世田谷区ピースセミナー「軍事施設の移転と世田谷(日比谷→青山→代々木→駒場・駒澤 大山街道に沿って)」世田谷生涯大学専任講師濱中正之氏のパワーポイントとレジュメから
Ⅰ.明治維新直後の東京の軍事施設
1.皇居・首都防衛 内乱に備える
① 皇居周辺の軍事施設
② 西南の役と近衛兵の反乱
明治初期の主な軍事関係事件
慶応4年 2月20日 新政府直属軍御親兵を創設。
(1868) 4月11日 政府軍江戸入城。旧幕府軍彰義隊、市中の警護を任務とした巡察を行い、政府軍と相対する。
5月15日 政府軍、彰義隊の討伐を開始、その日の内に江戸市中を完全に掌握する。
明治元年 9月14~22日 政府軍、会津若松城総攻撃。会津藩降伏。
2年 5月 榎本武揚ら降伏、箱館戦争・戊辰戦争終結。
8月 東京市中の治安警察を各藩市中取締兵から府兵とした。
3年 8月 山縣有朋ら帰国、軍政改革に着手。
10月 兵制統一布告。海軍は英式。陸軍は仏式。
4年 2月 薩摩・長州・土佐3藩より御親兵1万を徴集編成。
4月23日 東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)設置。
7月14日 廃藩置県。全国が明治政府の直轄となる。
8月20日 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。東北(仙台)・東京・大阪・鎮西(熊本)の4鎮台を置く。
5年 3月 御親兵を廃止、近衛兵を置く。
6年 1月 9日 名古屋鎮台・広島鎮台を設置、6鎮台制となる。
10日 徴兵制施行。
7年 2月 佐賀の乱(江藤新平)起こる。3月平定。
9年10月 神風連の乱(熊本・太田黒伴雄らの敬神党)、秋月の乱(福岡・宮崎專之助ら旧秋月藩士、萩の乱(前原一誠)相次いで起こる。
10年 2月15日 西南戦争起こる。9月24日西郷隆盛自刃。
11年 8月 竹橋事件、近衛砲兵200人余人論功行賞及び減俸を不満として反乱。
21年 5月12日 鎮台を廃止、師団に改組。
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岩倉具視邸前の「警視一分署」は近代デジタルライブラリー「開化 東京方角」で見ることが出来ます。濱中氏がパワポで説明してくれました。
【注】中山忠能邸を青線で囲みましたが、明治天皇の生母中山慶子が父親忠能と暮らした大邸宅です。明治天皇は内壕を渡った西の丸が住居となります。
「中国の父」と慕われている孫文(孫中山)は、亡命時代、支援者の平山と京橋の宿屋に宿泊したとき、宿帳に偽名を書こうとしたとき、今通ってきた大きな屋敷に「中山」と書かれた表札を思い出して「中山樵」と記帳しました。その後「孫中山」と名乗ることになりました。
Ⅰ.明治維新直後の東京の軍事施設
1.皇居・首都防衛 内乱に備える
① 皇居周辺の軍事施設
② 西南の役と近衛兵の反乱
明治初期の主な軍事関係事件
慶応4年 2月20日 新政府直属軍御親兵を創設。
(1868) 4月11日 政府軍江戸入城。旧幕府軍彰義隊、市中の警護を任務とした巡察を行い、政府軍と相対する。
5月15日 政府軍、彰義隊の討伐を開始、その日の内に江戸市中を完全に掌握する。
明治元年 9月14~22日 政府軍、会津若松城総攻撃。会津藩降伏。
2年 5月 榎本武揚ら降伏、箱館戦争・戊辰戦争終結。
8月 東京市中の治安警察を各藩市中取締兵から府兵とした。
3年 8月 山縣有朋ら帰国、軍政改革に着手。
10月 兵制統一布告。海軍は英式。陸軍は仏式。
4年 2月 薩摩・長州・土佐3藩より御親兵1万を徴集編成。
4月23日 東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)設置。
7月14日 廃藩置県。全国が明治政府の直轄となる。
8月20日 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。東北(仙台)・東京・大阪・鎮西(熊本)の4鎮台を置く。
5年 3月 御親兵を廃止、近衛兵を置く。
6年 1月 9日 名古屋鎮台・広島鎮台を設置、6鎮台制となる。
10日 徴兵制施行。
7年 2月 佐賀の乱(江藤新平)起こる。3月平定。
9年10月 神風連の乱(熊本・太田黒伴雄らの敬神党)、秋月の乱(福岡・宮崎專之助ら旧秋月藩士、萩の乱(前原一誠)相次いで起こる。
10年 2月15日 西南戦争起こる。9月24日西郷隆盛自刃。
11年 8月 竹橋事件、近衛砲兵200人余人論功行賞及び減俸を不満として反乱。
21年 5月12日 鎮台を廃止、師団に改組。
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岩倉具視邸前の「警視一分署」は近代デジタルライブラリー「開化 東京方角」で見ることが出来ます。濱中氏がパワポで説明してくれました。
【注】中山忠能邸を青線で囲みましたが、明治天皇の生母中山慶子が父親忠能と暮らした大邸宅です。明治天皇は内壕を渡った西の丸が住居となります。
「中国の父」と慕われている孫文(孫中山)は、亡命時代、支援者の平山と京橋の宿屋に宿泊したとき、宿帳に偽名を書こうとしたとき、今通ってきた大きな屋敷に「中山」と書かれた表札を思い出して「中山樵」と記帳しました。その後「孫中山」と名乗ることになりました。