたいなアカデミックなものではないのは明らか
 何の役に立つことなのか、全く疑問の余地だらけなのですが・・・
 私が学生時代何を学んで、それがどう生かされているか考えると、学んだことが大して大きな意味があるとは思えないのです。
 その年令のとき、そこにいて生活していたことの方が大きな意味があるように思える・・・だがこれは口外しにくい。
 私は高校時代の同窓生からも、大学時代の友人たちからも「好きなことをやって生きてきた」否「好きなことだけやって生きてきた」と思われている所があります。
 実際には本人はそれほどやりたいことがやれたわけでもないと考えているし、現実に地位とか収入とかを犠牲にしている面もあるのですからね。
 
 だから何かを身につけるためにの「何か」がはっきり分かっていなくても「それはそれで良いか」みたいな・・・
 確かに時間と費用と本人の将来を無駄にする危険性は大いにある。
 そこのところを「彼の人生さ」と見ているしかないな
 昔彼には「好きなことやりたいことをやっていいし、お金が必要なら多少の援助はする。だけど現実的には親の方が先にこの世から立ち去るのだから、自分でやっていく覚悟と力をつけろ」と言っておいた
 彼は外国語の勉強をしたいのだそうだ・・・英語ではなく
 今ドン・キホーテの国に旅たつ準備で大忙し
 ドン・キホーテほどの徹底性は無くても、多少浮世離れしているかもね
  スペインと聞いて一瞬バルセロナかなと思いました・・・サッカーで言えばバルサ・カンプノウ
 それにサグラダファミリアのイメージが強い
  国内のJ1のオレンジつながりで、バレンシアのような気がしたがはずれ。
 彼の希望地はセビージャだった。
  日本では(歌劇などでは)セビリアと言うがどうしてそこなのかは聞いていない
 そこにはセビージャFCとレアルベティスがあるけれどどっちを応援するのだろうか。
  親の私にしてもサッカー関連しかイメージが無いのだから似たもの親子か
 マア親に似てあんまり現実の社会と言うか、就職みたいなものに役に立ちそうも無いことに目が行ってしまう・・・やはり親子かな。
 そこで最近は彼に囲碁を伝えてなかったことが悔やまれます。
 何も海外普及みたいなことではなく、東洋に昔からあったゲームを向うの人と楽しめるチャンスだったのにね。
 ギブアンドテイクではないにしても、自分から出せるものがあるといいですよね
  考えてみると、彼の予定ではホームステイの後共同生活がある
 彼は数年前までカップヌードルも作ったとが無いから、袋入りラーメンなど全然
  母親からスクランブルエッグを勉強中だけれど・・・
 これほど出来ないヤツが外に出て行くこと自体が凄い勉強かも知れない!
  しかし多くの人のお世話になったり、迷惑をかけたりすんるんだろうなァ
  結果は知らない 

RE碁石海岸

2007-07-11 16:13:02 | Weblog
 以前正倉院御物の海の向うからやってきた宝物の碁盤と石の話を書いたときに「普通人の対局は、当然こういう宝物の道具ではなくて、海岸で拾った石を使ったらしい。それでそういう石を拾える海岸が全国に何箇所もあって”碁石海岸”と呼ばれている・・・」みたいなことを書いたのですが、全くの間違いは無いにしても、伝聞をそのまま書いた部分もあり、少しニュアンスが違うようです。
 この件は気になっていたのですが、伊能忠敬みたいに全国の海岸線を歩くわけには行かず・・・
 今回も時分の目と足で確かめた話ではないのですが、幾分(大幅かな)訂正の意味を込めて囲碁海岸の話をします。
 まずは「全国に何箇所も”碁石海岸”という地名が残されている」という部分について。
 地名ですから地図を見ればいいのですが、正式な地名というものと通称と言うものもあり、狭い範囲でしか呼ばれていないとか、ある目的を持った小さなグループでの呼び名のこともあるでしょう。
 ですからこれは余程精巧な地図が無ければ無理で、あいにく私はそういうものを持っていません。
 昔一緒の職場に居た若い同僚ならきっと”国会図書館に行けば”と言うに違いないない・・・そこまでのエネルギーはないのですよ。
 私に見合った努力では「碁石を拾える海岸」みたいなキーワードでネット検索、
キーワード「碁石海岸」結論から言うとこれでとんでもない汗をかくことになりました。
 労力的な汗と、ろくに知らないことをブログに書いてしまった冷や汗です

 さてグーグルで・・・「碁石海岸」の検索結果は40ページでギブアップした。
 マラソンの40kmと比べないでくださいね・・・トホホ
各ページに7件くらいから10件くらい記事が出ていますからそこまでで300件くらいはあると推察できる・・・これを一応皆読んでみた。
 そして5,6件を除いて全て陸中海岸の碁石海岸関係の記事でした。
確かに写真で見ても素晴らしい景色・・・碁石海岸の「本家」「元祖」「総本家」(表現が拙いけれど)「碁石海岸」と言えば大船渡とか陸中!
 それでは「全国に碁石海岸と呼ばれる地名が・・・」が嘘になるから必至で記事を読み漁って・・・しかし40ページ地点でダウン!
 ともかく”全くの嘘を書いたのではない”というアリバイみたいな話を始めましょう

 とりあえず98%くらいは陸中碁石海岸。
  ココでは綺麗な黒い石が特徴のようです・・・となると白い石は何処からか拾ったのでしょうね。
 同じ碁石海岸の名前では、新潟県岩船郡山北町というところがあると書いてある。
 こちらは白石も黒石もあるらしい、そして現実に採取していた話も伝わっていると書いてある。
 海水浴場としても地元では有名らしい
 名前は少し違うが伊豆の下田の近くには「碁石浜」と言われる海岸がある。
  多分こういう地名が残るということは「碁石に適した石をを拾ったか、碁石みたいな小さな丸い石でできた浜」でしょうね。
 それとも海で使えそうな石を拾うという行為が一般的なものだったのかな?
  それなら余程の産地でなければ、わざわざそういう名前では呼ばないでしょうから、結果として(海岸で石を拾わなくなったのですから)残っている所が少ないとしても理解できる。
 この辺のことは分かりません。
 ここでは土地柄だけあって、石の話より別荘としての分譲の話ばかりですね
多分綺麗な海岸なんでしょうね、なんと言っても南伊豆ですからね、別荘を持てる身になったら・・・なれるはずが無いか・・・

 海では他にヒットしない・・・小石が拾える海岸は全国的に見たらたくさんあったと思えるのに・・・地名としては残っていないのだろうなと都合よく解釈。
 ココまでに出てきたのが越後、伊豆、陸中ですから少し東に偏っています。
  西にもあったはずですよね、時代が古いほど消費地は西ですから
 ところで、川にもあるのです
 バテ気味ですがキーワードをシンプルに「碁石」としてもう少し粘ります
 宮城県の名取川の支流に碁石川という川があり、そのほとりに碁石小学校という小学校もある。
 HPもあるから確認できます。
 碁石川は古代にココで石を集めて献上したことがあるといいますから、そういう史実が地名になったのか、地名からそういう伝承が残されたのか・・・

