カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

今日は曇り空・13oct2011

2011-10-13 | エッセイ

★ギリシャで経済危機が起きているらしく今話題になっている。新聞、テレビで騒いでいる。これ、「対岸の火事とは言えない」と思う。この場合、「対岸の火事ではない」ということの意味は、ギリシャの事が飛び火してこちらに火が付くように実際に影響が出る、ということではない。新聞、テレビなどから受ける印象は大きく取り上げられそんな感じだ。私が対岸の火事ではない、というときはそういった意味ではなく、経済的にギリシャとそう違わないことがこの国、日本でも起きつつあるのではないか、という意味だ。
★ギリシャはユーロ脱退か、とも新聞に書かれているが、ユーロを脱退すると何か変わるのだろうか。また、ギリシャに端を発した、というもの言いでテレビの人たちが急に話題にし始め、なにかギリシャが今のヨーロッパの経済不振の源といった印象を受ける。しかし、これは考えもので、ヨーロッパ全体が経済的にはそもそもあまり、あるいはかなり良くなかった、と言えるようだ。
★アメリカも、実は日本も良くないと思う。アメリカは特に・・・。アメリカは建国からやっと200年以上経ったくらいだったか。人工的に構築した国だ。定着するにはもっと時間がかかるだろう。が、実は建国した頃が最も良くて後は実際にはずっと下り坂だったのかもしれない。崩れていく一方ということ。「建築」というものは建設完成時は真新しく、時間とともに後は古びていくのみだ。リニューアルはするものの骨格、構造的なものは老朽化していく。アメリカというのはそれと似ていないか。ただ、でかい国であるだけに影響も大きく、崩れていくからといってジタバタ暴れると腕力もあるから恐ろしい。
★中国は歴史は古い。唐、明、清などと政変の度に名を変えている。歴史で習っただけで何とも思っていないが、実際は国の名が変わるくらいの政変だったのだから、あれだけ大きな国であってみれば相当凄まじいことが起きたのではないかと思うのだ。それを何度もやって中国人というのは平気な様だから、まさに大陸的と言えば言えるのだろう。地図を見ていると日本などという小さな国の一つくらいは規模としてその中で潰れていたのかもしれない。経済的にというよりもろに人口的にもそのくらいは入れ替わっていたのかもしれない。だとするなら恐ろしい。だから巻き込まれると大変な気もする。もちろん想像である。なぜなら、そういったことを教えてくれた学者、先生などはいないから。
★中東の国々、今は広く第3世界と言ったりする。この中東の国々のニュースは少ない。テレビでやるのを見ているとどういう訳か画像がとても悪く、人の顔も髭面で暗く映し出されている。ほとんどがそうだ。9・11あたりからは特に・・・。今年の夏くらいからどうしたわけか綺麗な映像に成りつつある。特にアメリカ、そしてヨーロッパの映像は前々から綺麗に入り、とても明るい世界のような印象だ。アラブ、イスラムの世界はイメージとして知らず知らず、暗くどこか陰湿めいた印象となっている。この違いは意外と大きい。だが実際そうなのか。私が知っているインドのイスラムの街はとても明るくからっとしていた。テレビから受ける印象とは違う。太陽は地球上に等しく降り注いでいるのだ。なぜそういった放送の仕方をするのか。これだけでかく資本のある企業なのだから、現地取材の体制が整っていないとかカメラの好いのが無いとか回線が、などといった言い訳は許さない。現にエンタメ番組などではちゃっかりすごく綺麗な映像でやっていたりする。やろうと思えばできるのではないか。言葉であからさまに言ってはいないが、欧米礼賛の、そちらだけを向いた、第三世界をないがしろにした、あまりにも言いすぎか、しかし、そんな放送の態度ではないのか。何かそこに口では言えぬ意図でもあるのか。こちらが受けるイメージからすると、それがたとえ無意識であれ新種の偏向報道に近いのでは、と思うのだが・・・。最近それを急に消し始めたようだ。しかし今まで格差が付いてきたことは確かだろう?

