友人の川口重雄からのメールの一部を転載します。
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各位 11月4日〔本日第1信〕
お早うございます。
三連休2日目の今朝も多摩川河畔は雲一つない快晴の空が広がっています。
▼昨日11月3日(金)は午後2時からwam(女たちの戦争と平和資料館)主催の連続セミナー「天皇制を考える」の、第12回栗原俊雄(毎日新聞記者)「日本の近現代史からみる天皇制と勲章」を聴講しました。
早稲田奉仕園(AVACOビル2階)のオープンスペースは定員40名が満席状態で、講演90分に休憩をはさんでの栗原さんへの質疑応答が4時40分まで続きました。
昨日の〔BCC〕通信で述べた通り、祝日の決め方(広く言えば暦による天皇制のしばり)と勲章制度(天皇制のもとでの国民の人物評価)は、まっすぐつながっています。
「軍人・軍属には戦後60兆円が補償金として支払われたが、戦災で亡くなった人、傷ついた人には一銭も支払われていない。
戦後補償についてはこれまでも何度も話して(講演して)いるが、勲章制度について話すのは初めてだ」と述べて、栗原さんは講演を始めました。
日本国憲法第7条(天皇の国事行為)「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」として10項目の国事行為が挙げられています。
そのうちの「七、栄典を授与すること」に基づいて勲章制度があります。
【戦後の勲章制度】
1946年5月3日:幣原喜重郎内閣が閣議決定で、生存者叙勲制度を廃止する。
1946年11月3日:日本国憲法公布(第7条天皇の国事行為で「栄典を授与すること」)
1963年7月12日:池田勇人内閣が閣議決定で、生存者叙勲制度を復活する。
1964年4月28日:池田勇人内閣が第1回生存者叙勲発表(4月25日、戦後初の戦没者叙勲を発令)
1964年4月29日:生存者叙勲復活、最上位の勲章「大勲位菊花大綬章」は吉田茂に昭和天皇から与えられる(親授)。
旧・吉田派の「吉田学校」卒業生と言われた池田が、吉田に与えた。
1964年12月4日:佐藤栄作内閣がカーチス・ルメイに「勲1等旭日大綬章」を授与することを閣議決定、12月7日ジョンソン基地(現・航空自衛隊入間基地)で授与。
東京大空襲(1945年3月10日、2時間半の空襲で約10万人が死亡)など無差別大量爆撃を指揮したルメイに、「航空自衛隊育成の功績」により与えた。
溜め息が出るような戦後の勲章制度の、ほんの始まりの歴史です。
《参考文献》栗原俊雄『勲章-知られざる素顔』(岩波新書、2011年)
【友人から届いた情報4点】
1.NHK「こころの時代」アーカイブ 2回シリーズ「ガザに暮らして」Eテレ5時~6時 11月5日(日)、11月12日(日)など
NHKの友人から、ガザを知るためにと。
2.映画『ガザ』11月6日(月)12時まで無料視聴できます。
3.「叙勲はリーズナブルな国家の統治道具だ--『勲章』を書いた栗原俊雄氏(毎日新聞学芸部記者)に聞く」『東洋経済』2011年5月27日号
4.「叙勲の元閣僚「旧統一教会に恩義」 日韓トンネル団体トップ就任」『毎日新聞』2023年11月3日号
5.「自民と旧統一教会「ウィンウィンだった」と元閣僚 今後の関係は」『毎日新聞』2023年11月3日号
3、4、5は栗原さんの講演を同席して聴いた友人から届きました。
これらも勲章制度の参考文献です。
6.「杉田水脈氏「私は差別をしていない」新たな動画が波紋 かばう岸田首相 差別発言は法的に止められないの?」『東京新聞』2023年11月3日号
昨日の〔BCC〕通信で言及しました『東京新聞』11月3日号「こちら特報部」の記事です。
PC音痴の小生には何をどうしてよいか分かりませんが、友人が送ってくれました。
杉田水脈氏もいずれ衆議院議員を辞めた後には叙勲が待っているのでしょうね。
ただし、田中角栄のように裁判で係争中に亡くなると叙勲は見送りです。
と、このところ祝日と勲章の話題ばかりでごめんなさい。
それでは。川口重雄拝
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「人骨の会」事務局「女たちの戦争と平和資料館」ボランティアの島村英子さんが川口重雄さんと同じ講演会に参加されてFacebookに投稿されていましたので転載します。
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本日はお日柄もよく(笑)勲章についての講座をお聞きしてきました。m(_ _)m