NHKスペシャル ドラマ 東京裁判「第一話」~「第四話」が昨日で終わりました。
>70年前、世界から集まった11人の判事が「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに取り組んだ「東京裁判」(極東国際軍事裁判)。NHKは世界各地で取材を行い、判事たちの公的・私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。そこから浮かび上がったのは、多様な背景をもつ判事たちが、激しい議論の末にようやく判決へ達したという、舞台裏の姿だった。11人が繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマン・ドラマを全4話で描く。<
東京裁判に関する書籍は何冊か読んできたが、重厚で内容が濃いこのドラマを観て、東京裁判が世界史・日本史における大きな役割を確認できました。
全員無罪の意見を出したインドのパル判事を、天まで持ち上げ「東京裁判は戦勝国の復讐の儀式である」と論じている靖国神社の薄っぺらな歴史観でアジア・太平洋戦争を展示している「遊就館」はこのドラマをしっかりと見て欲しいと感じました。
YouTuber「NHKドラマ東京裁判
防衛省「市ヶ谷記念館の展示改善に関する請願」の賛同人である立命館大学名誉教授赤澤史朗氏の著書「岩波ブックレット 東京裁判」から「少数意見の存在」を引用します。
・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
東京裁判では、多数派判決以外に五種の少数意見が存在した。これらの少数意見が法廷で朗読されることを弁護側は要求したが、この要求は拒絶され、少数意見は速記録にも掲載されなかった。五種の少数意見のうち、多数派判決に反対したのはインド代表パル判事、フランス代表ベルナール判事、オランダ代表レーリンク判事の意見であり、多数派判決を基本的にみとめながら補足的に自己の見解をのべたのはオーストラリア代表ウェッブ裁判長、フィリピン代表ジェラニラ判事の意見である。この五種の少数意見のあいだには、あまり共通点はみとめられない。それでも特徴的な論点をあげれば、つぎの点であろう。
第一は、当裁判所が極東国際軍事裁判所条例にたいする審査権を有しているかどうかの点である。多数派判決はあっさり審査権はないと否定していた。しかし、フランス代表ベルナール判事とインド代表パル判事のふたりは、本裁判所が条例にたいして審査権があることをみとめている。こうした少数意見は、東京裁判がどこまで国際法に立脚し、人類普遍の法に立脚しているれを考えてみようとする姿勢にもとづいたものであった。
第二は、天皇の戦争責任の問題である。フランス代表ベルナール判事は『木戸日記』の記事を引用しながら、太平洋戦争開戦の主要な責任者は天皇裕仁であり、他の共犯者がそのかわりに処罰されるのは不合理であると論じた。また、ウェッブ裁判長は、天皇の免責は「すべての連合国の最善の利益のために決定された」とみとめながら、大きな責任のある天皇が免責された点は、他の被告の量刑にさいして考慮に入れられるべきだとのべている。天皇の不訴追、免責という事実は、東京裁判のもつ政治的性格や訴追の不公平さを端的にしめすものであった。
第三は、アジア人からの視点である。中国代表判事を除いて、アジア人の代表はインド代表パル判事とフィリピン代表ジェラニラ判事のふたりだけであった。それにしてもこのふたりの少数意見ほど対抗的な意見はなかった。インド代表パル判事のそれは、極東国際軍事裁判所条例を批判し、被告全員の無罪を訴えたのにたいし、フィリピン代表ジェラニラ判事の意見は、パル判事の意見を非難し、多数派判決の量刑は、寛大すぎて犯された罪の重大さにふさわしくなく、みせしめにもならないと、より重刑を要求した。また、パル判事が原爆投下は連合国の犯した戦争犯罪だと訴えたのにたいし、ジェラニラ判事は原爆の使用は正当な行為だと主張している。
こうした両極端の意見は、直接日本軍の支配をうけたフィリピンと、日本軍の支配をうけなかったインドというちがいにもとづくものであった。しかし、たんにそれだけでなく、ここには、近代の長い期間を通じて、アジア人が日本にたいしていだいた期待と怨恨のふたつが、くっきりとした姿をとってあらわれていたともいえよう。
