なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

夜光虫

2008-05-16 17:29:40 | Weblog
 夜光虫をご存知ですか?
 たいていの人は知っていると思いますし、写真などで見たことがあるという人も多いでしょう。
 私も子供の頃から「光る海」は見慣れた風景ですが、故郷を離れて長いので最近はご無沙汰しています。
 先日田舎の赤灯台のことを書きましたが、私の夜光虫との出会い、記憶もその辺りの海です。
 夜光虫が光る海は何年経っても頭に思い浮かべることが出来ます。
 やはり写真とは少し違う気がします・・・光と言うか色というか雰囲気というか
  自分から存在を主張して光るのでは無さそうと言うのが好きかも・・・刺激された時だけ・イヤイヤ?
 なんとなく気になってネットで検索すると、いろんな記事が出ていましたが、その中にいくつか写真があったのですが、ネット写真と実物の差でしょうね。

 私が初めて夜光虫と出会ったのが何時だったかは定かでは無いのですが、住んでいた近くの海・例の赤灯台のある突堤に夜釣り行った時か、あるいはその近くの海に夜泳ぎに行った時か、、、多分前者だと思う。
 というのも、一緒に居た誰かが「夜光虫だ」と言って教えてくれた記憶がある
 波の形が光って見えたり、船が通るときに光ったり
 突堤のひび割れに積もった砂を海にばら撒くと、海面がプラネタリウムになったみたいに一瞬星の海になりました。
 私にとって夜光虫はこの風景です

 夜光虫はネットで調べるとプランクトンだそうで、動物性か植物性かは知りませんが、昼間見ると夜光虫赤潮なんだそうです。
 夜光虫=赤潮の一種と言うことを今まで知らなかったのですから、なんとも迂闊なことです。
 その赤潮写真をネットで見ると・・・確かにこういうものを海で見た記憶がある
 夜光虫は昼と夜では全く違って見えるのですね。
  何やら夜のご商売のような・・・昼の赤潮と夜の光ではネオン街の世界みたいな差があります・・・
 
 さてさて夜光虫ですが、こじつけみたいではありますが何やら教訓的ではある
  何かの刺激があると光るのだと思いますが・・・人間ではないから怒っているとかでは無くて単に刺激に興奮している?
 仮にこの中を人が泳いだとしたら、人の形に黒い空間が出来てその周辺が光ることだろう。
 まるで透明人間を見ることは出来ないが、周辺の変化で知ることが出来るみたいに
 あの青い光に包まれて泳ぐのもカッコいいかと思っていましたが、赤潮の写真を見てしまったので、少し気が変わりましたね。
 ともかく夜の海では、海に何かを落とした時に光るので気がつきます。
 あるいは波頭が砕ける時に波の形に光るので分かります・・・ということは、そういう刺激が無いと光らないので、そこにいても周りの人は気がつかない?
 赤潮ですから昼は分かるでしょうが、夜は気がつかない?

 私が自分の部屋でネット碁を打っている光景はそんな夜光虫みたいなものでしょう・・・家族にとって
 光るわけではないけれど、何かの弾みに「ああ、そこに居たのね」みたいな「空気」「夜光虫」になっているでしょう。
 全くの空気ではなくて、刺激に多少は反応するから夜光虫に近いかも知れませんが、青く綺麗に光るというより存在は赤潮のイメージでしょうか
 昔の朝ドラで「箸置き」と言う表現がありました。
  「無ければ困ると言うものではないが、あってもそれほど邪魔でもない・・・やはり夜光虫より箸置きのほうに近いかも知れない。

ボランティア

2008-05-15 18:25:10 | Weblog
 先日まことに不本意ながら60回目の誕生日を迎えてしまいました。
 「不本意」と言う言葉には、照れ・見得だけでなく本当の不本意も入っています。
 若い頃には、やりたいことをやりたいようにやって、その結果寿命を縮めても構わないと思っていましたから、60まで生きているというのは想定外・・・
 ジイサマになって生活しているなんてイメージに無かったことです。
  マア、出だしの「やりたいことを・・・」の部分から狂っていますが
 社会的にあまり褒められるようなことではないから、結婚して子どもが出来て、、、しかも2人も出来て、、、だんだん無難路線に進路が変更されます。
 それでも、私などはどちらかと言うと自分本位で趣味の世界に浸って、勝手なことをやってましたが
 
 ともかく、その日の夕食を取りながら『そういえば、今日は誕生日だった』と思い出したに過ぎない・・・ニュースのアナウンサーが日付を言ったので。
 勿論私のは心の呟きであって、口には出しません。
 普段から「誕生日なんて、ほっといても来るんだからわざわざ祝うことも無いよ」宣言しているので、ココで急に気がついたみたいな発言をすれば、後出しの催促みたいで格好悪い。
 女房殿も長年連れ添った亭主の性格は分かっているから、多分気がついていても知らんふりのはず。
 もしかしたら、長年の習慣で、亭主の誕生日は意識・記憶から消えているという疑いは大いにあるが。
 仮に祝うとしても、ご馳走とかケーキは生活習慣病の大敵ですから、お祝いされる当人のお皿には乗りそうも無い、、、
 ケーキなど女房殿の大好物ですから、あちらのお皿に二人分乗るでしょう、、、私には良くて一口分、、、
 それに、ドラマとかニュースで目にする赤い頭巾にチャンチャンコ!、、、アレは願い下げですから、そういう事に気が回る人が周囲にいなくて良かった。
 私の家族ですから,そこまで気が利く人はいません

 ともかく60と言うのは還暦はともかく停年の年令ですから、再雇用・嘱託などを経て65才の年金満額までをどう繋ぐかという事が現実の問題となってきます。
 今までちゃらんぽらんと暮らしてきたので、今更真剣になるのも恥ずかしいようなものですが、生活のための収入はともかく(”ともかく”と言ってしまうところが我ながら怖い・・・)今でも一年の半分は日曜日みたいな気分で暮らしているのが、近い将来完全に年中日曜日となる。
  これは多分大変なことだと思う
 1日中家でネット碁を打つ?・・・初めの1ヶ月はいいだろうが
 私が完全失業者になる頃、女房殿も停年になるので、老夫婦が毎日家で顔を!
  あるいは、あちらは念願の旅行三昧で私一人が留守番ジイサマ
  あるいは女房・バアサマは孫の面倒で出歩いて・・・どうもあまり明るい未来は浮かんでこない。

 私も家に閉じこもっていてはいけないでしょうね
 目的も無く出歩くとか、1日公園のベンチを暖めるのも考えもの
 となると、私にできることは、、、県内の図書館巡りか碁会所巡礼くらいか
  図書館の場合は別の地域の図書館に行くわけだから、そこの閲覧室で読むことになるでしょうね・・・メモ用のノートを持って。
 碁会所の方も、まずは棋院を振り出しに取り敢えずは関東南部を回ってみたい、、、
 こういうものとは別にボランティアみたいなアイデアもあるのだけれど・・・現実味はあるだろうか?
 ネットの無い人・外出して碁を打てない人からりクエストがあれば、対局の出前です。
 いろんな棋力の人を登録しておいて、要望に応じて訪問対局。
  場合によっては道具も持参。
 自宅・病院・介護施設・・・もっともニーズはあるのか無いのか
  いずれにせよ人のためではなくて自分のためです

 それに囲碁を伝えることも・・・長くなるのでこれはまた次回に

マチガイナイ

2008-05-14 18:31:44 | Weblog
 中国の大地震、ミャンマーのサイクロンに較べれば、五月なのに台風の影響で雨と言うのはいかにも小さくて、雨と風の中を自転車をこがなくてはいけない程度ですから大きな声で文句を言えない感じです。
 それに自転車そのものが好きですし、、、
 原油問題とか地球環境問題にささやかながら行動で示しているようなところも、、、少々力みすぎですが。
 それでもともかく、私としては十分に体力は使ったようです。
  何しろ帰り道がほぼ全線軽いアゲインストでしたから、止まることは無いにしても、常にハンデを背負っている感じで走ったようなものです。
 
