葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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新宿駅西口超高層ビル街は淀橋浄水場跡。「戦時改描された淀橋浄水場地図」

2017年10月11日 | 歴史探訪<軍都新宿・市谷刑務所>

今朝のしんぶん赤旗学問・文化欄「統制された文化」に>地図 防諜の名のもと「戦時改描」<の記事が掲載された。
著者は今尾恵介氏(1959年生まれ。日本地図センター客員研究員。日本国際地図学会評議員。「地図で読む戦争の時代」ほか)

記事には1937年に修正された東京府立川町(現東京都立川市)を描いた5万分の1地形図と非改描図がある。
管理人は新宿区白地図に徳川尾張家上・中・下屋敷跡に出来た陸軍諸施設をマッピングした。これは2001年頃に制作したが、「新宿区平和マップ」発刊のきっかけとなった。
このマップの片隅に、1911年東京府豊多摩郡淀橋町・大久保村地図と1941年に淀橋浄水場が「沼地」に改描された地図を貼り付けてある。

『 現在は都庁などの高層ビル街になっている新宿駅西口にかって存在した淀橋浄水場も改描の対象で、水を濾過する池などが整然と並ぶエリアは、池が点在する公園のような地域に偽装されていた。
しかしその描き方がどことなく不自然な印象なのはーこれは私が勝手に推察しているのだがーそれまで国土の姿を正確に図に表現することを生業としていた陸地測量部員がウソを描かされた憤懣が、わざと下手に描くという「ひそかな抵抗」として表れたのではないだろうか。』との記述がある。

記事は『「地図を隠すことは戦前の日本に限ったことではなく、グーグルマップが世界を覆う今でも国によっては行われている。国家やその軍部の一部が「防諜」の名のもとに重要な情報を独占し、国民に判断材料を与えないことが、どのような結果を招いたかは歴史が証明しているが、とりわけ「特定秘密保護法」の存在する現在の日本にあって、本質的にこれは過去の話ではない。』と結んでいる。



この地図には「戦時改描図」は未だ入れていない



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