なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

極楽の話

2009-10-19 18:39:08 | Weblog
 先日TV番組で、女優と作家が奈良のお寺を巡って、仏様を見て歩く番組がありました。
 美しい仏様には色気を感じますね。
  それに女優さんも、年を重ねられて若い時とは違う美しさが漂っていまして・・・ついつい見とれていました。
 さて、あるお寺の庭に池があって穏やかな日差しの中で、ハスの花がたくさん咲いていました・・・こういう情景は極楽を連想させるのですが、誰も見てきた人はいないわけで、極楽のイメージが刷り込まれているということですね。
 極楽のイメージを宣伝するのにハスの花がピッタリだったか、ハスの花から極楽と言うものをイメージしたのか・・・マア鶏と卵の関係と言うことにしておきましょう。

 今朝のことです、自転車通勤で大きな交差点で信号待ちをしていると、目の前を大きなエンジン音でトラックが通り過ぎました。
 その運転席の上の屋根に「極楽○○」の文字が書かれている・・・おそらく「極楽急便」だと思います。
 マア、品が無いと言うか迷惑な感じですから「極楽」と言うより「極悪」の方に近いとは思いますが・・・この辺りから脳が目覚めて活性化し始めます。
 看板の極楽急便について考えると
① 運送会社の名前?
② 運んでいる商品のイメージが「極楽向け商品?」
③ このトラックの邪魔をすると極楽行きだゾと言う脅し?
④ 今、急いで極楽へ向かっている途中?
 本命は④でしょうが、それではつまらない・・・②ならマアマア面白そう
  と言う事で②にふさわしい商品・積荷は何かを考える事が本日のテーマに決定!。
 これで1日仕事をしながら一人遊びができるので安上がりと言うか、「極楽急便」のおかげですね。

 では一体あのトラックは何を運ぶのか?
墓石ではあり得ないし、つまらない・・・保冷車タイプのトラックですから形が違うし重量物は無理だと思われます。
 考えながら自転車で団地の垣根沿いに走っているとお線香の香りがしてきました・・・どこかで仏壇に供えているのでしょう。
 お線香にローソクと言う可能性はある。
  しかしこれも保冷車とはややずれがある気がします・・・。
 保冷車で無くてただの四角のアルミ車と言う事で考えて・・・極楽イメージと無理やりくっつけると「マッサージチェアー?」。
 もしかしたら仏前に供える生花?
  確かにトラックの来た方向に市場がある。
 待てよ!、市場ということなら「一口食べて極楽・高級お刺身」だって良い筈。
  「アジ道楽の高級マグロ・・・食べたい」
 イヤ更にピッタリなのは、冬にはまだ早いけれど・・・フグと言うのもアリ?。
 「食べて極楽」「当たれば極楽」
  しかし、1日かかっても面白いネタは閃かない感じですが、ともかく遊べますね。

 話は変わりますが、古い友人で「ゴク」というあだ名の人がいました。
 本名はK君ですが誰も本名で呼びません。
  後輩までも「ゴクさん」と呼ぶくらいですから、すっかり定着しています。
 そもそも彼が一年発起して農家を援助する活動に参加して、老婦人一人で農業をしている所に行った時のことです。
 何人かのメンバーでの労力援助などの活動ですが、そういうメンバーと言うのは「謹厳実直」と言うか「勤勉さ」などを評価点であらわせばA+みたいな人が多いのですが、我がK君はその方面は・・・
 しかし人柄の良さ、人間性では間違いなくA+なので、そこで親愛の気持をこめて「ゴクつぶし」というあだ名を奉られたと言うことです。
 従って略して「ゴク」

 ところでハスの話
  私が育った場所は海岸に近いのですが、山から海に向かっての地下水の流れが一旦緩むところでもあるらしい。
 従って池とか、蓮田が多い所。
  だれからかは分かりませんが、ハスの実を貰ったことがあります。
 ジョウロの先みたいな形をした、スポンジみたいな感じの・・・ハスの種が入っているところ。
 塩茹でにして貰って、私は結構気にったのですが、母からは「どこが良いのかね?」と相手にされず、その後一度も食べる機会に恵まれません。
 私の好みで、ハスの実、里芋の茎、などをリクエストしても、戦争中の苦しさを経験した人からは相手にされないようです。
 極楽に行けば毎日食べられるでしょうね。

 ところで息子が小学校の時宿題で「4文字熟語を出来るだけノートに書いて行く」と言うものがありました。
 放っておいたところ、本人は一向に思いつかないらしく・・・挙句の果てに「ネエネエ父さん”御気楽極楽”も良いよね?」と聞いてくる始末。
 ショックで軽い目眩を憶えました。
  当時、どこかの民放の変なキャラの台詞で・・・
  それに決定的な間違いは4文字ではないし。
 その彼が、外国人に日本語を教える教師を目指している!・・・なんと時代は変わって行く。

静かな週末

2009-10-18 11:50:17 | Weblog
 今週は町内会の共有地などの草取りのある日・・・(各家庭から最低1名参加義務)尤も私はめったに参加せずに女房殿任せで、こういう時は家にいても目立たないように息をひそめて・・・そういうこともないけれど。
 ともかく、午前中の1時間程度ではあるが、外出を控えて本を読んだりパソコンで時間を潰すのです。
 それで、ふと気がついたのですが、外では作業が終わったらしく最後に自治会とか管理組合から挨拶やら連絡事項の伝達などのミーティングが行われているらしい話声が聞こえますが・・・それにしても天気が良くて穏やかで静かな日曜日。
 昔でしたら、こういう日は「秋晴れの好き日に・・・」のイメージにぴったりと言う感じですから運動会シーズンあるいは遠足日和。
 そう言えば近所の小中学校の運動会は全て終わったらしいし、隣の団地の野外で行われる恒例の秋のイベントも終わっているらしい。

 我が家のあるあたりは集合住宅が多い築なので、出来上がった頃は就学児童のいる家庭が多いので、そういう意味で人口過密=学校も過密でした。
 それが子供たちが成長してしまうと人口も学校も多いのですが、就学児童が減少してしまっている・・・最近は区ごとに学区の再編成が始まっているようではある。
 同じ市内でも市街地から離れた地区では子供が通学にヘルメットをかぶってバスとか自転車で通学する姿を見かけるのですが、この辺りでは・・・私の家から歩いて15分程度の範囲に小学校が5つと中学校が3つある!。
 それでいて、各学年1学級とか2学級の児童生徒しかいないのですから、学校施設、人件費などの無駄は否めないでしょうね。
 まあ学校ですから、毎年児童数の様子を見ながら通学先を指定するようなことはできないにしても・・・これが民間企業だったり、役所・公的機関でしたらこういう無駄は厳しく追及される筈です。
 従って数年前にはこういうことが予想されたにも関わらず、手当が後手に回っているのは不思議と言えば不思議。
 それに、いつもですと住民・市民はこういう無駄を見逃さないのに、自分の子供が通う学校についてはアンタッチャブル的な気分があるようにも見えます。

 静かな日曜日暇人はいろいろ考えるものです・・・そう、運動会。
 私の小学校時代は1クラス56人で学年5クラス、そこよりもっと大きい小学校と一緒になって中学校になるので、1学年13クラス!ですから、約2000人の生徒数でした。
 ですから中学校はそれなりに広いグランドはありましたが、運動会と言う形式での運動会は難しかったようで、運動会では無くて陸上競技の記録会と言う形で体育行事が行われました。
 いろんな競技に各クラスから選手を出す・・・各自最低種目は出場でしたから、私は走り高跳びにエントリー。
 今からは考えられないような・・・今は足を上げるのもおっくうなのに、高いところを跳ぶのを競うなんて。
 それでもベリーロールの選手に対抗して、素人っぽくとも正面跳びで挑んで2位に・・・40人近い選手がいた筈なのに、考えられない快挙だった筈です。
 
 高校の運動会(こちらは1200人くらいなので丁度良い規模かもしれません)、の思い出と言えば「茶っきり節」、あの明治時代に出来た郷土の新民謡。
 これを、運動会の一番最後に参加者(校長・職員・生徒)全員で踊るのが決まり。
 広いグランドで陸上競技場よりは一回り狭いコースが白線で引いてありますが、全員がここで3重4重の円を作って踊る・・・これが1年生の時は嫌で嫌で・・・何とも恥ずかしいような気がしていたのですが3年生ともなると何とも思わなくなるのが不思議でした。
 考えて見れば全員参加ですから見物人はいないのですから、誰に恥ずかしがることもないわけです。
 振りは、学校体育用の振りだったような気がしますが、いまとなってはやや懐かしいものですね。

