葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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アジア・フォーラムの靖国ツアー

2007年10月02日 | 歴史探訪<靖国神社>

 強い雨が降り肌寒く感じる日だった日曜日(9月30日)にアジア・フォーラムhttp://www.geocities.jp/asiaforum2002/主催の靖国神社ツアーのガイドでした。約束の午後1時に大鳥居の下に行くと10人ぐらいだと言われていましたのに27人もの方が集まっていましたので史料が足りなくなってしまいました。

 遊就館の見学後、感想交流会で分かったのはWAM(女たちの平和と戦争資料館http://www.wam-peace.org/main/)のメーリングリストで告知したので参加したというシニアの方が沢山いました。

 参加者のひとりであるWE21ジャパンhttp://www.we21japan.org/の理事長さんから感想文を頂きましたのでご紹介します。

『雨の寒い一日でしたが、「靖国ツアー」に参加してきました。
生憎の天気にも関わらず、参加者27人。
大学生が10人程いました。
約4時間かかって、靖国神社の全てを説明してくれたのは、「東京の戦争遺跡を歩く会」の長谷川順一さん。
長谷川さんのわかり易い語り口は、靖国神社の歴史に加えて、遊就館のパネル展示などで見られる彼らの歴史認識と見解は、今、権力で動かそうとしている日本の政治と外交をも想像できるものでした。
今まで、平和政策チームや読書会などで、靖国神社に関わる本は 読み、課題などを掴んでいましたが、実際に説明を受け、観てみると、それらが現実となって戦前と今の日本とが、だぶってきました。
戦後GHQの命令でコンクリートで塗られていた戦争を称える大灯籠の青銅レリーフが、1957年に復元されていたこと、天皇は靖国神社に現在は参拝していないけど、春秋の例大祭日には、代理として勅使が参拝していること(それも、昔からの宮中貴族の衣装を着て列を組んでの参拝)、戦前の春の例大祭日(4月30日)は陸軍の英霊招魂儀式の日であること、秋の例大祭日(10月23日)は海軍の英霊招魂儀式の日であること、青銅製の第2鳥居は大阪砲兵工廠が鋳造、神門は第一徴兵保険相互会社(後の東邦生命)、大灯籠は富国徴兵保険相互会社(現在のフコク保険)が献納したこと、 62基ある石灯籠には全て「奉納 華族」と明記されていること・・・など、靖国神社の特異性が、至る所に見られました。
さらに「遊就館」1階ホールには、海軍零式戦闘機・榴弾砲などが飾られてました。
「大東亜戦争」は、アメリカなどからの資源輸入停止によって、日本国民が生きるために資源を止むを得なく東南アジアに求めたものである・・というのが、「遊就館」でのビデオとパネル説明でした。
また、「アメリカは対日占領政策として…憲法・教育基本法の制定で日本の弱体化を図った。」とパネル展示されてました。
ここに、靖国神社の憲法改悪への見解がみえます。
さらに・・驚くことに、今でも日赤看護大学の卒業式には戦時中の救護服を着ているという・・・。
知らないことが、まだまだたくさんあります。
歴史から見える事実を知らずして、平和の道を進むことはできない・・と痛感しました。大変有意義な4時間でした。』

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