管理人は今月16日に「不浄門について」三重県県史編纂グループに下記のメールを送信した。
『初めまして
「防空壕」のサイト検索から訪問しました。私のブログには都市計画道路埋蔵文化遺跡調査で防空壕跡が発見されました。http://blog.goo.ne.jp/akebonobashi1937/d/20100723
貴館が「防空壕」などの貴重な歴史遺産を調査研究されていることに敬意を表します。
さて私は昨年11月に東京から金沢に移住しました。東京でボランティア歴史散策ガイドをしているときは、松坂市立松坂中学校の修学旅行生徒の平和学習で「731部隊の歴史を訪ねる」として新宿区戸山付近を案内したことがあります。皇居東御苑をガイドしているときは通用門である「平川門」とそこにある「不浄門」を案内していました。金沢城にも「不浄門」があるかと色々調べましたがありませんでした。
貴博物館所蔵の文献に「不浄門」がありましたら教えて頂きたいと思います。宜しくお願いします。』
本日返信があり、津城にも不浄門があったことが判明した。金沢城の不浄門についてはさらに調べていく意欲がわいてきた。
『長谷川 順一 様
お問い合わせのメールをありがとうございます。三重県 県史編さんグループ と申します。
お問い合わせの「不浄門」でございますが、本県内の近世城郭について自治体史などを調べました。
そうしましたところ、「津市史」 第三巻 第八編 第二章 第一節 「津城概要」に
・・・出入りの城門は三ヶ所で、北は京口門、西は伊賀口門、南は中島門(中島口門)であった。死体や罪人等は中島門(中島口門)に限って出入を許したので、この門を俗に不浄門といった。
という記述があり、中島口門(原文中の「中島門」は「中島口門」の誤り)が不浄門であることがわかります。
県内の他の近世城郭(桑名城、亀山城、上野城、松阪城、鳥羽城ほか)につきましては、それぞれの自治体史を調べました範囲では、不浄門の記述はなく、不明でございました。