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下北沢で《3年後の「3・1独立運動、五四運動の100周年」を祝う夕食会》

2016年03月01日 | 憲法・平和・人権・防衛
【2016年3月1日、下北沢で開催する《3年後の「3・1独立運動、五四運動の100周年」を祝う夕食会》の開催趣意書】
せた連の梁田貴之さんが主催する夕食会に参加します。
これまでは3・1ビキニデーに関心があり、焼津の集会にも参加してきました。管理人のカテゴリーには「北東アジアの平和」をつくっていますが、北東アジア問題を考えたとき、尹奉吉(ユボンギル)と安重根のことを忘れることは出来ません。都立蘆花恒春園内蘆花記念館にある安重根の書は大変重要な展示品だと思っています。


2年近くにわたり、東アジアの近現代史のテキストを勉強してきて2015年8月の戦後70年の安倍首相談話を聞いて、長々歴史を語っている中で二つの根本的な問題があると感じました。一つは、歴史に関心持つほとんどの人々が指摘する点ですが、日露戦争について触れながら、あの戦争が韓国・朝鮮の植民地化と表裏一体の関係にあることについて明確に触れていなかったことです。

もう一つは、第一次大戦について触れる際に、世界の潮流として反植民地主義の流れが生じていたことについて触れながら、わが国がパリ平和会議でドイツが中国から奪っていた権益を、中国に返還することに反対してわが物にしたこと、またその年に民族自決主義の潮流に期待して起こった3・1独立運動を弾圧したことに触れていないことです。

今からほぼ100年前の1914年に第一次世界大戦がはじまったわけですが、その翌年にわが国は「対華21カ条要求」を発出し、つまりは欧米列強から独立を守るために明治維新後に近代国家国家を形成したわが国が、中国や韓国と手を携えて欧米列強からアジアの国々の独立を守るという立場ではなく、自ら帝国主義勢力の一角となって、アジアに自己の権益を拡大する道を明確にしたと言えると思います。

私は、アジアに生きる一人の日本人として、100年前にわが国が国家路線を誤ったということを明確にし、本来は近隣諸国の人民と手を携えて民主、独立、平和のアジア諸国の協力を作り出すべきだったと明確に認識することが重要であると考えます。

3年後の2019年はパリ平和会議、ベルサイユ条約の100周年であり、同時にその年は第一次大戦後の民族自決の潮流に期待し、韓国・朝鮮の民衆が3・1独立運動に立ち上がって100周年の年であり、また3年前に誕生したばかりの若き大国・中華民国の覚醒した北京の学生たちが、第一次大戦の敗戦国ドイツに奪われていた利権を、日本が横領することは認めまいと立ち上がった五・四運動から100周年の年です。

私は、この100周年について、私たち日本人が韓国・朝鮮の人々、中国の人々がこれを祝うのを無関心のうちに、あるいは敵対的な感情の中で過ごすのであれば、それは大きな機会を失うことになるのではないかと思います。

私は2019年の3月1日と5月4日を、大日本帝国が大きく歴史の歩みを誤った年の100周年記念日として銘記し、韓国・朝鮮の人々、中国の人々が民族主義の下に立ち上がったことを「日本帝国主義は日本、中国、韓国・朝鮮人民共通の敵である」と言いきるところまでいけるかどうかはともかくとして、お互いの国の人々と、また自らの歴史と対話する契機にすべきだと思います。

そこで、3年後に迫った「ベルサイユ平和会議、3・1独立運動、五四運動の100周年」に向けて、啓発活動、記念活動を展開する皮切りに、今年2016年3月1日に、東京近郊に住む日本人が呼びかけ、韓国・朝鮮人、中国人などの同志が平等の立場で集う夕食会を開催したいと思います。奮ってのご参加をお願いいたします。

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