『8月15日正午、玉音放送がおこなわれた。国民は茫然として戦争の終結を迎えた。午後3時20分鈴木貫太郎内閣は総辞職した。翌16日天皇は東久邇宮稔彦王に組閣を命じ、17日同内閣が成立した。8月28日連合軍先遣部隊が厚木飛行場に到着し、30日マッカーサー最高司令官が厚木に降り立った。9月2日東京湾上の米戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式がおこなわれ、重光葵外相・梅津美治郎参謀総長が降伏文書に署名した。1931年9月18日以来15年にわたる戦争はここに終結した。<江口圭一著「十五年戦争小史」258頁>』
(注)1931年9月18日は、関東軍が中華民国奉天(現中国遼寧省瀋陽市)郊外柳条湖の満鉄線上で爆薬を爆発させた謀略事件<柳条湖事件>日本の帝国主義侵略戦争の始まりです。
今上天皇は、新年の「おことば」で『本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。』
外務省は、8月27日『外務省外交史料館における「降伏文書」とGHQ「指令第一号」の原本展示』を発表しました。
1 8月31日から9月12日まで,外務省外交史料館において,「降伏文書」及びGHQ「指令第一号」の原本を展示します。
2 この展示企画は,戦後70年の節目にちなんで,1945年9月2日に調印された「降伏文書」と,同日にGHQから日本政府ヘ手交された「指令第一号」を,ともに原本で展示するものです。なお,「指令第一号」は初めての展示となります。(参考)詳細は外交史料館ホームページをご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/de/394065c95d76b8462f207d7a7a47d526.jpg)
管理人は昨日外交史料館に電話をして、「降伏文書」と「指令第一号」の写真撮影が可能かどうかを尋ねたら、OKだということでしたので出かけようと思いましたが、悪天候なので後日にします。
中国人毒ガス被害者賠償請求裁判の時、この「GHQ指令第一号」を弁護士団と研究し、「日本軍は安全に武器類を引き渡す」条項から考察すれば、毒ガス兵器を土中に埋め、河川に遺棄し、弾薬箱を放置したことによって、罪のない多くの中国人が甚大な死傷被害を被ったことの責任を明らかにしてきました。
「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を受諾し、調印後は東京国際軍事裁判へ向けた戦争犯罪人の逮捕、治安維持法によって牢獄に収監されていた日本共産党幹部の解放と日本の歴史は新たな歩みを始めた歴史的に重要な日なのです。
(注)1931年9月18日は、関東軍が中華民国奉天(現中国遼寧省瀋陽市)郊外柳条湖の満鉄線上で爆薬を爆発させた謀略事件<柳条湖事件>日本の帝国主義侵略戦争の始まりです。
今上天皇は、新年の「おことば」で『本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。』
外務省は、8月27日『外務省外交史料館における「降伏文書」とGHQ「指令第一号」の原本展示』を発表しました。
1 8月31日から9月12日まで,外務省外交史料館において,「降伏文書」及びGHQ「指令第一号」の原本を展示します。
2 この展示企画は,戦後70年の節目にちなんで,1945年9月2日に調印された「降伏文書」と,同日にGHQから日本政府ヘ手交された「指令第一号」を,ともに原本で展示するものです。なお,「指令第一号」は初めての展示となります。(参考)詳細は外交史料館ホームページをご覧ください。
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管理人は昨日外交史料館に電話をして、「降伏文書」と「指令第一号」の写真撮影が可能かどうかを尋ねたら、OKだということでしたので出かけようと思いましたが、悪天候なので後日にします。
中国人毒ガス被害者賠償請求裁判の時、この「GHQ指令第一号」を弁護士団と研究し、「日本軍は安全に武器類を引き渡す」条項から考察すれば、毒ガス兵器を土中に埋め、河川に遺棄し、弾薬箱を放置したことによって、罪のない多くの中国人が甚大な死傷被害を被ったことの責任を明らかにしてきました。
「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を受諾し、調印後は東京国際軍事裁判へ向けた戦争犯罪人の逮捕、治安維持法によって牢獄に収監されていた日本共産党幹部の解放と日本の歴史は新たな歩みを始めた歴史的に重要な日なのです。