 そのせいもあって!(ということもあって)先日来の5連勝後に3連敗・・・バランス感覚?がしっかりしています。
 スポーツでも勝負事ではよく「敗戦に学べ」というようなことを言いますが、これはある程度のレベル以上の人に言えるのでしょうが、どうも私には当てはまりにくいような気がしています。
 「敗戦に学ぶ」どころか一見「反省○○」風ではあるけれど、「喉元過ぎれば・・・」「懲りないジイサマ」過ぎない。
 まさにザルの典型だし、碁キチの一種である。

 敗戦の多くは・・・私の場合序盤に原因があるのだろうと感じています。
  (もしかしたら、勝敗のつくゲームの多くはそうしたものかも知れないが)
 初めに割合大きなミスをするとか、大局感の鈍さから相手に遅れを取る・・・この場合失敗したという意識はあるから、無理を重ねて自滅の道を辿ることが多い。
 あるいは相手に当方の無理を咎められてカウンターを喰う。
  この点はサッカーにも似ていますね
   球際の最初の一歩の出足の差がゲーム全体に作用してきて、一方はやりたいことが出来、他方は押されっぱなしに見えるのです。
 ですから、相手にポイントを先行されないまでも蓄積される疲労感からやがて動きに大きな差が出てきますからポイントを奪われるのは時間の問題となる。
 ついでに言うと、そういう場合一発のラッキーパンチで状況が変わることも稀にはあるのですが、そういうところも(私の)囲碁とも似ているのか・・・

 相手は序盤から十分に優勢に立ったと意識しているはずなのに、更に差を広げようと考えているのか・・・あるいは一気に決定的な形相手を追い込もうとしているのか・・・はたまた「悪あがきをするジイサマだ、懲らしめてくれよう」と鉄槌を下そうと考えたか、、、こういう時にチャンスが潜んでいることがある。
 ボクシングで言うとクロスカウンターでしょうか?
 ですから、序盤から形勢が思わしくなくて、展開に苦しんでいる時はこういう一瞬のチャンスを待つしかないのかもしれません。
 僅かな隙も見逃さないという感じで
  実はこういう「いやらしい」作戦が私は得意らしい・・・
 これで長年打っているということは、いかに序盤が下手で、そこのところが改善されていないかと言うことの証みたいなものですね。
 逆に言うと中盤以降に「弱いものを助けてくださる慈悲深い方」に助けられているということでもある。
 だから、無理をしてこない相手にかかったら何もさせて貰えずに碁にならないのです。
 例えば序盤にこちらが比較的小さなミスとか不利とかあったとします。
  相手はそのリードをキッチリ守ってゴールまでいける人の場合・・・
 相手は無理をせず、こちらが法外なことをした時だけ咎めてくる、、、またそれを待っている。

 ともかく、3連敗はそういう積み重ねでして、要するに相手が強い・・・私が弱いわけで、小手先の細工は通用しないということです。
 負けパターンが自分では分かっているはずなのに、繰り返すということはヤハリ分かっていないということですね。
 典型的なアマに違いない!
  序盤に暗くて・・・その割りに接近戦はソコソコだったりする
  要するに筋悪の力碁タイプなのでしょう・・・マチガイナイ

雨の朝

2008-05-13 18:28:52 | Weblog
 今朝は雨音で目を醒ましました。
 天気予報では台風が伊豆七島付近を通過するので、その影響ですね。
五月は五月晴れの季節ですから、五月の台風は勘弁して欲しい
 カーテン越しでガラス窓の向こうの音からすると、雨は強いらしいし風もあるらしい、この時間から約3時間半後のチャリ通勤が心配です。
 風が相当酷いようですとチャリは心配・・・尤も通勤そのものが心配
 雪の日などは、自転車のタイヤの巻くチェーンは無いから電車+歩くしかない、、、台風の影響下では歩いたところで、傘は役に立たないでしょうから雨カッパで行くことになる・・・しかし電車が走っているかどうかが問題です・・・電車が走っているようなら自転車でもいけるような気がする。
 ということは、行けるか行けないかの問題であって、交通手段で選択の余地は無さそうです。
 徒歩と言うのは歩きの合計約40分+電車1区間なので結局は自転車が危険かどうかの選択です
 行くなら雨合羽でチャリンコ
  後は多少遅れていくかどうかだけの問題です。
 
 目覚めて、ベッドの中で雨の音を聞きながら、いろいろ考えるものです。
  通勤について、、、チャリンコ絡みで幾通りか想像する、、、こういう習性は単なる性格かあるいは囲碁から身についた習い性なんでしょうか?
 ともかくいろんな場面で、多少でも余裕があるときは、これから起こりそうな場面を2,3通り予想して、それぞれの対処方法を考えたりしてシュミレーションというか準備しておく習慣があるみたいです。
  クレームが来そうな時は、難易度A,B,Cとかクレームの種類X,Y,Z・・・それに予定の対処の仕方
 ですから、人からはいろんな物事の進行に冷静に対処していると思われている様ですが、、、それはマア想定範囲のことに過ぎない、、、本当の不意打ちとか想定外のことにはやはり弱いことに変わりが無い。
 こういう性格・習慣ですから、これを囲碁に当てはめると、想定内というか自分の棋力で処理できるようなことには比較的安定した力を発揮できる反面、、、
 まあ、実力を飛び越えるような飛躍した力は出せないということです。

 ところで、昔ネット碁と言うものが今ほど盛んでなく、公的な機関での・コミュニティなどの囲碁クラブも無かった頃、日常的に碁を打てる所といえば、碁会所だったわけです。
 そういう時代は、雪であろうが台風であろうが碁キチは碁会所に集まってくるのです。
 考えてみれば、碁会所に来ることが出来さえすれば、何処にも移動するわけではないから半日は囲碁三昧で、帰る頃には台風一過となるはずです。
 ビルの中にある碁会所なら、入ってしまえば危険なことは無いし、冷暖房つきですから世間と隔絶した囲碁三昧です(嵐でも雪でも・・・)
 時折、停電などのアクシデントがあっても、マア窓から入る明るさだけで何とか打てますし、最悪の場合に備えてローソクの準備がある。
 (実際にお皿にローソクを立てて碁を打ったことは1度だけですが)
 ローソク碁も乙なもんですな

 ともあれ「こういう日にも碁会所に来ないとは、碁キチの風上にも置けないですな」などと嘯きながら碁を打ったものです。
 時折窓の外を見ながら「こんな天気では帰れるものではないですな」・・・「こんな天気の中」ココまで来た人が言う、、、帰る心配などしていないのに。
 一度来てしまえば、台風が行ってしまうまで帰る気など無いのにネ。
  
 そういうわけで、少々の荒れ模様の天気でも碁会所は何時も通りではないにしても、お客が0などにはならないのです。
 寧ろ世間のお天気など、それこそ何処吹く風な訳です。
  ところで、ネット碁なら元々そういう影響は無いはずですが、時間が時間だったか・・・明け方雨の音で目が醒めた頃には対局者がいませんでした。
 対局リストには3局ほど出ていますが、全部「対局終了」となっていまして、入室者は一人・・・ということは、対局者の片方が去っていってしまったか、単に観戦者が残っている状態。
 私などがよくやる、観戦したまま寝込んでしまう・・・いや一人で検討しているかもしれませんが
  いずれにせよ現在進行中の対局は無い
 さて、ネットですから台風とは関係ないでしょう?
  それに日本列島ですから、皆が同じような条件ではない
 やはり明け方ということでしょうね、、、出かける出かけないの問題でなく