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もうすぐ、朝か・・・。13oct2011

2011-10-13 | エッセイ

 最近、事柄として少し重いことを書いてしまい、私のような、か細い神経の人間は疲労してしまうのである。しかし、次のこともまた、そうだ。先日、朝日新聞にある企業のパスワードが盗まれたようだという記事が載った。ようだ、というのはこの場合、その可能性が強いという意味である。しかし朝日新聞の記事だからこの内容ならほぼ事実として確実だろう。証明が難しそうな事柄だということは素人でも感じられるはずだ。
 しかし、この記事には、やはり、という感じで、私は参った。パスワードが間違って流出したとか誰かが持ち出したとか、あるいは成りすましで盗んだというのではなく、ハッカーが遠隔から「キーロガー」とかいう耳慣れぬ方法を仕掛けてパスワードを盗んだということらしいからだ。。キーボードの入力段階でのことだから暗号化も効果は無かったのだろうと想像する。ここが怖い。丁度世の中で銀行の口座のネットバンキング化が推奨され始めているときだったので、パスワードのみがキーとなるネットバンキングの弱点、あるいは盲点としてそういう犯罪が起き得ないか訊きに銀行へわざわざ出かけたことがあるのである。訊きに行ったというより言いに行ったのである。銀行のカウンター奥から出てきて対応してくれた男性銀行員は忙しい中、時間を取ってくれた訳だが、こちらも実際の詳しい仕組みは知らないので推測の域を出ないことは十分承知しており、そんな犯罪が起きることの予測を立てても人騒がせなだけかもしれないという気持ちもあるものだから、どうも弱腰となるのであった。それでも話をすると、そういった雲をつかむような話は聞いたことがありません、とのことだった。考えも及ばない、ということだった。それは嘘だろうと思った。分かってはいたはずだ。嘘は人を暗くする。カウンターの女性にはこれも時間を取ってくれたので、パスワードが何らかの方法で盗まれる可能性があるのではということ、あるいはよくいう「成りすまし」でネットバンクを開くことそのものをやる者が出る可能性などについて、それを事前に防ぐ手立てはできているのかどうかなど、2,30分ほど訊いたのだが、丁寧に対応してはくれたものの、銀行内部のシステム的なところの話になるとそこまで詳しくは知らされていないようだった。いずれにしろ銀行としては、ネットバンクのパスワード管理は「お客様」の自己責任、ということらしかった。システムの不備という企業側の責任範囲が犯罪で顕在化し、お客の側が被害を被るという可能性については、在るはずが無い、思いもよらない、ということのようだった。絵空事のように思ったのかもしれない。後は事が起きたら警察へということらしかったが、事が起きてからでは遅いし、起きること自体、その可能性があること自体、煩わしく怒り心頭の事である。そういったことについて何とも思わない人々ばかりなのだろうか。便利だ便利だというばかりで・・・。人々からそういったことについて問い合わせが相次いでいるといったことは聞かれないのだった。私は銀行からの帰り道、それこそ「貴重な」自分の時間をわざわざ割いてひとり馬鹿なことを言いに行っただけかもしれないと微かな孤独感を感じつつ帰ったのである。それを自慢するような余裕など毛頭ないのだった。自慢にもならないだろう。それからはそのことについて私は押し黙ったままである。おかしな「御懸念」ばかり言う人という烙印でも押されかねなかった。銀行員の言う「お客様の懸念」には、わざわざ「御」まで付いているのである。ところで以上に書いたこれらの危険性について私は、すべて企業側の責任範囲だと思う。もちろん犯罪を犯す者は論外だ。これらの処罰は徹底的に行うべきだろう。
 私はその時まだインターネットは始めてはおらず、新しく出来たネットバンク口座というものについて訊きに行ったわけだが、その利便性は十分承知していたもののパスワードが盗まれた時の危険性を考えて止めておいた方が良いかもしれないと思ったのだった。銀行などの金が絡む仕組みについては、パスワードのみに頼った場合、それが盗まれる可能性があるというだけで脅威である。いつ自分がその標的になるか分からない。たとえ私のように虎の子としか言えない微々たる預金であっても・・・。おそらく銀行では、いらぬ懸念をする人ということで嘲笑われただろう。でも笑い話で済んだのならまだよかった・・・。笑い話に収まるくらいのことを大真面目に言って嘲笑われるくらいの神経は私にもあるのだ。しかし出向くのは疲れる。まして、そんな役割は、それが好きな人もいるのだろうが私はまっぴら御免だ。誰かもっと優秀なその仕事をしている担当者か誰かがその自己責任で解決策を考え実現するのが一番良い、と思う。被害者が出る前に・・・。

