明鏡   

鏡のごとく

時代精神と言うもの

2009-06-19 21:03:49 | 小説
『時代精神』というもの



                   核 と 絶叫 (前半) 



三軒茶屋辺りをうろついていた。

とあるカフェで、イスラエルによるガザ侵攻があった現状を見て来たシバレイさんの話を聞く為にやって来たのであるが、先ほどの道玄坂や赤報隊のなごりを嗅ぎつつ、足や鼻をひくひくさせながら歩いて来て、すでに、身体や意識が疲労を感じはじめていた。

やっとそのお店を見つけて、扉を開けようとしたが、まだ時間も早い事もあって、話を聞きに来ている人は、ほとんどいないようであったので、もう少し、ここいらを歩いてみようと、商店街のほうに足を向けてみることにした。

道の向こうには、交流会館なのか、公共の建物らしきところがあり、そこに踏み込むとどこからか太鼓の音が鳴っていたので上の階にあがってみる事にした。

開かれた広いフロアで、アジア系やヨーロッパ系の外国人の人達が、「藤娘」の格好をして、踊っているところであった。


藤の花房が、人工の光さす天井の下、くるくると空に色を止めどもなく流すように、揺れていた。


藤の花は、花の導火線のように、花房のひとつひとつを順々に枯らし落として行くと聞いた事がある。

燃やすのではなく、咲いた後、静かに干涸びて、誰のせいでも誰のためでもなく、落ちて地に帰って行くのである。

そうして、花の咲いた幻影のほんのひとときを、緑の細い蔦が絡めとりながら、吸い続けながら、じわじわと生きながらえていくのである。


日本の今。今の日本に似ている。

と、その時、漠然と思った。


現状を見ているのか見ていないのか分からないが、日本は島国であり、江戸研究の延長線上の鎖国状態であると言う人もいるが、実際の日本、実態としての日本は、はたして、そのようなものであるのか。と。


見えやすい、見え透いた漫画大国、ゲーム、パチンコ大国日本としてではなく、むしろ、オウム事件や統一教会事件のように一目では見えにくい宗教大国としての日本の方に、意識の蔦がしゅるしゅると向かっていくようなのであった。

漫画とゲームがコラボしたり、可愛い大使を送ったり、パチンコや統一教会のお金の一部が北朝鮮に渡ったりするという現実もある一方で、イラクでの仮想戦場で撃ちまくるゲームを作ろうとする日本が見え透いた分かりやすい日本であるとするならば、宗教の世界においての日本は、一体どのようになっているのだろうと。



部外者としての宗教体験的なものは、子どもの頃、過ごした事のあるイランで聞いた、ある叫び声であった。

アローホアキバル(神は偉大なり)

と、イラン・イラク戦争中にイラクからやってきた爆撃機の空襲の後や、何かの決めごとがあったのだろうか、部外者の異国人の自分達家族には、その示し合わせも知らされぬまま、屋上に出て、一定の時間をかけて絶叫するイランの人たちを見て、叫び声からどうしようもなく響いてくる秋波を、何かに伝えようとしている野生動物の遠吠えのようなものを、耳を塞いでみたとしても、体中が感じ続けていたのであった。

未だにあの声達は耳に残り続け、この戦争やこの宗教的なるものが合い言葉となるような、共通感覚を一瞬にして作り得るものとは一体なんなのであろうかという思いから逃れられなくなったような気がしていたのである。

宗教的なるもの、信仰、戦争というものに、真っ向から向き合う事が出来ないような自分がずっとおり、宗教に限らずとも、右や左も知らず、無政府主義や核で騒動を巻き起こしている北朝鮮の主体主義のなんたるかさえも知らない自分にとって、その何たるかを知るには、直接、その時代を生きている人、生きた人たちの、今なお生きている言葉をひっくるめての身体を通した言葉や声をその場に行き、その場で聞く事でしか、その「何か」を身体ごと知る事が出来ないのではないかという思いが、いつもどこかにあった。

