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「令和」も 「歸田賦」が原典。靖国神社の「靖國」も漢詩から

2019年04月03日 | 天皇制・皇室問題

菅官房長官と安倍首相も、初の国書出典だと万葉集の「梅の花の歌の序文」と声高に強調しています。漢詩「文選」の『帰田賦』に表現と用字が重なることには一切触れません。

ブログ記事>新元号「令和」の万葉集前段漢文の原典『歸田賦』

靖国神社の「靖国」は、『春秋左氏伝』第6巻僖公23年秋条の「吾以靖國也(吾以つて国を靖んずるなり)」を典拠として明治天皇が命名した。
遊就館は、中国の古典『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだ。
乃木希典の漢詩「金州城外作」は有名ですが、軍人、政治家、文学者も漢詩を詠み、中国文化に対して畏敬の念を持っていました。

しかし日本は、「暴支膺懲」と中国を侮蔑し侵略していきました。
安倍首相の「嫌中」「反中」の信念に重なるようです。
泉鏡花の著作を読むと、日清戦争時から「支那人(チャンコロ)」と侮蔑と差別が始まっていますが、水戸学や吉田松陰の思想が影響しているのかも知れません。

【泉鏡花著「予備兵」】より抜粋
『明治二十七年七月、牙山の捷報新に到りて、平壌の戦雲いまだ乱れず、義勇兵に対する令いまだ下らざる前なりき、我忠勇烈なる国民は、抜刀隊あるいは義勇団を組織して所々に顔起せるほどに、名古屋第三師団の分宮を置かれたる石川県下金沢にも、決起の輩およそ一百名の同盟より、これらの団体は成立ちり。(略)躍然手に唾して義勇兵を組織し、鴨緑の流鞭絶つべし、支那人(チャンコロ)斬るべし豚尾十条を一束にして、両手に五葉ずつ挙げて帰るべしと、拒腕して気競いつつ、一飛渡韓せんと企つるもの、百余名ぞ頻れける。』



遊就館全景

乃木希典漢詩「金州城外作」の石碑(中国大連市の旅順監獄内資料館:撮影は管理人)

絵葉書


ブログ「とよティーの喫茶室」をご紹介します。

(了)



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