 ところで自分の子供が出来て、それぞれの子供が運動会に参加するとなると親は忙しい。
 私の一番忙しかった運動会の1日・・・それは家族の全員の運動会がい同じ日に重なった時のことです。
 女房殿は教員ですからそこの学校行事は担任でもあり最優先、その年は土日の天気により順延が重なり、子供たちの運動会も同じ日になってしまいました。
 子供たちにとって運動会のお昼休みは母親の作ってくれたお弁当を、グランドの上にシートを敷いて食べるのが楽しみなわけで・・・。
 お弁当の下ごしらえは女房殿がしましたが・・・
  午前中は息子の保育園で私が父親競技などに出まして、午前中で競技が終わると急いで家に帰ってお弁当を準備して、息子を連れて隣の小学校へ。
 全て近所にあるのが救い
  なんとか間に合ってオヤジと娘、息子で無事お弁当。

 あまり忙しくて運動会で何を見たのか憶えていないくらいですが、運動会の思い出と言えば私としてはこれが一番印象に深い感じです。

 ともあれ近所の学校の運動会は全て終わっているようで、区民体育祭も隣の市営団地の催しも・・・全く静かな週末です。
 
 午後の贔屓チームの試合、それにに二番目に応援しているチームの試合、どちらも勝ってくれると良いのですが。

土曜日は観戦Dayでした

2009-10-18 02:48:44 | Weblog
土曜日は各種お気に入り種目を観戦したので、自分の部屋と居間とトイレと洗面所を往復しただけの一日ですが、かなり忙しい一日でした。
 深夜はサンサン・パンダ・幽玄の間でネット観戦・・・これはいつもと変わらない。
 早朝にネットで対局・・・ここまでは土日休みですから昼間のことは気にせず対局できる・・・つまり仕事のある平日の朝などでは、例えば朝5時頃に対局希望者がいたりして、自分と同じくらいの棋力の方らしい場合など『どうしようか?』と迷うのです。
 仕事を控えているのですから「当然スルー」では無くて、ほんの僅かにせよ気持ちが動くのが自分でも怖いところがあります。
 今朝は対局後一旦仮眠?
  起きだして再びネット碁の観戦と時々接続し直して、正月の箱根駅伝の予選会の実況文字放送を覗きました。
 今年は駒澤、順天堂、東海大などが予選会から出場なので、野次馬的ではありますが興味森々。
 さて昼前に一服して(遊ぶ合間の一服です)午後からは衛星放送で囲碁将棋チャンネル・・・名人戦の棋譜解説。
 午後1時からは囲碁と同じくらい好きなサッカー・・・土曜日はJ19試合のうち7試合が予定されているので観戦マラソンみたいなもの。
 試合開始が13時、14時、15時、16時、19時となっているので、一応全部覗くことができます。
 重なったり、半分ずれているようなところはパソコンで実況一覧を出しながら、ハシゴしていきます。
 土曜日最後の試合が終わったのが夜9時少し前。
  いつもならそこから今日一日の総括みたいな番組を見るのですが、流石に観戦疲れというか、酔っ払い状態。
 本当は9時からパリのフィギィァ選手権の放送を覗く予定もあったのですが、やはりよる年波には勝てず、そこはビデオに任せてギブアップ。
 なんと言っても、贔屓チームの試合は明日なので土曜日で体力を使い果たす?わけにはいきません。
 と言うことは・・・観戦は明日も続きます。
  明日も14時、16時・・・
 
 それに、その前に深夜早朝は囲碁タイムだし。
  これだから連休は疲れますね、休んでいられません。
 息子からは「父さんは今年後厄なんだって?」 
  そんことを教えるのは親切でも何でもない・・・せっかく気にせず機嫌よく暮らしているのにおせっかいメ!!。

殺られてしまった、と言うより、またやってしまった。

2009-10-17 16:36:43 | Weblog
 昨日の対局は私の先・コミ無しの手合いですから段位で言えば丁度一段違いの上手に当たります。
 対局表でよく見かける方で、接続中であることが多いので、つなぎっぱなしかもしれないけれど、棋譜並べをしている可能性も高いのではないかと想像しています。
よく観戦させてもらっていますから、打つのは久し振りですが、一方的にお馴染みさん気分です。
 碁の内容としては自分ではよく打てた方だとは思う。
 「ゆっくり、ゆっくり」の呪文を唱えながら打ちますが、これは相手があってのことなのでその通りになるとは限りません。
 人のせいにするようでもありますが、こちらが「ゆっくり」を目指すなら相手は対抗上「急」をめざすでしょうし。
 
 相手の人は名前からすると女性・・・強い女の人です。
 偏見かどうか分かりませんがプロでもアマでも女流の方が激しく戦う印象はありますが、女性のイメージのやさしさと戦いのギャップなのか、どうなんでしょう。
 でも女流プロが男性9段に戦いを仕掛けて行くような場面もよく見るような気もします・・・。
 女性の方が妥協をしない傾向が強いのか・・・それとも、戦いが長引くと経験豊富なタヌキ(失礼)に丸めこまれてじり貧に陥るような危険を感じて、早めに決戦を挑む傾向があるのだろうか?
 イヤ、それだと開戦時に多少不利な感じがします。
 おそらく、妥協みたいななものを許容しにくいのだと想像しますし、和戦両方の選択ができる場面で、戦いを選ぶ傾向が強いのだろうと想像します。
 まさに想像です、アマがプロの碁を見て想像しているだけで、しかも異性の心理など想像しても無理かも知れません。
 でも、謝先生の碁で戦いが無いなんて想像できないみたいなものです。

 アマです、、、このお相手の場合も観戦していても戦わずに終わるような碁は見たことがありません。
 そういう意味でも面白いので観戦してしまうのです。
  女性でも下手の方の場合、戦う碁しか知らないみたいな感じ、ともかく戦うと言う感じで仕掛けて来る人は多い。
 それに指導している先生の「そういうところは戦う一手でしょう」みたいな教えに忠実な人が多いから、いい加減な手を打つ相手には断固戦うのですね。
 但し、和戦両様と言うより戦い専科の場合が多いので、収束は苦手なようで・・・自分で潰れてしまうパターンもよくある。
 さあ、これは女性の特徴では無くて、私自身もこういうことに陥ることもよくあるので、弱い特徴であり、不調時のパターンでもある・・・。
 しかし強い女性は、戦いに強くて地力があるのですから、これは相手にしたら不足は無いどころか、大変な・迷惑なくらい厄介な局面になりやすい。
 しかも相手の方が上手ですから・・・

 こういう時(喧嘩っぱやい)K畑先生に鍛えられていたのが役に立ちます。
 真っ向から受けて戦うのか、飛んでくる石を避けながらもポイントを稼ぐのか。
 逃げながらも隙があれば相手のしっぽに噛みつくとか、相手の不備、綻びが見えるところに塩を塗りこむとか・・・
 実際の局面では、白の大石の一つを捕獲してはっきり優位に立った筈でした。
  流石に白もそう簡単に素直に負けてはくれませんで、勝負に持ち込もうと画策してきます。
 そこで第二次戦争が起こるのですが、そこで単純な攻め合いを間違ってしまったのですから情けない。
 見た感じ。直観でも戦いは手数有利で、実際にも良かった・・・のですが、そういうところをきちんと把握しないでいたのが間違いの元でした。
 1手勝っている筈が、途中で打ち方を間違えて逆に1手負けに転落していることに気がつきました。
 手数がながいもののどう転んでも勝ち目が無い・・・1手足りない!!
  気分は『助けてくれー』なんですが、いくら母性本能豊かな女性でも助けれる人はいません・・・絶対に居ない。
 仮に「助けてあげようか?」などと言われたら、恥ずかしくて・悔しくて悶死してしまうでしょう。
 全く棋力・性格から言って「上手に弱い」「女性に弱い」「強い女性には特に弱い」・・・まさに条件が悪い対局であったのです。
 しかし、ネットでこれですからリアルではもっと弱いのでしょう、想像に難くない。

