あまぐりころころ

主に漫画やゲーム等の感想や考察を。
時に旅行記等も交えながらの、のんびりのほほんブログ。

『鬼滅の刃』最終話感想

2021-05-18 23:40:00 | 鬼滅の刃

 ふと気付けば。

 『鬼滅の刃』の最終回から今日で丁度一年なんですね。
 もう一年経ってしまったんですか・・・。
 当時は人気絶頂の中で終わりを迎えてしまった事に日本中が大騒ぎになりましたっけ。
 私はというと現実をただただ受け入れられず、しばらく意気消沈状態でした。
 だっていまだに納得いってませんもの。あの伏線は何だったのかと。

 

 まあでも・・・、一年経ってようやく気持ちに整理がつけたと思っています。
 寂しさや心残りはあれど、リアルタイムで出会え、炭治郎達の戦いを見守ることが出来て本当に良かったと。
 なので、一年越しになってしまいましたが、けじめをつけましょう。
 当時はあまりのショックで綴れなかった、『鬼滅の刃』最終回の感想を述べさせて頂きます!(※当時の気持ちの記録として、加筆修正が入った単行本ではなくジャンプ本誌で掲載された内容について語らせて頂きますね)

 

 

 

 週刊少年ジャンプ2020年24号掲載
 第205話 【幾星霜を煌めく命】

 

 

 

 ・・・最終話であるにも関わらず、炭治郎達は誰一人として登場はしませんでしたね。
 登場したのは炭治郎達の子孫であり。
 きっと、彼らの生まれ変わり。

 でも。

 でもね。

 彼らは炭治郎達じゃない。

 私達がずっとその歩みを見守ってきた竈門炭治郎達じゃないんですよ。

 その事がどうしようもなく寂しかったです。

 

 

 

 

 《カナヲ&禰豆子》
  ヒロインズは共に前世の伴侶の兄姉として生まれ変わりましたか。
  これには至って納得です。
  何故なら、カナヲも禰豆子も「守ってもらいたい」と願うような子ではなかったから。
  もし神様から来世はどう生まれ変わりたいか、と尋ねられたなら、二人とも「炭治郎&善逸の家族」と願うのと同時に「彼らに守られなくてもいい立場に」と願うと思うんですよね。
  なのでカナヲは男で兄に。
  禰豆子は勝ち気で強気でガミガミ気質といった真逆の性格になったのだと思います。

 《善逸》
  こいつはもう1億%間違いなく、「生まれ変わっても禰豆子と一緒に」と神様に願った・・・というか泣きじゃくって縋りついたことでしょう。(←)
  まあ願いは叶いましたが、その分しっかり叱られる人生を送ることになるわけです。
  うん、因果応報。

 《伊之助》
  因果応報その2。
  伊之助は人間社会を知らなかったこともあって、本当に「子供」として振る舞ってきましたよね。
  だからこそ全く背負ってこなかったのが「責任」というもの。
  前世で全く背負わず、背負おうともしてこなかったそれが来世で一気に圧し掛かってきたのかと。

  
 《炭治郎》
  そして主人公はというと・・・。
  炭治郎がもし神様から来世について尋ねられたなら・・・。
  誰かの幸せしか願わないと思うんですよ。
  本当に炭治郎は常に「自分ではない誰か」を優先する子でしたからね・・・。
  そんな炭治郎だからこそ。
  神様は来世の彼に与えたんだと思います。
  「自由」を。
  思えば、炭治郎は初回の第一話から。
  一コマ目から。
  “背負って”いました。
  ただ一人生き残った禰豆子を。
  家族を養うための炭を運ぶ籠を。
  鬼となった禰豆子を入れるための木箱を。
  兄として、鬼殺隊としての責任と共に。
  だから―――
  最終話で炭彦が自分の荷物だけ持って軽々と飛び回る姿を見て思えたんです。
  ああ、やっと炭治郎の魂は身軽になったんだなあ、と。