 さて私の通勤時間までに後2時間45分
 壁の向こうの台所では女房殿が活動を開始した音がする・・・私は暇だからもう一眠り・・・
 (明け方これを書いていて、入力するのは夕方です。その頃は台風は去っているはずなんですが・・・)

 

あおばな・・・

2008-05-12 17:57:48 | Weblog
 「アオバナ」・・・平仮名でも良いしカタカナでも良さそうですが、耳で聞くと誤解を生じそうです・・・そう、風邪の時に出る・・・尤も私は喉とか鼻が弱いせいか一年中・朝目が醒めた時に。
 アオバナは植物の方ですから漢字で書けば青花でしょうが、青い花は全て青花になりそうでスミレもキキョウもリンドウも別名アオバナでも好いようなものですが、特定の植物です。
 一番初めにこの花と出会った時・カタログでこの植物を知った時「青花?」「青洟?(まさか)」、、、そんな風に感じたのを覚えています。
 それは・・・数年前としか記憶が定かではないが・・・多分4,5年前。
 女房殿が勤めている所の関係でいろんなカタログの一つに植物の苗・種・株の頒布があった。
 カタログ写真はどれも立派と言うか綺麗な感じ、あるいは家庭菜園で誰でも手軽に出来そうなものが並んでいます。
  こういうカタログを眺めているだけでも楽しくなります。
   ですから学生時代にはいくつもの種苗会社に「私は植物系の勉強をしている学生です・・・是非カタログを送って下さいお願いします」という葉書を送ったものです。
こういうお願いにはどの会社も応えてくれました・・・もしかしたら、将来仲間になるかもしれないと思ったのか・・・今では植物とは全く縁の無い仕事をしています、、、
 それに植物は好きなのに育てるのは下手ですから、全くの期待はずれです
  話を戻します
 ベランダにいろんな鉢(主にハーブ)を並べていましたので、日頃女房殿から「狭くて困る」「もう少し何とかしてよ」と文句ばかり言われていたのが、どういうわけか「5000円くらいの予算内なら、何か注文したら」というあり難いお言葉があったのです。
 こういう時に断ったら、「二度と後では無い」わけです
  このカタログの中に「あおばな」はあったのです。
 花の形を見ると、いかにも道端で咲いている「ツユクサ」ですが、サイズが違うらしい・・・草丈が1m近くなるとか。
 花もツユクサそっくりですが大ぶりな、ツユクサガリバーです
 ちょっと寄り道して「ツユクサ」ですが、これはその辺の荒地や道端に咲いていて、所謂雑草の部類です。
 しかし私はこの花が好きなので、ある時ベランダで鉢植えにしようと思って近所を探したのですが、地方都市とはいえ埋め立て造成地のマンション・集合住宅の街には見つからないのです。
 そんな折、仕事で郊外に行った時に昼休休憩でふと立ち寄った貝塚の丘に一杯自生しているのを見つけて持ち帰ったことがあります。
 (こういう行為は遺跡荒らしではないですよね)
 ベランダの鉢に移植しても直ぐには根付かず、一旦枯れた後に芽が出て来ました
 苦労の末根付いたので喜んでいましたが、女房初め家族には不評で、「何で雑草をわざわざベランダで・・・」でした。
 (園芸品種も元を辿れば皆雑草なんですけどね・・・)
  脱線ついでに
 「雑草」というけれど、私は雑草みたいな・・・咲いているのにも気付かず、うっかり通り過ぎてしまいそうな、そういう花が好きですね。
 例えばスミレ、、、家の近くの相当条件の悪いところでもひっそりと咲いています、、、多分人が気がつかないか、あるいは咲いているのは知っていても振り向かない、、、ツユクサもそうですね。
 ともかく”雑草”持つ生命力は憧れですし、よく見ればなかなかなものです。

 さてアオバナは広重の旅日記にも出てくるとか、、、滋賀草津地方の特産の栽培植物だそうです。
 見た感じは染色体が3倍体などの変種みたいに見えますが、花からとった色素を京都・名古屋・加賀などの友禅の下絵の染料に使うらしい。
 想像ですが薄い青色で、時間が経つと消えるか、仕上げの洗う時に綺麗に色が落ちるのでしょうね、きっと。
 ともあれ、カタログで注文
 苗が3つで2000円くらいだったか、、、印象としては安くはない。
 数日後に届いた苗のうち2つをベランダの鉢に植えました。
 ベランダですから植物には良い条件とは言えないでしょうから、深くて大きめの鉢・野菜用のプランターに植えたのです。
 どうやらこれが正解だったようです。
 花が終わって、草が枯れてきた頃女房殿は、綺麗に刈り取ってしまいまして、、、「綺麗にしておきましたよ」とすまし顔です。
 実はこれは私にはとんでもないことです。
 カタログのどこかに書いてあったのですが、「血糖値を押さえるお茶になる」・・・ですから、作り方はわからないけれど、収穫して干しておけばお茶に出来るはずだと思っていた。
 突然のアクシデントですからがっかりしましたが、花咲かジイサンがポチの灰を大事にしていたみたいに?、このプランターをそのままにしておいた・・・たまにはジョウロで水をかけて。
 すると翌年芽が出て、新しいアオバナが咲いたのです。
 ところがまた、意地悪ばあさんに摘み取られ・・・プランターをそのまま
 これが数年繰り返されて、今年も新しい芽が出てきている。
  なんと生命力が強い! 羨ましい!!
プランターには他の植物の苗が植えられてしまっているが、この畑の主は私だと言わんばかりに勢いが好い。
 まさにアオバナは偉い
  このくらい力強く生きないといけないですね、見習えるものなら見習いたいものです

 ところでアオバナ茶
 この地方特産と言うことで、お茶・粉末・サプリなど通販でネット販売されているそうでカタログがネットに出ている・・・結構高い・・・ということは効果があるのか?
 値段が高いと効果も高いみたいな錯角を抱くから、それも一つの効果かも
 問題はお茶ですが、どのようにお茶にするのかが書かれたHPが見つかりません
 まさに営業上の秘密なのか
 それに、栽培している畑の写真は出ていますが、苗の頒布が無くなっている・・・ということは門外不出となったのか・・・ということは、うちのベランダのアオバナはかなり貴重な存在かもしれない
 ともあれ、血糖値を押さえてダイエット効果もあるという謳い文句だし、「経験談」みたいなことが出ている・・・まさに結構な話で、私にはうってつけなはずですが、今のところ方法が分かりません

 そう言えば、思い出したけれど、最初に手に入れた三つの苗のうちの一つは、当時の仕事仲間に差上げた。
 庭付きの一戸建ての家に住んでいるので、何処か庭の隅にでもと思ったのですが、さてその後どうなっているのだろうか・・・
 裏庭一面にアオバナが広がっていたら、、、
  今日はアオバナの話で終わってしまいました。

 

目出度いような目出度く無いような

2008-05-11 17:11:33 | Weblog
 まもなく誕生日がやって来る。
 子供の頃なら、1ヶ月以上は前に両親に「誕生日に何をプレゼントしてくれる?」と打診兼請求していたものです。
 それも、母と父に別々に訊きまして、あわよくば両方から成果を期待したものです。
 尤も、私の子供時代ですから誕生日のお祝いにしたって「ハイカラ」な部類で、「ほっといても誕生日は来るんでしょ」と言われるのが普通です。
 それでも、母の実家が製パン・ケーキ製造などをしていたので、そこの祖母の所へ顔を出して誕生日をアピール、、、ダメで元々。
 うまくいけば、誕生日ケーキと多少の小遣が期待できる
そういえば同級生に誕生日が同じ友達がいまして、彼の家は商店街で商売をして、父親は市会議員・・・仲が良かったので彼の誕生会に招待された・・・ということは翌年はお返しに招待するわけです。
 母親からは「子どものうちからハイカラなことをやるので困る」と文句を言われたものですが、、、ま、今なら珍しくも無いことではあるけれど、当時はそんな時代だったのでしょう。
  いずれにしても、その年代では誕生日が来るということは良いことが期待できるわけです。