趣味とポケットマネー

2009-10-16 21:23:35 | Weblog
 昔のことです、仕事で都内で打ち合わせがあり出張した時のことです。
  浜松町駅の通路で絵の展示即売のような催しがありました。
 絵と言っても油絵では無くてリトグラフですからびっくりするような値段ではありませんが、マア新人の初任給ぐらいからのお値段と言うところ。
 それにバブル崩壊する以前ですから、日本での価格は仕入れ先の欧米に比べたらかなり高かったとは言えます。
 ですから絵画・美術品に投資みたいな事を言う人がいましたが、それは海外で仕入れて来る人の話で、日本でバブル価格で買うのでは相当ミリがあります・・・ですから値段云々より純粋にそれが欲しいかどうか、あるいはどの程度までなら支払うことができるのか・・・そういうことだったとは思います。
 マアそれはともかく、仕事で通りかかっただけですが、多少時間に余裕があったのでブラブラと見て歩いているうちにそこから立ち去れなくなってしまいました。
 気に言ったリトグラフと巡り合ってしまったらしい。
  ジャンセンという画家で250枚刷ったうちの一つではあるから、値段と絵の価値のバランスは判断できないものの、その絵が欲しくなってしまった。
 勿論財布にそんなお金は入っていませんし、家のお金は全て女房殿管理ですから一存で買うわけにはいきません・・・相談したとして、こういう買い物は初めてですから頭からダメが出る可能性が高いから言い出すのには不安がある。
  画廊での常設展示では無くて駅の通路コースの企画販売ですから即断即決が必要・・・
  かなり迷いました・・・迷いに迷って・・・公衆電話から女房の勤め先に電話して「絵を買いたいから口座番号を教えてくれ・・・」
  聞いた方も何の話かびっくりしたでしょうね。
 ともかく初めの一枚とはこういうことが無いとクリアー出来ないようです。
  そして初めの一枚が無いと次は無いわけです・・・つまり、迷った挙句見送っていれば多分一生絵を買うと言うことは無かったと思われます。
 こういうことは単に余裕があるとかないでは無く・・・私などどちらかと言うと貧乏な方でしょう・・・気にいったもの・事にお金を出すかどうか。
  そういう習慣みたいなものを持つかどうかというところが分かれ道のような気がします。
 (お金があるから買うとか投資として買うのではなく、こういうところで出費があるので、貧乏からは脱出できないとも言えます・・・)

 最近のコミュニティの囲碁を見ていても多少そういうところがあるような気がします。
 公的なスペースを借りて自主活動ですから当然みたいに無料・・・当地には近所にこういう施設が2か所あります。(一つは高齢者専用、もう一つは誰でも)
 それに団地集会所をを利用したクラブなども。
 ですから近くの碁会所は立ちいかなくなって閉店したのも、そういう施設の影響が大きいと思います。
 利用者にしてみれば当然無料の方が良いので、遠くから毎日車で通ってくる人もいる・・・しかし、有料のところもそれなりに良い点はあった筈なんです。
 碁を打つ環境と言うか雰囲気は全く違う・・・当然ここに差が無くては有料の意味が無いですが。
 それに、定期的にプロが来て指導碁が受けられるとか、指導碁を観戦できるとかも。
 どちらにも良い点があったとしても、有料碁会所には経営問題があるので存続させていくこと自体が難しいと言えます。
 従って無料の施設のある近くでは成り立たなくなっていく傾向にあります。
  それにネット碁もありますし。
  
 プロの指導碁と言うと
  碁会所などでプロの指導碁など受けられる場合、有料でも教えて貰いたい人と、無料なら受ける人と、無料でもプロとは打ちたいと思わない人・・・いろいろいます。
 勿論有料と言う場合はポケットマネーから支払うわけですから席料とは別の出費にはなります。
 でも出費が嫌というより、趣味に出費して有料レッスンを受けるかどうか。
  例えばゴルフにしたって、きちんとプロのレッスンを受ける人もいれば、打ちっぱなしで少し打って、すぐにコースに出る人もいる。
 マアそういう習慣であるし、楽しみ方其々。
  財布に余裕がなければできないことですが、それと趣味に出費する習慣があるかどうかにも左右されそうです。
 子供の教育費には出費は惜しまないけれど、代わりに自分の趣味は切り詰めると言うこともあるでしょうし。

 物事を斜めに見てしまう癖ですが
  例えば囲碁祭りイベントで多面打ちの企画には希望者が多い
   趙治勲杯の時もトーナメントの合間なのに希望者が多かった。
 熱心なファンだと言えますが、プロに無料で指導碁を受けられる企画でもあるので、当然であるとも言えます。(まして趙治勲先生本人が打ってくれる場合もあるのですから)
 では、これが有料だったら?
  値段によるだろうか?いくらなら受けますか?

 1000面指導碁と言う事で、大盛況だったそうですが、大先生の記念であり囲碁ファン・囲碁のお祭りですし、そういうもので囲碁の露出度をアップさせるということでしょう・・・皮肉な見方をすれば盛況なのは当たり前でこれで盛況でなければ危機的です。

 現代生活と言うか、今は「無駄な出費はしない」「理由のないお金は出さない」という合理的な考え方が主流だろうし、そうしなければやっていけない時代でもありますが、一方で楽しみにお金を使う時代でもある。
 さて、趣味にかかる費用が無駄だと思うかどうか、どのくらいが許容範囲なのか、そこの辺りが問題です。
 更に趣味を持っている人は一つだけの人は少ないと思われりので、趣味の中で囲碁の占める割合も問題ですね。

 

序盤は心理戦を含みます

2009-10-15 17:39:31 | Weblog
 先月調子が最近に無く良かったのが、月が変わった途端に棋力のメッキが剥がれてしまいました。
 尤も知る人は知っている程度の棋力なので、「いずれは失速する筈」だと見ていたとは思う・・・イヤ、”見ている”と思うこと自体自意識過剰かもしれません。
 ともかく、幸運と言うものも許容量・総量が決まっているか、サイクル曲線みたいに動いているのではないでしょうか。
 私の場合”ちょっと幸運後ちょっと不運”見たいに、天気予報的な動きというか、、海の波の予報のうねりみたいな感じがします。
 ですから冷静になれる時は『ダメならダメでもいいから、最善を尽くすことで波の底を小さくして上の波に乗れるように』と思うのです。
 冷静になれる時に思う・・・のですからそういう教訓通りに行く時と行かない時はあるのです。
 不調の波をいかに小さくして上向きの波に乗ることができるか・・・それができれば自己MAX更新は出来ないにしても、自分の中では高値安定出来る・・・はず。
 まあ、タイムトライアルレースでは無くて相手のある戦いですから口で言うようにはいきませんが、原則はそうでしょうね。

 ところで今日の一局は序盤に心理戦含みみたいな気がしていました。
  特に立ち上がりが。
 手合いは私の白番で相手から2目半コミ出し。
  黒❶高目、この時私が感じたのは,もしかしたら私が地を好きなのを知っていて高く打ってきたか?、あるいはこういう注文相撲みたいな形が得意なのか?
  疑り深い性格なのか1手目で相手の性格・特徴について想像を巡らします。
  そして、対抗上性格に合わせた作戦というか方針を考える・考えようとするのです。
 結局白②はごく普通に星・・・ともかく相手の出方を見る。
  余り早く反応・過剰反応するのも相手の思う壺かもしれません・・・相手は自分から仕掛けるのではなく、こちらの反応と言う動きに合わせて反撃してくるでしょう・・・ですから様子を見て反撃を準備した方が良さそう・・・その辺のタイミングが遅すぎるのは良くないとは思いますが。
  黒❸は対角に高目:どうも私は試されているような気がしてきたが、あくまでも黒の動きを見ると言う感じで白④は残っている隅の星。
 「なーんだ、それだけ?」と言われると・・・それだけなんですが。
 黒❺は白の星に小ケイマかかり、白⑥一間挟み、黒❼3三振り替わり。
 どうも勢力も地もよこせと言っているような気がします。
  
  感じ方が正しいのか、ひがみっぽく斜めに見てしまうのかは分かりませんが、序盤は特に相手の心理と自分の気持ちの戦いがあるような気がします。
 そういう意味では、的外れであってもそれなりに楽しんで打てる・・・ある程度冷静の時はそれができるような気がします。
 ダメな時は自分のことも見えないし考えない。
  自分の都合が良いストーリーばかりが頭に浮かぶ。
 一見危ない橋を渡っているような碁でも、全体が見えていて先の見通しがある時は結果も好いようですが、快調に攻めているようでも山の見えない猟師の時は自分で落とし穴に落ちるようなところがあります。

 ともあれ、なんとか不調からの脱出の一局になると良いのですが。
 

言葉も文字も進化する?

