中路さんに代わって、『ソーマ』の新担当は上野さんという新人の方が務める模様。
どうぞこれからよろしくお願いします!そして頑張ってくださいね!(^^)
週刊少年ジャンプ2015年47号掲載
掲載順第2位
第139話 【崩れゆく学園】
今回の扉絵。
見た瞬間、四方の隅に目を凝らしました。
・・・。
ダメよ附田先生&佐伯先生&担当編集さん!!
こういう時こそ『※「食戟のソーマ」は料理の漫画です』って注釈をつけなくちゃ!!(核爆ドッカーン)
そんな世界観を誤解しそうな扉絵はともかく、本編は薊による放送演説が行われることをアルディーニ兄弟から知らされる創真からスタート。
彼らが普通に会話してるだけでなんか和んでしまう私は、よっぽどこの組み合わせが好きなんだな~とつくづく。
ってあれ?タクミの髪型元に戻ってる☆
やっぱ嵐のようなクレームがジャンプ編集部に殺到したのかしら?(コラコラコラ)
一応えりなが極星寮に匿われているのは内緒ですが、アルディーニ兄弟には明かしている様子。
信用ってやつですね♪
まあ、とっくにバレてそうだけど(苦笑)。
かくして薊の演説が始まります。
その内容は遠月学園の改革について。
改革の柱は大きく分けて二つ。
まず一つ目。
全ての自治運営勢力の解体。
つまり。
全ての授業・研究会(同好会)・ゼミを廃止するということ。
うっわ~~~。
こんなに晴天が似合わない人面初めて見たかも★
当然のことながら反論に沸く学生達。
その中にいたのは豪田林清志。
あらなんと。「ちゃんこ鍋研究会」を復活させていたとは☆
月饗祭編でダンボール買い占めてた甲斐があったね。(←)
そんな豪田林らの言い分はあっさり無視し、二つ目の改革の柱を告げる薊。
二つ目は。
新組織の設立。
それは総帥と十傑を頂点とし、薊が選出した生徒だけで構成された精鋭組織。
その名は、中枢美食機関[セントラル]。
そして今後、生徒らが作る料理は全てセントラルで決定するとのこと。
とどのつまり。
生徒はセントラルで決めた料理しか作れないということに。
ちなみにセントラルの教えは誰にでも等しく享受できるとのこと。
それはどういうことかというと、生徒全てが十傑レベルの技術やアイデアを模倣できるという事だそうです。
そしてその教えに従ってさえいれば、誰も退学にならないと。
薊は眼前の生徒達を指さして言います。
「君たちは捨て石なんかじゃない」と。
そうでしょうね。
薊にとって生徒達は
自分の理想を拡げるための大事な奴隷でしょうから。
笑顔で演説を終える薊。
そこに居た生徒達からはもう、反論の声は上がりませんでした。
勿論反抗しようとする者もいました。
甲山先輩もその一人。
甲山先輩って、十傑以外の上級生で今のところ唯一素直に尊敬できる人ですよね~。(小西先輩も良い人なんだけど頼もしさがちょっと、ね・・・/苦笑)
ですが十傑に敵対することを無謀と言う者、そしてそれ以上にセントラルの教えに希望を抱く者の意見に、何も言えなくなってしまいます。
そんな学生達の様子を見守るシャペル先生。
シャペル先生も薊の改革案に反対する者の一人でした。
「理想郷[ユートピア]」と語る薊の新体制。
でもその実態は“創造”を許される者と“模倣”だけを強いられる者とが二分される、暗黒郷[ディストピア]にすぎないと。
そうして、次々と新体制の名のもとに粛清の手が入っていく学園内。
郁魅がここまで盛り立てた丼研究会も。
恵が所属している郷土食研究会も。
そして、汐見ゼミも。
丸井が所属している宮里ゼミも解体されちゃったんでしょうね・・・。
それにしても親子揃ってで自分の研究会を取り潰されてしまうとは、豪田林不憫なり。
そしてあろうことか、粛清の手は極星寮にまで!!
ええ!?
遠月学園から独立している極星寮に撤去を申し立てる権限なんて、薊側に無い筈ですよ!?
しかも極星寮は生徒の居住施設であって、教育とは関係ないのに!!
・・・ああそうか。
単に自分の管理外にある存在は全て気に食わないってわけね。
因縁ある創真の屈服顔がよっぽど見たかったのか、直々にやってきたのは叡山。
うっわ~~~。
こんなに踏み潰したいと思う顔初めて見たかも★★★
遂に新総帥による教育メソッドが明かされましたね。
この「遠月学園」という教育の場において読者が当初からずっと抱き続けていた考えに、これ以上なく真正面から切り込んできました。
確かにこの意見はネット界でもしょっっっちゅう見かけましたもの。
第137話の創真の発言といい、今回提示された「新教育」もまた見事なまでにこの作品の「原点」を想起させています。
こうなってくると、創真の「踏み台」発言もいずれ改めて言及して欲しいな、と密かに願ったり。あの発言ももう一つの側面を持った言葉でしたからね。
さて、では色々物議を呼んだであろう今回の「改革」について、私なりの意見を述べさせて頂きましょう。
薊が旧教育システムについての不条理を説くシーンで恵の姿を描いていたのは上手でしたね。
恵はまさに薊が言う「暴力」の犠牲になりかけた子でしたから。
思い返せば私が遠月学園の退学システムにはっきりと反感を抱いたのも、恵の一件を目の当たりにしてからでした。
そこら辺、本当に附田先生は読者の心理もきちんと把握してくださっていますね・・・ちと悔しいゾ☆
それらを踏まえて考えれば、仙左衛門の教育指針は確かに厳し過ぎて短絡的だったと私も思います。
合格基準に満たない者は即退学という、「学生」にとって死活問題だった恐怖を常に背負わせていた旧教育システム。
その恐怖から解放される。
それは学生達にとって大きな安堵と希望を与えてくれたに違いありません。
学生達を突き離すような衝撃を与えた仙左衛門の「捨て石」発言。
それを敢えて再び持ち出して否定宣言したことで、学生達はあの時とは逆に自分達の存在価値を認めてもらえたような、救済されたような感情を抱いたかもしれません。
“飴”と“鞭”の絶妙な言い回し。
薊はかなり人心の掌握術に長けていると思います。
そして「セントラル」の設置によって生徒全体が平等に高い水準の技能を取得できるのなら、そこも評価できる点と言えましょう。
でも。
これって。
「学校」というより「養成所」ですね。
「学校」ってどういう所でしたっけ?
