厚生労働省医政局国立病院課企画調整官は、7月1日「戸山5号宿舎跡地発掘調査結果」について概要を公表した。
『旧陸軍軍医学校の跡地(新宿区戸山)に埋められたとされる人骨について、その有無を確認するため、諸準備及び事前調査(試掘)を経て4月21日から行ってきた発掘調査が6月30日に終了し、その結果、人骨は確認されななかったものである。
出土物
(1)江戸時代の物と思われる陶器
(2)明治から昭和時代の物と思われる陶器
(3)旧陸軍若しくは旧陸軍軍医学校で使用されていたと思われる陶器
(4)明治から昭和時代の物と思われる建物の基礎、瓦礫及びコンクリート片
今後について
当該地は、国有財産の普通財産であり、今後厚生労働省として使用する予定がないため、所用の手続を経て財務省に引き継ぐことになる。』
(参考)に、これまでの経緯として『平成18年6月、旧陸軍軍医学校の元看護師から「国立国際医療研究センター宿舎が所在する近辺に人骨を埋めた」との新たな証言があり、当時の厚生労働大臣が調査を約束した。』ことを付言している。
同日、「人骨の会」は『何よりも厚生労働省が元看護師の証言によって、戦争犯罪の物証が埋められている可能性のある土地の発掘調査を実施したことは「人骨」が発見されなかったとしても高く評価できるものである。戸山5号宿舎跡地の発掘調査は終了したが元看護師自身が「人骨」を遺棄するのを手伝ったとされる口腔外科技工室前の調査が残されている。この地は財務省の国家公務員住宅(若松住宅)の敷地内にある。当地の速やかな調査を望むものである。』というコメントを発表した。(厚労省と人骨の会コメントの詳細はこちらを参照。)
管理人は「人骨の会」が発行している「常石敬一著:日本医学アカデミズムと七三一部隊」に掲載されている「陸軍軍医学校」敷地図と「昭和45年発行:全住宅案内地図帳」を約十数年前に黒インクと赤インクで重ねて印刷した「地図」から「標本類の人骨」が埋められている可能性がある場所を改めて図示をした。
管理人がこのことの拘っているのは「 森村誠一著『続・悪魔の飽食』87頁」の記述である。
《戦前、東京・新宿区若松町の陸軍病院、陸軍防疫研究室には多数の人体標本があった。その中には乾燥し、ミイラになった人体や、ペストに罹った黒色死体もあった。コレラ、ペストの罹病標本も多かった。
敗戦と同時に、多数の研究者、教育隊少年隊員が動員され、標本の処分が急がれた。防疫研究室の裏手にあった空き地に深さ10㍍の大きな穴が掘られ、防疫研究室にあった多数のホルマリン漬け人体標本がガラスビンごと投げ込まれた。関係者の証言によれば、(人体標本の処分作業は8月15日以降1ヵ月かかった)という。「穴の広さは15㍍四方、深さは10㍍」3階建の家屋がすっぽり納まりそうな深さだった。穴掘りが完成すると同時に人体標本を入れたガラス広口瓶、パラフィン処理を施した人体組織標本が何百個も穴のなかに投げ込まれた…ミイラの人体標本は投げ込まれたところを東京帝大医学部から来た人々によって再び拾い上げられ、帝大に持ちかえられたと記憶している…。標本の中には高橋お伝の臓器もあったが、これは警視庁が持ち去ったとは関係者の話である。(中略)新宿若松町の陸軍防疫研究室や陸軍軍医学校には、ハルピンから持ち帰った「丸太」の標本多数があったのではなかったか》
【注①】
管理人がある講演会の会場で、著者の森村誠一氏にこの証言について直接お聞きしたところ、証言者は既に亡くなっているが間違いのない証言であると明確に答えられた。
【註②】
(1 )731部隊とは満州(現在の中国東北部)における日本帝国陸軍の化学、細菌兵器研究部隊で関東軍防疫給水部が正式名称である。日本国内では防疫研究室(又は研究所)が研究機関の中枢であった。
(2)この研究のため、中国・朝鮮人・(一部に白人)を丸太と称して生体実験(生きた人間を使って実験)を行った。
(3)石井四郎中将がこの部隊の最高責任者であった。
【注③】陸軍病院、陸軍防疫研究室の所在地は戸山町(現在は住居表示で戸山)である。市電(都電)の若松町停留所で下車する。