2009-10-14 17:17:25 | Weblog
 漢字の読み方は決めごとであり、ルビをふるテストはそれを正しく憶えているかどうかを試している。
 当然決まりごと通りに出来なければ×
 子供の頃は漢字の試験で「重複」は「ちょうふく」でなければ×、それが今では「じゅうふく」でも良くなっている。
 元々二通り読み方があったのか、「じゅうふく」で×をつけられる方が多数派で「・・・でも好いじゃないか」「・・・のどこが悪い」「良いことにしよう」の声が多数派になって行ったのだろうか?
 マア、決まり事ですからそれでも良いけれど、なんだか悪貨が良貨を駆逐するみたいなイメージはある。
 そのうち、「ちょうふく」がそんな読み方は無いと×になったりして・・・。

 言葉もそうですが漢字の場合は仕事上困ることがありました。
  土地に関する仕事をしている時がありまして、申請書に謄本とか土地の登記簿が添付されて来ます。
 名字では気をつけなくてはいけない名字がありますね・・・例えば「わたなべ」さんとか「さいとう」さん。
 「なべ」に「渡辺、渡邉、渡邉」と三つあり渡部さんも読みが同じだったりします。
 同様に「斉藤、斎藤、齊藤」さんがいます。
  それで、申請書類と謄本類が一致していれば問題が無いのですが、本人が普段は登記と違い略字を書く癖があったり、代理人が間違ったり、本人の勘違いで何代か前に別の文字で登記されていたり・・・これがややこしい。
 こういうものを、単なる勘違いの範囲でOKとするか、表記が違うのだから本人とは認め難いとするか・・・土地の権利がかかっているのです。
 文字で言うと、冗談みたいな間違いもありました。
  広と言う文字・・・これが旧字では廣となりますが、これが案外間違いやすいのです。
 冗談みたいですが本人が間違って覚えていたり、出生届の際に役所で間違った形で受け付けていたり(要するに受付係も間違って)・・・代理人が正しい旧字で申請して、本人は文字の登録のない字で署名してあったり、こういう字で登記簿謄本に記載があったり・・・収集がつかない事もありこういう場合の取り扱いも困ったりしました。
 読み・ルビの変化はともかく、辞典に無い文字が発生したり増殖して行っては困ります。
 
 今はパソコンの普及率が高いのでこういう無い文字で書かれる間違いは無くなって来てはいます。
  代わりに増えているのが入力ミスと変換ミスで、これは判読クイズ・当て字クイズみたいになります。(偶然愉快な物が出来たりもしますが・・・)
 私も2,3回見直さないと危ないし、それでも間違えて入力してしまい指摘していただき、あり難いけれど恥ずかしいこともあるのですが、ともかく入力ミス・変換ミスがあります。
 例えば私くらいの年になりますとTVコマーシャルなどで飛び交っているハイテク関連の言葉など殆ど理解できないのですから、一瞬外国語の世界です。
 「ワンセグ」などと言われても、コチトラは携帯は通話出来てメールが出来れば他に期待していない・・・それなのにTVも写真機能も付いている。
 それで、人に聞いても分かりやすく説明してくれる人がいないので、ネットでパソコンなどの用語集で調べることになります。
  この場合私的ブログと言うより、辞典的な位置づけですから、私みたいなものにとっては書かれていることが真実・バイブルみたいなものです。
 解説を読んで理解できたとは言えませんが、多少は分かったような感じ・・・
  そういう意味で私にとってこういう用語集は辞典に当たるわけです。
 ところが、こういうものの解説文中に変換ミスがあったりするから・・・まあ今時の若者たちが作っているような雰囲気がしてくるので人間臭さはありますが、それでも私にとっては貴重な解説書ですから頼らなくてはいけない・・・。
 「子tなる」と書かれていて、一瞬「!?」でしたが、直ぐに「異なる」だろうと分かってしまう・・・慣れと言うか、私も多少同じ傾向があるのか、変換ミス仲間と言う事かも知れません。
 こういうはっきりしたミスは分かりますが、ミスなのかそうでないのか分からないものがあったら困りますね。

 話はガラッと変わって
  碁会所などでは、ゴロ合わせ的言葉が飛び交うことがあります。
 「アワヤノリコと言う時に・・・」とか「ダメクラチヨコになっちゃった」など・・・単に「アワヤと言う時」「ダメになった」と言えばいいのに、別に芸能人に恨みが無いしからかう気もないけれど、言葉として調子が出るようです。
 本人が聞いたらやはり眉をしかめますかね。
  でも、こういうたぐいの言葉はそれなりの年齢層が使うので、やがて使い手はいなくなる筈・・・死語みたいになるのは寂しい感じもします。
 そうでなくてもネット碁の方が盛んになれば、まさかこういう言葉をメールでやり取りはしないでしょう。
 尤も、プロの世界では昔梶原先生が言った言葉が残っているように、案外生き残ったり、時代とともに進化したりして・・・勝手な想像ですが、でもそんな気がします。

調子と棋力

2009-10-13 17:34:18 | Weblog
 連休の間、深夜から明け方にかけて何局観戦しただろうか。
  観戦も多すぎるとけっこう疲れるし、乗り物酔いみたいな観戦酔いがあるかもしれません。
それも私と同じくらいのレベル中心ですから、未舗装の林道を走るバス・昔の歌にあった「田舎のバスは・・・」みたいなもので、慣れれば平気ですが慣れないと酔ってしまう、あるいは慣れてはいても時には眩暈がするような・・・。
 見ていて疲れるなら見なければ良いのですが、そうはいかないのが碁キチ。
  ネットで自分の入っている実名サイトで丁度良いお相手が皆対局中だったので、その碁を数局観戦した後日本棋院の幽玄の間で観戦・・・ここは入場して観戦すると対局者の他には観戦者が一人でgesutとして色つきで表示されています。
 私以外に観戦者はいないようなので、それが私のことらしいのですがやはり25級表示でした(しつこい恨みブシみたいな感じ)。
 それはともかく、ネット碁のはしごで東洋囲碁(タイゼム)からパンダまで日本、東アジア、世界と駆け巡った気分・・・3連休中ですと寝ていられない性格。
 だからと言って昼間寝ているわけではないのです、『いやー、仕事と違って連休は疲れる」となる。
 普段仕事で忙しいパパが連休では家族サービスで疲れるように、私の場合は自分サービスで疲れるのです。

 さて観戦の中で感じたこと・・・観戦は野次馬ですから言いたい放題であるし、傍目八目ですから対局者より冷静に碁盤を見ているという面もあるらしいので、その辺は割引して聞いてください。
 勿論ひとりごとです。(先日どこかのブログで読んだのですが、負けた腹いせに面と向かって相手の悪口雑言を書き込む人がいるらしいのとは違います。)
 プロが番碁などの解説をする場合、他のプロも聞いているであろうし、尊敬とは別に多少の同業者的遠慮もあるようですが、ザルの場合は自分の棋力は棚に上げて遠慮せずに方向違いだろうが感じたままを・・・。
 ネットのその対局者は少し前までは私が常先か場合によっては2子置かなくてはいけないくらいの手合いの方々ですが、今日表示されているポイントを見ると逆に私が白でコミ無しくらいになっています。
 『これは一体!?』
  考えられるのは私が強くなった?・・・ということは考えられません・・・まだ自己MAX手前でウロウロしていますし。
 相対的距離、と言うことは、あの両者が弱くなった?・・・これが難しい。
  ポイント表示では下がっているので、負けが込んだから下がった=弱くなった?、かもしれないとは言えますが。
  でもその辺りがどこかダブルスタンダード、いやトリプルスタンダードのようなものがありそうな気がします。
 初めから正体不明のものを持ってくるのはおかしいけれど、人それぞれ変化・進化はあるでしょうが何かその人なりの本当の「棋力」みたいなものがあるような気がする。
 例えば、囲碁に関する知識・経験を盤面に反映できる力と言うか、碁の理解度と言うか深さと言うか幅と言うか・・・マアはっきりとは言えないけれどその人の持つ囲碁ランクのイメージと言うか。
 それに対してポイントの方はそういうトータルの力の結果・反映とはいえ勝負事ですから相手の調子、自分の調子と言うものが左右する事が多い。
 加えると、その時に対戦する相手との相性に恵まれたり、逆だったりでそういう事の巡り合わせとか、体調とか、仕事・生活・家族などとの関連でプラス・マイナス要因があったり。
 結局はトータルでポイントに表示されてくるので、ポイントが全てと見るか、「いやこの人はこのポイントでは無いぞ」と見るか。

