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遺棄毒ガス調査団は吉林省敦化市で日本人残留婦人と会いました

2022年09月21日 | 化学兵器問題

2004年4月1日、小野寺利孝弁護士が顧問をしている会社の社長戸口好太郎(故人)さんが、遺棄毒ガス裁判の新聞記事を見て、「実は敗戦の時に、毒ガス弾を中国に埋めてきたのです。」と証言してくれました。早速「中国人遺棄毒ガス被害損害賠償請求弁護団」は、関東軍第16野戦兵器廠時代の戦友小林利男(故人)さんも同行して中国吉林省敦化市の現場調査に向かいました。

雨中の現場で、小林さんと戸口さんから毒ガス弾を土中に遺棄した証言を聞いている小野寺利孝弁護士。

現地の中国人ガイドは、マイクロバスの調査団を、日本人が住んでいるからと小屋に案内しました。

そこには、日本人残留婦人がたったひとりで生活していました。小野寺弁護士が聞いたところ、日本に帰国するのは諦めているそうでした。小野寺利孝調査団長、山森良一弁護士、藤澤聖弁護士、榮田明典弁護士は幾ばくかの紙幣を置きながら、何時までもお元気に暮らしてくださいと励まして小屋を離れました。

声をかける山森良一弁護士。山森弁護士は「きれいな日本語を話したこと、終戦当時18か19歳だった事は覚えております。」と言われています。

父親と母親の写真。

調査団の中国メディア記者会見。左から榮田明憲弁護士、山森良一弁護士、藤澤聖弁護士、戸口好太郎氏、小林利男氏、通訳李楼氏

是非ご視聴ください。

【テレビ番組のお知らせ】9月24日(土)22:00 〜22:50  N H K総合    NHKスペシャル「中国残留婦人たちの告白 〜二つの国家のはざまで〜

・・・・・・日中国交正常化から今月で50年。日本と中国のはざまで人生を翻弄されてきた「中国残留婦人」37人の200時間に及ぶ証言映像が見つかった。ソビエト軍による性暴力や、文化大革命の混乱、帰国後の冷遇など、国策によって強いられた不条理な人生が生々しく語られていた。番組ではわずかに存命する婦人を探し出して新たに肉声を記録。日中の内部文書などから両国の歩みをたどり、中国残留婦人たちの証言からその人生を見つめる。

(続く)

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