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スカルノ・デヴィ夫人のテレビ発言「堕胎」が話題に。「永田町・赤坂を歩く」の資料をアップします

2020年10月29日 | 安倍・菅・国葬・統一協会

2018年5月20日」に「明治150年の永田町・赤坂を歩く」を企画したとき、住宅地図に待合やキャバレーなどをマーカーし、また>「港区基本計画・赤坂地区版計画書」策定に向けた提言書<の冊子「語り継ぐ赤坂・青山 あの日あの頃」を収集しました。

スカルノ・デヴィ夫人がテレビ番組の中で「堕胎」という言葉を使い、その後謝罪した事件が起きました。「赤坂三業地で働いていた」とFacebookに投稿したことに対して、「言葉尻を捉えている」、「彼女の過去の職業を貶めたり」との批判投稿がありましたので、一昨年の資料をアップします。

上記の冊子には「昭和30年代中頃になると、ナイトクラブやグランドキャバレーと呼ばれる、最高のショーと食事が楽しめる業態が登場し、名実ともに赤坂は「夜の街」として一世を風靡するようになりましす。30年代から40年代にかけて、赤坂の夜は全盛時代を迎えていました。」と紹介されています。「花柳界」、「三業地」、「見番」、「赤坂をどり」の解説もありますのでご参照ください。

 

紫色はキャバレー。ピンク色は料亭、待合、見番。緑色は関連の商店とハイヤー営業所。

コパカバーナ跡のビル

月世界跡のビル

ホテルニュージャパン跡のビル(この地下にニューラテンクオーターがあった)管理人は、ネオンがついたニューラテンクオーター横の「遅刻坂」を登って日比谷高校定時制に四年間通いました。

(了)

 

 

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