 よく親が子供のテストの点数で「お前はやればできる子なのに」と叱る場合、「もっと努力しろ」と言っているのですが「テストの点数で表示された点数と本当の成績ランキングポイントとは違う」と励ましている面もあるでしょう。
 囲碁のポイントもそういうところがあるわけで、私が実感として自分より上手と思っていた人が、「では一局私の先で」などと黒石の碁笥をもたれたら逃げ出したくなる。
 楽番ならそれも好いですが、一応ポイントをかけているわけで、そういう向こう見ずな戦いはしたくないと言うのが本音です。

 従って、そういう人達の碁を観戦すると言うことは、「本当にこのポイントが適正なのか?」と考えながら見ることでもあります。
  自分よりどのくらい強そうなのか?、そうでもないのか・・・あるいは互い先でも打てそうなのかを感じることですから、かなり受ける印象と言う曖昧な物で物差しがはっきりはしない。
 碁は丁々発止、流石に実力がある人たちの戦いではある・・・それは感心。
  しかし少し、野球で言うとストレート系が多いような気もするし、露骨な変化球やブラッシュもあるような・・・。
 そういう意味では力はありそうだけれど、受け止めることができ、危ない弾は避ければなんとかなるかも知れない・・・その見極めが難しい。
 他人の碁を見ていて気がつくことと、自分で打つ時にそれが出来るかどうかは別な面がある。
 戦いが激しくなり・・・何か肝心なところが読み抜けているような感じで、そこを放置しての戦いが続き・・・有利だと思われていた方が見落としで逆転されて決着。
 さて最後の場面を見ると、やはり今の棋力はポイントに反映されていると言えそうではあるけれど、もし私が打つとなると、彼らは急に気持ちに余裕が出て、私などは一蹴されるような強さを取り戻すかも知れない・・・そこが怖いし迷惑な感じ。

狂って来ているゾ

2009-10-12 23:01:18 | Weblog
 棋力に関して単純に言えば強い弱いで言い表されるけれど、中身の要素としては調子が良いとか悪いとかもある筈です。
 普段、たいていの局面で気がつくような事が気がつかなかったり、そういうところで一心に考えていた筈なのに肝心なところが読み抜けていたり・・・それは一言で言えば弱い、あるいは要素的に調子が悪い。
 反対に、かなり細かなシノギの筋、それもそれいろんな手がありそうなところで、それしかないような細道を一番初めに気がついたり・・・それは見物人から見ると「ヤルジャン」的な感じだけれど、強いか調子が良いかは分からないけれど結果的には良い状態。
 尤も、こういうシノギ、あるいはきわどい攻め合いの場面で自分に都合が良い事を最初に考えて、幸運に恵まれればその道筋が結果的に正解なだけであったりするので、いつも思慮深いわけではないし、常に幸運に恵まれる補償もない。

 というわけで・・・何がどういうわけか分かりませんが、ともかくやることが上手くいかなくなってきている。
 後で考えると我ながら笑ってしまうような・・・イヤ嗤うしかないようなとんでもないことをやるのです。
 例えばかなり深刻な攻め合いで、両者命がけのコウ争い・・・そういう緊張の場面で私の取り番で、争点のコウではないところのコウ取ってしまい、相手は当然問題のコウ打ち抜く!・・・そこで気がついて即投了ならまだ救いがあるのですが。
 その時確かに異常に気がついた・・・と言うより『何故、打ち抜かれた』のかが瞬時にはりかいできず『どうして?もしかしたら相手はコウ連続して打ったのか?』などと感じているのですから救いが無い。

 今日のチョンボも酷いものでした。
  序盤かなりの好調な進行だったのですが、中盤で移るところで、私の隅の地と相手の中央の勢力の境目でコウの形が出来ました。
 定石の形でも、そういう場所は継がないで脱出を計る、あるいは道が見えればそこで生きてもいいし、場合によっては手間をかけて相手に取って貰う・・・。
 それが
  剣道で言えば大上段に構えた相手が気合いもろとも「えいッ!」と打ち込んだ弾みにつないでしまった。
 つなぐならつなぐで先の見通しが無ければいけないのに。
  気合いで打ちこまれた瞬間に気合いで(?)つないでしまった。
 全く打った瞬間目の前が真っ暗状態。
  ここから数十手は『もしかしてシノギが』という幸運探し、あるいはもっと下品に相手のユルミ待ち。

 マアそういう時にもう一人の私が『馬鹿なアマだな』と笑って見ていますが・・・
 その時考えた変な思いつき
「日本語を覚えたての外国人が、どこか変な日本語の覚え方、聞き取り方理解の仕方をした場合・・・今打っている局面を見て『ゲソ』と言う・・・その心は『ゲソ=イカの足』・・・イカの足=”イカガワシイの聞き間違い」なんて冗談にも笑い話にもならないことを考えたりしていました。
 結局『ゲソ』は中断し投了。

 ともかく我ながら感心するほど弱い。
  そして調子が狂って来ている。
 さてさてこういう時にはどうしたものだろう?
 

柿一つ

2009-10-11 09:57:05 | Weblog
 私のベッドサイドのワゴンの中に柿の実が一つ乗っかっています。
  たまたま通りかかったスーパーの店頭に並んでいたもの・・・一山幾らではなく一つ幾らで売っていた柿を二つ買ったうちの残りの一つです。
 こういう売り方でしたが特に大きくて立派な柿ではなく、ごく普通、強いて言えば甘くて種が無いと言うものですが、必要な分だけ買えるのでついでに買い物ワゴンに入れました。
 さて柿、秋ですね、気持ちが落ち着きますから秋は四季の中で一番好きな季節です、、、なんと言っても凍えるほどの寒さが無くて暑くないところが良い、、、勿論実りの秋ですし。
 柿についてはいろいろな思い出がありますが、ベッドの横に置いてある柿一つでいろんな事を思い出しましたので、大道の物売りではありませんが御用とお急ぎでない方は少々お付き合いのほどを・・・。
 
 横に置いてある本物の柿だけでなく、先日のTV番組も引き金になっています。
  NHKで2週続けて韓流ドラマ特集があって後編の方が例の「チャングム」で、料理に柿の実をかくし味に使う話が取り上げられていたのもきっかけになっています。
 TVの方は宮廷女官の師弟愛とか卓越した舌の能力の話になって行きますが、私の方は私の子供時代の母の思い出です。
 私は体は大きい子供でしたが、虚弱と言うほどではないけれどよく熱を出す子供だったようで、当時は薬局で抗生物質を売っている時代でしたので、よくそういう薬も飲まされたものです。
 それに母の手作りのせんじ薬。
  韓流ドラマのチャングムも医女になるので薬草を煎じる場面がありますし、他にもホジュンなどでもそういう場面が多く出て来ますが私にとっては道具は多少違いますが、あれも子供時代の見なれた風景なのです。
 ですから薬草を煎じる事、あの湯気と薬の臭いは何つかしいものがあります・・・そういう意味ではハーブティだっていろんなスパイスも同じだと思っています。
 さて、私が熱を出すと母が作るのは、ユキノシタなど庭に生えている草+キンカンに干し柿などを入れて飲みやすくして煎じる。
 特に上手いとも思えませんし、本当に薬効があったかどうかも分かりませんが、ともかく熱を出した時の定番。
 ただ、不思議なことに他の兄弟たちは飲みません。
  多分こういう煎じ薬が嫌いだっただけでしょうが・・・そう言えば母が飲んでいた実母散という煎じ薬を私だけは横から手を出していたのだから変わった子供だったのでしょう。
 マア、いやしいンボだっただかけか・・・でも当時は無かったのですが、考えて見れば今のウーロン茶みたいなものでした。