 

 《その他》 
  鱗滝さん。前世来世関わらず最後まで素顔は非公開なのね・・・。(見たかった)
  義勇さん。今度こそ親友達とどうぞ幸せに・・・。

  そして。
  煉獄さん。
  無限列車での戦いでは、ほとんど肩を並べて戦うことは出来なかった炭治郎と煉獄さん。
  でも未来の世界では共に生まれ変わり、肩を並べて一緒に走っている。
  涙が止まりません。
  思いもしませんでした。ずっと抱えていた無念がこんな形で報われるなんて。

 

 そして最後に門を飛び越える二人。
 その姿と空に。
 彼らの自由と未来を感じました。
 
 
鬼の居ない平和な世の中になっても、人生どんな困難が立ちはだかるか分かりません。
 明日突然事故に遭うかもしれないし、天災に襲われるかもしれない、大切な人を失ってしまうかもしれない。
 それでも。
 仲間と一緒なら。
 どんな困難も必ず乗り越えてみせるでしょう、きっと。

 

この日輪の魂を持つ者なら。

 

 

 


 

 

 

 炭治郎達が既に過去の人達になっていた最終話。
 その事は堪らない寂しさでした。

 

 

 でも。

 

 

 この最終話を読み終わった直後、私の胸の中に在ったのは。

 

 

 

「命」への愛おしさ。

 

 

 

日常ですれ違う人が、自分の前世の恩人だったかもしれない。
ふと目が合った人が、自分の前世の家族だったのかもしれない。
そんな風に何気ない日々の流れの中で「命」は巡り巡るのかもしれないと。

 

 【幾星霜を煌めく命】。
 まさにこのサブタイトルにこれ以上ないくらい相応しい話だったと。

 

 

 見知らぬ誰かが。
 祖先が。
 家族が。
 親が。
 繋いでくれたこの命。
 大切にしよう
 そう思いました。

 

 

 

 

 本当に“駆け抜けた”作品として終わった『鬼滅の刃』。
 ですがこの作品は私達読者だけでなく、吾峠先生にとっても特別なものになったに間違いありません。
 最終話を読み終わってとても感じましたから。
 命の尊さと共に。
 吾峠先生の画力の向上を。
 この最終話はまさに吾峠先生が連載中に磨き続けてきた画力の集大成。
 いまや吾峠先生はこれほど様々な角度から、かつ非常に動きのある画を描くことが出来るのだと・・・。

 
 とても辛いものも沢山受けたこの作品『鬼滅の刃』。
 ですが、それと同じくらい大切なものも沢山貰いました。

 この作品から教わったもの・・・決して忘れません。

 


夜は明ける。想いは不滅。

2020-12-04 23:50:00 | 鬼滅の刃

 とうとう今日という日がやってきてしまいました。

 『鬼滅の刃』最終巻の発売日が。

 

 幸い今日は休みだったので、病院の後に本屋に行き至って滞りなくゲット。
 ま。
 約半年前に予約してましたからね☆

 午前中に行ったのですが、さすがは社会現象作品の最終巻。
 同時発売の外伝共々すでにカワイイ数しか残っていませんでした。(^^;;;A)



 そんなわけで既に現物は手にしているのですが・・・・
 実はまだ一切目を通していません。

 目を通してしまったら、何も書けなくなってしまいそうで。

 色んな感情で胸が一杯になってしまい、文章として表現することも。気持ちを纏めることも。出来なくなりそうなので。

 

 

 なので今回は。

 

 『鬼滅の刃 煉獄杏寿郎 特別読切』についての感想を述べさせていただきます!!

