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城西大学「王希奇展一九四六」開催記念シンポに参加

2017年09月28日 | 絵画・音楽・文学・映画・演劇・テレビ
学校法人城西大学は、中国において墨絵と油絵の融合という独自のスタイルを確立し、世界的に評価の高い歴史画家である王希奇氏の展覧会「王 希奇展 一九四六」を2017年9月28日~10月5日の日程で東京美術倶楽部で開催し、開会式後紀尾井町キャンパスで開催記念シンポジウムを開きました。
王希奇氏の作品はまだ観ていませんが、日本中国友好協会東京都連から知らせのメールがありましたのでシンポには参加してきました。

シンポでは、王希奇氏が自らパワポを操作しながら作品制作の意図や制作過程の説明をされました。
引き続きシンポジウムが行われましたが、パネラー6人中の5人が中国人で一人の米国人でしたが、フロアー発言をした舞鶴市ユネスコ世界記憶遺産有識者会議会長 黒沢文貴 氏(東京女子大学 現代教養学部 教授)など日本人のパネラーを多くした方が良かったと思います。
モデレーターの井口和起氏(福知山公立大学長)に立ち話でしたが「日本人は、1945年は記憶に新しいが、1946年がどの様な年であったのかをこの作品から考えてもらいたい。東京裁判が始まった年です。」と伝えました。
文化庁長官などを歴任した青柳正規氏が「大東亜戦争」と発言したことには驚きました。同時通訳の方は困ったでしょうね。
また、仕事柄か国立近代美術館工芸館が近衛師団司令部だったことを強調したいが爲に、「宮城事件」を正確に語ることが出来ませんでした。
首謀者だった椎崎大佐と畑中中佐は、陸軍省軍務局将校であるのに、近衛師団が起こしたと言ったり、ピストル自決をしたことを「切腹自決」と言っていました。





趣旨
「王希奇展一一九四六」に、日本ならびに中国をはじめとする美術研究者、哲学者、歴史家、芸術家が集うこととなった。この貴重な機会を得て、「芸術で如何に歴史的記憶を表現するか」をテーマにそれぞれの観点から、表現について語る機会としたい。

王希奇
画家。中国錦州市に生まれる。魯迅美術学院油絵学部に勤める。中国美術家協会会員。
東洋的墨絵の要素を西洋油絵に自然に融合させた画風で評価される。特に歴史をテーマとする創作を得意とし、その独特な画風とオリジナルな視点で国内外の注目を浴び、既存の流派に属さない独立した芸術家と評される。なかでも、国家金メダル賞を獲得した《三国志・赤壁の戦い》(合作)、中国国家重大歴史題材美術創作プロジェクト入選作品《長征》、《遼藩戦役 攻克錦州》(合作)及び《官渡の戦》などの大型絵画が代表作である。油絵の他、墨絵の《回声》、《高原人》、《聴雷》などの作品も全国美術作品展に入選。多くの作品が中国美術館、中国国家歴史博物館、中国国家軍事博物館などに収蔵されている。
近年では、2012年から2017年にかけて、胡盧島港より105万人余の残留日本人の大送還をテーマとした大作《一九四六》(300cm×2000cm)をはじめ、関連するシリーズ作品合計50点を制作した。







王希奇氏の基調講演




胡盧島港に近い錦州市に住んでいる王氏は、この一枚の写真から作品の構想が始まりました。












「八十七仙人巻」から引揚げをする日本人全体を描きたいと考えました。






墨絵で描いた中国人
















アトリエでの制作風景










作品












この少年と会いましたが、最近亡くなったそうです。



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