福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ドレスデン最後の夜 コルンゴルト「死の都」

2018-01-21 21:45:54 | コンサート
ティーレマンがクナッパーツブッシュ以降最高のワーグナー指揮者のひとりである。そう確信させてくれた充実の「リング」第1チクルスを終えた翌日、同じくゼンパーオパーにて、コルンゴルト「死の都」を鑑賞した。この劇場では、はじめてのロジェ席にて。



「死の都」については、4年前の3月に新国立劇場での2公演を観ており、その記憶がまだ朧気にある。
かなり乱暴に要約すると・・。
舞台はブルージュ。自ら死の都と呼ぶその街の館で、死んだ女房マリーの幻影、記憶とともに生きる男パウルが、マリーに瓜二つの若い娘マリエッタに出会い、錯乱のなか一度は結ばれるものの妻の幻影を追い出すことができ
ず、ついにはマリエッタを絞殺してしまう。が、最後にそれが夢であったことが分かり、死の都ブルージュを捨て、新しい街で生き直そう、と決意する物語。

公演はとても充実していた。
まず、パウル役のブルクハルト・フリッツとマリエッタ/マリー役のマヌエラ・ウールの声、演技に申し分がなく、特に有名な「マリエッタの歌」の陶酔的な美しさはいつまでも記憶に残りそうだ。
ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスに定評があるというウールの声量と美しい声質は特筆すべきもの。
わが国では新国立劇場「ローエングリン」への出演歴もあるようだが、本年5月、チョン・ミュンフン&東京フィルによる「フィデリオ」公演にて、レオノーレ役を務めるようなので楽しみだ。しかし、いつか彼女のブリュンヒルデも聴いてみたい。

ドミトリー・ユロフスキ指揮のオーケストラは、変拍子や複雑なリズムのところで、やや歯切れの悪さはあったけれど、そのサウンドの深さと格調高さは一流。

演出で目を引いたのは、映像の重用。第1幕の後半、舞台裏から聞こえる死せるマリーの声が、マリエッタに惹かれゆくパウルを苦しめるとき、背面の壁に揺らめくマリーのシルエットが大きく投影される様のなんと幻想的なこと!



とまれ、「神々の黄昏」翌日に、これだけレベルの高い公演をサラリと成し遂げてしまうゼンパーオパーの底力には恐れ入った。

このクロークの風景ともしばらくのお別れだな。

https://www.semperoper.de/spielplan/stuecke/stid/tote-stadt/61061.html


クルト・クヴェルナーに再会

2018-01-21 14:15:56 | 美術




2年前のドレスデン滞在時にわたしを虜にしたクルト・クヴェルナー(1904 - 76)の油彩3点と対面してきた。

上の2点、「帽子を被った自画像」「画家の両親」は、アルベリティヌムのノイエ・マイスター美術館にて。

もともとは、街中のポスターなどで気になっていたカール・ローゼの企画展がお目当ての訪問ではあったが、「土地柄、常設展にクヴェルナーがあるかも知れない」という期待が叶えられたものである。

ここでも、全く虚飾のない、真実だけを描こうという筆致が胸に迫る。



お昼を挟んで出掛けたのは新市街地のガレリー・ヒンメルである。明日のドレスデン空港までの乗り換えの下見に、ドレスデン・ノイシュタット駅まで出掛けたついでに訪ねることにしたのである。



日曜日のため、新市街地中のお店が閉まっており、ガレリー・ヒンメルも例外ではなかったが、それでも歩いた甲斐はあった。ショーウインドウに飾られていたのは、「天使の燭台を持った農婦」。たしか、二年前にも見た記憶がある。作品に大きな力があって圧倒される。



ただいま開催されているのはフリッツ・トレーガーという人の個展。全く馴染みのない名だが、展示室をウィンドウ越しに覗くかぎり、とても趣味が良さそうだ。
明日のアムステルダム行きのフライトが午後発のため、明朝、再訪することは可能かな。

ドレスデンといえば、旧市街地の街並み、建物の美しさに勝るものはないものの、多くの画廊のひしめく新市街地の創造的空気も悪くない。

2年前、どうにも咳の止まらないとき、新市街地のアポテーケ(ドラッグストア)に世話になったことも思い出した。こちらのハーブ・ティーの効き目の素晴らしさは、日本ではなかなか求められないことを知ったものである。