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「七十年目の伝言」 一億円の棺桶“回天” 田中直俊(元海軍上等飛行兵曹・回天菊水隊員)

2015年08月18日 | 歴史探訪その他
「70年目の伝言」
 一億円の棺桶“回天”

 田中直俊 (世田谷区北烏山二丁目)元海軍上等飛行兵曹・回天菊水隊金鋼隊員(89歳)


 私は16歳だった、昭和18年11月(旧制佐賀県立鹿島中学5年生)『7つ釦は櫻に錨』に憧れて、第13期甲種飛行予備練習生(予科練)に志願しました。
 佐世保海軍基地で受験、適性検査、体格検査とも見事合格。歓呼の声と日の丸の旗に送られて故郷の佐賀県杵島郡白石町の駅を山発、三重海軍航空隊奈良分遣隊に入隊しました。隊内での移動はすべて駆け足、歩くことは許されませんでした。
 辛かったのはモールス信号の受信で、欠落3字出すとバッタ(軍人精神活入棒)と呼ばれる樫の棒で、間達えた数だけ尻を打たれて尻が真っ赤になり、便所にしゃがむ時の激痛が忘れられません。
 予科練の課程も1年で終了し、次の課程である実践部隊(飛行練習隊)へ派遣される直前、昭和19年8月1万2千名の練習生が大講堂に集められました。
 隊長が「戦局はますます厳しくなってきた。この戦局を挽回させるには新兵器が必要で開発されたのでこの中から100名を選抜する。希繋するものは名前の上に◎をつけること」と。私は飛練に入隊しても、赤トンボ(旧日本陸軍の複葉機「九五式一型中間練習機」)まで特攻隊に出撃していると聞き、それなら新兵器のほうが面白いと◎をつけました。
 選考基準は意志強固、機敵性、融通性があり、家族編成が長男以外のことなどであったようです。
 奈良分遣隊から大竹潜水学校で座学を受け、人間魚雷『回天』の発祥地、山口県周南市(旧・徳山市)の大津島に派遣され、上陸するやいなや『回天』が目の前に横たわっていました。
 『回天』は九三式魚雷を改造したもので、命中すれば空母も撃沈、動力は液体酸素と石油、内部からのハッチは開閉不能、特眼鏡あり、伊号大型潜水艦の甲板に固定されます。
 先任将校の訓示曰く「お前たちは幸せ者だ。1機1億円もする棺桶に入れるのだからだ。」と。
 訓練は「停泊艦攻撃」「巡航艦攻撃」と進みましたが、訓練中にも犠牲者が出ました。以後、山口県光基地、平生基地、大分県速見郡日出町大神基地と移り、第二特攻戦隊所属「大神突撃隊」となりました。
 搭乗員は秘密を漏れないようにと外出が許可されていませんが、出撃直前になると「錨」のマークが付いた「衛生サック」を渡され、遊郭に行って遊んできなさいと言われました。私は禁断の実を食べたら出撃の気持ちが削がれると思い辞退しました。海軍は変なところに親心を出すもんだと思いましたが、恋人も居ましたので童貞を守りました。(敗戦後、恋人に逢いにいったら、中学校の二年先輩と結婚していました。)
 出撃は伊号大型潜水艦の甲板に6基乗せて出撃します。出撃回数は32回、搭乗員は140名。私の部屋も6個のベットがあり、4人は出撃し、次回は私達2人だと出撃を待っていました。その時考えていたのは、死後は「地獄」と「極楽」があるが、お国のために命を落とすのだから「極楽」に行けると自分なりに悟っていました。
 その頃、海軍の潜水艦は米軍の魚雷と機雷に殆ど撃沈されて回天を乗せることが出来なくなりました。沖縄県にも米軍が上陸したので、本土にも上陸することを想定し、海岸近くの丘に地下格納壕を掘り、レールの上に回天を取付けました。米軍上陸用舟艇が襲来すれば搭乗員が乗り込みレールを走って海中に潜行して「特攻」するようにと命令され、次回は私達と覚悟して毎日待機していました。
 8月15日基地内で玉音放送を聞き、残念なことに終戦となり、復員命令が出ました。ところが基地内で「ポン、ポン」と銃声が聞こえますので行って見ると、戦友4人が生きて帰れないからなのか、天皇陛下に申し訳ないと思ったのか分かりませんが、自分が乗るはずだった回天の前で、ピストルの筒先を額にあてて自害したのです。私は父親が一人で農業をやっていましたので復員して手伝おうと白石町に帰郷しました。
 18歳の夏のことでした。
 若い140名の冥福を祈るとともに、生き残った私は先の大戦に散った尊い命を犬死にさせないため、恒久平和のための人柱になりたいと思います。
 いま、安倍政権が憲法9条の解釈をねじ曲げて「戦争法案」を国会に提出していますが、私は予科練で教官から教えてもらったことを思い出しました。
 それは海軍陸戦隊(現在の米軍海兵隊と同じく上陸部隊)が敵地に上陸する時は、植民地の台湾人、朝鮮人の兵隊を先に上陸させて「弾よけ」にしました。彼らに「鉄砲の弾は前からだけではないぞ。後ろからも弾が飛んでくるぞ」と脅かしたそうです。
 アメリカは志願制ですから兵隊を集めにくいので、戦場では自衛隊員を「弾よけ」にするために「集団的自衛権」でアメリカに協力するのではないかと考えています。こんな法案は絶対に反対です。(続く)
大分県日出町「回天大神訓練基地記念公園

光人社NF文庫小島光造著「回天特攻・人間魚雷の徹底研究」より


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