 何時頃からか、自分の誕生日などどうでもよくなって、、、今では誕生日は来ないほうが良いと思うようになって来ている。
 江戸川柳の「門松は冥土の一里塚・・・」が「誕生日は・・・」にそっくり当てはまります。
 当時は正月で1才年を重ねたのと、今の満年齢の数え方の誕生日と同じ。
 さて5月の誕生日、これは同じ時期に「母の日」と重なるし、子どもたちにとって「父の誕生日」より「母の日」の方がやや・かなりウェイトがありそう。
 「お母さんに感謝するついでにオヤジにも何かプレゼントしておこう」程度です
 僻みも多少は入っていますが、冷静に考えても我が家ではそうですね。
 それは誕生日を迎える私自身が「祝う必要は無い」と言っていますから文句を言う筋合いでもないのですが、、、

 ところで、隣の市に引っ越してきた娘がやって来たところへ、たまたま外国に居る息子から電話がかかってきた。
 例によって母親である女房殿と長話の後、姉である娘と話した後についでに私も
「誕生日おめでとう、、、本当は数日早いけれど」というわけで、まさについでのメッセージでした。
 マア、いろんな病気やアクシデントがありながら、取り敢えずこの年まで生きてきて暦が一巡りするのですから多少は目出度いかも知れませんが、、、
 「誕生日以降に年金の手続きをして下さい」と言う葉書を貰っている身としては、自分を祝うより少し寂しい気持ちもある。
 おそらく日本人の統計的な平均寿命をいくらか下げるであろう身としては、仮想の到達点にまた一歩近づく感じですから、、、昔は「無事に1年経ちました」という感じだったのが、ココからはサドンデスに入る感じです。
 まさにサドン・デス。
  
 ところで息子が今居る国
 夏休みに女房殿が旅行を計画していたのが、娘も巻き込んでいたのが今日判明
 なんと二人で行く計画になっていた。
 安心といえば安心ですが、これは娘の婿さんも大変ですな、、、彼は私と同じ運命を辿るような気がしますね
 いや「、、、居ない間の洗濯?」ではありますが
  いずれにしても女房族は強くて逞しい
   そういえばダシにされた息子の方・・・昔から甘ったれ坊主で6才も年上の姉には常に頭が上がらない関係。
  きっと彼の地での再会は「嬉しくもあり、嬉しくもなし」なんだろうな。

 誕生日祝いの言葉を先付けで貰った直後のネットの1局
  (女房殿と娘は揃って旅行社+買い物に出かけまして・・・)
 完璧な敗戦でした。
  序盤で相手に手を預けられた時に取った作戦が全く酷い結果になり、、、それを挽回すべく無理に無理を重ねた結果が泥沼状態。
 潔く、いや潔く無くても投了するしかない。
  選択の余地の無い終局でしたから、それはそれでさっぱりはしていまし    誕生日前後だからといって御祝儀的に白星を献上してくれる人は居ない、、、仮にリストの名前の前に「誕生日直前」のクリップボードをつけてもダメでしょうから、自分へのプレゼントを自分で勝ち取るしかない。
 そういう下心を持って対局すると・・・
 

 

GW明けのドサクサ!?

2008-05-10 15:23:35 | Weblog
 GW明けの日は、当然ながらやたらと忙しかったから、とても得意技の居眠りの余地は無かった。
 それが当たり前!?ではありましょうが、我が家の伝統としては「居眠り」は先祖代々の業なのです。
 尤も私などは本家から見たら分家の次男ですから、江戸時代的な世が世なら、数の内に入らない存在ですから「先祖伝来」など口に出来ないでしょうから。
 実際には昔ほど本家の権威があるわけでもなく、それほど分け隔てをしたようなものはないし、本家の跡取り息子が一人っ子だったせいか、単なる従兄弟みたいに育ちましたが・・・ともかく生き易い時代になったと言うことでしょう。
 そういえば、一族に本家と同格みたいな親戚がありまして、そこの先代が軍人で例の軍服姿の写真が残されています。
 その人は飛行機で移動中に戦死しているので、遺品などは無くてこの遺影だけが残されていますが、、、親族で、私がこの人に似ているのだそうです。
 実の息子・娘が居るのですが・・・性格は絶対似ているはずは無い・・・善悪はともかく生活の規律みたいなものが職業軍人とはかけ離れているでしょう。
 さて「居眠り」の方ですが、これはいつか書いたのですが
  我が3,4代前のご先祖様は、仕えている殿様の前で、話を聞きながら居眠りをする常習犯だったそうです。
 当時のことですから、これは無礼な行為ですからきつく罰しなければいけなかったわけですが、逆に「居眠り御免」の許しを戴いて無罪放免となり、その後も居眠りし放題というお墨付き・・・まあそんなわけですから「居眠り」一族の伝統。

 GW明けは仕方ないとして、これが2日目も続いた。
 半日研修はある、申請のお客がいつもより多く、オマケにトラブルも・・・
 多くのことが8時間の中に凝縮されるのですから、眠っているなんていくら私でも不可能です。
 まあしかしGW中は最後に5連休だったし、まさに何処にも行かなかったから休養十分ですから、ニュースで見るような「海外組」や「帰省組」の疲労感とは縁が無い
 
 ところでネット碁はこのところ・GW中も多くの人が打っているようなのですが、皆さん何処にも行かなかっただろうか?
 それとも、パソコンを持って帰省した?・・・それは同行の家族に顰蹙を買うだろうし。
 想像ですが、GW明けのネット碁会所の盛況は何処にも行かなかった高年齢組+Uターン組で賑わっているように思います。
 となるとUターン組は帰省疲れ+GW明けの仕事疲れ、、、それにもしかしたらGW前の準備疲れが溜まっているかも。
 ムムム、これは我がK畑師匠の言葉を借りれば「いい塩梅!」ではある。
  それかあらぬか、久し振りの5連勝
 もっともこれは段級位によるハンデ戦で、同じハンデで打っているわけではなく、1局ごとに上下する点数制ですから・・・
 何処かで5つ負けた分をたまたま纏めて取り返したに過ぎないとも言える。
  1勝2敗とか2勝3敗ペースで5つ負け越して、突然5連勝したもののトータルすればイーブンみたいな・・・
 それも、もしかしたらGW疲れのピークにある人から星を戴いたのかも
  疲れている時ほど打ちたいもので・・・それは私だけではないのかも知れないですね。
 そう、私は来たるべく・必ず来るに違いない大スランプに備えてせっせとポイントを貯めておかなければいけないのですよ。
  
 

GWのツケ

2008-05-09 17:39:46 | Weblog
 5月はイメージとして爽やかで、男の子の節句で私も便乗して誕生月です
 最近よくニュースで見かけますが、川をワイヤーロープで横断して、たくさんの鯉幟を泳がせる・・・しかも1本ではなくて2本、3本と
 あるいは本物の鯉みたいに川の流れの中で泳がせる・川に杭を打って鯉幟を繋げるらしい
 全く私の子ども時代とは時代が違うのですね。
 アノ時代は、家に庭があってある程度余裕のある家にしか鯉幟は無かった。
 当然無いうちの方が多くて、当然私の家にも無かった・・・社宅ですから、会社の敷地を考えれば土地は問題ではなくて、余裕の方が問題だったのでしょう。
 5人兄弟で7人家族、母は専業主婦ですからね
 しかも私は次男ですので、兄もないのに私が文句を言える立場ではない。
 もっとも隣近所の社宅仲間はみな、鯉幟を持っていなかったからコンプレックスは無かったのが、マア救いと言えば救い。
 近所では1軒だけ鯉幟を上げる家がありました。
 庭に杭を2本打ち込んで太くて長い竿で鯉幟を上げていました。
 上げる時と雨が降ってきて慌てて下ろす時に手伝ったくらいですが
  ですから、鯉幟がいろんなところから寄贈されて、野山・川に群れて泳ぐ姿は
 壮観と言う前に、子ども時代との比較から複雑な思いがします。
  何やら、使い方を間違っているみたいな・・・