 後は雑多な知識で言いますと
 石川県には碁石ヶ峰という地名
 茨城県の霞ヶ浦の近くの石岡に碁石沢という地名がある
 石岡はその名の通り石の産地だから、きっと碁石が取れた川なんだろうと想像
 三重県の熊野から和歌山県境にかけての20数キロの海岸では美しい小石が取れるらしい。
 いや、以前はたくさん取れたと言う過去形が正しいのかも
 三色の石で、黒は那智黒白は白那智、模様のある石はみはま小石と言うのだそうで、これは碁石でなく庭などに撒く石なんだそうです。
 那智という名前がついていますがこれはニアミス

 しかし、繰り返すけれど他にもあるはずですね。
 私の生まれ育った所とその近くの海>>三保、駒越、安倍川河口、用宗、大崩海岸・・・石が多いと思うのだけれど、駿河湾は波の力が弱いかな?
 それなら四国の太平洋に面した海岸とか、九州とか
 いずれにせよ何処かの時代に、瀬戸物みたいに焼いたもので碁を打つようになったと思うけれど普及品としては当然ですよね、那智黒+ハマグリの高級品は勿論自然石を拾ってそろえるのだって凄い手間でしょうから、何の変哲も無い碁石も、そうだからこそ宝物だったでしょうから。
 もしかしたら軽自動車くらいの価値はあったのでは・・・考えすぎ?
 1日10個しか拾えなかったら・・・いや10個も拾えたとしても1ヶ月はかかる・・・
 1ヶ月分の収入に相当すると考えるか、30人分の日当と考えるか・・・これにマージンを熨せれば50万円くらいにはなるかな?
 尤も1日10個という前提も根拠が無い・・・

 さてオマケに変わった所で
 四国の山の中で「碁石茶」なるお茶が名物だそうです。
 名物で全国発送しているらしい、写真で見ると黒光りしているから、そこのところが名前の起源かも
 お茶は後発酵茶とか言ってプーアール茶の仲間になるらしい
 ウーロンの仲間なんだろう、一度飲んでみたいですね。
 飲んで強く成る!なんって言うキャッチフレーズがついていれば即注文ですが、さすがにそういう効能書きはないだろう・・・さて話の種に「自分にお中元」というところかな  

瞼閉じれば

2007-07-10 17:45:19 | Weblog
 「瞼の母」:このタイトルは若い人にはわからないでしょう。
 私と同じ世代でももしかしたら相当怪しい気がします。
  ヒントとして「番場の忠太郎と言えば?」・・・「長谷川伸」・・・いやますます分からないかも知れない。
 舞台演劇がまだ盛んだった頃・・・そうですねTVが白黒だった頃には「舞台中継」という番組があって”新派”とか”新国劇”とかが中継されました。
 「女剣劇」もあった・・・一時野球の監督の奥さんとトラブッて民放のニュースを騒がせた女座長の若い頃です。
 TVカメラが当時のことですから、多分一台で観客席の中央から中継します・・・こういうのは固定カメラですからズームは出来るものの角度に大きな変化は無いから迫力が無い代わりに、目は疲れないですね。
  その時代「一本刀土俵入り」とか「国定忠治」とか・・・ますます年が!!
 しかもそういう番組も既に同世代の子供たちでさえ見なかったような・・・その頃既に年配者しか見なかったような気がします。
 マア無理に例えれば宝塚の「ベルバラ」をTVで中継しているような番組です・・・但しこれは若い人も見るかな?。
  タイトルはそこから取りましたが、話としてはそういう劇の話ではありません。
 単に”瞼を瞑ると浮かんでくる”と言うことが共通点なだけです。

 で、懐かしい人とか、昔あこがれていた人を思い出すときに瞼を瞑ると浮かんでくる・・・と言うのは本当だろうか?
  「クリスマスキャロル」みたいにマッチが燃えている間だけははっきり見えるような便利なものがあれば目を瞑らなくても見えるのですが
 私自身の感じでは、はっきりとした映像が浮かぶのではなくて、何だか白い霧のような曖昧な像が見えるような見えないようなという感じです。
 しかし、何だか浮かび上がような気がする
  瞼を瞑っても瞼の裏に映る訳はないし、眼球の裏のスクリーンにだって映っているはずは無いと思うのですが不思議。
 ここは実像があって初めて映るのでしょう?いや網膜に映る事自体”虚”か?
  脳の中に画像解析したり再現する機能があって、記憶を頼りにイメージ化しているということだろうか?
 脳の中に意識的に鮮明な画像を浮かべることが出来たら凄いです
  一度見たものの特徴を捉えて絵を描けるのも・・・特徴を捉える・想像で再現できる・絵として表せるのだから

 ところで、棋譜を憶える、あるいは棋譜を再現できると言うのはどういう脳の働きだろうか?
 これは、棋譜という座標の出現順を憶えているということだろうが、もしかしたらそこに画像が伴っているのだろうか?
 以前ダスティンホフマンの「レインマン」のモデルになった人をテレビで見たことがある・・・実在する人がモデルということは床に散乱したマッチの数が瞬時に分かるのだから、盤上の石の配置が瞬間的に判る人が居ても不思議ではない・・・
 レインマンが碁を憶えたら・・・
 
 昔、ビジネス特訓と言う研修が流行っていた時に2週間缶詰と言うものに参加(させられた)したことがあります。
 朝5時起床ですから夜は10時消灯で、周りには何にも無い山の中です。
  新聞・TV・ラジオなどなし・・・一切の娯楽・情報は無し
 毎日の課題が多いけれど睡眠をとらなくては精神的・体力的に2週間は持たないので消灯後は直ぐに眠らなくてはいけません。
 隠れて懐中電灯などで勉強する人もいたけれど、これは禁止事項だし、そんなことをしたって翌日は体力的についていけないから続きません。
 ですから、唯一の楽しみは消灯後に目を瞑ってからの棋譜並べでした。
  私の場合はこれがあったから長丁場を体力も精神も安定させて乗り切れたと思っています。
  さて、素人の棋譜並べですからどれだけ正確だったか分かりませんが
 この棋譜を憶えて、棋譜を再現すると言うことはどういうことを脳はやっているのだろうか?
 座標を覚えているのか、多少とも画像を伴った絵で憶えているのだろうか?
  と言うのは、画像が全く無いとは思えないのです。

 唐突ですがソルジェニーツインの話です。
  彼は収容所で強制労働をしながら、頭の中で何篇も著作をしていた。
 つまり紙も鉛筆も自由にはならないから、頭の中に話を書いていったのだそうです。
 時々初めから思い出して、直したり忘れないように点検したりするのだそうです。
 重労働でも単純作業中ならばそういうときに頭の中で下書きをしたらしい
   収容所の囚人はキビキビと動かないそうですから、ノロノロの動作の裏で頭の中はフル回転していたのでしょう
  話を覚えておくと言うのも凄い
   「古事記」の語り部で伝えられていた時代のような気がします。
  これらは言葉での記憶でイメージとは別物か?
 私自身は、さっきの特訓の際に、約7分のスピーチを4本覚えることは出来ましたから、ある程度はできるはずなんだけど、どれだけできるかの限界は分からない
  しかし、こういう記憶と棋譜を憶えることとか、イメージを頭の中で自在に浮かべることは訓練次第ではできるのだろう・・・
 さて、ジイサマになって気力も頭の性能にも自信が無い 

