友人の川口重雄さんからのメールを転載します。
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全国各地に残る忠魂碑・忠霊塔、全国で一番多く建設されたのが群馬県(104基、現存65基確認)とは知りませんでした。
子どものころには、忠魂碑と忠霊塔の違いもよく分かりませんでした。
忠霊塔は塔の下部に納骨庫があります。
日露戦争の凱旋門が全国に2カ所残っています。
2017年8月、「日本ところどころ紀行」で鹿児島県姶良市下名1179番地の凱旋門を訪ねました。
火山灰が固まった溶結凝灰岩を利用した「山田の凱旋門」といわれる凱旋門が出来たのは、日露戦争(1904~5年)後の1906年3月。
旧・山田村兵事会が造った「門旋凱」と刻まれた門の先の100段ほどの階段を登ると、招魂社がありました。
西南の役、日清・日露・大東亜戦争の戦没者約1200人を祀り、脇には慰霊碑が林立していました。
靖国神社に祀られていない西南戦争の西郷軍の犠牲者を、日清戦争以後の犠牲者と同等に祀っているのが、鹿児島ならではと思いました。
政府側犠牲者の慰霊碑はありませんでした。
考えてみれば、わずか143年前の出来事です。
地元の人にとって傷口は癒えていない、歴史になっていない歴史なのではと思いました。
旧・山田村の凱旋門は2001年8月、国の登録民俗有形文化財に指定されています。
2018年11月24日、静岡県浜松市引佐町渋川の六所神社参道の入り口に立つ「凱旋紀念門」(ここも右から左に文字が刻まれている)を見学しました。
旧・引佐郡鎮玉(しずたま)村渋川(後の引佐町渋川)にレンガ造りでこれも1906年3月に建てられました。
2002年国の登録有形文化財に指定されています。
日清戦争の8千8百人の犠牲者(死傷者)に対して、日露戦争は8万8千人の犠牲者(同)を出しました。
全国津々浦々に犠牲者の家・家族があり、多くの国民が外征の凄惨な現実を知りました。
だからこそ国は、東京をはじめ全国に帰国した兵士を迎える凱旋門を建てました。
今や全国に2つしかない凱旋門ですが、コロナ後にお訪ねください。
それでは。川口重雄拝
各位 8月12日〔BCC、本日第2信〕
8月7日第2信で、静岡県浜松市引佐町渋川に残る日露戦争「凱旋紀念門」の写真をお送りいたしました。
2017年8月31日に訪ねた鹿児島県姶良市(旧・山田村)「凱旋門」の写真をお送りいたします。
それでは。川口重雄拝
(了)