 






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もう時計は深夜12時をまわったか・・・13oct2011

2011-10-13 | エッセイ

 散歩をしによく行くところに、山と田んぼがまだ残っているところがある。都会近郊にそういう場所として都市計画的に意図して残しているエリアだ。もちろん土地の人の協力もある。横浜市内だ。そこへ車で出かけて行き、散歩やジョギングをすると気持ちが良い。人も休日以外はあまりいない。車で来て束の間、都会に残されたほんの少しの自然を楽しもうという人は多いらしく、やはり近くから車で来て楽しんでいる人もいる。道脇の空いているところに駐車させている。都会近くのそういうことがまだ可能な場所なのだ。せちがらい都会では貴重だ。私は何度も訪れているので自然と駐車するところは大体同じところに決まっている。ここへ去年かあるいは今年に入ってからだと思うが、量は少ないもののゴミが捨てられるようになった。要らなくなった安物の本棚だったり、テレビ、その他家電製品だったりする。1点、4,5点といった具合に少量だ。しかし、ここは先にも述べたように緑多き美観を考えた地区なのだ。だからこの投棄はとても目立つ。先日はその品に不法投棄ゆえしばらくして処分する旨の張り紙がしてあった。しかしどういった人間が誰が捨てたのだろう。そこはここを訪れる人が気軽に駐車して楽しむちょっとしたスペースだ。もちろん正規の駐車場ではなく田舎などによくある駐車に向いた空いたスペースだ。皆、そこに車を止め、散策したりして楽しんでいて、むやみにそれをとがめだてする無粋な人間もいないし、また、一頃、公園などをやたら監視した警察なども、特には何も言わない。とにかくそういった普通の世界である。しかし・・・、その不法投棄の仕方はなんとなく不自然である。特に粗大ごみで出せば良さそうなものなのだ。仕方なしに誰かが通報したのだろうとは思うが、通報する人もそんなことでご苦労なことだと思う。また私の場合はそこで自然のフォトもよく撮るが、仮に駐車した車とそのゴミとが撮ったフォトに入っていて、ましてやそれらを何となくネットなどに載せたりして知らない他人が見れば、この車の主が不法投棄したのかと思われるかもしれない。馬鹿なそこまで思うかと言うかもしれないが(私ならそう言う)、そう思わなくても何となくそういった印象を持ってしまうかもしれない。ネットが発達して誰もが多くの人に発信できるようになった今、こういったことを逆に意図的に利用して何となくそれと印象付けて悪ふざけする輩もいるだろう。一部の若者などはそういったことに長けているかもしれない。なにせゲーム感覚でパソコンなどに親しんできた世代だ。この国には年寄りにもみみっちい悪ふざけ感覚の人も多い。意図的にやるならそれは、もう日本語がおかしくなってきていて死語になりつつあるかもしれないが、「他人に濡れ衣を着せる」とでも言えそうだ。若者にはそんな言葉も通じないかもしれないし、私自身多くはない日本語のボキャブラリーがなお薄れていく始末。
 また、今回のゴミのようなそういったものの「意味をどう受け取るか」ということばかりに関心があり、研究などしている困った人々もいる。過ぎたるは…と言えそうだ。他人の心理ばかり追求している人々、崩れた心理学者など、それだろう。似非(えせ)ものだ。意図的に仕掛けたりする。一時期、テレビで流行ったドッキリ、あるいはやらせのようなものにもそういったものはあっただろう。すくなくとも人をそういった形で試してはいけない。
 その少量の不法投棄ゴミは至らぬ人が偶然ぽいっと捨てたものと願うばかりだ。・・・同じところに何回も?


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