概ね順調

2007-07-09 18:00:32 | Weblog
 ここのところネット碁は概ね順調に勝ったり負けたりを繰り返しています。
 順調ではあるけれど自己MAX.には遠いから絶好調とは言えませんが、マアマアというか”ボチボチでんな”と言ったところ。
 宵のうちにTVを見ていて、面白くも無いのに何が楽しいのか大騒ぎしたり、やたらと(私には無意味に感じますが)登場する人数が多い・・・こういう時は刺激を受け入れるアンテナが自動的にシャットされて>>>
  囲碁を理解しない人は逆に「あんなものの何処が面白い?」と思っているのかな・・・逆から見ればそうなるかも
 そんなことで気がつけば12時を回っています。
  お医者様からは寝る前と起きてから30分以内の血圧を測るように言われていて、測定値を書き込む手帳を渡されているのですが、今回も一眠り後の血圧になります。
 こういう数値はどういう意味があるのだろうか?
  実際の数値的変化から、クランケの注意を促しやる気を引き出す効果があるのかな・・・マア言われてやっているだけという無気力な患者ではあります。
 ともかく、今日明日にお坊さんを呼びに行かなくても良さそうで、毎日仕事にも行っている程度には元気です。
 あーしかし、”その時”にお坊さんは呼ばないように日頃家族には言っていますが、果たして守ってくれるだろうか?
 こういうことはきちんと紙に書いておかないといけないかも・・・
  それともう一つ、最近TVで知ったのですが、人の骨から数カラットのダイアモンドが造れるとか・・・費用がどれだけかかるかは問題ですが・・・私の骨で家宝を作るように書いて置くのも良いかも知れない
 話を戻します
  オジンはそんなものかな、でも先に寝てしまったのだから後は起きていれば睡眠時間の辻褄は合う事になる、早速ネットに直行。
 こういう、うたた寝した後は変に勢いがあります。
  やはり多少時間を損したような気持ちがあるから、取り返したい気分でしょうかね・・・「朝三暮四」みたいなもので別に何にも損も得もしていないのに。
 それとも多少は疲れが取れて元気になっているのか
 「同じくらいの点数の人が居たら対局したい」と待合室へ。
  それでもいきなり「オファー」を出さないところなど慎重?
 私の対局条件は「上は先まで、下は3子まで」としてあって、サンサン棋院(持ち時間45分)か早碁棋院(1手30秒+考慮時間10分)のいずれでもOKです。
 ただ、出来れば上下先までの碁を打ちたいので、まずは待合室の顔ぶれを見に行ったのです。

 いつもですと、帰宅直後とか、目覚め直後などはなるべく打ちません。
  寝覚め時は多分脳が眠っている状態ですから、準備運動というかインターバルが必要でしょう。
 同じように帰宅直後は、神経が娑婆用になっていて囲碁バージョンにはなっていないような気がします。
 だからこういう時に対局すると、上滑りというか空回りみたいな・・・
  まず他人様の対局を観戦して、脳神経を囲碁バージョンに馴染ませる
 マア高段者とかプロが対局場に入室して直ぐ打ち始めるのではなくて、まずはお茶を戴いて、1手目を打つのに呼吸を整えてから打つのに似ている(と本人は思っています)
 まず1手打っておいてから、ゆっくりと座りなおすのは手順前後の気がします。
  (細心?注意を払ってやっとこ5割です)

 ともあれ私にとっては必要なことです。
  私は、例えばホンのローカルな大会でも、先日のJFE趙治勲杯囲碁大会などでも、口開けの1局目の第1手を打つときは震えるのです。
 俗に言う武者震いではありません、気が小さい方ですしね・・・胴ブルイでしょうが、この1手打つ時の緊張を上手に解くことが必要・であると同時に緊張を持続させることも。
 ともかくこの時は、何故かルンルン気分(多少調子に乗って)
  ところが対局希望者リストを見て驚いた・・・冷や汗物です。
 リストに(私が勝手に思っている)好敵手のMさんがいる!
  それは良いのですが彼の点数が異常に下がっている!
 私もボウフラみたいに水面まで上がったり水底まで落ちたりしていますが、彼はもっと揺れ幅が大きい。
 調子が良いときは私など2つ置かなくてはいけない勢い・・・ところが今日は私より10点下>>>これは向う先・コミ白から3目半。
 いくら彼の調子が悪くてもこれは二の足を踏む。
  「金は天下の回り持ち」ではないけれど、”負けても彼のところへ点数が行くだけなのだから良いではないか”という考えと、”いかにも調子が悪そうな彼のコンディションにつけ込もうとしている”みたいに思われたくない・・・勝手に複雑な心境。
 さて常連なら強い時の彼の力を知っている筈で、皆この点数では私と同じような考えを持ったのだろうか、この夜は手合いがつきませんでした。
 私もなんだか悪いことをしたような気分で、観戦だけに止め・・・またいつの間にか眠ってしまいました。
 Mさんごめんね、次に行き会ったらきっと対局します。 
  

縁台の話

2007-07-08 17:18:09 | Weblog
 昔、縁台というものがありましたね・・・こういう表現は年配の人には失礼だし、「今だってあるし、使っている所もある」のだから言い方が間違っていますが、使われているとしても状況というか景色と言うかそういうものが全く昔とは違ってきている。
 住んでいる所・例えば首都圏の”マンション”という名前の集合住宅などではお目にかからないものなんです。
 だから大げさに言えば、こういうものも民俗・風俗博物館みたいな所に展示されそうな感じ・・・イメージとして小学生が団体で見学して博物館の館員が「これが縁台というものですよ」と説明しそう。
尤も縁台に緋毛氈と言うか赤い布をかければ時代劇の茶店の台に見えると思うから、縁台を知らなくても「ああ、アレかとは分かるでしょう」
 「夕涼み よくぞ男に生まれけり」の世界で、昔のジイサマがクレープとか晒しのロングパンツ(ステテコ)に七分袖の下着かなんかで団扇を持って座っているイメージです。
 蚊取り線香が足元に合って、冷たい麦茶かなんかが傍らにおいてある。
  子供が近くで線香花火かなんかやっていたり、お盆にスイカが出ていたり
 知り合いが通りかかると「涼んでいきなさい」と声が掛かる。

 さて、私などの子供の頃田舎では当然ながら当たり前の物
  縁台の縁は縁側の縁でしょうか?
 子どもの頃は縁側のある家が「いい家」みたいな思い込みがあって、自分の住んでいる社宅には縁側などというものは無いから、縁側があこがれでしたね。
 それで縁台なるものも、縁側の無い家のその代わりみたいなものみたいに思っていました(多分間違った思い込み)。
 その代わりと言っては変ですが、社宅は川っぷちに建っていましたから、窓を開ければ直ぐ下が川で、京都の鴨川の川の横の風情と言えば・・・
 落語に出てくる「眺めれば我が家の景色に風情あり 質の流れに借金の山」だったでしょうか、あんなようなものです。
  
