昨夜のNHK総合ブラ・タモリは「江戸城外堀」がテーマであり、次回(2月10日)は「赤坂」がテーマであるので「赤坂見附」「迎賓館」が登場するのであろう。
これは四谷交差点にある広域避難場所案内板(上が北方向)である。「宮内庁赤坂御用地」と「学習院アクセスマップ」で「四ッ谷キャンパス」をクリックしてもらうと愛子内親王が東宮御所通用門である鮫ヶ橋門から学習院初等科への通学コースが一目瞭然である。交番マークの所に「新宿区立みなみもと町公園」があるが、この公園こそが雅子皇太子妃が愛子内親王を新宿区民の幼児たちと遊ばせた場所である。なぜか、「たった一日の公園デビュー」で終わってしまった。
この画像は四谷交差点(新宿通りと外堀通りが交差)から迎賓館を望んだものである。
画面左が半蔵門(東)方向、右は新宿駅(西)方向である。宮城(きゅうじょう)を出発し、半蔵門から馬車(その後自動車)に乗った天皇が四谷交差点から左折をすると、正面に赤坂離宮(現迎賓館)が見えるように「ゆりの木」の並木道が設計された。
同じように建物の前面に並木道があるようネオ・バロック式ヨーロッパ風の道路設計は「神宮外苑聖徳記念絵画館」と「国会議事堂」がある。
江戸城外堀(外濠)が完成したのが寛永13年(1636)なので、外堀に接する千代田区、港区、新宿区は外堀完成400周年となる2036年に向けて「外堀跡保存管理計画」を策定した。
新宿区は広報ビデオとして「歴史探訪 江戸城外堀ものがたり~むかしといま~」を制作し、インターネットで動画配信をしている。
この動画でも紹介されている真田壕(真田堀)から赤坂離宮を望む「絵はがき」である。青々とした水面が見えるが、現在は「見るも無惨な」上智大学のグランドとなっている。上智大学は公有水面の管理者である東京都と1949年から20年間の使用契約をしている。2009年10月が契約更新時期であったので、新宿区議会で山田敏行議員(新社会党)が代表質問で取り上げてくれたり、東京新聞が特集記事を書いてくれたが世論喚起とはならなかった。次回の更新時期である2029年には上智大学は是非ともグラウンドを返還して真田壕を復元してもらいたい。管理人は92歳となるが「夢」が実現するまで長生きをしたいものである。
「MADCONNECTION]というブログを参照するとこの付近の地形などが良く理解できる。このブログの管理人は『地下鉄・丸ノ内線の四ツ谷駅から見える上智大のグランドが外濠だったことは分かっていたが、その真田濠跡地が都有地だとは東京新聞の記事を読むまでは知らなかった。今年十月が契約更新期限らしいが『将来的に、真田濠は水があった昔の姿に復元すべきだ。』の意見もあるようだ。四谷濠、真田濠、弁慶濠と連続する外濠の復元された昔の姿を見て見たい気もする。』と述べておられので期待をしたい。
明治政府は、陸軍東京砲兵工廠(水戸徳川家上屋敷跡、現在東京ドームや小石川後楽園など)で製造した兵器や銃砲弾類を朝鮮半島や中国大陸に運搬する必要から、甲武鉄道に砲兵工廠南側に隣接する軍用地を始発駅の用地として提供した。(現在はJR貨物(株)本社などがある再開発地区)
青森駅から広島駅(宇品港)までの鉄道敷設も戦争準備の国家的事業であった。
甲武鉄道が新宿駅から飯田町駅までの市街鉄道敷設免許は市ヶ谷台の陸軍士官学校(現防衛省)前を走る予定であった。
しかし、陸軍は、陸軍青山練兵場で訓練した軍隊を広島県宇品港に運ぶ青山軍用停車場をつくる必要から、青山御所の下にトンネルを掘って日清戦争開始直前に完成させた。それが現在もJR総武線下り電車が通過する「旧御所トンネル」である。(総武線上り、中央線快速上り下りの三本の線路は新しいトンネル)
ブラ・タモリでは触れられなかった「戦争と鉄道」の歴史を見ることが出来る貴重な「東京の戦争遺跡」である。
東京メトロ丸ノ内線四ッ谷駅の新宿駅方向のプラットホーム最先端が一番良い撮影ポイントである。