靖国神社社報「靖國」6月第779号が届きました。表紙の写真は、駐車場入口の花崗岩大鳥居です。
狛犬は原型を高村光太郎が作ったと伝えられています。(オフィシャルガイドブック ようこそ靖國神社へ)より
鳥居左柱、狛犬左台座にそれぞれ「奉献 昭和八年三月 片倉同族」と刻まれています。奉納願には「今回の事変(満州事変:筆者注)ヲ記念スル為メ、・・・・岡山県産花崗岩大鳥居ヲ建設シ奉納支度、御許可被下度、此段奉願上候也。・・・・昭和七年十月十八日 長野県諏訪郡川岸村 片倉同族代表者 片倉兼太郞 陸軍大臣 荒木貞夫殿」とあります。片倉同族とは、製紙王といわれた片倉兼太郞を中心とする片倉一族の製糸会社です。(平和文化刊 「学び・調べ・考えよう フィールドワーク 靖国神社・遊就館」東京の戦争遺跡を歩く会編)より
「勅使御差遣を賜り春季例大祭厳粛に齋行」
勅使参向がある神社(勅裁社)
伊勢神宮の豊受大神宮及び皇大神宮
明治神宮
橿原神宮
熱田神宮
香取神宮
平安神宮
宇佐神宮
近江神宮
鹿島神宮
香椎宮
春日大社
出雲大社
賀茂別雷神社及び賀茂御祖神神社
石清水八幡宮
氷川神社
靖国神社
(管理人が宮内庁に情報公開開示請求をした文書)より
<文字起こし>
未曽有の事態となったコロナ感染の拡大に発出された「緊急事態宣言」は、首相の医療従事者に対する敬意と感謝の言葉から始まった。見えない脅威に向かい合いながらの連日の医療行為はまさに献身そのものである。 状況は全く異なるが、未知の脅威への対応は、広島への原爆投下直後の救護活動も同様であっただろう。「少年兵に手当をうけた」という被災者の証言が多く残っているが、これらの救護隊の主力が海上挺進隊の要員となる船舶特別幹部候補生ら約ニー五〇名であったことは、ほとんど知られていない。 先日、この救護活動の資料が、「原爆救護隊の証言を残す会」代表の奥本剛氏から当文庫に寄贈された。この資料『広島が語らぬ真実』には、宇品の船舶司令官、佐伯文郎中将が、投下当日に下令した二十六の命令書とこれに基づく救護活動の実態が約三十の証言で綴られている。これらの身を挺した被災者への救護や、今回の感染者への医療活動は、いずれも現場の献身的な活動によって支えられており、国民もまた、彼らと一体となってその活動を支え続けていかなくては、との思いを新たにした。 (史料課)
【追記】Facebookに投稿がありましたので転載します。
「 鳥居に垂れ幕、これは宗教としてダメでしょう。鳥居の下中央は、神様の通り道ですから、それをみずからふさぐ行為は、神道の否定ではないかな?靖国にでいりする神はいない、ということを認めたようなものかも!」ご説ご尤もです。靖国神社は以前も横断幕を掲げていましたので、英霊は第一鳥居(大鳥居)、第二鳥居(青銅鳥居)、中門を通り、この鳥居を通らないことになっているかも。平成12(2000)年発刊靖国神社監修「オフィシャルガイドブック ようこそ靖国神社」の写真です。