明鏡   

鏡のごとく

中国人の来日目的が観光から「敢行」に変わる日

2015-03-05 13:49:00 | 日記
http://www.sankei.com/world/news/150302/wor1503020013-n1.html


中国人の来日目的が観光から「敢行」に変わる日がないように、強く中国に求める。


http://www.excite.co.jp/News/world_g/20150305/Mainichi_20150305k0000e030202000c.html

無法危険地帯

2015-03-05 09:20:15 | 日記
[ソウル/ワシントン 5日 ロイター] - リッパート駐韓米国大使(42)が5日朝、ソウル中心部で開かれたイベントに出席した際、男に顔を切り付けられ負傷した。警察や目撃者が明らかにした。目撃者や報道によると、大使の顔からは血が流れていたが、自力で歩くことはでき、その後病院に運ばれたという

米ホワイトハウス当局者は、大使の容体について、命にかかわるような状況ではないと語った。オバマ大統領は事件を受け、大使に見舞いの電話を掛けた。


警察は、男の身元についてキム・ギジョン容疑者(55)と発表。事件発生当時、男は韓国の伝統衣装を着て、韓国と北朝鮮は統一すべきだと叫んだ。また、戦争訓練反対とも叫んでおり、これは今週始まった米韓合同軍事演習を意味しているとみられる。

目撃者の1人は「大使は座席にいながら抵抗した。血痕が残っており、顔の右側に7インチ(約18センチ)の切り傷があった」と証言。取り押さえられた男の様子については、「反米、反帝国主義的のように聞こえる」言葉を叫んでいたと話した。

*内容を追加しました。



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[ソウル 5日 ロイター] - リッパート駐韓米国大使(42)が5日朝、ソウル中心部で会合に出席した際、何者かに顔を切り付けられた。警察や目撃者が明らかにした。

目撃者や報道によると、大使の顔からは血が流れていたが、自力で歩くことはでき、その後病院に運ばれたという。

警察は、容疑者の取り調べを行っているとしている。

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【ソウル=加藤宏一】リッパート駐韓米国大使は5日午前7時半すぎ、ソウル市内の会合に出席した際に男にナイフで顔などを切りつけられ、負傷した。命に別条はないもよう。容疑者は左派系団体の関係者で、駆けつけた警察官にその場で身柄を拘束された。聯合ニュースによると、容疑者は現場で、2日に始まった米韓合同軍事演習への不満を叫んだという。

5日、ソウル市内で襲われ負傷したリッパート駐韓米国大使=ロイター
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5日、ソウル市内で襲われ負傷したリッパート駐韓米国大使=ロイター
 リッパート氏はソウル市中心部の世宗文化会館で開かれた南北統一をテーマにした市民団体主催の会合に出席し、男に長さ25センチの果物ナイフで右ほほと手首を切りつけられた。韓国のテレビ局が報じた映像によると、大使は襲われた後、顔から血が流れており、切られた右ほほをハンカチで押さえながら、自力で歩いて車に乗り込み、病院に向かった。

 韓国メディアによると、駐韓米大使が韓国内で襲われたのは初めて。容疑者は左派系団体に所属する54歳の韓国人男性で、2010年7月、島根県・竹島(韓国名・独島)を巡る日本政府の対応に反発して、当時の重家俊範駐韓日本大使にコンクリート片を投げて捕まり、有罪判決を受けている。

 オバマ米大統領は4日夜(日本時間5日午前)、リッパート氏に見舞いの電話をかけて「早期の回復を願っている」と伝えた。米国家安全保障会議(NSC)のミーハン報道官が明らかにした。米国務省のハーフ副報道官は「暴力行為を強く非難する」との声明を発表した。

 オバマ氏の側近でもあるリッパート氏は、米国防次官補の経験もあり、アジアの安全保障問題の専門家として知られる。駐韓米国大使への起用は米韓関係重視とみられた。米主要メディアは事件を速報した。

 与党セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表は5日、声明を発表し「米大使へのテロは韓米同盟へのテロだ」と批判した。韓国政府は事件を受けて緊急次官会議を開いた。


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ワシントン時事】米国務省のハーフ副報道官は4日声明を出し、リッパート駐韓米大使がソウルで暴漢に襲われた事件について「この暴力を強く非難する」と表明した。また、真相究明のため「米大使館と韓国治安当局が協力している。これ以上の詳しい情報はない」と述べた。
 リッパート大使の生命に別条はないという。国家安全保障会議(NSC)のミーハン報道官によると、オバマ大統領は大使に電話し、早期に回復するよう願っていると伝えた。
 これに先立ち、CNNテレビに出演していたハーフ副報道官は、顔を切り付けられたリッパート氏の写真を見て「韓国は非常に安全な場所だと思っていた」とショックを隠せない様子だった。米主要メディアも至急報で事件を伝えた。
 米韓関係をめぐっては、シャーマン国務次官(政治担当)が2月27日、戦後70年に関する講演で、日本と中韓の対立について「愛国的な感情が利用されている」と発言したことから、韓国メディアが一斉に批判していた。 


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どのような理由があるかはしらないが、大使を切りつけるとは国際法的に違反する。
無法が過ぎる。
すでに国ではない。