それは、その叫び、絶叫のようなものは、何もなかったように平和であった日本に帰って来ても、どこかでくすぶり続けていた「何か」に触る類いのものであった。


自分の今住んでいる日本だけでなく、韓国や北朝鮮、中国、ソ連でさえも、そういった何かしら、宗教的なるものの大きな網の目が掛かっているのではなかろうかと、ここ何年か思い続けていたのもあった。


亜米利加国内においても亜米利加政府の内部犯行と噂し続けられている911事件が起こったり、ビンラディンを探しているようでアフガニスタンをむちゃくちゃにしたり、はじめからなかった大量破壊兵器を血眼に探す亜米利加政府とイラクの人たちがフセインを生け捕りにし首つりにしたり、サブプライムローンの破綻、リーマンブラザーズ、GM破綻と世界を揺さぶり続けている金融危機の一連の動きの渦に巻かれて、底を見たような気がしたとたんに、目くらましをされるように、海賊船の話や、核の傘の問題を突きつけるように、黒い水のようなどろどろとした汚泥が、底の底から一気に吹き出して来たようであり続ける世界の中の日本。


複雑に絡む金融と戦争の根の深い藤の蔓ように、地の底にはびこり、地上においても何かの支えを見つけては、世界中をゆるゆると締め付けながら最初は柔らかく、しかし、しがみつくと離れない藤の蔓が、そこかしこを浸食しているような気がしていたのである。


「赤報隊」を名乗るものからのNHKへの銃弾送りつけ事件もそのひとつでしかなく、引っ掛かり続けていたものの、北朝鮮の近隣諸国の世論の不安を煽るようなテポドン騒ぎも、また、何かしら絡めとられ、吸い付かれて行くものを感じさせていたのである。



そもそも、そのように思うようになったのは、ある女子相撲の映画で、戦争反対の詩を読ませてもらったことがきっかけで友人となった映画監督の方の体調が芳しくないという事をお聞きした頃からだった。

その映画で、戦争反対の立場から、ほんの二、三年前迄は誰にも知られる事なく遠い国の事のように思われていたイランでのロケもしたいということをお聞きした時に、自分にとって遠い過去に結びつけられる、一本の蔓のような、あるいは、叫び声に似た響きを持つ一編の詩でもって、その見えにくい「何か」を捉え、その言葉の先にあるものを予感させるものがあったのである。

監督は、最初は、イラク戦争の現状を捉えたかったという事であった。

イラクで高遠菜穂子さん達の拉致事件が起き、ボランティアとして地元の方々と関わっておられた高遠さんがいたこともあり無事に解放された後も、自己責任と言うバッシングを受け、その後にも報道関係の方や、地元の武装勢力の人たちに殺されて亡くなったと言われていた方もいたこともあり、イラクに行く事が自粛されていた為、イランに矛先を向けたのである。

その頃から、亜米利加やイスラエルがいつイランに攻撃をかけるかと言う事もささやかれていたけれど、ちょうどそれを前後するかのように、国際情勢に詳しい田中字さんのメールマガジンで、イランに行くという事を書いておられたので、面識がないながらも、メールにて、今イランに行っても大丈夫であるかと言う内容のことを伺ったところ、

もしイランで死ぬとしたら、盲滅法につっこんでくる車にはねとばされることぐらいではないか。

といった、イランの交通事情の荒っぽさや過密さを考慮しての、心配はないのではないかと言うような言葉を返してくださったので、二十数年ぶりに、イランに行く事を決意できたのであった。

子どもも二人いるので、子ども達にも、懐かしいイランを見せてみたいという思いから連れて行くことにしたが、現地には映画の下見として、まず行ったので、初の海外渡航がイランになって、仕事の休みを利用してついて来てくれる事になった夫は、