・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
市ケ谷記念館の展示改善に関する請願
一 請願の趣旨
「市ヶ谷記念館」とは、防衛省庁舎B棟西側にある施設です。本記念館を構成している旧1号館大講堂は、極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)法廷の遺構であり、平成10(1998)年、防衛省(当時は防衛庁)が港区桧町から新宿区市谷本村町の現住地に移転する際、市ヶ谷台旧1号館保存運動がおこり移設復原したものです。 現在、防衛省は本記念館を中心に見学ツアーを実施していますが、現行の展示は東京裁判の歴史的重要性を伝える内容とは言えません。市ヶ谷台旧1号館保存運動の目的及び、その運動の結果、参院本会議で採択された「歴史が刻まれた建造物としての1号館の保存に関する請願」(1994年)の趣旨が東京裁判の歴史的重要性にあったことは明白であり、これを踏まえると本記念館の現状は誠に遺憾な事態です。 2010年11月21日、ドイツ連邦共和国は「ニュルンベルク国際軍事裁判」法廷上階に「ニュルンベルク裁判記念館 Memorium Nuremberg Trials」を建設しました。同館では実際に使用された被告席や当時の映像資料のみならず東京裁判の展示もあります。その開館式典では独外相は「過去を知らずして、過去から未来のために学ぶことはできない」と述べ、世界史上で重要な役割を果たした裁判をその現場で後世に伝えていく意義を強調したと伝えられています。このようなドイツの姿勢を鑑みるとき、なお一層、私たちは本記念館の現状を座視することができません。 本記念館を構成している旧1号館大講堂は、戦前、陸軍士官学校、大本営陸軍部等に使用された第一級の「戦争遺跡」でもあります。「防衛庁の市ヶ谷移転」という偶然の結果、しかも、本来は消滅する運命であったにもかかわらず、奇跡的に生き残ることができたのです。先の大戦の「裁き」を受けた場所が<防衛省>構内に現存するという事実は世界でも類例がなく、歴史的、文化的、政治的にも見ても貴重な施設です。 本年は東京裁判開廷70周年に当たります。私たちは、以下、列記したように「市ヶ谷記念館」の展示内容をその歴史的重要性に相応しいものに変更し、有効活用を図ることが目下の急務と考えます。何卒、貴院でご審議くださるようお願い申し上げます。
二 請願事項
1 極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)の裁判官、検察官、弁護人、被告人の肖像写真とそのプロフィールを館内に展示すること。
2 極東国際軍事裁判所憲章などを含め、裁判の経過を図示し、その中で検察官の主張、弁護人の主張、被告人の主張、裁判官の判決を館内に展示すること。
3 東京裁判に関する内外の公刊資料を収集し、館内に展示すること。
4 東京裁判に関する映像資料(記録映像)を館内で上映すること。
5 「市ヶ谷記念館」設立の由来に、歴史が刻まれた建造物としての1号館の保存に関する請願採択(平成6年1月)がなされたことを明記すること。
6 大講堂内に当時の法廷を復原すること。
以上
遊就館前の広場に建立されている「パル判事顕彰碑」
防衛省市ヶ谷記念館内の陸軍士官学校講堂の壁に貼られているアジアの地図(東京裁判法廷で使用された)
陸軍士官学校一号館
最新の画像[もっと見る]
- ドラム缶と戦争犯罪 16分前
- ドラム缶と戦争犯罪 16分前
- ドラム缶と戦争犯罪 16分前
- ドラム缶と戦争犯罪 16分前
- 【戦後80年】歌謡曲「憧れのハワイ航路」 1日前
- 「靖国神社ガイド資料」を改訂 1日前
- 「靖国神社ガイド資料」を改訂 1日前
- 「靖国神社ガイド資料」を改訂 1日前
- 「靖国神社ガイド資料」を改訂 1日前
- 「靖国神社ガイド資料」を改訂 1日前
大森捕虜収容所(現在の平和島競艇場)では食糧難だったので看守が畑で野菜を作らして食べさせたそうです。その時に牛蒡の問題が起きたそうです。
観たことがあります。
不公平だという意見もありますが、
侵略国だった、敗戦国だった、
という自覚のない人が多いようです。