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市谷亀岡八幡宮の水鉢台座側面に刻まれた几号水準点が新宿区登録有形文化財に指定

2017年05月03日 | 歴史探訪<市ヶ谷台・防衛省・東京裁判>

市谷亀岡八幡宮の几号水準点(水鉢台座)が新宿区の登録有形文化財(歴史資料)に指定されましたので、4月30日のフィールドワークには説明をしました。

 『几号水準点(几号高低標)とは、明治初期に用いられたイギリス式の水準点で、明治初期の東京を中心に「不」の字に似た記号が刻まれた几号水準点が各地に設置されました。
 市谷亀岡八幡宮の几号水準点は、参道右脇に設置されている水鉢の台座に刻印されており、刻印された年代は、内務省地理寮による関八州大三角測量が開始された明治8年(1875)頃と思われます。
 現在台座の上には、昭和26年(1951)に八幡講によって奉納された水鉢が置かれていますが、材質や大きさから推測するに、もともとは社務所前に置かれている、越前屋吉兵衛によって奉納された宝暦7年(1757)の水鉢とセットであったと思われます。
 『江戸名所図会』(天保5・7年間刊、1834・1836)には、現在と同じ位置に水屋が描かれており、また「東京実測図」(明治20年、1887)に記された標高(水準点94.8尺、約28.7m)が現在とほぼ変わらないことから、水準点の位置が、設置当初から移動していないことが分かります。
 水準点は全国に340ヶ所設置され、現存するものは154ヶ所、新宿区内では3ヶ所が現存しています。設置当初と位置が変わっているものも多く、移動のない市谷亀岡八幡宮の几号水準点は希少です。』
新宿区教育委員会サイトより


東京旧市内で一番の標高は、44・8㍍の都立戸山公園内「箱根山」ですが、尾張徳川家下屋敷「戸山山荘」として整備された時の築山「玉円峰」です。
よって牛込台地36㍍の余丁町が一番高く、33㍍の本村町が二番となります。

境内の陸軍境界石




八紘一宇石碑




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