 

 

 

 人気最高潮の真っ只中で連載終了になってしまった原作でしたが、それから約5ヶ月。

 吾峠先生が再び筆を取ってくださいました!!!!!(><。)

 私個人としては「吾峠先生はもう、色々と疲れ切ってしまわれたのだろう・・・。筆をお取りになられることはもう無いだろう・・・。」と諦めきってしまっていたので、読切を執筆してくださったと知った時はにわかには信じられないほどでした。
 正直、この件で原作終了のダメージが一気に救われたぐらいです。
 人間希望を捨ててはいけませんね・・・やはり。

 

 そんな読切の内容はというと、今回の劇場版のもう一人の主役である煉獄杏寿郎が鬼殺隊になって初の任務に赴いた時のエピソードが描かれておりました。
 この作品を読んだ感想を一言で述べさせていただくならば

漫画家吾峠呼世晴氏健在也。

 これに尽きます。

 

 

 

 今回のエピソードで私が煉獄さんに感じたのは、ある種の自信の無さ。

 扉絵のあの表情からしてもそうだったのですが、今作の煉獄さんは「哀愁」といったものが印象強く感じられました。
 本編では既に[柱]として、立派な大人として、自信に満ちた姿で戦っていた煉獄さん。
 ですがどんなに凄い人でもそこに至るまでには多くの積み重ねがあり、「初心者」や「未熟者」、「未経験者」といった過程を経ているもの。
 今作は煉獄さんが鬼殺隊士になって初めての任務という「未経験」を通して、「真っ直ぐさ」だけではない彼の「深さ」についてより掘り下げられたストーリーになっていたと思います。

 煉獄さんの人物像における主なイメージはまず「熱さ」。
 そして「真っぐさ」「深さ」が挙げられます。
 あくまで私の考えですが、真っ直ぐな人ほど「目標となるもの」が必要だと思うんですよね。
 「目標となるもの」を失ってしまうと折れてしまったり歪んでしまったりする。そしてその失墜は真っ直ぐな者ほど、情熱が強い者ほど大きい。
 槇寿郎がそうであったように。

 

 それまでは父親である槇寿郎を目標に努力を重ねてきたに違いないであろう煉獄さん。
 ですがそんな父親が変わってしまい、あまつさえ当人から己の才や夢を否定されてしまったという。
 母親を亡くしただけでなく父親からまでもそんな酷い言葉を受けてしまい、その内心はきっと悲しみや寂しさや戸惑いが大きかったことでしょう。
 煉獄さんも当時はまだ十代という若い身であったのですから。

 ですが「兄」として、そんな心の内は微塵も見せずに弟の千寿郎君を力強く励ます煉獄さん。
 炭治郎もそうですが、煉獄さんも「長男としての責務」をしっかり背負っている人物ですよね・・・。
 色々なものを背負いながらも、その重さに潰れることなく他者を支えることが出来る人は本当の意味で強い人だと、そう私は思っています。

 

 「あなたのようになりたい」と同期達や千寿郎君から言われる煉獄さん。
 ですが槇寿郎がああなってしまった今、煉獄さん自身は「自分がなりたい人物」がいなかったという。
 同期達や千寿郎君に言われた時も、ひょっとしたら「果たして自分は誰かから目標にされるのに足る人物なのだろうか?」という疑問があったかもしれません。

 そして同期達へ「頑張ろう」という言葉を掛けるのに一瞬躊躇したことも。
 鬼殺隊に身を置くということは常に死と隣り合わせの世界に身を置くということと同義。
 そのような世界で「頑張ろう」と言うことは、自ら危険に飛びこむことを応援するということなのですから。

 鬼に特別な恨みを抱いているわけでもなく、「長男」として家督を継いだという理由だけで鬼殺隊に身を置いている自分。
 他の隊士達と比べて自分は“死”への覚悟が出来ているだろうか。
 最期まで戦いきれるだろうか。
 守りきれるだろうか。
 そんな“死”と“戦うこと”への不安の中、ふと思い浮かんだのが父親への思慮。
 死なせたくないから父親は自分達に冷たくなったのではないか、と。

 なんという優しい思慮・・・!(><。)