 柿と言えば、大学に入学して当地で下宿生活を始めた時に、近所の交番の庭に柿の木が一本植えてありました。
 秋になると枝いっぱいに実がなりましたが、まさか交番の柿を黙って頂くわけにはいきません・・・
 留守の多い交番で勤務している警察官は見たことが無いのし、横に丁度良い高さのブロック塀もあるのですが、流石に柿一つで窃盗と言うことはできなくて、イソップ調に『あれは渋ガキだぞ!』と唱えながら横を通ったものです。
 (今はその交番は廃止されて無くなっていますし、柿の木も無くなっています)

 柿と言うと修学旅行に関連した思い出があります。
 中学・高校と修学旅行は奈良京都方面・・・静岡から丁度良い距離・日程でもあるので(今風の海外は無いから)、普通に積立貯金をして丁度よかったのでしょう。
 さて高校の時は自由行動という形式が多くて、グループごとに計画を立てて半日単位で歩く・・・マア、レポートを出すのが面倒ですが。
 京都の場合は嵯峨野でして、解散してから決まった時刻に天竜寺の近くに集合と言うこと以外には後は自由行動。
 確か祇王寺、滝口寺、野々宮、落柿舎などを歩いた記憶があります。
  それで、落柿舎・・・名前に柿の字があるのでどうしても子規の句とごちゃ混ぜになってしまうのです。
 片方は法隆寺ですから奈良なので、明らかに嵯峨野とは違うのに。
  ともかく、秋・京都の旅・柿とくれば嵯峨野の竹林沿いの道とか、観光コースなのに小道・裏道みたいな所ばかり歩いた記憶が蘇ります。
 当時の印象では柿の方では無く野々宮の方が一番興味を持ったねで何かお守りでもと思ったのですが、「縁結び」「安産」だったので、男子高校生としては見送った記憶があります。
 
 ところで大学時代に愉快な後輩がいて、法隆寺の方の子規の句ですが、切り方を変えて読む・・・「柿食え、馬鹿メ、ガナルなり、法隆寺」。
 こういうのも一度聞くとあれから40年たっても忘れないのですから、記憶力と言うよりおバカな性格なんでしょう。

 柿の木で思い出しましたが、東北方面出身の同僚がいまして、彼の出身地では柿は殆どが渋ガキだったとかで、干すか渋抜きをしなくて食べられなかったそうです。 
 ですから木になっている柿をもいで食べるイメージが無いとか・・・
  さて渋ガキと甘柿の分布と言うのがあるのでしょうか。

 さて柿、柿の実を全部収穫しないで枝先に一つ二つ残してある景色。
 歌で言うと「モズが枯れ木で啼いている・・・」
  こういうのが原風景と言うのでしょうか、かなりレトロと言うか田舎嗜好と言うか・・・でもこういう風景の中で、藁ぶきの家で縁側で碁を打てたら幸せでしょうね。
 リアルでなくてもネット碁でも、お茶など飲みながら打てたら良いですねきっと。

ボケと囲碁のおかげ

2009-10-10 17:08:06 | Weblog
 先日他の囲碁ブログで「囲碁ボケ」のお題に初めて投書させて戴きまして、出来は自分でも恥ずかしかったのですが、初回記念みたいに新人賞を頂きました。
 子供の頃から、ボケたり突っ込んだり、ダジャレやら落とし話が好きでしたので、たいていの人から呆れられていましたから、賞を頂くなんて嬉しいことです。
 デキについてはだいぶオマケ付きだろうと思います・・・初参加の奨励賞と言うところでしょう。
 実を言うと、本当にボケていたようなところがあります・・・
 NHK囲碁講座が題材で、横田先生と稲葉さんの話の場面
 横田先生が稲葉さんに何か言う場面で台詞を考える・・・横田先生「あなたが驚いてのけ反ったらイナバウワーです」・・・後で読んでみると余りにも恥ずかしい。
 それはともかく、本当は続きがあって、稲葉さんの台詞が抜けています。
 稲葉さん「私は怒っているので、イナバウワウなんです」と続く予定でしたが、何故か半分で送信してしまいました。
 尤も通して見ても余りで出来が良いとも思えませんで、それなら短い方で良かったのかもしれません。
 この次はもう少し・・・但し次はビギナーズラックは無いでしょう。

 ボケる・冗談好きは子供時代から始まっています・・・当時はラジオの時代でしたが、好きな番組は落語の名人特選会とか寄席中継でして、町内会のバス旅行では車内で歌の代わりに落語。
 まだ古典落語・世話物などは出来ませんから新作もので柳亭痴楽の痴楽綴り方教室などをやっていました。
 話は横道にそれますが、それから30年後に出会った囲碁仲間が痴楽師匠の縁者だったり・・・それだけのことではありますが、縁と言うものは面白いです。
 さてそういう変な子供でしたが、母方の祖母が喜んでくれるのが励みになっていました。
 この人は、当時の女の人にしては大柄な人で、踊りが大好きでしたがそういう体型でしたのでいつも男役・・・陽気なおばあちゃんで私の好き理解者。
 尤も祖母の家はベーカリーでしたので、おやつにパンを貰えるという実利もありました。

 最近は努力をしないでもボケられる危ない年になってきていますが30才頃の話です。 
 当時ロッキード事件がありました・・・(この時流行語になった言葉に関連)。
  その頃私は小さな商事会社で働いていまして・・・本社は東京ですが私は千葉勤務・・・小さな会社ですから就職に際しても社長と話し合ったくらいで、その後も時折社長から直接指示が来るような感じでした。
 若い社員で幹部社員と言えば聞こえが良いが、パートさんとか臨時社員が多い会社でしたから正社員=幹部みたいなもので、今の「名ばかり店長」と変わらない感じです。
 ある時社長から電話がありまして「俺だけれど、この間話しておいた件はどうなった?」
 私「?・・・」何のことかさっぱり『突然そんなことを言われても何のことやら・・・』
 私はその時何か答えたらしいが何を言ったかまるで憶えていません。
  (後から考えるともしかするとそういうのが社長のテストだったのかも知れないと・・・こちらの反応テスト?)
 ただひたすら『私には覚えのないことです』『俺は無実だー』と思いながら、電話を切るわけにもいかず汗をかいていたという記憶はある。
 さて実際は社長が誰かに話したことを私に話したと思い込んでいたのかもしれないし、指示したつもりがまだしてなかったのかもしれません。
 それでも「私の記憶違いだった」とか「勘違いだった」とは言ってくれません。
 後日、社長から「こいつはなー(私のこと)俺に堂々と『記憶にございません』と言いやがった」・・・マア面白がっていたのですが、本当に私がそう言ったのかどうか”記憶にない”。

 当時は、まだ子供がいませんで、平日の昼間は仕事ですが、夜は誘われれば麻雀、土日は中山時には府中と言う生活。
 これでは何か寂しいと、市内で見つけた囲碁道場に通い始めた頃。
 その後、取引先の重役に誘われて会社を移りましたが、そこの会社の社長が大の囲碁好きで、経営者のサークルで囲碁を楽しんでいる人。
 私もまだまだ大した棋力でも無いのですが社長に4つ置かせたり・・・。
 当時も囲碁人口は少ないので、仕事を越えて社長とは囲碁のつき合いが出来たり、社長が囲碁サークルに出かける時には送って行く役を頼まれたり・・・尤もそれで出世したり給料が多くなったりと言うことは無かったですから実利は無し。
 でも居心地が良かったということは言えます。
  ボケと囲碁でやってこれたようなところはありますね。

退職後余命?

