カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

安曇野で感じたこと、すこし・・・

2011-10-05 | エッセイ

 安曇野ちひろ美術館は初めて訪れた。設計者にとって内観とそれに合ったプランが重要だったのだろうか、と思った。外観は、よくパンフレットなどで紹介されているのはそのリズミカルに並んだ切妻屋根だ。しかし、私は目があまり良くはなく、池のあるあたりからだと遠すぎてその切妻屋根の魅力は薄れてしまうのだった。何か行く前の予想と違って変だった。そして近くへ近づくに従い、そのリズミカルな連続的な感じは全く無くなってしまうのだった。下から見上げると屋根の下の飛び出したコンクリートの部分などが、あまり格好良くなく目に映った。立面図で検討した時だけはこのリズミカルさは現れるのだろうが、立体になった時にそれを感じられるような視点の置き場を見つけられなかった。望遠、三脚で撮る建築オタク写真家は満足するだろう。
 
 岩崎ちひろの絵は、充分な時間が無かったにもかかわらず、ぼんやりとしつつ見て回った。初期の頃はほんとにごく普通の子供のスケッチを描いている。ある時から急にあの独特の子供の絵のスタイルになったようだ。何かから素晴らしいヒントを得ることができたのかもしれないなと思った。そして絵の変遷を見るうちに、もしかするとこのちひろという人は最終的には、その色の選択とそれを置くところに意識が集中して行ったのではないか、と思った。それらの絵を見ていてふとそう感じた。すると子供をかたどったスケッチはおおざっぱに言うと、単純にそのためのきっかけの役割へと変化していったのでは?と。無着色の良いスケッチを描くことができているなら、あえてそれが子供の絵ではなくてもよいというところまでいってしまったのでは、と思わせるくらい、色の選択と塗る場所に切れ味が出てきているように思った。いや、子供の絵ということでこれだけ知られた人にはやはりそういうことはなく、着色前の子供のスケッチは重要なモチーフだったのだろう・・・。

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先程コメントを投稿してみたら・・・ Oct5, 2011

2011-10-05 | エッセイ

「最初の2分くらいまで、出だしから間違っていると思います。全くの対岸の火事というわけではないと思います。信用が落ちれば日本の国債を買う人もいなくなるでしょう。盤石な信用ではないはずです。政府と銀行が結託してこそ成り立つ信用のようで気味が悪いです。ギリシャの多くの人が公務員であることも事実のようで、かつ報酬に見合った仕事もしていない様です。ところで、彼らが多くの報酬をため込んでいるのなら日本と同じように国内で国債を買わせればよいでしょう。でもそうならず破たんする。日本もそんなに違いはありません。田原さんは日本政府の借金と、人々や企業の金融資産を安易につなげて考えていませんか。田原さんのおっしゃることはTVのお抱えエコノミストがよくいうものいいにそっくりで、私は賛成できません。」

上記のようなコメントを先ほどやはり上記の動画に書いて、投稿のボタンを押したのですが、なぜかエラーのメッセージが出て投稿されませんでした。何度やっても同じです。メンテナンス中などというメッセージも出ていましたが、それが消えてから投稿してもエラーメッセージが出ました。仕方がないので自分のblogページに掲載することにしました。言うことに変わりはありません。言葉が足りないということはあるかもしれません。
付け加えて・・・、
仮の話として、実際は価値の落ちた国債でも、人々がそこまで買いたくない場合でも、政府と銀行が結託すれば買うところがあると言えば言えるわけで、その時にこの国債は信用があるのだと言えますか?
そういった疑問です。
かつて自民党時代、政府と土地業者、ゼネコンは結託していました。このことによる弊害は今も続いているようです。似たようなことはないのか。

ところで・・・、ネット上の「コメント」というものについてですが、
以前、片山右京氏の富士山遭難事件についてテレビ関係のサイトに報道を見ていての疑問点をコメントとして投稿した時も、なぜか削除されたままでした。原稿を書く時間と価値はそのサイトによって潰されたままとなったわけです。

次のようなこともありました。
これは確実に覚えていますが、テレビ朝日のサッカーの動画で、日本代表が優勝したアジアカップの時の一シーンがあり、日本側のキーパーが退場になり日本側がピンチに落ちいりました。判定でもめ、問題になりました。そのテレ朝の動画に、私見をコメントで投稿したのですが、これは馬鹿げたことに、翌日あたりにその動画自体が、テレ朝側によって削除されていました。これも私の書いた原稿は一緒に削除され消えたままです。この方法だと気に入らないコメントは動画ごと削除できるようになるということですね。そのまま取っておくこともできる。おかしな話だと思います。コメントは掲載されるのが前提で投稿しています。コメントがコメントとして独立しないわけです。

