目黒区にあった国立予防衛生研究所が老朽化したので、新宿区戸山二丁目に国立感染症研究所の建設が始まった。ところが1989年7月22日に工事中に謎の人骨が大量に発見された。その数は100体を超えたが、警察は発見された人骨が古いものであったことから「事件性はない」と発表。国は速やかな焼骨・埋葬を計画した。発見場所は国立感染症研究所の敷地内であったが、ここは太平洋戦争中関東軍第731部隊を率いた軍医中将石井四郎が在籍していた陸軍軍医学校跡地であったため近隣住民及び研究者は戦争犯罪に関係があるのではないかと指摘し、新宿区は焼骨差し止めを求めたうえで専門家に調査を依頼した。
鑑定を引き受ける専門家探しは難航したが、最終的に国立科学博物館新宿分館に勤務していた人類学者佐倉朔氏は、札幌学院大学教授となったので鑑定することになった。『佐倉鑑定』によって、発見された人骨には銃創痕や実験的な手術の痕などがあることが明らかにされたのだった。
人骨が発見された建設現場(元新宿区議川村一之氏提供)後ろの建物は国立栄養研究所(戦前は軍医学校軍陣衛生学教室)
管理人が作図した軍医学校重ね図
発見された人骨は、新宿区百人町にある葬儀社「公営社」の地下に保管された。
2002年7月21日「人骨の会」(軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会:代表常石敬一 現在は川村一之)主催の「人骨発見13周年記念講演会」が戸山サンライズで開催された。
講演会の終了後、佐倉朔教授は公営社の地下で鑑定をしている写真アルバムを見せながら次のように語った。
「毎週土曜日に飛行機で札幌から公営社の地下で鑑定をした。日曜日には札幌へ戻った。人類学者として人骨には向き合ってきたが、たった一人で地下室で鑑定をするのは気味が悪かった。」
「佐倉鑑定」はここをクリックしてください。
アルバムの写真を見ている神奈川大学常石敬一教授(当時は会の代表)と川村一之元新宿区議(現在は会の代表)
公営社地下の人骨鑑定現場(管理人がアルバムを撮影した貴重な写真)
(続く)