 夏になると、扇風機だってろくに普及していない時代ですから、日が落ちれば縁台を出して団扇で風を送りながら涼むのですよね。
 足元に蚊取り線香は定番
  縁台の置く場所ですが、縁側のある家で庭に面している家では必要が無い。
 これは通りに面していて縁側が無いか、あっても昼間の暑さを耐えた分夕方は表で涼みたいというものでしょう。
  だから通りに面している家の前に置かれていることが多かった。
 昼間は立てかけてあって通行の邪魔にならないようにしてあって、夕方打ち水などして、日が落ちてから、あるいは夕方日が翳ってからです
 
  話が飛びますが
 老人が縁台に座って、表通りを眺めている・・・こういう風景がなくなりましたね。
 いや少なくとも都市部ではなくなりました。
  でも地方に行くとまだ残っているのかな・・・老人が昼間家の外に座っていて通りを眺めていて、知り合いが通りかかると世間話やら・・・ともかく暇潰しなのか表を見ている・・・
 現代では「なんの為に」というものが無いとやらないのでしょうね
  昔はTVなどという楽しみは無かったから、居間TVの前に座っている必要は無いし、扇風機、エアコンなど無いから外の方が涼しいわけです。
 もしこういう風俗が生きていたら、表を通る人を見ている人がいるのですから地域の犯罪みたいなものはかなり減るでしょうね。
  更に通る人と縁台の人とのコミュニケーションもあるでしょうね
 ところで日本では激減してしまったこのような風景も外国の取材番組などでは結構見ることができます・・・アジア、ヨーロッパでも都市ではない所に多い様に感じます・・・縁台ではなくて椅子に座っていますが。

 さて私の囲碁のきっかけに関して、縁台は大きな意味がありそうなんです。
  厳密に言うと縁台ではなくて、木製の長椅子なんですが。
 風が吹けば桶屋が儲かるではないけれど、私が囲碁を憶えるきっかけとなったのは将棋を覚えたことに始まります。
 将棋といえば縁台将棋という言葉があるでしょう
  父が勤めていた工場の休憩室にフリーパスで出入りしていた。
 マア工場長の所の餓鬼でしたから誰も何も言わなかったのでしょうね。
  そこの休憩室に幅25cmくらいで長さ1間くらいの木製の長椅子がありまして、これは座ってタバコタイムだったりお弁当を摂るためですが、寝そべって本を読む事も出来ますが何と言ってもこれは将棋を指す場所でした。
 オジサンたちのことですから、これに跨って間に将棋盤を置くスタイルです。
  私はというと、こういうおじさんたちの間にまぎれて、将棋を指している人をピッタリマークしてくっついていた。
 おじさんたちが夢中で遊んでいる「将棋」というゲームに興味を持ったのでしょうね
 門前の小僧と言うか、習うより慣れろの世界でしょうか、いつの間にか一応は駒を動かせるようになっていた・・・マア矢倉戦法の初歩しか知りませんでしたが。
 
 囲碁将棋と一まとめに言いますがこういう縁台的な情景はやはり将棋の世界でしょうか、よく言えばオープン。
  縁台にただ座っているのも芸が無いから、誰か通りかかったら呼び止めて、涼みながらの一番・・・涼みが熱くなるかも知れませんが
 但し、見物人から野次が入ったりして煩いのも「縁台将棋」の特徴でしょうね。
  囲碁の場合は、静かな座敷で正座して打つ・・・あくまでもイメージですが
   もし囲碁ですと、何処かのご隠居さん同士が座敷で打っているイメージですから、これは他の人の目に触れるという意味では、縁台将棋とは格段の差があります。
 
 
 最近不思議な光景を目にします。
  いや、私が目にしたのが最近であって、始まったのはいつかは知りませんが
 勤め先の近くにある団地・・・そこの一角の建物の1Fが大型スーパーで、そこの前の広場に藤棚がある。
 その下が将棋の会場になっているようです
  団地内の施設で証明はない藤棚ですから日が完全に落ちればお終いでしょうが、良い日陰だから夏は当然ですが冬もやっています。(相当薄暗くても指している)
 そして、こういう表での対戦も余り違和感なく見えるのも将棋だからでしょうか
囲碁の場合はかなり違和感がありそうですね。
 3組くらいが並んで指していることもあれば、1局を皆が見物していることもあります。
 将棋のオープン性から言えば、相当見物人の言葉が飛び交うかと思うのですが、意外と静か・・・
 
 ところで、こういう風に室内のボードゲームが表に出ているのに、子供など周りの反応はどうなんだろうか?
 私の見る限りでは、年配者だけのグループに留まっているようだ。
  ともかく囲碁ファンとしては、表でも違和感無くやれる「オープン」な面は羨ましい
 囲碁というゲームを生活の場所で何かの形でもっと露出させられるといいですね。

最近の夢から

2007-07-07 17:57:08 | Weblog
 この年で将来の夢を語れるほどの厚かましさは(僅かしか)無い。
 来年の話をしたら地獄の鬼が高笑いするでしょうからね、せいぜい2,3日先のことしか現実味が無いですね。
 それでも眠ってから見る夢の方は相当古い夢を見るものです。
 さて昨日は悲しい話をしましたが、実はそれに先行する話がありました・・・と言ってもごくごく個人的なことで、単なる符牒あわせみたいなものですが。
 昨日の朝と言うか、感覚では一晩中夢を見ていたような気がする・・・それが「最近よく見る夢」なんです。
 ストーリーは一つではありません・・・が、登場する人物は同じで展開も似ています。
  ある女性が登場して来て(何もドラマチックなことは起きないのですが)、私はその彼女を意識しながら自転車で走り続ける・・・ただそれだけなんですが、一晩中自転車を走らせていたような、この場合は一晩中走っている夢を見ていたような感じが残る。
 この朝の夢の記憶ではそのパターンで、自転車がランニングに変わっていた・・・あり得ないことなのにね。
  但し疲労感は残っている(疲れているからそういう夢を見るのか因果関係は分からないのですが)のだから夢の世界では走っていたに違いない。
 走っているコースは、自転車の時もランニングの時も、水戸から鉾田に出て北浦、麻生から潮来、佐原に向かう道で霞ヶ浦近くの道、成田・千葉へと続きます・・・かなり高低差があるし距離もある・・・このルートは若い頃10年近く週のうち半分は車で通っていた記憶の残滓なんでしょうね。
 ともあれ、過去に何事も起きなかったのに30年以上も経ってから、夢に出てくるのです・・・きっと脳の何処かに「思い」みたいなものが沈殿しているのでしょう。
 もとより何も起きなかったことではあるが、こういうことは誰かに話すようなことでは無いですね。
 例えば、息子が失恋して落ち込んでいる時に「オヤジだって昔こういう事が・・・」と言うような類な話にはならないし、女房にも話したくは無い。
 どちらかというと表現はオーバーだけれど「墓場まで持って行って、一緒に埋めてもらう」部類でしょう。
 
 そんなことを考えながら、その朝は「墓場まで持っていく話」をテーマに頭の中で原稿の下書きみたいなことをしながら自転車で出勤したのです。
  「殊更他人に話すことは無いだろう話」がテーマです
 そこで、若い同僚の訃報に接したと言うことで、起きたことと、見た夢と、考えていたテーマとの直接の関連性は無いのですが何となく符合するみたいで気持ちが落ちつかなかった。

 さて大きく出ますが「人生において」振り返って満足するにせよ後悔するにせよ、「起きたこと」についてが多いですよね。
 でも、あの見た夢は「起きなかったこと」に起因しているような気がします。
  生きてく途中で、いろんな所に分岐点があって選択をするのですが、選んだことについては結果が出るのだから、後で評価も出来る。
 ところが選ばなかったことについては分からないわけです。
  選択することは常に一つづつで、選択しなかった事はかなりの量です
  これは人生もスポーツも同じで「○○にモシモは無い」ということです。
 ところが囲碁(他にもありますが、ここは囲碁の話で)には、終局後並べ直して、別の道を辿ったらどうなったのか、大よその推測は出来る。
 結果は変わらないにしても「もしも」の先が推測できる!

