戦争は知らない を 生でお聞きできた。
カルメンマキさんのために故寺山修司さんが書き下ろしたというこの歌を、少し前迄、封印していたというお話を聞き、40年程の年月で、何かが変わって行くというサイクルを思う。
この歌は私なりの反戦歌です。
と彼女は言った。
時には母のない子のように で 英語と日本語の入り交じるなかで、英語を歌う時、なぜか彼女の声は力強く上を向いて、日本語を歌うときは、どちらかというと押さえるように下を向いていたような気がした。
その押さえているような部分に身震いと最初は左目から次に右目から涙がじわじわやってきた。
底知れぬ哀しみのようなものは、たぶん、彼女の別の部分の引き裂かれているものを連想してしまっていたからかもしれない。
彼女自身の作詞の歌で、てっぺん という歌をはじめてお聞きし、今だからこそその奥底の意味のようなものが何となく分かるようになった気がしたが、この歌の前に、やはり、寺山の 友だち という詩を朗読していたのが、おもしろかった。
寺山の 友だち という詩が、男の眼差しであるなら、てっぺん は女の眼差しが込められており、陰陽的な掛け合い、相聞歌、相対化された作品として、おもしろかったのもある。
寺山の女性に対する距離感は、たぶん、こんなかんじだったのだろうなというような詩であったが、カルメンマキさんの歌は、正直、そのまま、生身の言葉であったので、一番自分の中にすっと入って来て、しっくり来た。
ご自分の事を歌われているように思えたからかもしれないが、口に出しては言えない哀しみのようなものもてっぺんに昇華されて行くような力があった。
相聞歌的?なものがもう一つあり、
中原中也の詩 北の海 で
海にいるのはあれは人魚ではないのです 海にいるのは あれは浪ばかり
というようなフレーズがあるが、これにも、彼女なりの答えのような歌 人魚 を次に持って来ていた。
愛された事のない男がひとり 死んだ人魚に恋をした
と口火を切り、
あれは人魚 あれは人魚
と応えている。
自分も、そういわれたら、そう応えるに違いない。
全て、暗闇で浮かび上がってくる映像が聞こえてくるような物語性。
ピアノも 時に 波のように 海のようで、
ヴァイオリンも 時に 風のように 汽笛のようで、
それぞれの世界を持って、それぞれを支え、共鳴しておられる関係性の心地よさに、どっぷりと浸かっていた。
できたてほやほやのCDを聞きながら帰った。
あのセントジェームス病院!の浅川マキさんとムッシュの曲 にぎわい 。
街角 も また いい。
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話は全然違うが、
他の国を威嚇し続け、
戦争をあおる事しか考えないとはなんとこころのまずしい事であろうか。
力ばかりに、かまけるものは最後は、己の鏡像を割らそうとしたとたんに、己をも滅ぼすだろう。
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