もしかして亜米利加とか行く時に、妙に調べられたりして。

と、冗談めかして、笑っていた。

そもそも夫が田中さんのタリバンに関する本を読んでいたのを、奪うようにして読んだ経緯があり、夫は田中さんの語る中から垣間見たであろう中近東的なるものに少なからず興味があったといえるが、子ども達は訳も分からずついて行った二十数年前の自分のように、ただ、知らないところを旅してみたいと言う、旅本来の意味において、何も植え付けられてないままの、子ども達自身の生の目で見たままのイランを、心に残してほしいと思ったのである。

イランには、まだ、どこか日本が今にもなくしつつあるような、なつかしい「何か」があるような気がしていたのもある。

少なくとも、その時の自分は、そう思っていたのである。

実際にイランに行ってからも、イランの人は、こども達をだっこしたり、話しかけて来てくれたり、乗り合いバスに乗って、行き先が分からなくなると、日本語で教えてくれ、降りる間際に、泥棒には気をつけて。等と気を使ってくれる人もいた。

その時、久しぶりに、ペルシャ語(ファルシー)の言葉の中で、流され続けたような、その場の出来事を、その場で思考され使われて、積み上げて行かれるものの厚みの違い、その異言語空間においては、語られる対象もまた違ってくるような感覚を持った。

それは外国にいる時に必ずやってくる感覚であるが、それをとっぱらったところの、利害関係のない、ただ知り合いたいと言うような、言葉のいらないような身体の言葉によって繋がった感覚は、よっぽどの事がない限り、簡単には切れたりはったりする事はない気がするのも確かなことである。

日本にいながら見るニュースの中の異国としてのイランと、イランの内側にいながらにして見ているつもりで見られている異国人の、相互関係の繋がりの強度が、つつまれ方からして違ってくるのは火を見るよりも明らかであろう。



それにしても、どこの国にいて、どこの国の言葉を駆使していたとしても、今年に入ってからというもの、金融危機から目を背けるようしむけられたかのように矢継ぎ早に危機が続き、つつまれるどころか、思考停止を迫られるような事件が起こって行った。

ガザにイスラエルが攻め入り、ライフラインを断ち、追い討ちをかけるように、爆撃を繰り返し、一時休戦といいながら、ガザを攻撃している場面がネット上で映像とともに流れ走っていたのも、ほんの半年前の事であった。

それが、飛び火して、イランとイスラエル、あるいは亜米利加が戦争を起こすかもしれない危機を煽りながら、北朝鮮におけるミサイル発射騒動や核実験が、次々に起こっていくという流れ。

しまいには、ニュースで北朝鮮のスポークスマンと呼ばれるものが日本が標的等と云い出す始末であるから、世界の核を持っていたり、核を作ろうとしている国を支えている武器商人としての、国際金融資本は、まったくもって、狂っているとしか言いようがないと言える。

そういっている合間にも、亜米利加では着々とドルを刷り続け、その責任をとろうともせずに、踏み倒そうとしている現実がある。

つぶれそうだと言っては、救済措置と言って、金を刷り続け、鉄道を敷き、原発を作り、核兵器を持ち、その技術をちらつかせ、他の国に売りつけ、借金させながら、自分たちの国という殻を被った大きな借金という名の財産をそっくりそのまま別のところに保存したところを見計らっては、その借金はなかった事にして、踏みたおそうとしているのである。

詳しい企業の名前やそれを実行している人たちの名前は知らずとも、誰が見ても、全く馬鹿げた世の中であるのには、変わりはない。

テレビでは、外資系の生命保険がお得ですよと繰り言のように刷り込み続け、金を吸い取ろうとしているし、郵政民営化で赤字と言われているところのものは、普通の生命保険会社では、目をつぶって、運営に廻されて、どこに一体使われているのかさえ理解しかねるような類いのものであったり、どこかの弁護士事務所が、個人の借金を助けますと言う宣伝をしては、馬鹿みたいに高い借金を吹っかける方もどうかと思うが、それを借りる方にも問題はもちろんあるであろうが、それの踏み倒しを進め続ける弁護士が、まるで、亜米利加政府の、サブプライム、リーマンブラザーズ、GM破綻を踏み倒す事を奨励していることの、縮小版に見えてくるのである。