2009-10-10 00:18:33 | Weblog
 外回りの仕事の帰りがけにOB達が何人か勤務している会社にお邪魔してコーヒーを御馳走になりました。
嘗て碁会所である企業の囲碁クラブのOB会(月例会)のお手伝いをしましたが、彼らの話題はまず仲間の消息、その家族を含めた健康のことが殆どでした。
  私もその頃は若かったので、『他に話題は無いのかな』と思いましたが、この年になってみると、よく分かる・・・私もあの年代になってしまったということですね。
 さてお邪魔したのは、私の知り合いでは無くて今日コンビで仕事をした相棒の方の嘗ての仲間なので、私は専らコーヒーを飲みながら、彼らの話を聞くだけでしたが、そこで少し恐ろしい話を聞いてしまいました。
 何処までが真実か分かりませんし、かなりオーバーな感じはしますが・・・皆定年直前か、定年後に再就職をしている年令ですから話題は健康・病気のこと、仲間の消息、高齢の両親の介護の話などですから、話し込むほどにテンションが下がりがちですが、その中で、定年後の余命のことが話題になりました。
 だれかが、昔の職場の医務室の医師に「先生、定年後の余命は平均どのくらいですか?」と質問したところ「そうですね4,5年でしょうか」と言う返事だったとか。
 マア、そういう人もいるかも知れませんが幾らなんでも平均がそんなものとは思えません・・・何かの聞き間違いか、きっと何らかの条件がある筈、そうでなければ今の高齢化社会にはならないと思うのです。
 ただ仕事をしている時代に気力・体力が擦り減って燃え尽きてしまった人が、定年後何もしないでいるとそういうことも起こり得るということはあるかもしれません。
 あるいは定年までに、体力・気力を摩耗してしまうと定年後も再就職もせず、あるいは何かの活動もせずにそうなるのかもしれないし・・・いや一種の燃え尽き症候群で、何も出来ないのかも知れません。
 定年後仕事も趣味もない人は危ないのかも知れません。
  従って囲碁を楽しんでいる事でボケ防止以上に、命を落とさない事につながっているのかも・・・少々オーバーですが。

 そういうことが仮に事実としてあったとしても、私に限っては自分を摩り減らしてまで仕事をしようとは思わないので、その点は安心。
  中学校時代の先生の教訓で「100点を取れなくても好い、常に70点、80点取れれば大したものだから」と言うのをしっかり胸に刻んでいます。
 遊びと若い頃のチェインスモークではすり減らしたかもしれませんが、それなら仕方が無いと諦めるしかない、でも未だ遊び足りない気分ですから、あっちの世界からのお迎えの方には待っていただきたい。
 仮に「道半ば・・・」「薬石の効なく・・・」みたいなことがあったとしたら、きっと最後の言葉は「まだ遊び足りないゾ」という恨みごとでしょうね・・・他には考えられません。

 話は脇道ですが、先日事務所で所管する公園で自殺の遺体が発見されるという事件がありました。
 朝発見した人は驚いたでしょう。
 警察で身元を調べると、その方は県外の人でまだ25くらいの若者だったらしい・・・。
  悲しいことですが、本人しか分からない事情があったのでしょう、でも「若い盛りをもったいない」と言う気持ちです。
 私がそのくらいの年令の頃は、眠る時間も惜しんで遊んでいた時代でしたが、もしかしたらその頃の勢いで今まで生きてきているのかもしれませんから、そういう意味では、遊ぶパワー=生きるパワーなのかも知れませんゾ。
 この年になってもこれで十分と言う事を知らないのですから、欲張りな物ですが、それが無いと危ない?のかもしれません。。
 若い頃は競馬+麻雀+囲碁が3本柱でしたが(他にゴルフなども少し)それだけで忙しい・・・とても仕事をしている暇は無いのですが、これは食べて行くためにはい方が無い世間の義理みたいなものです。
 本業は楽しむことですが、これが十分に楽しみ尽くしたとは思えない。
 最近では囲碁を打ったり、囲碁の観戦、サッカーをTVかスタジアムで見て、本を読んで・・・暇そうに見えて結構忙しい。
 ですから、体力のない分行動にスピードが無いので、時間は若い頃より切実にたくさん欲しい。
  余命は幾らあっても十分ではありません・・・鬼に嗤われようと。

台風一過

2009-10-09 04:06:42 | Weblog
 まだ台風のまっただ中の地方の方には申し訳ないのですが、とりあえず当地と言うか、私個人としては被害も受けず無事でしたので喜んでいます。
 これが公共放送ですと、内心ホッとしていても素直にと言うか露骨に喜んではいけないのです・・・。
 昔、朝のお天気の放送で,あるアナウンサーが「心配されていた大型台風がそれて良かったですね」という具合にやったところ、丁度その時台風の真っただ中の地方から即クレームが入ったそうです。
 他人の不幸は自分の幸せではないのですが、マア配慮に欠けた発言と言う事で、恐らく始末書ものだったでしょう。
 でも、心理的には分かりますね。
  悪気があったとは思えないし。
 クレームの方も、「一言、言っておきたい」という感じだったでしょう。

 私にも少し似たような経験があります・・・私は自分の事をクレーマーだとは思っていません、念のために。
 ある時、丁度サッカーのリーグ戦が終盤に来て面白くなってきた頃の時期に、我が贔屓チームの実況放送が予定されていました。
 ところが、放送の始まるほんの少し前にある地方で地震が発生。
  公共放送ですから、当然各地の震度を伝えます・・・それが震度2とか3なのでそれほど熱心に伝える必要があるのか疑問もあります。
 それなのに・・・サッカーの試合が始まっているのに、放送の方は「震源は○○、各地の震度は○○・・・」と延々と何度も繰り返すのです。
 30分たっても地震の震度を放送・・・こういうのは私みたいな性格の人間には耐えられない事なのです。
 生まれて初めてNHKに電話して「どうなっている?」「どこかで被害が出たか、その恐れのある地方があるのか?」「何故実況中継をやらないの?」言わずには居られなかった。
 電話して、クレーム係に適当にあしらわれると分かっていても言わずにはいられない・・・一種の子供的性格なのか、やはりおとなの知恵が身についていないと言うべきか。

 台風の話に戻ります
  未明には風と雨がが強くなりましたが、ネットには殆ど関係ない筈なのに、何故かいつもより待ち合い室が閑散としていました。
 まさか暗いうちに近所の見回りとか、台風対策で家の強化と言うことでもないでしょうが、遊んでいる人は少ない。
 要するに何が起きても、休養をしっかり取っておくと言う真面目な人が多いのでしょうね。
 私みたいに、地震が起きても揺れながら碁を打とうと言うようなズボラな人はいないのでしょう。
 尤も昔と違って台風接近に備えての準備と言うのはある?
  ニュースではラフランスの収穫を早めているとか、リンゴが心配とか・・・農産物など本当に心配ですね、せっかく1年がかりで育てた成果ですから。
 収穫時期の泥棒とか、その時期の災害とか。
 
 子供時代には台風ともなれば窓と入口の外から雨戸代わりに板を釘で打ちつけたものです。
 父と兄が作業して、私はアシスタントでしたが。
  補強用の木材はその辺りに幾らでもあったので、いつでも直ぐに出来ましたが、マアそういうことが必要な家に住んでいたということですね。
 今は鉄筋コンクリートの建物で強化ガラスですから、ただ鍵を閉めるだけ。
  後は通風孔とその周りのコーキングだけ。

 昔の台風一過、やはり抜けるような青い空。
  その時のイメージが残っていたために大失敗。
 総合病院に心電図の器具を外しに出かける時は日差しがあるような天気ですから、これは「台風一過」だと思いこみました。
 ところが途中で雲いきが怪しくなってきて、少し小ぬか雨のようになり、間もなく病院に着く寸前で嵐のような土砂降り再び!。
 完全に騙されたと言うか、思いこみによる大チョンボでした。
  ところが帰り道は再び、台風一過の日差し・・・今度は本物でした・・・それにかなりの強い風があったので、先ほど濡れた服がみるみる乾いてしまいました。
 全く忙しい日でした

  風は強かったですが、流石に夕方には治まってきました。
 さあ今夜はネット碁で打つぞ・・・でもその前に7時からサッカーの放送があった。
 
 PS.
 サッカーは安心して見ていられました。
  故郷のいつもはオレンジ色のスタジアムがブルーになっている・・・見慣れないのでなんとなく変でしたが、でもいつもの芝の感じでボールの転がりを楽しく目で追いました。
 さてサッカー終了、入浴完了、いざネット碁・・・勢い込むと危ないけれど。

