1954年3月1日太平洋ビキニ環礁で操業をしていたマグロ漁船第五福竜丸は、アメリカの水爆実験による死の灰によって23人の乗組員が被爆しました。
友人の川口重雄さんのコメント『「2月22日朝刊各紙には、「池田正穂さん死去」の記事が載りました。ああ、もう乗組員で生きておられるのは3人きりだ(23人のうち)、何とも言えない感情が込み上げてきました。そして添付した記事を読んで、改めて乗組員の「その後」の過酷な人生を思いました。大石又七さんの主宰する「築地にマグロ塚を作る会」(小生も末席に連なっております)は活動を続けています。』>『毎日新聞』2月27日号夕刊「第五福竜丸事件66年」の記事<
>国立医療センター創立150年展示パネル「ビキニ環礁で被曝した第五福竜丸の乗組員治療」<
「築地にマグロ塚を作る会」が、昨年9月23日に神奈川県三浦市三崎港でフィールドワークをしました。
大石又七さんは、入所している油壺の高齢者施設から参加されました。
今日は大石さんをお見舞いに伺う予定でしたが、新型コロナウイルスのこともあって外出を控えていますので、用意した手土産は本日到着するように発送してあります。
友人の川口重雄さんからメールの追加が来ましたのでアップします。