 人生がもう一度出来たら・・・同じ道を辿るだろうか?
  若い頃にやったことへの反省、やらなかった事への後悔・・・そんなものを突き混ぜて考えると・・・同じにはならないでしょうね。
 同じでいいという人はかなり幸せな人かな
  マア自分を決して不幸だとは思いませんが、もう一つの人生が経験できるなら別のものもいいです
 囲碁に関してはザルではあるけれど結構楽しませていただいているから、これはどういうコースであっても変わらないです。  

 
  

今日は悲しい日でした

2007-07-06 18:29:50 | Weblog
 今日は最近では一番悲しく打ちのめされた気分の一日でした。
 朝出勤して一番に知ったのが、若い同僚のK君の死でした。
  彼は市内に住んでいてバイクで通って来るので、駐輪場で出会うことが多いのですが、今朝は彼のバイクが無いので、遅れているのかなと思った程度。
 2階の事務所に上がって異様な空気に、『これは何かあった』と直感した。
  その場に居ないのは二人だけでしたのですが、まさか彼が・・・
 K君は今年4月この事務所に転勤して来ましたから、私とは年も立場も違いますが、勤務先に関しては同期ということでしょう。
 彼は性格も穏やかで、駐輪場やロッカールームで出会うことが多かったから、言葉を交わすことが多かったのですが・・・彼は昨夜昔の同僚たちと一杯やって帰ったらしいのですが、今朝家族が起こしに行った時には既に冷たくなっていたらしい・・・
 全く予期しないことが起きるものです。
  本人が一番困惑しているに違いないのですが、家族の悲しみも余りの突発的な出来事に収拾がつかないのではないだろうか。
 聞く所によると彼は30を僅かに越えたばかり・・・と言うことは多分親御さんと私などは同世代の可能性が高い。
 自分の息子、娘にこのようなことが起きたらと考えると・・・
  K君に合掌

 法医学に従って、彼の遺体は大学病院での検査を受けてから家に戻って来るということですが、状況としては心臓関係だろうか。
 一番可能性が高そうですが、そうだとすると人事ともいえないような思いもある
  昔、若い頃の同年代の同僚のA君が、やはり夏に一人で深夜のスポーツニュースを見ていたはずが、朝になって冷たくなって発見されたことがありました。
  その時A君は30半ば
 この時は心臓発作という風に説明されたけれど、今度の状況も似ている。
  それと私にも若干思い出に残ることがあります。
 第一の記憶は私が大学生の頃、あるバイトに遅れないように国電の改札口から到着しかけている電車に猛ダッシュしたことがあります。
 運動の前にちゃんと準備運動をしないと心臓麻痺を起こす危険性がある・・・ということは小学生の頃から言われて知っているのだが、この時程実感として恐怖を感じた事は無い・・・以来急な動き出しは決してしていない。
 二番目の経験は、女房殿の田舎に車で帰ってその休暇の帰り道。
  急に心臓が苦しくなって、車を田舎道の広い所に停めた
 既に夕方で薄暗くなってきていて、車を停めたところは田んぼの横だが、道の反対側は田舎のスーパーと言うか万屋でした。
 私が乗っている車を店の人やお客が不審に思うのだがかかわりにはなりたくないのだろう、誰も来てくれなかった。
  心臓の動悸が周期的に急に早くなったり・・・不規則な感じがしていて苦しかった・・・そこに3時間は停車していた。
 何とか動けるようになって、そこから3時間以上車を運転して帰宅・・・酷い経験をしました。
 これがまだ子供が居ない時代だから30前だった。
 三番目は、まだアパート住まい時代。
 やはり動悸を感じて夜中に医者を探したのですが見つからなくて、仕方なく救急車の手配を頼んで、医院の前で待ち合わせて先生を起こしてもらったことがありました。
 原因は分からないということでしたが、元気な時は全く病気の影も無いのですから厄介なものですね。
 四番目もあるのですよ
  これは深夜に車で帰宅して、駐車場から家までの50m足らずの道中の出来事
 急に動悸がして足が前に出せなくなったのです。
  家前での残り10mを休み休み時間をかけて帰ったのです。
   これは半身を起こしていると何とか我慢できるのですが、横になると苦しくなるという厄介なもの。
  しかも深夜の帰宅ですから、誰も起こさずに孤独な戦い?
 その夜は家で様子見、まんじりともせず孤独な一夜を過ごして、翌日は土曜日ですが総合病院に押しかけて診察を受けました・・・この時は心臓肥大
 この辺りから現在の治療に繋がってきます。

 長々とキャリアを書きましたが、もしかしたら何時ピリオドを打たれてもおかしくなかったかも知れない。
 そういう意味では運が強いのかも知れないですね。
  K君の場合はもしかしたら、初めの1回目だったかも・・・
 若い人は若さを過信するというか、「何かが起こる可能性』など考えもしないでしょうね。
  この1回目を乗り越えれば、後は正しい検査・治療で何とかなったか。
 ともあれ囲碁を打って遊ぶしか能が無いジイサマは何とかカンとか生きています
  前途洋洋の若者にとってはさぞ矛盾に違いない。
 改めて合掌
  このブログに来てくれる人も無理やりつき合わせてしまいました。

 追伸
こんな日でも、Fさんとの昼休み碁は打ったのです。
今週は彼が五子で連勝しているので、三番手直りとしては今日の対局が私の角番です。
 私の方から「今日は角番ですので宜しく」と打つ前に挨拶。
 こういうことは初めにはっきりさせておかないといけませんね。
Fさん「大分連敗をしたのに六子にしないで打っていたのですから・・・」という話もあったけれど、それはそれです
 私:「マア勝敗だけで置石を決めるのではなくて、碁の内容ということもあるのでソレはいいではないですか、ともかく今日は私のカド番です」
 結局彼は来週また新たな地点から五子で再スタートとなりました。
  ともあれ、昭和天皇の大葬の時に歌舞音曲を遠慮する・・・はあったけれど・・・同僚の悲しい出来事と碁は別・・・それでいいのだろうか・・・と今頃言っていますが既に打ってしまいました。 
 

