葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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歴史探訪「靖国神社・外苑」

2024年10月10日 | 歴史探訪<靖国神社>

■「社号標」の「別格官幣」■富国徴兵保険のレリーフ■尼港殉難の碑■常陸丸殉難記念碑■田中支隊忠魂碑

尼港殉難の碑(絵葉書)

万世橋駅前の広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像

解体第一号として新聞に報道され、川口市の鋳物工場で溶解された。

官幣大社だった日枝神社の社号標

「元」と小さく刻印していた。

松陰神社の社号標は「府社」のママである。

鉄骨に銅板を貼り付けたので大鳥居が斑になっている。

腐食したので銅板を止める鋲が参拝客の頭に落ちてきた。危険なので東条英機陸軍大臣の許可を得て解体し、檜の仮鳥居を建てた。

①1921年 笠木30m高さ21m ②1943年 檜 笠木10.9m高さ8.6m ③1974年 笠木34m高さ25m。①と③は日本一だったが、現在高さでは第6位である。

「清国から鹵獲した狛犬」台座の文字

普段の境内は、お嬢様学校と謂われている白百合学園の生徒が登下校する静かな佇まいである。

ところが、毎年8月15日の境内は異様な雰囲気となる。

調布市議会議員

境内中央では、英霊にこたえる会と日本会議主催の戦没者追悼中央国民集会が開催される。

中央広場となってからの「中央国民集会」のテント

午後三時ごろから九段下交差点は「反天皇制デモ」と在特会等右翼団体で混乱する。2010年8月15日九段会館屋上から撮影。

「華族」が献納した境内左右62基の灯篭と大灯篭がある。

続く)  (戻る

 

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