 ところで5月8日、久し振りに出勤してやはり恐れていた通り、GWのだらけていた生活のツケを支払わされました。
 出勤早々・・・休んでいた間の事務連絡があり、相談・連絡で上部機関へ・・・これが半端に近所なので自転車で往復30分ですかから、出勤で40分サイクリングした後に追加のエクササイズみたいなもの。
 もっとも、歩いていったわけでもないから文句は言えませんが
 ともかく、急いで用事を済ませ事務所に戻り、溜まっていた仕事の山と格闘です
 そういう間にも来客があるので、一時中断して来客優先ですから、なかなか山が減りません。
 更に電話はかかってくるし、電話連絡はしなくてはいけないし・・・
 昼休も本当に弁当を食べる15分だけの状態。
  マア、労働者の権利として、休み時間は堂々と取ればいいのだけれど、性分として仕事の山を枕に昼寝も出来ません。
 逆に仕事時間中でも個人的に暇なら勝手に居眠りするタイプですから・・・当然周囲からは誤解を招くタイプですね。

 ともかくねじり鉢巻状態ですが、こういう姿は女房殿には絶対に見せるわけにはいきません
 「そんなに働く人が、何で家では何にもやらないのでしょう!」といわれるのは明白
 それどころか「自分の下着ぐらい自分で洗えば?」「休みの日ぐらい、何か作ってよ」と言われるに違いない。
 何十年かの間掃除・洗濯・布団干しから逃げ捲くっているのですから、今更つかまるわけには行きません。
 食べ物の方は自分の趣味もあるから、多少の妥協の余地はありますが
 ともあれ、この「ぐらい」くらい怖いものはありません。
 「○○ぐらい・・・」と言われると、いかにも私が怠け者であるか思い知らされるような気がします

 普段は「どんなに忙しくても、一人で出来る仕事は一人分」と開き直っているのですが、今日はそういうわけにもいかなかった。
 今日は普段の2,3倍疲れたような気がします。
 こういう時ほど、ネットでは打ちたくなるのです。
 但し、観戦に回ると直ぐに寝てしまうかも知れに無い・・・ということは、睡眠スタンバイ状態で碁を打っている事になる・・・だから、成績が悪いのかと変に納得ですが、だからといって対局を思いとどまるわけでもない。
 そこが碁キチたる所以でゲスナ。

もしかしたら酸欠

2008-05-08 18:30:02 | Weblog
 ネットで碁を打つ愛好家は、何処で囲碁を打つことが多いだろうか?
  ネットに繋がっていさえすればいいのだから、IDとかの問題が無ければ職場にある自分専用機でも対局は可能だろう、、、しかしそこでは打たないだろうな
 対局ソフト・・・例えばトランプゲームみたいに、相手をしてくれる囲碁ゲーム ならやらないことも無いかもしれないけれど、アレは相手としてレベルの問題があるし、”打った”という満足感が無い・・・やはり人対人の対局をしたと言う気はしない。
 それに職場のパソコンは物理的に不可能に近い・・・パソコンを2台使っていますが、1台は完全にオフラインで、ココでは個人的な範囲での作業しか出来ないから、必要があればコピーして他の機械を使うので・・・ネットはできません。
 ココでは棋譜を弄る程度です。
 もう一台は・・・仕事の本社機能と完璧に繋がっていて、このパソコンの画面は向こうからも覗けるのです。
 従って業務時間中は勿論、休み時間でも私的な使用が丸見えなので、遊びに使う気にはなれません。
 それに、私の場合はノートパソコンを携帯するという仕事の必要性が無いから、自分のパソコンでネット碁を打つ=家で対局することに他ならない 
 それでは家の何処で打つか・・・
 家は未だ旧式ではあるが・・・電話のターミナルから長いケーブルがあってパソコンにつなげてある。
 これはリビングでも自分の部屋でも行き来できる長さです
 床のコードが邪魔ではあるけれど、マアこれは家族共々なれるしかない
 要するに無線ランを設置する場所が見つからないのです
 ともかく、こういう条件ですから、対局はリビングか自分の部屋
  たいていはそうでしょうね。
  家族と一緒にパソコンの碁盤を見ながら・・・と言うのは羨ましいような、あまりありそうもないような、、、
 そして私は、リビングでは殆ど打たないのです・・・観戦もめったにしない。
  やはりココでは気が散ると言うよりも、自分なりの集中感が無いのでしょう
 それに、「劣勢を挽回しようと唸っているところ、、、勝負のギラギラした部分」そういうところは囲碁を打たない家族には分からないとは思いますが、、、でも見せたくないし、見られたくないような気がする。
 以前、「楽しそうに囲碁を打つところを見せることも大事」みたいなことを書きましたが、こういう一見苦しそうに見える事も含めての楽しみなので、これは伝えるのは難しそうです。

 そういうことで対局は専ら自分の部屋
 家族から見たら「オヤジは部屋に閉じこもって囲碁」なんでしょうが、この「閉じこもって」に関して問題発生です
 私から見ると「閉じこもって」ではないのですが、
  何よりその証拠には、部屋のドアがピッタリとは閉まらない
 ドアと言ってもスライド式で、昨年のリフォーム以来車輪の滑りが異常に良いから、ネットケーブルのちょっとの動きで直ぐにドアが滑る
 従って部屋には居るものの数センチの隙間はいつも開いているからです
  それでも何かの加減で比較的ピッタリ閉じていることもあったかも知れない・・・

 ある時何やら胸の苦しさを感じた・・・それも数回
  一度は眠っていてうとうとしている時に
  もう一度はネット碁を打っている時に
 原因は3つ考えられそうです
① 私のからだの機能の問題で、、、マア多機能不全症候群?みたいなものですから、、、胃と腸が異常に丈夫なこと意外は全てバッタ品で組み立てられた体ですから、、、肺・気管支に難ありかも
② 大気汚染物質に包まれて、一時的に異常事態に陥った可能性・・・但し頭痛とか吐き気は無かったから可能性は薄いかも
③ 最も可能性がありそうなのは、広くも無い部屋で長い時間ネット碁を打っていたから、、、先ほども言った様に密閉されているわけでもないのですが?
 ②、③は多少矛盾する要素があり、①は②,③と連動しそうです

 さて多少の息苦しさを感じた時真っ先にする対処法は「多少鼻を膨らませて、大きく息を吸う」「大きく深呼吸を繰り返す」
 自然に行っている動作に恣意的なオーバーを加えます。
 そして窓を開けてカーテンを開けたら・・・スーッと胸の違和感が去っていったような気がする。
 ということは②ではありえない
 もっとも疑わしいのが酸欠?と言うことになりそう
 いずれも部屋に居る時に起こっている!?
  密閉されていない部屋でも起こるのか?
 壁には直径10cm足らずですが、自然に空気が出入り出来る穴があるのだけれど、時として役に立たないのかも知れない・・・時間・風向き?
 ともかく長い間自室で碁を打つ場合は最低でも窓を3分の1は開けておく必要があるかも知れないですね。
 そのプラス効果は、比較的新鮮な空気を吸うことで胸に異常を感じない+幾分でも脳もリフレッシュできる可能性があるかも知れない。
 マイナスは、外も音が遠慮なく飛び込んでくる
  功罪あるけれど、一応ここは住宅街なので窓を開けるマイナスの方が少ないでしょう
 囲碁を打っていて酸欠で倒れたら洒落にならないですし。
 事故が起きても原因不明扱いでしょうね。

三局目のしょうじき!?