春雨ではないけれど

2007-07-05 17:25:22 | Weblog
 既に季節は梅雨なのですから春雨ではないのですが、先日の降り方は「春雨]みたいに細くて透き通った雨でした。
   これは先日の雨の日の話です 
 こういう雨は全く苦にならないどころか、気持ちがいいから好きなのです。
  そういう人が多いのか雨合羽だと蒸れてしまうのがイヤなのか、すれ違う自転車の半分以上は雨具無し、たまに合羽とか傘とすれ違うくらいです。
 私の場合は、雨具は何も使いませんでしたが、TOPが寂しいので帽子は着用です。
 マア酸性雨では無いでしょうから、無ければ無いでもいいのですが、こういう雨の中に有害物質が含まれているとか、酸性雨の実体などについての発表が無いということ自体疑って考えれば・・・「報道・発表が無い」=「無い」とは限らない、「実はあの時代から酸性雨が始まっていて・・・」と後の時代に発表されることも有るかも知れないから、その時になってから「不運でしたね」はチト困る・・・帽子くらいは使った方がいいでしょうね。
 こういう面では行政も、報道関係も私は信用していません。
   イザとなったら学界も含めてお定まりの「泥仕合」でしょう。
  学生時代のことですが、住民の権利を守る市民運動に多少関わっていたことがあります。
 その時の住民に対する公共事業を進める側の論理は「安全性」で、「この工事・施設はきわめて安全性が高くて、事故の可能性は考えられない・・・」みたいな公式見解あり、いかにも科学的で常識的なんですが・・・
 ところがその後の原子力発電にしたって、つい最近の温泉のガスにしたって、去年の電車脱線にしたってジェットコースターも・・・あるいは口の中に入る食品も、健康の為の医療にしたって事故と無縁のものは無い。
  人為的な事、人間の努力で何とか避けられることなどイロイロあるし
   安全に欠ける手間と費用は利益に反するみたいな企業もあるし。
 だから「安全性」の問題ではなくて危険なのかどうか・・・確率%の問題ではないのですね。
 エライ勢いで脱線しました。
  
 ともかく気持ちよく自転車を走らせて通勤です。
  私は元々鼻が良くないののですが、これは全てのものを嗅ぎ分ける能力に欠けるということで、この時期の町の匂いは分かるような気がします。
 この辺りは、通りによって街路樹が違います(公園緑地とか団地の植え込みではなく並木通りの木のことです)。
 一番多いのはマテバシイでしょうか、所謂ドングリの実が出来る木。
   この花が咲くと栗の花と同じで、独特の臭いがしますね・・・割と好きです
  そして通勤路の直線はナンキンハゼ。
 プラタナス、イチョウ、ヤマモモも少しあります。
  それと、季節柄草刈りシーズンが好きですね。
 あの青い草の匂いを結構楽しんでいます。
いいことばかりではなくて、海に繋がる水路では干潮時の匂いは堪りませんが

 さて昼休み碁
  先週Fさんが鮮やかに勝ち、翌日私がお返しをしたところ。
 先日来このブログでお話したように、白の私の方も5子局の勉強をしています。
  それはFさんの知らない手を駆使して、誤魔化して勝ってしまおうという勉強ではありません。
 と言って、簡単に勝たせるためでもありません。
  この辺の表現が難しいのですが、私の気分では「黒さんが正しく打てば勝てますよ」という感じかな?
 楽ではないが、きちんと打てれば・・・
  尤もFさんから見ると「白は強情だから」とか「分けの分からないことを仕掛けて来る」と思っているかも知れないのですが・・・もし本当に白が「勝ちに行く」みたいな手で負かしているのなら反省です。
 勝負の世界ではつけ込まれる方にも問題があることになってもいますが。
  さて今日の一局は、黒は盤面を大きく使って模様を重視したのは良いが、少し急ぎすぎた。
 一隅での攻防で大きな損をしてしまい、折角の大模様も全てを地に出来てチャラという感じになってしまった。
 模様が大きかったのでFさんも正確に数えられなかったかも知れない・・・もしかしたら黒の方が大きく見えていたのかも・・・
 終局したときに「どうですか?細かいですか?」という質問があったから、形勢が把握できていなかったようではある。
 数えて白12目残り、これは細かいとは言えない。
  問題は先を急ぎすぎたことにあったようですね。
 「後手の先手」とか「軽く」「大きく」など一見相反することがあり、どちらも大事で、そこに隙があると白につけ込む余地がある・・・
 さてさて、Fさん三番手直りでカド番となった。
  私としては打ち込みたいわけではないけれど、カド番を跳ね返すパワーを発揮して欲しいと思っています。 
 <これはFさんが「六子」と言い出す前の話>
 

五つの謎・五つの罠

2007-07-04 20:42:59 | Weblog
 「五つの謎」というタイトルは、碁についてなぞめいたことが五つありますという意味ではない。
 謎が5個だけなどとんでもない話です・・・それこそ山ほどある。
  自分の年を考えると、程なく赤いチャンチャンコの世代ではあるけれど、未だに今まで生きてきて「そういうの知らなかった」ということにぶつかるのだから、そういうことに驚くのですが、尤も見方を変えればそのこと自体思いあがりの部類でしょうね。
 マア多少は思いあがったところが無いと世間を渡るのに疲れてしょうがないでしょうから、少しはお目こぼしいただくとして・・・こういうことの反対側に近い意味でしょうか「日の下に新しいものなし」という言葉もあります。
 これは矛盾ではないと思うのです。
  「日の下に新しいものなし」・・・新発見は”発見”であって、昔からそこにあるものを、今見つけたということであって、要するに「知らなかった」「認識していなかった」ということに他ならない。
 物事の切り口を変えたら見えてきたというものもるかも知れない
(全く新しいものを作るということは、どう考えるか分かりませんが、この際除外して話します)
 さて特に碁に関してでは、今まで知らなかったこと=不思議なことと受け取ることは無いでしょうか?

 チョッと寄り道
  先日TVのクイズ番組で、国語の書き取りみたいな問題がありました、それは”ご”という読みの漢字を熟語の組み合わせで応えるのですが、囲ごの”ご”に出演者は手こずっていた。
 誰かが出来ればクリアーということで、10個ぐらいある問題を出演者が一つずつ選んで応えるのですが<囲ご>は敬遠されて後回しです。
 最後に残って、元NHKアナウンサーの見るからに常識派的な人が1回書き間違えて、2回目にやっと出来た
 その他のメンバーは彼頼りみたいだったというか、自分ではやりたきなかった・知らない・自信がないようで、知識として相当寒い話。
  <碁>という文字は、普段の生活に知らなくても困らない文字ではある、それに殆どの人が<読めるけれど書けない>様です・・・知識はもとより意識に無いのでしょうね。
 ホンノ30年くらい前までは「碁は日本古来からの文化」みたいな位置づけだったはずだから・・・予想はしていたけれど、行く末が見えるような気がしてショックを受けたのです。
 書かれた物を見れば、それほど字画も多くなく、形だって複雑とはいえないのに
  若い女の子に「囲碁って何?」と聞かれなかっただけましだったかな?