 あんな酷い言われ方をされたら嫌悪や反発を抱いてもなんらおかしくは無いというのに、それでも父親を信じようとしているこの煉獄さんの思慮にはもう言葉が出ませんでした。
 本当にこの『鬼滅の刃』という作品は、炭治郎をはじめとした各キャラクター達の優しさのレベルに心底驚かされます。
 しかも「父の気持ちは父にしか解らないけれど」、と己の一方的な考えになっていないのがまた思慮深い・・・!!
 真っ直ぐさだけではないこの思慮深さが[煉獄 杏寿郎]というキャラクターの味わいをより一層深めていますよね。

 

 

 そんな色々な胸中のなか、任務の地で煉獄さんが眼の当たりにしたのは―――凄惨な状況。
 その中には煉獄さんが先程まで思いを馳せていた同期達の姿も。

 「つい先日笑いあった仲間が死ぬのはよくある話」
 初任務にして、鬼殺隊の過酷な“宿命”を突き付けられた煉獄さん。

 そんな絶望の中、かろうじて生き残っていたのが一人の子供。
 多くを失いながらも仲間達が精一杯守り通した小さな希望。

 怒りに燃える煉獄さんは鬼に斬りかかるものの・・・

 うわあ~~~なんともいやらしい力・・・!!
 鬼の術ってこういった一癖も二癖もあるものがほとんどですよね。
 猗窩座みたいにストレートなパワータイプの方が珍しいぐらいですよ。

 咄嗟に耳を塞ぐ煉獄さん。
 ですが両耳を手で塞いだ状態では刀を振るう事が出来ません。
 鬼殺隊の“弱点”を突いている、鬼のこの戦術は何気に巧妙。
 この攻撃封じは玉壺の【水獄鉢】に通じるものがあります。
 玉壺の場合は「呼吸」を封じていましたが、今回の鬼は刀を振るう「手」を封じたという。

 耳から手を離したら思うように動けなくなる。
 かといって耳を塞いだままでは戦えない。
 まさに生死の掛かった選択を迫られる煉獄さん。

 そんな切迫した状況の中、煉獄さんが思ったのは―――

 人生は選ぶことの繰り返し けれども選択肢は無限にあるわけではなく 考える時間も無限にあるわけではない 刹那で選び取ったものがその人を形作っていく

 

  ・・・実は、以前から思っていたことがあります。
 吾峠先生って「無限」という言葉をかなり多用なさっておられますよね?
 今回の劇場版の主な舞台となる汽車が「無限列車」という名前であることをはじめ、
 霞柱:時任無一郎の名前の由来も「無限」の無から。
 そして無惨の根城も「無限城」という。

 これらは単なる偶然なのかもしれませんけどね。
 実際私は当初無限列車の「無限」は「夢幻」を暗示しているものと思っていましたし。(なのでよく入力ミスしそうになる/爆)
 「無限」の意味、それは「終わりの無いもの」。
 「無限」の時を、「無限」の命を得ている者、それが鬼。
 対して人間は「刹那」の生き物。
 吾峠先生は「無限」という言葉を、鬼からすれば永遠を示唆するものとして、そして人間にとっては可能性を示唆するものとしてこれほど多用していたのかもしれません。

 「無限」の時と命を有している存在故に、余裕という怠惰から心を燃やすことも魂を輝かせることも決してない鬼。
 「刹那」の時と命の存在故に、その瞬間瞬間に真剣に向き合わなければならないからこそ心を鮮やかに燃やし、魂を輝かせられるのが人間。
 煉獄さんのここ一連の独白はまさに劇場版の「人間という儚い生き物の美しさ」に繋がる言葉ですよね。

 本当に煉獄さんを通した吾峠先生のこの考え方・・・泣きそうになります。





 「そうだろう みんな」

 

 独白による情感を溜めて溜めて放たれる、逆転の一撃。
 堪りません。(><)