2008-05-07 16:58:18 | Weblog
 GWも終盤、ニュースでは帰省のUターンラッシュが報道される時期にやっと3局目を打ちました。
 そろそろ、体にも心にも鞭を入れておかないと、連休明けにボーッとした顔で出勤することになりますから、緩みきったところに渇を入れる意味もあります。
不思議なことにGWの中頃では「打つより見ている方が好いな」と身も心もだらけていたのが、ともかく石を持つ(ネットですからキーを叩く)気になるから・・・何処かでセルフコントロールが働いているかも知れません。
 碁の内容としては、マダマダ満足できるものではない(何時までたってもそういう碁は打てそうにありませんが)ものの、ヘボ碁のザルキチとしてはマアマアだったでしょう。
 序盤で相手に下駄を預ける場面がありましたが、きっとこれが好いと思う。
  出切って戦いの碁にするのか、実利と外勢・隅の地対中央の大模様か相手に選択の権利のある場面です。
 こういう展開が好いようですね・・・気のせいかも知れませんが
  自分で決めてかかる時は、目的に合うように、無理にでもそっち方面に行くような打ち方になることが多いから、無理・歪が出るのでしょう。
 相手が”素直”に打ってくれれば良いのですが、どこかに隙、欠陥があってそこを突かれるといっぺんにおかしくなるのです。
 その点相手に「お好みはどちらですか?」と訊きながら展開する方がどうも石の流れに無理が生じないような気がするのです。
 もともと、ナマクラ的な性格ですから、相手が決めてくれるほうが楽なわけです
  この辺りが性格が反映されるのかも知れません。
    横道に逸れますが、皆で外食レストランに行くとその性格がモロに出ます
   まず先頭を切ってオーダーを出すことはありませんで、得意手は合わせ技
   誰かが注文すると「アッ、私もそれと同じ!」となりますから。
 ともかく相手はガンガン隅で地を稼ぐ
 流石に4隅全部地にされたら、中央の石が余程味よくまとまらないと対抗できないので1隅は確保して、[相手:3隅+若干の辺の地]対[私:1隅+中央の大模様]となりました。
 
 相手にしてみると大模様が大きく地になるといけないと見たか、そこを地にさせない打ち方を巡っての終盤勝負。
 コウ含みの寄せ勝負となりました。
  終盤は小刻みに時間を使う、緊張する展開で、これも久し振り。
 何度も何度も数え直して、コウ立てとコウ替わりの計算をしたものです。
  レベルとしてはお恥ずかしい程度でしょうが、まあまあ自分としては満足感がある展開ですね。
 一手ばったりではなく
 悪手のカバーに更に悪手を重ねるような展開ではなく
 相手のミスを期待することもなく・・・
  私レベルとしては碁らしい碁を打てたということです。
 取り敢えず序盤で無理をしないのが良かったかも
 更に相手に選択権を預けたのも・・・
  イヤここのところはきっと違うでしょうね。
 相手が選んだように見えて実はそうせざるを得ない状況が作れれば・・・、そういう選択がこちらのヤヤ有利な状況・・・そういう碁を打てればきっと楽しいかも
 もっともそんなことが出来るのは神様みたいな人だけでしょうね

赤灯台のある風景

2008-05-06 16:05:20 | Weblog
 突然「灯台」ですが・・・これは住んでいる土地柄い銚子の犬吠崎とか房総の先の野島崎と言いたいところですが、そういう全国区の有名な灯台ではありません。
 名前の無い小さな灯台です。
 いや、管理している人が居るのですから、管理上名前はあるはずです
 仮に記号だとしても、それも名前の一種で、他のものと区別しているという意味で名前ですね。
 イメージとしては特定の灯台が頭に浮かぶのですが、、、実は「灯台」という存在が重要な感じですから、何処の灯台でもいいし、強いて言えば「あそこ」かなという程度かもしれない。

 落語のお題話みたいなもので「囲碁」「GW」と来ると「灯台の灯り」かな
 ただいまGWの真っ最中で、スケジュールとしては最後の5連休です
 自分でも不思議なんですが、さぞや連休中はネットでもリアルでも打ち捲くるくらい打つだろうと思っていたのですが、実際は4月末から数えても対局数はネットの2局のみです。
 体調不良による自粛でもありません。
  開き直って言うと「体調良好」はほぼ無いようなものですから「不良」は問題外です。
 うんと悪いか、いつも通りに悪いかの違いだけですから。
  では、何故打たないのか?
   打たないというより”打てない”に近いかも知れない・・・マアハッキリした理由は無いのですが。
 あえて言えば気力が充実してこない感じ
  いや、普段気力に満ちているわけでもないけれど、ともかく誰かが打っていれば、それを観戦するのが精一杯の感じ。
 要するにGWで身も心もだらけてしまって、ネット碁で打つ程度、あるいはリアルで碁石を持つ程度には回復していないらしい。
 要するに暇だから趣味の碁を打つのではなくて、打ちたいときはどんなに忙しくても時間を作って打っているのですね、、、今は丁度その反対の現象が自分に関して起きているようです

 そして対局した2局
  勝敗こそ1勝1敗ですから、贅沢は言えませんが、内容が酷い。
 1局目は序盤で躓いて、大きなハンデを背負っての中盤で、止むを得ない捨て石作戦から、ロングスパート的逆転。
 例えばマラソンで序盤に1000mくらい離されたのを残り30kmで、1kmにつき33mくらいづつ差を詰めていったような碁
 これは「ウサギと亀」ウサギの昼寝、大差で有利の気の緩み・・・そういうものが無くては実現しないはずで、結果勝利でも喜べる内容ではない。
 まして2局目は全くひどい碁で、序盤の躓きを挽回しようが無い形
 相手の方も緩んだ手を打たないから付込む隙もない、、、
  ですから、2局を通して考えると全く見えていない感じでです。
 ですから、気の緩み、体の緩みと同時に碁盤を照らす灯台の灯りが消えてしまっている状態なのです。

 一言で言うと「見えない」状態・・・普段から見えている訳でもないけれど「見えている」と思い込むことが出来ない状態です。
 こういう時に、ふと故郷の灯台を思い出したのです。
  有名な有人の大きな灯台とは比較にならないミニ灯台です
  小さなタンカー専用の入り江があって、そこの入り口の水路の波を消すために100mくらい海に突堤が出ていてそこの先端に7,8くらいのミニ灯台がありました。
 海とか港の専門家から見たら灯台と言うかどうか・・・単なる水路標識かもしれませんが、ともかく俗称は「赤灯台」
 高校時代はよく夜中に家を抜け出して、明け方まで一人でクロダイ釣りをした場所です。
 目の前の水路を越えて向こうのテトラポットの根っこがポイントで、目の前を小さなタンカーが通過したら、暫くお休み。
 週末の夜は遠くから来る人も居ましたが、平日は大体私一人の世界です
  2段になった突堤に座っていたものです
 周りは護岸から伸びる突堤の付け根の水銀灯と、突堤の先の赤灯台の灯りだけ
  もしも第三者がこの風景を見て、絵になるとは思えないけれど、、、
 スペインだったか灯台の絵の風景がとか、韓ドラで灯台が出てくる話・・・そういうものを見ると、その赤灯台が浮かんできます。
 大して明るくも無い水路灯ですが、今の私の碁にはそれさえない!