 こういうことをきっかけに、碁に関する「不思議」を思いつくまま書いていくことにします。
 それで、今日は最近感じている「五つの不思議」について。
  これは碁の形とかテクニックの不思議でなく、心理面の不思議です
 厳密に言うと四子の場合も多少似ていますが・・・
  
 さてこれは思い出話から始めます
  30年近く前総武線の津田沼駅前は今みたいに開発されていなくて、海側はがらんとした土地があって(開発直前)そこに「津田沼棋院」という碁会所がありました。
 木造の2階建てで多分兵舎みたいなものを改造したような・・・
ともかく中央に板敷きの廊下というか通路があって、両側に畳の場所があるような
・・・木造の昔の学校を想像してください、真ん中に板敷きの廊下があって、両側が教室で、その廊下の壁が取り払われていて、床に畳が敷かれている・・・そういうイメージ(もしかしたら馬房のイメージかも)。
 そこでは多分(記憶では隔週)指導碁が行われていました。
  勿論有料ですが、プロ棋士に接する機会が少ない時代でしたから貴重なもの
 私自身は指導碁を受けませんでしたが、遠くから観戦はしたものです。
  興味深深ですが、気後れがあり自分では名乗りを上げられない時代
 さてそこで目撃したこと
  ある若い人が指導碁を受けていて不本意な負け方をしたらしい、憮然とした顔をしているのが離れていても分かります。
 その時の先生・福井進六段が「では並べてみましょうか」と彼に話しかけたのですが、彼はうつむいてしばし無言だから先生もどうしようもない。
 一瞬あって彼は立ち上がり黙って帰っていきました。
  情景としてはそれだけですが、後姿から・・・「何故負けたのか納得がいかない」と思っていることが分かるのです。
 多分それは四子か五子の指導碁だったと思う
  とすると、当時アマの県代表クラスが例外的な人はともかく三子でも危ない時代でしたから、プロに五子としたら県代表クラスに二子で打てるくらいということになるだろうか(単純に考えると)
  <マナーとして、問題は大いにありますが、その件は別に機会に>
 その彼がそこまで強かったかどうか分かりませんが、今にして思うと「五子」というものには不思議な魔力があるのではないだろうか。
 つまり手合いで考えると、プロに5子で打てるという事は、アマとしては弱くは無い・・・が棋力の差を考えると相当なギャップです。
 ところが感覚としては「五つも置けば誰が相手でもそう簡単には負けるはずが無い」と思わせるものがあるようなのです。
 これは例えば俗説的にアマ初段はプロに七子というような計算の結果、五子という手合い割りではなくて、少々の棋力差など関係なく「5子置けば・・・」
 この時の若い人もそう考えたのではないだろうか。

 そういう気分は実は私にもおぼえがある
  私が最初に打っていただいたプロ棋士は信田五段でした
 記憶でははっきりしないのですが、多分4子か5子だった。
  結果は先生の石など全部取ってしまえ的な勢いで襲い掛かったつもりが、肩透かしを食い・腕をねじり上げられ・・・返り討ち。
  時代劇のチンピラが堅気の人に絡んで行って、そこに正義の味方が現れアッサリ片付けられる・・・あのパターンが盤上に再現。
 その次に打っていただいたのが森田道博(当時)四段
  彼が売り出し中で、お父さんと一緒に地元の碁会所を訪問してくれました
  この碁は4子だったけれど、気分も黒の態度も同じで結果も同じ
 更にかなり後になってゼイ・ノイさんに打っていただいた時も五子・・・結果は言わなくても想像通り・・・
 (ゼイ・ノイさんの超早打ちには驚かされました。多面打ちでも、ほぼ瞬間的に打ち返してきます。急所にビシビシ来る感じですね)
 ただこの頃はプロの凄さに気がついてきてはいたのですが、自分の性格で頭から突っ込んでいくスタイルを変えられない時期ではあった。
 ともあれ、五子局というのはこういう気分にさせるものがあるのではないだろうか?

 今昼休みの職場碁のF、K両氏とも「aizomechouごときに5つも置けば・・・」と思っているに違いないのです。
  善悪は別として六子、七子の下手は上手に「尊敬」というか「恐れ」を持っているような気がするが、「五子」ともなると、自分の棋力にも多少は自信がついてくるだろうし、五子の置石が持つ威力も感じるようになるからか、”気分”が変わっていくのでしょうね。
 プロに五子を乗り越えることの大変さ気づくのは別の問題があると思われるのでそれは別の機会として・・・それに比べたらアマチュア同士の話ですから五子の壁と言ってもたいした事は無いでしょうし。
 それでも「五子の不思議」というか「五子の罠」を乗り越えないといけないでしょうね。 
 ココにはテクニックとしての要素があるのは勿論ですが、「碁盤に向かう姿勢」=「気持ち」、「碁盤を見る目」みたいな要素が大きいと思うのです。
 総合的なものが要求されているような気がしますが、どうだろうか?
  「ココから先はテクニックだけではありませんよ」という関門かも知れませんね。 

6子って大丈夫?

2007-07-03 23:24:24 | Weblog
 毎日業務関連の郵便物が届くのですが、偶に業界関連の雑誌も郵送されて来ます。
 行政的に関連があるのでサービスで送ってくるのでしょうね。
  内容は仕事関連が3分の1で後は文化活動とか、親睦活動的な記事です
 今日は最新号が届いたので、課内回覧として、古いものを片付けていて偶然「認知症」についての記事を見つけて、思わず読んでしまいました。
 この方面は仕事とは関係ないのですが、死んだ母がそうでしたし周囲にもそういう肉親を抱えた人も何人かいます。
 それに何と言っても自分が何時どうなるか分からないという恐怖も0ではない。
  DNAが関係するならば、充分に資格があるわけです。

 お医者さんの話ではないけれど、ボランティア活動をしている人が「認知症」についての知識と理解を広めるための講演・・・だいぶ参考になりました・・・新しい知識というより、整理して理解するという意味です。
 ① 認知症は脳細胞が死んだり働きが悪くなって引き起こされる
 ② 現状を正しく理解できなくなる
 ③ 記憶障害も伴う
  そして「うつ病は精神の病」で「認知症は脳の病気」という所でしょうか
 特徴として:考えるスピードが遅くなり、二つ以上のことが重なると上手く処理出来なくなる・・・なんだこれは!!、私の碁のことか。
何だか僻みっぽいけれど、直ぐに置き換えられそうで、思わず唸ってしまいます
 日常生活はギリギリボーダーライン正常で、碁の方にはじわじわと症状が出ている・・・一日中碁を打たないではいられない病気というのも発病寸前。
 効く薬はなさそうです!?

 さて、今日の昼休み碁からまた問題が発生しました。
  マア自分で問題を作って、自分で困っているような所もありますがね
 「置き碁・向う6子で打てるのか?」という問題です。
今日の昼休み碁は壮絶な捻り合いの末黒の投了となった。
 「壮絶」というのは多分に言葉のあやみたいなもので、白の立場から見ると両者のっぴきならない・引くに引けない形でぶつかり合ったとは思えない。
 5子くらいの進行については、白がイロイロ仕掛けるにしても、どういう碁にするかは黒次第という所があるでしょう?
 だから、黒は正面からぶつかって白を撃破できると考えたか、こういう戦いが好きなのかのどちらかでしょう。
 しかも黒としては戦端を開くのは手数が進まない時の方が、石数の差が大きい(%で)し・・・しかし
 F氏は戦意を喪失して投了
「次は6子で無いとダメですね」とつぶやいた
私:「いや、5子でも白はヒーヒー言っているのですよ」
「でも、現実に勝てない」少し元気が無い
  確かに直近の成績はFさんは1勝の後これで5連敗。
 戦いの碁・模様作戦・再度戦いの碁と彼としては工夫をしたつもりなのかも知れないが結果が出ていないのです。
 でも私の「5子でも苦しい」というのは社交辞令ではなく本音なんですよ。
5連敗は単なる結果であって、内容を考えたら白は楽に勝ているわけではないし、結果が勝ちというだけで、五子局の勝敗は重要な意味があるのだろうか?・・・なんですが、当人としたら結果が大事なんだろうな。
 ただ内容がどうのこうのと言っても素人の身ですから、そんなに適切なアドバイスは出来ない・・・実感としては複雑なものがある
 打ち込み制の手合い割りだから、3連勝で置石が増えてもいいところだから、5連勝なら6子に変更されても何にも不思議は無いのですが、白の私がそんなに勝ってどうする?という感じもある。
 「楽しみとしての昼休み碁はどうなる」
 「これを機会にFさんの奮起があるだろうか」
いずれにしても、私のほうには故意に負ける気は無いから碁盤を前にしたら「フェアプレイ」「上手らしく」には気をつけながら、それでも精一杯打つでしょうね。
 