 放たれたのは【伍ノ型:炎虎】。
 ・・・ですよね?原作当時とはデザインが異なっていますが。
 原作当時の方が猛々しい感じになっているのは、煉獄さんの腕があれから更に上がったことを表しているのかも。



 何故煉獄さんは鬼の術に掛かることなく動けたのか。
 それは鬼の視点から明かされます。
 ああ~~~!!そうだったのか!!と驚きっぱなし。感心しっぱなし。
 やっぱり吾峠先生は凄い。
 いたって自然と思われるような行動に伏線を仕込んでいるのが巧すぎます。

 ですがその判断は煉獄さん一人では不可能でした。
 煉獄さんが起死回生の判断がとれたのは、仲間達が命を懸けて“託してくれたから”。

 

 

 才能が無ければ誰かを助けようとする努力も心にも価値は無いのかーーー
 煉獄さんの迷いを晴らしたもの。
 それは仲間達の“魂”だったという。

 

 「あなたのようになりたい」と自分を目指してくれていた同期達。
 ですが煉獄さんにとっては、そんな同期達が「自分がなりたい人物」となることに。

 

 

 同期達から煉獄さんへと託された決意と想い。

 そして・・・


 煉獄さんもまた、託していくわけです・・・

 

 日輪の少年へと。

 

 

 

 


 

 

 

 いや~~~~~・・・もう。

 劇場版公開記念としてこのような話を書き上げてくださるなんて・・・。

 頭を抱えてしまいました。
 もうなんて感謝の言葉を述べてよいものやら・・・。

 

 「兄上みたいになります」
 「貴方みたいになりたいです」
 「君たちのような立派な人に いつかきっと俺もなりたい」

 「こんな所でつまずいているような俺は 俺は・・・ 煉獄さんみたいになれるのかなあ・・・」

 繋がっていく「あの人のようになりたい」という想い。
 その想いがどう結実していくか。
 それを私達読者はちゃんと見届けることが出来たわけです。

 

 

 連載を終え、しばらくの間何も音沙汰の無かった吾峠先生。
 ですがその手腕は些かも衰えてはおられませんでした。
 敵の造形をはじめとした怪奇的世界観。
 徹底的に容赦無い残酷な展開。
 独白を中心にした文章説明。
 丁寧に敷きつつも驚かされる伏線。
 テンポの良い構成。
 なにより。
 深い思慮と優しさに満ちた“想い”の描写。


 読み返せば読み返すほど泣きそうになります。
 劇場版を見た後なら一層。
 原作最終話を読んだ後なら殊の外。
 なんというか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嬉しくて。

 

 

 

 ・・・終わるだなんて全く思っていなかっただけにショックが大きすぎて。
 最終回を迎えた時に言えなかった言葉がありました。

 ですが。

 またこうして吾峠先生の『鬼滅の刃』と再会することが出来て。
 ようやく言うことが出来ます。

 

 

吾峠呼世晴先生!!!
『鬼滅の刃』の連載を無事に終えられ、
これまで本当にお疲れ様でした!!!

本当に本当にありがとう
ございました!!!!!


『鬼滅の刃』に出会えて
良かった!!!!!!!

 


遠い地で聴く『奏』。

2020-11-25 00:20:00 | 鬼滅の刃

 鬼滅の刃初のオーケストラコンサート『鬼滅の奏』。
 配信終わりましたねー。

 本当は今年の春に行なわれる予定だったこのコンサート。
 ですがコロナの影響で、この秋に延期されることに。
 私も運良くチケットを入手でき、東京会場で拝聴するつもりだったのですが・・・
 やはり考え直し、キャンセルしたんです。
 もう同じ思いはしたくなかったんです。志村けんさんがコロナに命を奪われたあの時と同じ思いは・・・

