明鏡   

鏡のごとく

『白い短冊と白い布』ニ

2014-07-08 22:48:39 | 小説
 イランには水飲み場のようなものがあるのに気づいたのは、大人になって、映画の撮影の下見として、二十数年ぶりにイランを再度訪れた時であった。

 子どもたちと夫と一緒に家族で行った時、街中のプラタナスの歩道を歩いて、大きな森のような公園に迷い込み、つらつらと歩いている時に、見つけたのだった。

 日本の温泉の源泉掛け流しの湯に、よく添えてある赤錆がかったコップで、ご自由にどうぞ。というような飲むための温泉のように、イランには道の途中に、泉のように湧き出る水が飲める水飲み場「サッカハーネ」があった。
 やはりプラスチックのコップが置いてあり、それを使って、飲みたいものが自由に飲めるようになっていたのだった。

 ダマバンドの山々の雪解け水が源流であろう貴重な水を、このように惜しげも無く飲める場があることに、なぜ、二十数年前は気づきもしなかったのであろうか。

 それほど、水を求めてさまよい歩くことなどなかったということであろうか。
 確かに、この時の我々には、なにひとつ手がかりもなく、ただ昔通った道や、学校や、家を彷徨い歩きながら探す記憶と匂いだけがたよりの、生まれた川を逆流するという鮭のように、時間を逆流しているようなものなのだった。

 その「サッカハーネ」の水の溜まった槽を取り囲む格子の柵に、リボンのような白い布きれが結び付けてあった。「サッカハーネ」は公共の水飲み場であるとともに、そこで暮らすものの祈りの場でもあるという。

 そこで水を飲むことの、祈りのような一口で、人は乾いた内面をも満たすのである。

 人は、宗教的な祈りの場としてというよりも、個人的な祈りを成就するために「サッカハーネ」で布を結ぶというのである。
 メタルのようなものを結ぶものもいる。
 誰も読み解けないような呪いのような文字を刻んだメタル。

 あの時、私の書いたささやかな白い短冊の願い事も、ある意味、誰も読めないような呪文のような象形文字か現生人類の描いた壁画のような絵が添えられていたかもしれないが。

 その願いごとは笹の葉とともに、焼かれて灰になり昇天してしまったのだろうが、「サッカハーネ」の白い布はくすんでしまってもなおそこにひらひらとまっていたのだった。
 
 
 

 
 

地震

2014-07-08 08:16:16 | 日記
[グアテマラ市 7日 ロイター] - メキシコ南部で7日、マグニチュード(M)7.1の地震が発生し、メキシコとの国境に近いグアテマラのサン・マルコスで少なくとも3人が死亡した。

グアテマラ当局によると、地震によって建物が倒壊したほか、地滑りが発生した。

震源地はチアパス州タパチュラ市の西南西35キロ、震源の深さは約75キロ。

サン・マルコスでは2012年11月にもM7.4の地震があり、48人が死亡している。

*内容を追加して再送します。

七夕小説

2014-07-08 00:39:05 | 小説

マイミクさんが紹介していた太宰の七夕の小説。lhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1093_20123.html

の時代と、また違う角度から、つらつらと書いてみようと思う。
あの時代とは違う。という角度から。
太宰先生へのひとつの答えとしてかけたら幸いである。


『白い短冊と白い布』

あの時、七夕の白い短冊にかいたお願いがなんだったか、すっかり忘れてしまっていた。

あれは私が幼稚園に入って初めての七夕だった。

七夕の歌を合奏するとき、ピアニカがうまく吹けなくて、トライアングルをならすことにした。

2つずらして重なった△の金属音は星形になる、ダビデの星みたいだ。
などと思うはずもなく、ただ星のきらきらしたイメージを響かせ確かめるように鳴らしていた。


にしきのたんざくわたしがかいたおほしさまきらきらそらからみてる


金の短冊と銀の短冊は二色の短冊、あるいは錦の短冊か。そんなことも考えるはずもなく、願い事をしたのだった。

もしかして、

お父さんと一緒に住めますように。

そう書いたのかもしれない。

父は、革命前のイランに柔道の先生として派遣されていた。

夏休みになったら、私達も父の後を追うようにイランに行くことになっていたのだ。