インターネットの最大の特長は、もちろん長所として、リンクをはることができるということだと思います。動画の埋め込みもリンクと同じで投稿者の意図をほとんど損なわずに原動画を見られるという意味でとても良いものだと思います。
とにかく、少し大袈裟に言うと「リンク」がインターネットの時代の新しい最大の特色。
そしてこれを使って、URLをblogページに貼って、かなり力を入れてページを作っていると、次のようなことがあります。しばらくするとリンク先が無くなっている・・・。笑えるといえば笑えるのでしょうか。これが最も多いのが、私の経験では実は新聞社の記事なのです。調べていくと、新聞社にとっては当り前なのかもしれませんが、一定期間の時間がたつとその元のURLが無くなり、その記事を読みたければ有償になります、という旨のページが現れます。職業でやっているのだからということなのか、しかし、この新聞社の態度にはがっくりきます。反論はもう分かるので直接言う気は何もありません。でも一度公開しておいて、仕舞い込んで見たければ有償ですか。こう言うと、では始めから有償で、と言い出すのでしょう。広く公開すべき新聞社がこんなところのようで、それでがっかりするわけです。
ところで、おもしろいことに、私のblogには一般の人の、素人の書いたblogをリンクさせているのもあります。これは、ずっと消えない。元がずっと消えないし削除されない。笑。このあっさりした持続感は何とも言えずたくましいというか、嬉しいというか、やはり元気になります。

なにか一歳取って「ですます」の口語調でつぶやき始め、それを本にでもしている有名作家のような物言いになってきたので、この辺で・・・。

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Weeeeeッdnesday Oct5, 2011           

2011-10-05 | エッセイ

 登山家のメスナー氏の本を読み終えた。登山の歴史に関係することをメスナー氏は行動としてやってきているので必然的に本の付録がそういった登山史を含めた資料で膨らみ、全体の5分の1ほどになっている。他の文庫本の資料などと比べると格段の差だ。年代順に追ってある。これを読む人がいるのだろうかというと、結構「拾い読み」で読む人は多いのではないかと思う。この「拾い読み」というかたち、私は意外と好きなのである。この本の資料に関してもぽつぽつと読むだろう。既にそうなりつつある。
 この本は、単独で世界の山に挑戦しようとする人が書いているわけで、その性質上、書き手の個人的な身辺のことが主になるのは当然のことなのだが、支援のパートナーとのやり取りなど、その辺も温かく楽しく読めるし、山のテクニックに対する考え方なども楽しく読める。また、やはりやっていることの真剣度から、あるいは持って生まれた本人の個性からか、内向し、自分の精神の奥底を本人が探らざるを得ない状況にあるのが分かって、そこが読んでいて効くのである。小さなパンチ、ジャブのように・・・。
だから楽しいのに、しん、とする。

 他人のblogをなんとなく読むこともたまにある。紹介と言う形の、とにかく見てくださいというタイプのものは実に多い。食べログなどに出てくる食べ物の店のパンフ的なものなどだ。blogという新種の表現スタイルにはうってつけなのかもしれない。これはもうチラッとでも見てくれればといった気持がありありと現れている。それとは対照的に、全く個人的なことを書いている人も多い。その中で、ほとんど読み手の視線を意識していないかのようなものもある。これらの中に面白いなと思うものも、ときどきではあるが、ある。

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雨   Oct5, 2011

2011-10-05 | エッセイ

  信州への旅はこれにて一件落着。適当にフォトなど載せたりしているつもりなのだが、やはりある程度は考えてピックアップせねばならず、これが何とも面倒くさい。旅から帰ると楽しい思い、しんどい思いなどとともにもうそれらは過去のことであるのに、チェックのためにまたぞろパンフレットなどを引っ張り出さねばならず、これが気分が乗らないとノロノロとしか進まないのだ。常に嬉々としてそういった作業をする人もいるのだろうな、と思いつつ自分の場合はノロノロとなる。ある程度出揃うとそこからは少し楽だ。楽しくなる時もある。だが、楽しいからといって笑いながら作業しているわけではなく、それなら気味が悪いだろう、ほとんどフツーの顔をしてやっている。



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信州・松本への旅・part4  安曇野・てるてる坊主の館(池田町)  9月の終わりころ・2011

2011-10-05 | 旅行


◆てるてる坊主の館◆


池田町の図書館に隣接している小さな記念館だ。
ユニークな形。










内観・隣の図書館の人がやってきて簡単に説明をしてくれた。
私はここが工事をしている頃を知っている。
30年ほど前の話。




        



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信州・松本への旅・part3  安曇野・碌山美術館 9月の終わりころ・2011

2011-10-05 | 旅行


◆碌山美術館◆


晴れていて気持ちの良い陽差しだったが、一瞬雨がぱらつくというおかしな天候だった。
何回目かは忘れたが再度の訪問。














ここからのアングルは良いので、キャンバスに絵を描く人も見られた。



石葺きの屋根。そして、座ったら上を向いて空を見上げたまま動かなくなってしまうベンチ。







高さが170cmくらいしかない扉だった。



トップライトと小屋組み。






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