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2013年8月 宮内省での機密文書焼却指示 宮内庁宮内公文書館
(東京都千代田区) 昭和 敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を省内に指示した文書が宮内庁の宮内公文書館に残っていた。軍部が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られているが、当時の政府機関の中枢が焼却を指示した公文書が見つかるのは珍しい。
1945年8月18日付の「機密書類ノ焼却ノ件」と題する文書で、宮内省の大臣官房から省内の各部局長宛に出され、「機密ニ属シ破棄相当ト認ムベキモノ」を「原簿ト共ニ之ノ際全部焼却スルコト」とし、8月18~22日に「宮城(きゅうじょう)内 三重櫓(富士見櫓)下」で焼くように指定している。これは、昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の『徳川義寛終戦日記』における8月21日の文書焼却の記述と符合する。
敗戦時の機密文書焼却については、陸軍省が8月14日に全部隊に指示したことを認めた書類が東京裁判に提出されたほか、海軍の暗号を解読した米軍資料、内務省や外務省OBの証言記録などから明らかになっている。【朝日新聞による】
2013年8月 宮内省での機密文書焼却指示 宮内庁宮内公文書館
(東京都千代田区) 昭和 敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を省内に指示した文書が宮内庁の宮内公文書館に残っていた。軍部が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られているが、当時の政府機関の中枢が焼却を指示した公文書が見つかるのは珍しい。
1945年8月18日付の「機密書類ノ焼却ノ件」と題する文書で、宮内省の大臣官房から省内の各部局長宛に出され、「機密ニ属シ破棄相当ト認ムベキモノ」を「原簿ト共ニ之ノ際全部焼却スルコト」とし、8月18~22日に「宮城(きゅうじょう)内 三重櫓(富士見櫓)下」で焼くように指定している。これは、昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の『徳川義寛終戦日記』における8月21日の文書焼却の記述と符合する。
敗戦時の機密文書焼却については、陸軍省が8月14日に全部隊に指示したことを認めた書類が東京裁判に提出されたほか、海軍の暗号を解読した米軍資料、内務省や外務省OBの証言記録などから明らかになっている。【朝日新聞による】
