イランには水飲み場のようなものがあるのに気づいたのは、大人になって、映画の撮影の下見として、二十数年ぶりにイランを再度訪れた時であった。
子どもたちと夫と一緒に家族で行った時、街中のプラタナスの歩道を歩いて、大きな森のような公園に迷い込み、つらつらと歩いている時に、見つけたのだった。
日本の温泉の源泉掛け流しの湯に、よく添えてある赤錆がかったコップで、ご自由にどうぞ。というような飲むための温泉のように、イランには道の途中に、泉のように湧き出る水が飲める水飲み場「サッカハーネ」があった。
やはりプラスチックのコップが置いてあり、それを使って、飲みたいものが自由に飲めるようになっていたのだった。
ダマバンドの山々の雪解け水が源流であろう貴重な水を、このように惜しげも無く飲める場があることに、なぜ、二十数年前は気づきもしなかったのであろうか。
それほど、水を求めてさまよい歩くことなどなかったということであろうか。
確かに、この時の我々には、なにひとつ手がかりもなく、ただ昔通った道や、学校や、家を彷徨い歩きながら探す記憶と匂いだけがたよりの、生まれた川を逆流するという鮭のように、時間を逆流しているようなものなのだった。
その「サッカハーネ」の水の溜まった槽を取り囲む格子の柵に、リボンのような白い布きれが結び付けてあった。「サッカハーネ」は公共の水飲み場であるとともに、そこで暮らすものの祈りの場でもあるという。
そこで水を飲むことの、祈りのような一口で、人は乾いた内面をも満たすのである。
人は、宗教的な祈りの場としてというよりも、個人的な祈りを成就するために「サッカハーネ」で布を結ぶというのである。
メタルのようなものを結ぶものもいる。
誰も読み解けないような呪いのような文字を刻んだメタル。
あの時、私の書いたささやかな白い短冊の願い事も、ある意味、誰も読めないような呪文のような象形文字か現生人類の描いた壁画のような絵が添えられていたかもしれないが。
その願いごとは笹の葉とともに、焼かれて灰になり昇天してしまったのだろうが、「サッカハーネ」の白い布はくすんでしまってもなおそこにひらひらとまっていたのだった。
子どもたちと夫と一緒に家族で行った時、街中のプラタナスの歩道を歩いて、大きな森のような公園に迷い込み、つらつらと歩いている時に、見つけたのだった。
日本の温泉の源泉掛け流しの湯に、よく添えてある赤錆がかったコップで、ご自由にどうぞ。というような飲むための温泉のように、イランには道の途中に、泉のように湧き出る水が飲める水飲み場「サッカハーネ」があった。
やはりプラスチックのコップが置いてあり、それを使って、飲みたいものが自由に飲めるようになっていたのだった。
ダマバンドの山々の雪解け水が源流であろう貴重な水を、このように惜しげも無く飲める場があることに、なぜ、二十数年前は気づきもしなかったのであろうか。
それほど、水を求めてさまよい歩くことなどなかったということであろうか。
確かに、この時の我々には、なにひとつ手がかりもなく、ただ昔通った道や、学校や、家を彷徨い歩きながら探す記憶と匂いだけがたよりの、生まれた川を逆流するという鮭のように、時間を逆流しているようなものなのだった。
その「サッカハーネ」の水の溜まった槽を取り囲む格子の柵に、リボンのような白い布きれが結び付けてあった。「サッカハーネ」は公共の水飲み場であるとともに、そこで暮らすものの祈りの場でもあるという。
そこで水を飲むことの、祈りのような一口で、人は乾いた内面をも満たすのである。
人は、宗教的な祈りの場としてというよりも、個人的な祈りを成就するために「サッカハーネ」で布を結ぶというのである。
メタルのようなものを結ぶものもいる。
誰も読み解けないような呪いのような文字を刻んだメタル。
あの時、私の書いたささやかな白い短冊の願い事も、ある意味、誰も読めないような呪文のような象形文字か現生人類の描いた壁画のような絵が添えられていたかもしれないが。
その願いごとは笹の葉とともに、焼かれて灰になり昇天してしまったのだろうが、「サッカハーネ」の白い布はくすんでしまってもなおそこにひらひらとまっていたのだった。