 気持ちは打つ以上は精一杯ということでしかないのですが、現実に6子は打てるのだろうか。
 5子にしても今回みたいにF,K両氏と打つので多少は勉強したのですが、
それも白が5子局をどう戦うという勉強ではありません。
 強いて言うなら「負け方の勉強」ですね
  言い方を替えれば「黒にいい勝ち方をしてもらうには白はどう打ったらいいか?」あるいは「白がやってはいけないことがあるだろうか」のような事前学習
 まあ、私程度の腕ではたいしたことは出来ないのですが、4子から5子に置石が増えた時は、増えた所、つまり天元を働かせなければ、形は5子の置き碁だけれど実質は4子と左程変わらないのではないかと考えて、そういうことを意識して打っています。
 今の所そういう事が功を奏しているかも知れないですね。
  それにF、K両氏が増えた置石=天元を活用していないので5子の威力を発揮していないというところかも。
 そこに気がつけば、5子でもよさそうなんですがね
  一旦6子にして黒氏は出直すということでしょう。

今度は私の方が困っています
 5子は何とか打てたのだけれど、6子は全くイメージが湧きません。
  5子が天元の石を働かせる立体的な形とするなら、6子は辺を中心とした展開なんだろうが・・・さてどうなることやら 

思考スピード

2007-07-02 18:37:22 | Weblog
 人には夫々考えるスピードというものがあって、皆夫々に多少の差があるようです。
 これはキャラクターと呼ばれることの範囲内なのか、あるいはそれ以上の性能的な能力の問題なのかということはありそうですが。
 混同されやすいと思われることもあります。
  正しい答えを選ぶのに(確かめることも含め)時間がかかると言うことと、単に反応が早いという事があると思うのです。
 例えばスポーツなどでは、相手の動きに応じてとりあえず反応しなければいけないという事が多いので、善悪の選択以上に反応という面が重要なことがありますね。
 だからスポーツによく似た戦争の「兵法」の分野では「兵は拙速をもって・・・云々」とあったような気がします。
 ところが戦争によく似た碁においては、「拙速」という要素は殆ど無い
  いや、「時計」という時間的要素では無いことも無いのだろうが・・・
 あくまでも「速」はいいとしても「拙」は困るわけです。
  私の場合はまさに困る方の「拙速」をやってしまうことは多々ある。
 
 このような前振りとはぴったりな話ではないかも知れませんが、日曜日の対局は変わっているという意味で面白かったし、ある意味で勉強させられました
 この日の相手は日本列島の南の県の人で、今日は彼のほうが私より3点上なので私の先番でコミ3目半出し
 お互い2連星同士の立ち上がりで出だしはどうということも無さそうなのですが、早い時期に大きな石の生き死に絡む場面が出来てしまいました。
 序盤から中盤という所で白が打った一手で、白は一見凌いでいるように見えるのですが、どうも怪しい
  これはまず、第一感何かありそうという匂いがするのです。
 勿論当方は素人ですから、勘が正しいなど思っていませんが、こういう序盤でもチャンスならば見逃すわけには行きません。
 後で振り返ったら「チャンスはあのときだけ」なんていうのはよくありますからね。
 だから、ココではかなり本腰を入れて時間を使った。
  と言っても5分かせいぜい10分でしょうか
 持ち時間45分のうちの10分は短くは無いです。
(こういう時新ルールで5分くらい打たないでいると警告が発せられるのは困ります・・・放ってあるのではないのですからね。この解決法はパソコン画面にお互いの顔が映るとか・・・)
その結果、「取りに言った場合、白はギリギリ2眼で生きる手はありそう。但し回りは完封できそう・・・もし取りに行かないならばここにかなりのコウ立てが残る。白がこのコウ立てを拒否しはっきり生きるには一手かけるかも」そんな結論でした。
 但しそれでもこの結論に自分で納得がいかず、「それでも、何かあるはず」と長考を重ねたのだから、我ながらしつこいのか、自分を信じていないというか
 そしてしつこさの成果でしょうか、黒先でコウになる手順を発見した・・・”但しコウ立てが思わしくないから余り現実的では無さそう”と考えている時に突然異変が起こった。
 白氏突然の投了・退席・・・これには驚きました。
  彼に急用が出来たのだろうか?
  余りに待たされるので嫌気がさしたのだろうか?
  それとも正しく打てば白に生きが無い手を彼の方が発見したのだろうか?
 その時一人観戦者がいたけれど、彼も驚いたのだろうか?それとも長考をする私に呆れていただろうか?
 ともかく勝敗という結果は確定しています。
  が、何故勝ったのか・何故白が投了したのかそこが問題です
 そういうことで、後で棋譜倉庫から自戦譜の最新譜を呼び出して検討して問題の場面とにらめっこです。
 これは実戦で使った時間と合わせると相当になります
  更に確認するために「研究」モードで並べては崩しを繰り返す
  もしかして黒先コウなのに白が勝手読みで投了したのかもしれない・・・それだと、あの長考でプレッシャーをかけたみたいな後味の悪さが残ります。
 検証の甲斐があって、黒先白死の手順を発見した
  見つけてしまえばコロンブスの卵かもしれないけれど・・・
(本当の問題点は、その場面に至る数手前に黒が白を取りに行く手があったことが分かった。だから問題の場面で手無しという結論だったらと思うとゾッとします。)
 この手があるということは、白さんは私より先にその手を発見したのだろう
  そして私の着手を待たずに、白の手番で投了したのだろう。
 これは複雑な心境ですね。
  もしかしたら、対局中に正しい手順を発見して、その1手を打ったところで白が投了するということが起きれば普通、でももしかしたら黒はその手を発見できずに白が結果として凌いだのかも知れない・・・
 彼は後者の可能性を自分で拒否したということになる。

 さてこれは私の反応の悪さが、長考・確認作業みたいに見えたのかも
  白氏のほうが早見えということになる
自分が負けるストーリーが先に見えてしまったということでしょうか
 もし彼の思考スピードが私と同じ程度だったら、彼は投了しなかったでしょうね
  もっとも相手の手番で投了するという”せっかち”な性格は問題かも知れませんが、これも脳の回転が速すぎるということかも知れませんね