嵐の夜中に

2009-10-08 04:16:20 | Weblog
 8日の午前2時半にふと目が覚めました。
  この表現はかなり曖昧で、もしかしたら事実とは違うかもしれません。
 と言うのは年令的に夜中に目が醒めやすい年代だし、宵の内に眠ってしまったので丁度この時間が朝までの中間地点なので、ちょっと一服みたいな感じで目が覚めるのかも知れません。
 若い頃と違って、眠るのにも体力が必要ですから冗談みたいですが休み休み眠らなくてはいけないわけです。
 尤も、今日の場合は窓の外で雨風の音がしていますから、そういう外的な要因と、明日の朝予定通りに動けるかの心配をしているので、やや天候に敏感になっている面も有ったでしょう。
 さてネットで天気を見ると・・・2時半現在の雨がレーダーの画面みたいな感じで表わされていますから、それと天気図の今後の台風の進路予想と重ね合わせて見れば素人でもだいたいの予測は出来そうです。
 しかも3時に見た時は3時現在の図になっている・・・当たり前のことかもしれないけれど、リアルに見れると言うことはすごいと思いました。
 しかも朝4時には新しい台風情報が出るので、これで今日の朝の予想が出来そうです。

 今朝は総合病院に9時にはついて、体にセットした器具を外せば、仕事は午前は休みの届を出してあるので昼までは予定が無い。
 台風さえなければかなり気楽な日になる予定でしたが、どうなる事やら。
  しかし、家のドアに何かが当たる音がしました・・・これは外のバイクの音からして新聞配達の音のようです・・・こういうことからすると、私の病院の心配は少し贅沢な心配みたいな気がしてきます、なんだか恥ずかしいような。

 ところで、ネットでは・・・深夜の対局はある。
  勿論ネットですから天気には左右されることは無いから当たり前ですが。
 これがリアルだとどうか?
  昔、碁会所の常連だった頃の経験で言うと、実はそれほどの影響は無かったと言うか・・・客足は普段よりは多少は減るものの、常連は集まって来るのです。
 一旦碁会所に来てしまえば、後は碁を打つしかないわけですから、外が台風でも世間様とは関係が無いという感じです。
 逆に「こういう日に来ないなんて碁キチの風上にも置けない」みたいな感じです。
 さて今日のネットの方は、流石に深夜ですから入場者はソコソコいるものの、対局は少ない時間帯です・・・もう少しすれば早起きの人の対局が始まるでしょう。
 ともかく対局中の部屋に入って観戦。
  名前を見て楽しくなりました。
 人の名前で楽しくなると言うのも失礼ですが、しかし・・・
  変な名前とかそういう事ではありません。
 ただ、名前が将棋のプロの先生と同姓同名。
  住んでいる所からすると同じ人では無い筈ではあるが。
 それで、その方の棋力が私と打つとするといくつか置いて頂くことになります・・・と言うことは、仮に同じ人だったらと想像すると楽しくなる。
 将棋のプロの高段者が、囲碁の方は私たちと同じレベル?。
  そういうことはありそうで、無さそうな。
 昔どこかで、そういう先生もいると言う事を聞いたことがあるような・・・つまりプロの先生なんですが、囲碁に関してはザル仲間の人。
 ウーム「将棋会館では囲碁の話はするな」と言う事を何かで読んだことがあります。
 つまりプロの将棋の先生たちには、囲碁好きの先生が多く囲碁についてはウルサイとか・・・専業の将棋については職業的なつき合いですが、囲碁は趣味なので遠慮などしないから下手なことは言わないに限るのだそうです。
 さもありなん。
  でも、中にはプロの将棋棋士で囲碁はザル仲間の人も居たって・・・。
 考えると、私の初めの囲碁の先生は元将棋の棋士でした。
 但し、中国将棋のチャンピオンだった人と囲碁を打って、私よりは少し強い程度・・・尤もこれは本腰を入れればかなり強くなりそうな気はします。
 さてさて、外は激しい雨風の音・・・ネット対局者の名前だけで勝手に盛り上がってしまいまして、パソコンに入力している変なジイサマです。
 今、女房殿が部屋の戸を開けて私の様子を見て「ァラ、起きているの?」と言って戸を閉めて行きました。
 私がいつも部屋の明かりをつけたまま眠るので、彼女が勝手に消灯係・・・本当は無事に棲息しているのを確認して行ったのかも知れませんね。

明日、台風?

2009-10-07 12:02:24 | Weblog
 水曜日の夜にはサッカーでは珍しい中断試合の続きが行われる予定なので、これは是非TVではあるけれど観戦しなくてはいけないと思っています。
 勝敗はどちらでも・・・ただ、興味があるのはこういう設定の際の選手のモチベーションです。
 通常なら90分で燃焼し尽くすような感じで試合に臨むのでしょうが、この試合に限ってはせいぜい20分程度と言う時間的制約があり、且つ追いかけるチームにしたら2点のビハインドを背負っているのですから、短距離走のような試合の入り方をすると予想できます。。
 普通は試合が始まって10から15分で試合の流れができて、試合が落ち着く感じがあるのですが、この場合はそういう流れは考えられません。
 攻める側が激しければ、受ける側も激しくならざるを得ないかも。
 息を継がせないようなレース展開の場合、案外90分と同じくらい、あるいは、経験が無いようなレース配分ですからいつもより疲れるのではないかと心配はしています。
 それと、先日は悪天候によるピッチコンディションの極端な悪化と言う事で一時中断しているのですが、今日の再試合もまたコンディションが心配される。
 全く皮肉な巡り合わせになっています。
  もし万が一前回と同じくらいにピッチ不良となったら・・・

この試合もそうですが、木曜日にはアジアカップの試合が予定されているのですが、台風絡みと言うことでは、こちらの方が心配な感じです。
 これは、もしかしたら台風の真っただ中?
  いやー、幾らなんでもそうなれば、中断か延期か、いずれにせよ国際的な問題にならないように解決して貰いたいですね。

 そういう事を考えていたら・・・サッカーは観戦するものの自分でプレイするわけでは無いので、そういう意味では他人ごと的な気の揉め方・・・自分に関する心配を忘れていました。
  通勤チャリが台風の影響を受けないで走れる保証は無い。
 雨はカッパを着ればなんの心配もない・・・見てくれとかファッションとかを心配する年では無いし、周りもこちらを見ないのでこれは安心。
 でも自転車としては風が問題。
  風速20メートル?・・・それは勘弁して欲しいけれど、お願いする相手がいないので困ります。
 もし自転車が無理で歩き+電車にしたとしても、電車が予定通り動いていたとしても歩くのが片道20+25分=45分かかる・・・しかも強風の中を歩く?

 これだけで十分に心配であることに気がつきましたが、実はもっとありました。
  
 先日元大臣が突然亡くなられましたが、死因としては循環器系の疾患が考えられるとか・・・私の場合もそういう危険性を発見するために毎年24時間心電図検査を行っています。
 これは体に電極を付け、心臓の動きを記録する道具を首から下げている形で24時間の経過を記録します。
 それが水曜日の朝・・・セットが水曜日の朝ですから、その回収・取り外しは木曜日の朝と言うことになりますが、これがもしかしたら台風とドンピシャ?。
 総合病院に行って器具をはずしてから出勤する・・・さて、予定通り出来るのか?・・・心配してもどうしようもないけれど。

 そういう心理状態は良くないと見えて(直ぐに責任を転嫁しますが)、ネット碁はこのところ3連敗。
 大きな目標まで、一時2ポイントだったのが、これで勝ちポイント5と遠ざかってしまいました。
  越すに越されぬ川と言うか、壁と言うか、そういう意味では仮に自己最高到達点を段位として名乗るならこの壁の立っている地点でしょうか?、流石に虫が良すぎる気がしますが。
 プロ・アマを問わず、段位認定の場合は到達最高位ですね、将棋も囲碁もそうですね。
 将棋でA級の棋士がB1に下がっても段位は下がりません。
  囲碁だって、9段の先生が年を経て8段・7段にはなりません。
 でも点数制ですと、点数が変動すると点数換算での目安としての段級も変動します。
 アマの場合一局の中でも棋力が変化・ブレている場合もあるから、そういう変化があって当然なのかも・・・と言うことは段を名乗ると言う事は難しい?
 「私の段は通常、日本棋院のネットでの○段から○段の間にあると考えられます」なんていう表現が正しいようだけれど、それではこの辺りの事情を知らない人には何のことなのか分からないでしょうね。
 ますます囲碁と言うものは不可解だと思われるかもしれない・・・
  いずれにせよそういう心配より、明日の台風がどうなるのか。
 心配してもどうにもならないけれど、心配な物はどうしようもない。