>「北京議定書」違反の日本軍に中国軍が発砲したとしても正当防衛である<に「Unknown 2022-10-30 22:03:14正当防衛じゃないよ。豊台駐留は第1次、第2次豊台事件の処理でもってあっちは認めてる形だからただのテロだよ。」というコメントがありました。
「豊台事件」は、寡聞にして知りませんでしたので笠原十九司著「日中戦争全史 上」の「日本側がつくった盧溝橋事件の構図」を読みました。
「日本側がつくった盧溝橋事件の構図」
二.二六事件を利兩した軍部強権体制の強化にともない、三六年四月一七日、広田弘毅内閣は陸軍の要請どおりに、支那駐屯軍をそれまでの一七七一人から五七七四人と三倍以上に増強することを決定した。陸軍はその理由を、華北分離工作の進展にともなって増大した在留日本人を、華北における共産党の脅威の増大から保護するためであると発表した。
日本が列国の了解もえずに、支那駐屯軍を一挙に増強したことは、日本が華北の「第二の満州国」化をもくろんでいるといぅ危機意識を中国国民に抱かせ、学生運動を先鋒にして、抗日救国運動をいっそぅ激化させ、本章4節で述べる西安事件の要因になっていく。
支那駐屯軍の増強の結果、北京には新たに歩兵旅団司令部と歩兵第一 連隊がおかれることになった。しかし、それまでの北京城内の公使館区域にある兵営では手ぜまになったので、第一大隊は北京城内におき、第二大隊は天津に、第三大隊は北京西南部の豊台に駐屯させた。豊台駅は、上の地図に あるように、天津・張家口・漢口へと延びる幹線鉄道の分岐点になっている要所である。ここに新たに日本軍を駐屯させたのは、北京を戦略的に遮断包囲する意図によるものと中国側にうけとられたのは当然である。
しかも、豊台には宋哲元の第二九軍の部隊の兵営もあったので、日本軍との間に一触即発の険 悪な空気がただよい、事実、三六年の九月一八日、満州事変勃発記念日にあたる日に、日本軍のひとつの中隊と中国軍のひとつの連(中隊にあたる)が対峙して小競り合いをおこした豊台事件が発生した。この事件は、中国側の陳謝、関係者の処分、豊台の中国軍営の撤去を条件にして解決したが、北京を支配する宋哲元軍の警備領域に日本軍が侵入してきて駐留し、華北分離工作を推進するための軍事演習を挑発的におこなったのであるから、蘆溝橋事件のような衝突事件が発生するのは時間の問題といえた。次章で述べるように蘆溝橋事件も豊台事件と同じように支那駐屯軍の中隊と第二九軍の連との間の発砲事伴が最初のきっかけとなったのである。(傍線は管理人)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
元外交官、実業家の船津振一郎の「船津和平工作 1.塘沽停戦協定、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定の解消。2.盧溝橋付近の非武装地帯の設定。3.冀察・冀東両政府の解消と国府の任意行政。4.増派日本軍の引揚げ。」が、「大山中尉殺害事件」による「第二次上海事変」により華中・華南へと拡大させ、「日中戦争」に拡大したことは下記のブログ記事をご参照ください。
【謀略のシナリオ・大山中尉事件】その事実を歴史学的に初めて追及した「海軍の日中戦争」笠原十九司著
「大山中尉殺害事件は謀略」が定説となるまでの、笠原十九司名誉教授の論考系譜
(了)