中心性網膜炎

2008-05-05 14:37:18 | Weblog
 昨日の「日本平」に関連する発想は,これだった。
 Jの試合はともかく、私の贔屓チームの中心選手のHPを見ると、家族で日本平ホテルに泊まったと言う記事が出ていました
 もしかしたら、試合の前日?
 そして写真が貼り付けられていた・・・ホテルの庭から旧清水市街・駿河湾方向で富士山の移っている写真です。
 風景そのものは18才まではココで暮らしていたのですから、見慣れた・懐かしい風景ではあるのですが、ホテルの広い庭に驚いた。
 綺麗に一面の芝・・・日本平の山頂といえば昨日も書いたように、形は2位グリーンで、駐車場と言うか、バスなどのターミナルというか、殆どが土が出ていて緑の草が生えているところは少なかったような記憶だったから・・・
 この記憶がいい加減かもしれないし・・・あるいは記憶は正しいが、ホテルのところだけは鮮やかな緑なのかも

 これは自分の記憶と言うものへ発想が跳びます。
 昨日の高校時代の遠足の記憶ですが、部分的には妙に細かなところまで詳しく思い出せるのに、大きなところが曖昧な感じがする。
 例えば遠足の朝、高校のグランドに集合して西の方向を見ると、かなり遠くに300mの高さの丘が見えて、TV塔が並んでいるのが見える。
 「本当にあそこまで歩きでいくのかョ」と言う感じで眺めたのは妙にはっきり覚えている。
 しかし当日の服装が体操着だったのか、普通に制服(黒ズボンに白Yシャツ)でよかったのか思い出せません。
 行きは歩きだけれど、帰りは自由行動で乗り物は乗って良いし、真っ直ぐ帰宅自由なのですから、、、
 一番可能性があるのは「服装は個人の責任において体操服あるいは制服どちらも可だったかもしれない
 いずれにせよ思い出せない。
  私の記憶はそんなものかもしれない
 よく覚えているようでも、ボツボツ穴が開いている紙に記憶の絵が描いてある世言うなもので、詳しく細密画みたいな部分もあれば真っ黒と言うか真っ白な抜けもある。
 それで全体がなんとなく出来上がっていて、、、平均してボンヤリした絵になっているようなものかも。

 こういうたとえ話には、実はリアルな実例があるのです。
 私が働き盛りの頃・・・こういう表現は我ながら恥ずかしいのですが眼科医がそう言っていたので・・・目の異常に気がついた。
 マア、なんとなくおかしいと感じた程度ですが
 眼科の検診を受けると「中心性網膜炎」と言う診断です。
 一瞬ドキッとする病名ですね・・・やがて視力を失うような
 どういう病気かと言うと、原因は不明ですが”働き盛り”の男性に多いから、ストレスが原因と塑像できる・・・私の場合仕事のストレスか趣味の方のストレスかは判然としませんが。
 ともかく眼球の底にある網膜の中心付近がポツポツと炎症を起こしている状態
 どういう事かというと、例えば映画のスクリーンで中心付近に鋭い槍で突いた様な穴が開いている状態ですから、底だけ映画が映らない。
 結果見えているところと見えていないところが混在する
 ですから、全体として見えてはいるのですが、平均した見え方はボンヤリする
 この時左目がそういう状態でしたので、左だけで白い紙を見るとあたかも日の丸みたいに、、、中心が薄茶色の円になるのです。

 記憶と言うか物事の理解力はこんなものかも知れませんね。
 「分かった」と思っても実は部分的であったりしますから、どこかに落とし穴があったり。
 部分的にはキチンと見えているのですから、全体が分かったような錯覚を(自信を持って)したり。
 「よく分からない」という、全体が平均して低レベルなのも困りますが、錯覚を起こす方も危険ですね。
 「自信を持って、間違う」ですから、こちらの方が危険かも知れません。

 ともかく「日本平」「ホテルの庭」「中心性網膜炎」「囲碁での大失敗」と連想は続くのですから、GWに出掛けなくても退屈はしない性格?
 「元々退屈男」みたいなものかもしれません
 ところで、左目の中心性網膜炎ですが、その後十年くらいの間にいつの間にか元に戻っていた。
 自然の治癒力なのか、そういう病気なのか、、、一旦は片目失明か?とも心配したのですから人騒がせの症状です。
 ストレスの原因は仕事だったか?・・・その後ストレスのかからない生き方にシフトチェンジしていますから・・・それで直ったのかも知れません

日本平・・・

2008-05-04 14:53:14 | Weblog
 サッカー好きで当地出身の私にはこの地名は特別な意味がありますが、ここにピッチが出来る前には意味が違った・・・Jリーグが出来てからからここにピッチ・スアジアムが作られたわけで。
 実際に「平ら」というのは300m程の丘で、スタジアムは麓というか丘の入り口近くにあるのです
 今でこそその地名は特別な意味がありますが、別の意味合いもたくさんある地名でもあります。
 てっぺんがまるで二段グリーンみたいな大きな広場で、まさに「平」であった
 ここは高校3年間遠足の目的地でした・・・3年連続で、しかも高校から全て歩きます(理由は遠足だからです)。
 そして山頂(丘の上ですが)に集合したら、全員居るかどうか点呼して解散
 お弁当は勝手に食べて、帰りはバスに乗ろうと別の下山路を通って電車になって帰ろうと自由と言うか「かってにせい」です
 それにしても、高校の先生は全く工夫が無いというか、マンネリだし楽をしているし・・・遠足=ココと決まっていたらしい・・・
 だから、帰り道を自分で工夫するしかない
 山頂からゴルフコースをつっ切っていくコース、お茶畑の間を通っていくとか・・・歩いて下山する友達の横を、バスでさっさと下山して街の田舎銀座で遊んだり

 小学生時代にはここに家族で来たものです。
 サウンドオブミュージックとは程遠いのですが、家族でピクニックに行くとすれば最も近いし距離的にも丁度良いところでした
 たいていは春か秋でしたが、一度夏の夜に来たことがあります。
 夏祭りの花火大会が混雑するので、たまには広々としたところでのんびり見ようというわけです
 山頂は約300mですから丁度打ち上げ花火の花が開く高さでしょうか
 ですからほぼ真横から見物する形です。
 普段は港とか町を見下ろして、富士山の景色を楽しむ場所ですが、街の灯りを見ながらというのもいいものですね
 但し、距離を置いて見る花火・周りにあまり見物人が居ない花火は少し寂しい感じがするから、祭り+喧騒+華やかと言うものとは異質な感じではある

 さて、中学時代も親しい友人と来たことがあるし、何と言ってもスタジアムがある谷筋とは違う場所(近いけれど)に火葬場があって、ここに父も母もお世話になりましたから、一言で「日本平」といってもいろんな思い出がある
 火葬場=悲しい嫌な思い出ではありません。
 一度は通る道でしょうから・・・この辺から例によって空想が始まります。
 思い出話と空想が混ざり合って結構幸せな時間はジイサマの特権かも知れません
 
 例えばこんな同窓会の連絡が来たとしたら・・・
「来る○月○日 第○期から○期の卒業生の同窓囲碁大会を開催いたします。場所は日本平ホテルで段級位は本人の申告制です。当日は当時の恩師○○先生他多くの先生方も参加予定です。尚大会後簡単な・・・ 」こういう案内なら絶対参加です
 前日から会場近くの姉の家に泊まって(山頂のホテルは高いでしょうから)
 1期の卒業生だけでは寂しいかも知れませんから前後何期か一緒にするか、あるいは思い切ってオール卒業生とするか・・・
 大会後にプロの先生の解説みたいなものが聞けると嬉しい・・・
 いずれにせよ「昔の思い出話をする会」の同窓会だったら私は殆ど失語症状態になるでしょうから、それを恐れて近づかないの、、、やることがハッキリしていて話題の中心が決まっていてついでに思い出話+懇親なら数時間は大丈夫なはずだ。
 
