ティーレマンがクナッパーツブッシュ以降最高のワーグナー指揮者のひとりである。そう確信させてくれた充実の「リング」第1チクルスを終えた翌日、同じくゼンパーオパーにて、コルンゴルト「死の都」を鑑賞した。この劇場では、はじめてのロジェ席にて。

「死の都」については、4年前の3月に新国立劇場での2公演を観ており、その記憶がまだ朧気にある。
かなり乱暴に要約すると・・。
舞台はブルージュ。自ら死の都と呼ぶその街の館で、死んだ女房マリーの幻影、記憶とともに生きる男パウルが、マリーに瓜二つの若い娘マリエッタに出会い、錯乱のなか一度は結ばれるものの妻の幻影を追い出すことができ
ず、ついにはマリエッタを絞殺してしまう。が、最後にそれが夢であったことが分かり、死の都ブルージュを捨て、新しい街で生き直そう、と決意する物語。
公演はとても充実していた。
まず、パウル役のブルクハルト・フリッツとマリエッタ/マリー役のマヌエラ・ウールの声、演技に申し分がなく、特に有名な「マリエッタの歌」の陶酔的な美しさはいつまでも記憶に残りそうだ。
ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスに定評があるというウールの声量と美しい声質は特筆すべきもの。
わが国では新国立劇場「ローエングリン」への出演歴もあるようだが、本年5月、チョン・ミュンフン&東京フィルによる「フィデリオ」公演にて、レオノーレ役を務めるようなので楽しみだ。しかし、いつか彼女のブリュンヒルデも聴いてみたい。
ドミトリー・ユロフスキ指揮のオーケストラは、変拍子や複雑なリズムのところで、やや歯切れの悪さはあったけれど、そのサウンドの深さと格調高さは一流。
演出で目を引いたのは、映像の重用。第1幕の後半、舞台裏から聞こえる死せるマリーの声が、マリエッタに惹かれゆくパウルを苦しめるとき、背面の壁に揺らめくマリーのシルエットが大きく投影される様のなんと幻想的なこと!

とまれ、「神々の黄昏」翌日に、これだけレベルの高い公演をサラリと成し遂げてしまうゼンパーオパーの底力には恐れ入った。
このクロークの風景ともしばらくのお別れだな。

「死の都」については、4年前の3月に新国立劇場での2公演を観ており、その記憶がまだ朧気にある。
かなり乱暴に要約すると・・。
舞台はブルージュ。自ら死の都と呼ぶその街の館で、死んだ女房マリーの幻影、記憶とともに生きる男パウルが、マリーに瓜二つの若い娘マリエッタに出会い、錯乱のなか一度は結ばれるものの妻の幻影を追い出すことができ
ず、ついにはマリエッタを絞殺してしまう。が、最後にそれが夢であったことが分かり、死の都ブルージュを捨て、新しい街で生き直そう、と決意する物語。
公演はとても充実していた。
まず、パウル役のブルクハルト・フリッツとマリエッタ/マリー役のマヌエラ・ウールの声、演技に申し分がなく、特に有名な「マリエッタの歌」の陶酔的な美しさはいつまでも記憶に残りそうだ。
ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスに定評があるというウールの声量と美しい声質は特筆すべきもの。
わが国では新国立劇場「ローエングリン」への出演歴もあるようだが、本年5月、チョン・ミュンフン&東京フィルによる「フィデリオ」公演にて、レオノーレ役を務めるようなので楽しみだ。しかし、いつか彼女のブリュンヒルデも聴いてみたい。
ドミトリー・ユロフスキ指揮のオーケストラは、変拍子や複雑なリズムのところで、やや歯切れの悪さはあったけれど、そのサウンドの深さと格調高さは一流。
演出で目を引いたのは、映像の重用。第1幕の後半、舞台裏から聞こえる死せるマリーの声が、マリエッタに惹かれゆくパウルを苦しめるとき、背面の壁に揺らめくマリーのシルエットが大きく投影される様のなんと幻想的なこと!

とまれ、「神々の黄昏」翌日に、これだけレベルの高い公演をサラリと成し遂げてしまうゼンパーオパーの底力には恐れ入った。
このクロークの風景ともしばらくのお別れだな。
https://www.semperoper.de/spielplan/stuecke/stid/tote-stadt/61061.html