東京大空襲・戦災資料センター(館長・吉田裕元一橋大学教授)と米戦略爆撃機B-29の資料を投稿します。
東京の四大母子像(上野公園時忘れ時の塔・戦災資料センター・浅草寺まんしゅう母子像・靖国神社母子像)
本土を初空襲したB-26
本土初空襲によって早稲田中学校の小島君が犠牲となった。「新宿区平和マップ」より
米国は1941年からB-29の研究開発を進めましたが、完成後は欧州戦線では飛行しませんでした。
当初は、中国の飛行場から飛び立ちましたが航続距離の制限から北九州地方しか爆撃できませんでした。サイパン・テニアン・グアムを占領して飛行場を整備してから本土を爆撃するようになりました。
硫黄島を占領した米軍は、マスタングP-51をB-29爆撃機の援護機としました。アメリカは(いおうじま)と発音しました。
1945年11月1日を目途に米軍は、南九州上陸のオリンピック作戦
1946年1月のコロネット作戦。第10軍は九十九里浜に上陸、第8軍は相模湾に上陸
世田谷区玉川神社地下の地下壕(上川あや世田谷区議の提供)
第8軍が二子玉川を渡河すると考えて地下壕をつくったと考えただろうと、管理人が作図しました。
(了)