 ですがその代わり、ネット配信の方のチケットをゲット

 配信開始を楽しみに待っていたのですが、その直前に仕事の山場が訪れ・・・見事撃沈。
 今回ほど自分の力不足を痛感した時はありません。
 結局終始フォローされるばかりでした・・・・・・・・・・消えたい。

 ・・・まあそんな泥沼思考に陥りかけたものの、今回のコンサートのお陰でだいぶ回復。
 やはり気分が落ち込んだ時は「好きなこと」をするのが一番ですね。
 最近は特にそう思います。


 素晴らしい楽曲の数々でしたが、私が一番好きなのは【to destroy the evil】です。
 この曲はアニメ版鬼滅の刃のメインテーマをより壮大かつ壮絶にアレンジされたもの。
 民謡的な歌声とエレキギターによる転調、そこからの壮大なコーラスが、もう!
 最っ高に痺れるんですよ~~~!!(o(><o) (o><)oo(><o) (o><)o

 あとは【鬼殺隊】も好きですね。
 格好良いのは勿論のことながら、曲調に「崇高な魂」が感じられるのが凄く良い!!(Σd(><))
 配信を一気見した後はほとんどこの二曲を繰り返し視聴しちゃいました。
 ネット配信ってこういうところが良いですよね。アーカイブとして何度も繰り返し楽しめるのが♪

 それにしてもまさか【大正コソコソ噂話】まで演奏されるとは思わなんだ☆

 そんな選曲のセンスに苦笑したりもしましたが、ラストのラストにあたるアンコールでは、現在絶賛上映中の劇場版のテーマソング【炎】が披露。
 ・・・これって最初の予定通り春に開催されていたとしても、この曲が演奏される予定だったのでしょうかね?
 もしそうだったならば来場者にとってはこの上ないサプライズになっていたことでしょう。
 たしか当時はテーマ曲のタイトル名こそは発表されていたものの、実際のメロディーはまだ未公開だった筈ですから。

 そうこうして、最後まで視聴し・・・
 改めて実感。

 

やっぱ炭治郎は格好良いなあ~~~♪(←)
 


 とまあ、耳だけでなく目も(苦笑)存分に満足できたコンサート内容でした。
 パソコン越しでさえこれほど満足できたのですから、実際の生演奏はきっと筆舌に尽くし難い素晴らしさだったのでしょうね・・・。
 コロナが終息し、また今回のようなコンサートが催されることになったら、その時こそは絶対に現地で聴きたいと思います!!!

 


 で も。

 


なんで今回の音楽CDが発売されて
いない
の~~~?!?!?!

 

 この事実が一番驚かされました。

 いやいやいやコンサートといったら音楽でしょ。
 音楽こそがメインであり柱であり礎でしょ。
 なんでありきたりなキャラグッズばかりで肝心の音楽グッズが無いんでしょうか!?
 買う気満々でいたので、これにはもう特大の疑問符しか浮かびませんでした。
 う~ん・・・これはやっぱりコロナの影響によるものなのでしょうかね・・・。
 オーケストラの収録となると、それこそ大勢が至近距離で、しかも長時間掛かるものでしょうから・・・。
 もしそうならば、今回の配信をDVDにして販売して頂けたら、と思っています。
 実際配信の画像も素晴らしい編集がなされていましたし、なにより。
 こんな厳しい状況の中でも素晴らしい演奏を披露してくださった指揮者:栗田博文さんや東京フィルハーモニー交響楽団の皆様を始めとする参加者の方々に、少しでもお礼として還元したいんです。



 まだまだコロナの完全な収束は見えませんが、今回のような配信が上手く活用されて、演奏者と観客が共に音楽を楽しめる機会がもっと増えてくれるのを願って・・・。

 


劇場版『鬼滅の刃』いよいよ明日公開!!