世界は実は、入れ子構造になっていて、小さな借金を踏み倒して、得をしたような気になっているうちに、あるいは、定額給付金をもらって何かに使った矢先に、消費税で一生涯絞られ続けようとしたり、もっと大きなところで、借金を踏み倒され続け、どこに行ったか分からなくなり、一部のもの達が潤い続けるような、あぶく銭が永遠に廻って行くような仕組みを作っているのが、金本位制を取っ払って、湯水のようにお金を刷り続ける事が、いかにも当然で、あたかも正義か、義務であるかのように見せかけ、宗教法人、財団法人、政治団体を作っては、お金を底に溜め込む仕組みになっている事に、だんだんと誰もが気づきはじめているのである。

何も知らないものとしての自分にも、蔦はいつの間にか伝わって来て、首をしめつけようとしているような息苦しさなのである。

おかしい。

この世界は、やはり何かおかしいと。


絶叫が、どこからともなく、聞こえて来るような。

それは、世界を、揺さぶり続けて、もうけをかすめ取ろうとしている金融危機といった一連の動きの渦に巻かれて底を見たような気がしたとたんに、目くらましをされるのに抗うよう、一気に吹き出して来た声のようにも思えるのである。


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イランでのロケ候補地の下見が済んで、大方の見通しが立ったところで、自分はあるひとつの覚悟を持つところとなった。

女子相撲の映画の中で、唐突にも、突拍子もないと言えるほどの設定で入り込んでくるイランでのシーンを撮るという事で、手探りなままイランロケのコーディネートをして、再度イランに撮影に行こうとしていた時、元新聞記者であった伊藤明彦さんが、原爆にあったときのことを聞いて廻ったCDを無料で配っておられるのを、どこかの新聞の片隅で見つけて、お手紙を差し上げたところ、直前に郵送で届けてくださった、その中の一枚を持って行ったのである。

ピカが落ちた時の、絶句したままの叫びにもならないような叫びをイランのどこかへ届けるつもりだったのである。

ピカが落ちて、学校に迷い込んだ時に、向こうから誰か知らない人がやってくるように見えた。
よく見ると、火傷のかたまりなのか肉なのかわからない自分が立っていたという女性の話。

あるいは、月見草が死者の山積みになった土饅頭の上にやけにつやつやと咲いていたのを見て、嫌いになったという女の人の話が、ぽつりぽつりと、何もないところから聞こえてくるにも関わらず、昔、聞いたあのアローホアキバルの絶叫の秋波と並走しているかのようであったのだ。

その爆弾の破壊力や、その波の激しさは比べようはないのであるが、叫びの秋波すらも一瞬にして吹き飛ばすものが、ピカ、原爆なのである。

そのCDをせめて日本語の分かるイランで通訳をしてくれた方に聞いてもらうように、最後に別れる間際に渡した。

爆弾でも散弾銃の弾でも、ましてや核でもなく、生の言葉を届けただけである。


もう、このような馬鹿げた事は、やめた方がいい。

武器商人達の核の駒になったりするゲームを投げ出し、まともな世界を作ろうとしないのは、なぜなのだろう。

死んでしまっては、ゲームも金も、なにもない。

気に入らなければ、気紛れに、からかうように、じわじわと、知らぬ間に忍び寄って、殺しにくるだけの世界に希望などはない。


もしもゲームではなく、ある種の絶望に限りなく近い希望のようなもの、生きとし生けるものの魂のようなものがあるとするならば、それは宗教の笠を着たり、ありもしない核の傘を見せつけるという類いのものではなく、「時代精神」のようなものとして、少しの間でも、垣間見れる事ができるような、そのゆくすえを見届け、見守りたいとも思えるようなものであると、蔓の先の先が掴もうとしているようなものを、密かに思っているのである。


(続く)