プレゼントオンラインで宗教学者の島田 裕巳氏の論考がありましたので、ご紹介します。
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国民は悠仁天皇より愛子天皇を望んでいる…宗教学者「日本社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか」
もう一つ、愛子天皇待望論が盛り上がる背景には、現在、皇嗣(こうし)(皇位継承順位第1位の皇族)と位置づけられている秋篠宮とその一家に対する根強い不信感がある。いったいどれだけの国民が、そうした感覚を抱いているかは定かではないが、週刊誌などでは、秋篠宮家を批判する記事が数多く掲載されてきた。
現時点で、次の天皇になる可能性が高いのは秋篠宮家の悠仁親王である。秋篠宮家の即位を好まない人たちが愛子天皇を待望している面もある。
史実に見る皇位継承の危機
実際、皇室制度が危機に瀕していることは間違いない。
先の天皇が高齢であることを理由に譲位したことで、現在の天皇が即位したわけだが、59歳での即位は、歴代の天皇のなかで第2位にあたる高齢である。第1位は770年、62歳で即位した光仁天皇で、平安京遷都を実現した桓武天皇の父にあたる。
なぜ光仁天皇がそれほどの高齢で即位したかといえば、先代の称徳天皇が女帝で、後継者を定めないまま亡くなってしまったからである。
称徳天皇は寵愛した僧侶の道鏡を次の天皇にしようとしたとも言われるが、天皇が亡くなった後、道鏡は左遷され、その野望はついえた。そこで、称徳天皇と男系では8親等も離れた光仁天皇に白羽の矢が立った。このときも、皇位継承は危機的な状況にあったと言える。
現状において皇位継承の資格を有するのは、皇嗣の秋篠宮、その息子である悠仁親王、そして、上皇の弟である常陸宮しかいない。常陸宮は88歳で、天皇に即位する可能性はほとんどない。今上天皇と秋篠宮は5歳しか離れておらず、現在の上皇のように高齢で譲位して、秋篠宮が天皇に即位しても、その在位期間はそれほど長くは続かないはずだ。その点では、悠仁親王しか、実質的な皇位継承の資格者はいないことになる。
非現実的になる男性の皇位継承者
男性の皇族自体、皇位継承者の3人と現在の天皇を含め4人しかいない。新たに男性の皇族が誕生するとしたら、悠仁親王が結婚し、男子をもうけたときに限られる。
果たして悠仁親王と結婚する女性は現れるのだろうか。それはかなりハードルが高いのではないか。
現在の皇后が、精神的に長く苦しんできたという事実もある。天皇になる皇族と結婚することは重大な決断を要するし、家族や親族は、それを簡単には許さないだろう。
なにしろ、「小室さん」をめぐる騒動があった。皇室とかかわれば、どれだけの誹謗(ひぼう)中傷を受けるか分からない。そう簡単に、悠仁親王の結婚相手が現れるとも思えない。結婚がかなったとしても、そこに男子が生まれる保障もまったくないのである。
「従来からの検討課題とされてきた女性・女系天皇については、聴取の項目には盛り込まれず、有識者会議では検討されないことになりました。」そうですが、天皇家と皇族の実態を考えたならば「女性・女系天皇」を議論しないのは不思議と言わざるを得ません。
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古書店で入手した河出書房昭和26年(1951)発刊・田中惣五郎著「天皇の研究」は、天皇と雖も男系を続けるために皇后以外の女性について研究をしていますので、一部を抜粋します。
三 萬世一系と皇室の肉體的衰弱および閨閥
皇室が、雲上的上層的生括をつづけるところから来る肉體の衰退ということは、幕末から近代的な時代だけについて見ても、いろいろ論議され、明治天皇のためにその側近が多くの配慮をもちいたことも周知の事実である。それにもかかわらず明治天皇の大いなるエラーは大正天皇であつた事実にみて、これもーつの天皇の研究として筆を用いておくべきであろうと考えられる。安政四年(一八五七年)に、朝廷から御附武家都築駿河守への内定の形でしたためられた「禁裏女房一件」という書類には
「禁裏女房当時の定員は、およそ大抵典侍(上﨟)五人、掌侍(中﨟)四人、命婦、女蔵人(下﨟)六人と相成りこれあり候。時宜により別段の釋を以て上﨟六人までは召しおかれ候。即ち當時六人に候。右上﨟の内、寝御に当り候は人體、時により年齢時をすぎ候人多く相成り候節は其任に當り申さず、元来寝御に當り候は上﨟の品に侯へども、偶ま中﨟の人も御寵伴を蒙り候。上﨟典侍に其の器量これなく侯へば自然右の次第に及び候。彼是にて侍御の人乏しく候とも、其定員滿ち候上は加増召しおかるる儀相成り難く、年老の人隠居にても願出で候へば、新規召出されも相成り候へば、さ候とて長年勤仕、奥向御取締にも相成り候人々を故なく隠居等仰せつけられ候儀は、わけて如何の儀にこれあり、申すまでなく皇統連綿たる事實に國家第一に仰ぎ尊とみ候事、然るに其の本源の處に於て其道廣まらざる筋これあり候はゞ、人々窺ひ知らざる所にて、皇胤御手薄にては此上なき御大事に候。
(略)
皇子製造者としての女官の人間的立場はここでは論ずることはやめる。ここでは、女官を多くし、その手當を十分にするよう幕府に要請することに重點があつたと見るべきであろう。それにしても、宮中の後宮の生活(天皇の生活の大部分を占める)がこの一文によつて片鱗をうかがうことが出来る。萬世一系のため、その本源としてのよき婦女子の選定。そのための生活の安定。嘉永六年(一八五三年)三月當時の大奥について、儒者大澤雅五郎が「古は天子に三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻相備り」「今萬乘の尊を以て御閨門の問、恐れながら匹夫に均しき御姿にては實に勿體なき御事」として、常時の女官の人々書きあげて居る(略)(傍線は著者)
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自民党の総裁選挙では「女性・女系天皇」が、争点の一つになるのでしょうか。
(了)