だまされたまやかしの戦後50年談話を破棄するべき

2015-03-05 08:17:25 | 日記


https://twitter.com/tolucky7797より以下抜粋


【戦後50年談話③了】土井たか子議長の”奇襲作戦”により衆議院の過半数を下回る230名の賛成で1995年6月の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は可決された。わずか6分間の早業だった。朝日新聞はなぜ、こうした事情をちゃんと記事に書かないのか。

【戦後50年談話②】1995年6月9日は金曜日だった。「今日は採決しない」との通達が回り、国会議員は退席した。ところが、午後7時53分、土井たか子議長が突然、本会議開会のベルを鳴らした。出席したのは492議員中、251名だけだった。午後7時59分、賛成230名で決議は可決された。

【戦後50年談話①】安倍氏は国会決議を欠席、村山首相は談話を決断(朝日)http://digital.asahi.com/articles/ASH330G9RH32UTFK01N.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH330G9RH32UTFK01N …
>この記事では、1995年8月15日の村山談話に先立って行われた6月9日の国会決議に安倍晋三議員ら自民党保守派が反発して欠席したように書いてある。真っ赤なウソだ。

→南京戦を取材した250人の日本人のマスコミ関係者の中で戦後になって南京大虐殺を告発した人は一人もいない。
だが、朝日新聞で連載が始まった『中国の旅』の中で南京戦のときに5歳だった本多勝一記者が南京大虐殺を伝えた。中共が用意した自称・被害者の言葉をそのまま記事にしたのだ。→

杉下左京 @tolucky7797 · 16時間 16時間前
→勿論、この朝日新聞の報道は嘘だったなのだろう。市民を保護していた南京安全区国際委員会は食料確保のために人数確認をした。その数は12月13日の首都陥落前が20万人だったが、1月には25万人に増えていた。逃げていた市民が返ってきたのだ。無論、このデータも捏造に違いない。→


→当時、南京陥落を取材するために朝日新聞や東京日日新聞などの記者やカメラマンなど250人のマスコミ関係者が南京戦に従軍した。朝日新聞は南京陥落後1か月間で6回も南京特集を組んだ。そこには皇軍兵士から食料を貰い、笑顔の市民や、軍医の診察を受ける親子の姿などが伝えられている。→


→そこにやってきた残虐な日本の獣兵が30万人の南京市民を銃剣を使って僅か6週間で虐殺したらしい。でも不思議なことに、日本軍は外国人居留地にいる難民のために食料を寄贈して安全区国際委員会から感謝状を貰っている。大虐殺の前に難民にたっぷり食べさせたということか?→

→つまり、哀れにも性奴隷たちは日々、延べ400万~600万人の兵士に強姦されていたというのだ。これを兵士の側から見ると、毎日2~3人の女性を強姦していたことになる。
また、南京では蒋介石ら幹部や金持ちは逃げ去り、行くところがない市民20万人が外国人居留地に保護されていた→

→『慰安婦20万人残酷物語』や『南京30万人大虐殺』を否定する者はholocaust否定のneo-Naziと同じrevisionist(クソ野郎)ということになる。
大東亜戦争中、皇軍が展開した兵力は200万~300万人。性奴隷20万人は毎日20~30人に強姦されていたらしい。→The Times氏によると籾井NHK会長は“a nationalist broadcasting chief who has revisionist views on the country’s conduct in the Second World War”.となる→

ソ連のスターリンもまた日本を戦争に巻き込む事を画策していた。支那大陸で日本と国民党を戦わせる。どちらが勝ち残っても疲労困憊しており、そこを無傷の共産党八路軍が叩く作戦だ。スターリンの目論見は的中した。勝ったのはスターリンと毛沢東、負けたのは植民地を喪失した米英蘭、そして日本だ。

徳川家康が天下獲りのために「関ヶ原」を欲したように、FDRはWW2に参戦する大義名分として「パールハーバー」を必要としたのだ。11月26日、米国は事実上の最後通牒であるハル・ノートを駐米日本大使に手交した。実は、この草案を書いたのはコミンテルンのH.D.ホワイトだった。

「昭和16年7月28日、皇軍は南部仏印に進駐。これを受けて米国の日本への原油輸出(当時に日本は原油の8割を米国に依存)が禁止され、日米関係が悪化した」ということになっている。
だが、FDRは7月18日に日本への空爆を求める米軍の書類にサインしていた。→

杉下左京 @tolucky7797 · 3月3日
開戦の御詔勅⇒http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm …

昭和20年8月15日の「終戦の御詔勅」は多くの人が知っている。しかし、戦後になって昭和16年12月8日の「開戦の御詔勅」を知る者が減った。
だから「日本はあちこちに喧嘩を売りまくって、その結果、焼け野原にされた」という「連合国戦勝史観」に洗脳された馬鹿ばかりになった。

偶偶多摩散歩 @hexagram6star · 3月3日
資源国じゃないのに、世界中に県下売りまくって、最後に頼ったアメリカにも「ざけんな!」と手を切られて、開戦。燃料ない、資源ない、食糧ないの日本は結果焼け野原 RT @NAVY_ICHIHO: 先の大戦はなんで突入したんだっけ?