2020-10-15 23:40:00 | 鬼滅の刃

 予想はしていたものの世間はかなりの賑わいを見せていますね。
 「これほどの人気ならば、公開初日は絶対大行列の大渋滞だろうな~」と思っていたのはやっぱり私だけではないようで、劇場の方もかなりのシアター数を用いて放映してくださる模様。
 一日に40回以上も放映なさる劇場があると知った時は流石に驚きましたが(苦笑)。
 ちなみに私の地元では一日に16回ほど放映してくれるようです。(感謝)
 まあでも・・・。
 今の私は『鬼滅の刃』への熱が良い意味で落ち着いていることもあり、公開初日には行きません。(っていうか明日は仕事★)
 ですが初週のうちには行くつもりです。
 熱が落ち着いているとは言いましたが、公開をずっと待っていた待望の作品なのですから。


 そんな映画公開を記念して・・・
 吾峠先生も『鬼滅の刃』の読切を描いてくださいましたね・・・!!!(><。)
 これは本当に、本当に嬉しかったです。・・・本当に。
 正直もう、吾峠先生は完全に筆を置いてしまわれたのだと思っていました。
 原作が終わりを迎えてからも様々な鬼滅の刃の関連グッズが発売されてきましたが、いずれも吾峠先生の新規描き下ろしは一切ありませんでしたし。
 なにより。
 単行本最終巻の限定版にさえも、吾峠先生の描き下ろし付録は無かったのですから・・・。

 原作が最終回を迎えた時は、それはもう酷くショックでした。
 まだまだ多くの未処理な部分が残っていただけに、終わってしまうなんて夢にも思っていませんでしたし。
 それ以上に。
 もう「吾峠先生の鬼滅の刃」を見られないんだという絶望が大きかったです。何より。
 それでも、吾峠先生がお決めになられた終幕なら我が儘を言ってはいけない、吾峠先生の平穏が何より大切、炭治郎が平和に暮らしていけるならそれが一番、と自分に言い聞かせてきました。

 それでも。
 心の整理をつけることは難しかったです。

 だからこそ今回吾峠先生が筆を取ってくださったことは、にわかには信じがたいほどの驚きでした。
 驚きと感謝が大きすぎて、ブログに書けなかったほど。
 きっと吾峠先生にとっても、アニメに対する思いは特別なのでしょうね・・・。

 

 

 

 そんなわけでして。

 

 


 5月の憔悴から約半年。

 久し振りに感想記事を書きます!!

 内容は勿論!

 吾峠呼世晴先生による特別読切と!!
 平野稜二先生による煉獄杏寿郎外伝!!
 そしてっ
 劇場版鬼滅の刃無限列車編!!

 これら三作品の感想記事をこの10月中に頑張って書き上げるつもりです。
 感動を最高潮に持っていきたいので、しばらくはネットも控えようかと。(なので最新の劇場版トレーラーも、つい先日配信されたLiSAさんによる劇場版テーマソング『炎』もまだ視聴していなかったり)

 


 さて・・・。
 日付が変わるまであと十数分。
 明日劇場に行かれる方はどうぞ思いっきり心を燃やしてくださいねー!!((^^)/)

 


今日だからこそ。

2020-07-14 10:00:00 | 鬼滅の刃

 ・・・長らくご無沙汰してしまいました。

 ・・・『鬼滅の刃』が最終回を迎え、寂寥感と虚無感の谷底に落ちたものの・・・
 それでも、一週間ほどあれば立ち直れると思っていたんです。
 ・・・ですが・・・。
 『鬼滅の刃』が掲載されていないジャンプ本誌に、改めて現実を思い知らされ・・・。
 気付けば二ヶ月近くも経ってしまいました。

 この期間になんとか虚無感は埋めたものの・・・いまだに「~をしたい!!」といったようなパワーは回復できておりません。(これがいわゆる「鬼滅ロス」というものなのでしょうね・・・)

 それでも。

 今日だけは。
 今日だからこそ。

 この言葉だけは述べておかなくては。

 

 

炭治郎、お誕生日おめでとう・・・!