 しかしマア暇なGWではある
 引っ越して着たばかりの娘夫婦も遊びに来ないところを見ると、まだ片付かないのだろうか
 あるいはカーテンをつけたり、なんだかんだと用事があるのだろうか?
 暇な割には5月に入って未だ1局しか打っていない・・・対局数と暇とは正比例しないらしい。
 
 

故郷は遠いような近いような・・・

2008-05-03 18:13:26 | Weblog
 「故郷は遠きにありて・・・」みたいな感傷は無いのですが・・・現実に直ぐ側とは言わないまでも車で2,3時間で行くことが出来ます。
 ただ、子供の頃に済んでいたところは、跡形も無いような変貌を遂げ、幼馴染は誰もそこには居ないだろうし、多少の甘酸っぱさを含んだ感傷も湧きにくくなっているようです。
 が、しかし13才の中1まではその町で暮らしていた。
 海の直ぐ近くで、川のコンクリート護岸の直ぐ横に家がありました。
 満潮になると潮が川上まで上がって行き、あたり一面は潮の臭いに包まれた町
  いつも日に焼けて真っ黒な子どもだったはずです。
 そういえば、私が初めて囲碁らしきものを打ったのは、その家の直ぐ横のある廃工場の軒先です。
 製紙工場の原料となるパルプを作るための工場でした。
  木材を集めるのに都合のいい場所にパルプ工場置き、それを本社工場で紙に仕上げていた・・・父がそこの工場長だったから、その工場の直ぐ横の社宅で暮らしていた。
 しかし会社はもっと効率よく生産をするために、全ての工程を一箇所で出来るように、分かれていた工場を統合したので、ここは廃工場となったのです。
 廃工場と言っても、暗い大きな工場というイメージとは違います。
  ここはパルプを作る工場ですから、木材の集積場、木材加工の工場があります
 大きなスペースがぽっかりと空いてしまったので、がらんとした寂しさはありましたが、逆に静かで日当たりの良い空間が生まれたともいえます。
 その大きな木工加工工場の、大きな軒先の庇の下で、縁台みたいな台を置いて生まれて初めて碁を打ったのです。
 今にして思えば「碁」と言えるような代物かどうか怪しいものです。
  相手をしてくれた友人も彼のジイチャン仕込みとはいえ、それほどたくさんは打っていないはずですし、私は正真正銘の最初の1局。
 後にも先にも生まれ故郷ではこの1局しかないのです

 ところで後年大学生の頃だったか社会に出て出て数年後だったか、雑誌の「囲碁クラブ」で地方の碁の特集があって・・・私の出身市の紹介があった。
 「Iのジイチャン」というらしいのですが、支部を纏めて面倒見の良い人で地方では有名人らしい・・・
 もし田舎に住んでいれば、その方と出会えたかも知れないなと思ったものです。
 但し、大学に行かず地方に住み続けていたならば、果たして囲碁を打っていたかどうかは分からないわけで、、、何やら不思議な感じですね。
 もし打たないならば「囲碁クラブ」も購読しないはずで、そうなら同じ市に住んでいても存在も知らないわけで・・・さてさて

 ネット碁で気になる人が2人居ます。
 一人は高校の時の同期の友人と同じ名前・・・同姓同名の可能性は高いけれど、私の出身県の在住ですから可能性はある。
 もう一人は高校時代の数学の先生と同じ・・・勿論同姓同名かも知れない
  しかも首都圏の在住です
 もしかしたら、先生は大学を出てこちらで高校教師になり、定年後また出身地に戻って悠々自適の生活と考えれば可能性は0では無い・・・都合よすぎる?
 でも確か将棋では歯が立たないくらい強かったから、囲碁も強いのかも
 今、ネットで対局するとしたら私が2子置くことになるはず
 せめて先になったらチャレンジしようとは思っている
  さて、彼の先生!?から見たら、もし先生なら私は直ぐに分かるはずなんだけれど・・・私は同姓同名というニアミスが起き難い名前なのです

 故郷からみの思い出と、今の話が絡み合って続きます・・・また明日も

普通って・・・

2008-05-02 17:29:26 | Weblog
 女房殿が韓国ドラマファンの友達から借りてきたCDを見たのです・・・
 「冬ソナ」から始まって、ドラマのファンになった人、韓国文化に眼が向くようになった人・・・いろいろいるのでしょうが、のめりこむようなファンになったとしても、それはそれで・・・私みたいな碁キチと言うか囲碁オタクと言うか、そういうジイサマが何か言ったら”目クソ鼻クソ」の類でしょう。
 マアそれはともかく熱烈なファンが友達に居るおかげで、CDを貸してもらえるのですから、有り難いことです。

 初めに全20話くらいのうちの最初の1,2話を見ました。
 私の感想としては・・・
 「少しマンネリと言うか、似たようなパターンかな?」
 つまり導入部として幼い時代から話が始まり、事故・行方不明・記憶喪失、そして成人になっての偶然のすれ違いと再会、更に若いのに事業の中心で有ったり、ヒロインと男性2人、そしてオッパーと呼ばれ・・・
 こういう設定と言うか、ストーリ展開がヒットするための条件なのか?
 ちょっと似たような展開が多すぎないか?
  しかしこれはもしかしたら、私の考え違いかもしれないですね。
 長寿番組の水戸黄門だって、○○捕り物帳、暴れん坊○○、、、
 「越後屋おぬしも悪よのう」「そういうお代官様だって・・・」、、、
 ワンパターンなのに堂々と繰り返されている
 ということは、そのことが問題ではないのかも?
  寧ろストーリーが単純な方が安心感があるのかもしれない。

 事実女房殿はパターン化した展開は気にならないらしい。
  一作ごと違う気分で見て楽しんでいるのでしょうね
 私はついつい前に見たものと比較をしてしまう
  逆にヒロインについて、私は美人過ぎず普通っぽいところが良いと思うのだけれど・・・当然個性的では有るし、本当に普通ではなくてそれなりに輝いているだろうし、演技力は相当あるのでしょう。
  ところが女房殿から見ると、そこが問題なんですね。
 ヒロインが普通っぽいのがダメなのだそうです。
 主役は美男美女でなくてはいけないらしい(人は自分に無いものを欲しがる!)
  これが高校生時代からの映画ファンで外国映画をたくさん見てきたはずの人が言うのだからフシギです。
 非現実的なことをスクリーンの上で見せているのでしょうが・・・
 私の性格では「世の中そうそう変わったことばかり有るわけで無し」なのだけれど、それではドラマにはならないということでしょうか

 突然囲碁の話ですが
 私は気分として「普通を目指す」のですが、途中から普通で無くなるわけで
 それは私自身の技量の問題で、目指している方向とはかけ離れて行くのです。
  それでも今まで打った何千、あるいは万を越える棋譜がもし再現できるなら、さぞ同じような棋譜があるでしょうね
 まあ、相手が違うこともあるし、全く同じ棋譜は無いでしょうが・・・
 それでも似たような・・・これは平凡とも陳腐とも言える。
  もっとも棋理から言ったら平凡以下とも言えるか
 それでも飽きもせずせっせと精を出しているのですから不思議なことです。
 そういえば女房殿とも学生時代からの付き合いだから、相当長い付き合いです
 「スクリーン」とは関係ないから「普通なのはダメ」と切り捨てられなくて良かったです。
 お互い普通ではなくて、普通以下だったのが良かったらしい。
  ハラハラ・ドキドキに近いから長年飽きなかったのかも