雑誌「NO.441 2021・1 季刊 社会運動」にライター室田元美さんが執筆した「悼みの列島 日本を語り伝える 第18回(最終回) 戸山人骨が伝えること」が掲載されました。
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東京新宿と聞くと、どんな風景が浮かんでくるだろうか。まず駅周辺の雑踏、歓楽街、高層ビル、デパー卜……しかし新宿にはもうひとつの顔がある。明治以降、数々の軍の施設が集中して作られた軍都であったことだ。緑豊かな戸山公園には、明治初期に建てられた「陸軍戸山学校」があった。周囲には「陸軍軍医学校」や「東京陸軍第一病院」も配置された。
軍の教育や医学研究の中心となったのがこの一帯だった。
そんな戦前の新宿にスポットがあてられたのは、1989年。
国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)の建設現場で大量の人骨が見つかったのだ。そこはかつて陸軍軍医学校があったところだった。
現在は新型コロナウイルスで何かと話題になっている国立感染症研究所。
その場所で何があったのだろうか。
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室田さんは「新宿戦跡ツアー」に参加されたましたので、管理人のガイド風景や亡父のことなどを書いて頂きました。
下記の写真は、軍医学校跡(現・国立感染症研究所)で説明している処です。「人骨発見13周年記念講演」で講師された札幌学院大学佐倉朔教授(故人)が、新宿区の依頼で毎週末に札幌から大久保にある葬儀社「公営社」の地下室まで出張し、発見された「人骨」を鑑定していました。講演後、神奈川大学常石敬一教授らに見せてくれたアルバムの写真です。
「人骨の会」代表・神奈川大学教授常石敬一さん(当時)
新宿区百人町にある葬儀社「公営社」
室田元美さんは後半で「新宿に誕生した産業遺産情報センター」について厳しく批判した記述がありますが、産業遺産情報センターは戦前陸軍砲工学校があった場所で、戦後はその木造校舎を利用して国勢調査を専門とする総理府統計局(現内閣府)が出来ましたが、その別館が情報センターです。敷地の擁壁角に「陸軍省所轄地」の境界石が残っています。
(了)