ただ一方的に決まった学業を教えられて、そこで一定の知識を覚えて、それで終わりの場所?
違いますよね。
自分と意見が合ったり合わなかったり、様々な性格や考え方を持つ同年代の相手との出会いと交流の場所。
そして、そんな中で自分の世界を広げていく。見聞を深める。自己を確立させていく。
私は「学校」をそういう場所だと思っています。
「学校」は、子どもが「家庭」というコミュニティから初めて「外の世界」に踏み出す第一歩の場所。
そして「自分が何者かを知るための場所」なのではないでしょうか?
確かに将来「プロ」としてやっていくならば、この教育法は有難いかもしれません。
・・・技術のみを習得するだけならば。
はっきり言って、技術なんてものは後から幾らでも習得することはできます。
大事なのは今、人を通したあらゆる分野の考えや世界を知り、己の器を鍛え上げることではないのでしょうか?
この料理漫画が「技術」にはあまり焦点が当たらず、「気概」や「発想」「工夫」そして「視点」に焦点が当たっているのもそれが作品作りの念頭にあるからだと思います。
自分より遥かに上の実力者から教えを受け、そのやり方を模倣する。
そのやり方でも確かにある程度の“高み”には行けることでしょう。
ただし、“それ以上”には決して行けませんが。
考えてもみてください。
これまで名を馳せてきた料理人は、己の技術は全て他者から盗んで、自ら貪欲に求めて得てきたんですよ?
他者の考えに委ね、技術や発想のおこぼれをただ頂戴する・・・。
そんな受け身の姿勢では、少なくとも「世界」を相手に闘えるような料理人にはまずなれやしないでしょうね。
そして薊の教育法では、実際の「現場」でそれこそ本当に必要とされる対応力や判断力、本当の意味での自信や根性さえも育たない事でしょう。
四宮編で述べられていました。
十傑第一席の四宮でさえ、“外の料理の世界”で生きていくことに散々苦労したということを。
秋の選抜編で述べられていました。
「自分だけの料理」の重要性を。
スタジエール編で述べられていました。
学校の「授業」と実際の「現場」の大きな差異を。
与えられたことをただこなしていくだけ。
そんな料理人は決して“一流”にはなれやしないという事を。
薊の教育法は、そんな料理人の苦労という“誇り”を完全否定するものです。
ですから正直、薊の演説の最中ずっと「何言ってんの?(┐(・・)┌)」と思ってましたよ。
あまりにも矛盾点がありまくりで。
「不必要な退学」⇒自分の教育指針に刃向うものは片っ端から退学させるつもりのくせに
「不必要な選別」⇒キミ一人で選別しまくってるくせに
「不必要な競争」⇒全生徒を上から支配するのなら、そりゃ競争なんて起きんわな
「無益なぶつかり合いのない世界」と薊は説いてるけど・・・。
逆に聞きたい。
無益なぶつかり合いなんてあったっけ?
少なくとも私の記憶にある限りでは、これまでのぶつかり合いは各々の譲れぬ信念を懸けたものばかりでした。
無駄なものなんて一つもありませんでしたよ。
推測するに、多分薊は全力でぶつかり合える相手に出会えなかったのでしょうね。
城一郎と堂島先輩は良き戦友として存分にぶつかり合えたのに対し、薊は1年生で第3席というとび抜けた実力のため、同年代で対等にぶつかり合える相手がいなかったのでしょう。
・・・もしくは。
自分からぶつかっていかなかったのか。
そこも、かつてのえりなに類似しているかも。
今はまだ、学生達は気付いていません。
ですがこのままこの「新教育」が実行されてしまったら、いずれ必ず思い知らされることでしょう。
卒業して“外の世界”に出ても、セントラルの「教え」無しでは料理人として生きていけなくなるという事に。
ここが多分一番恐ろしい所。
「退学の撤廃」「平等な高等技術の習得」という“蜜”に見えて、その実は生徒達の「自立の力を失わせる」という“毒”にすぎません。
一生、「セントラルの教え」から抜け出せない料理人になってしまうという事です。
ただ、この教育法には「穴」があります。
それは一年後、二年後と長い目で見ていった場合、特に秀でた実力を持つ生徒は現れなくなってしまうということ。
これまではそれぞれ個性豊かな教育体制が整っていた分、生徒達も己の資質や持ち味を存分に伸ばせていました。
ですが「平等」を謳う新教育法では、突出した実力者は育たなくなってしまいます。
セントラルは総帥と十傑を頂点としている組織ですから、後世にも十傑に相応しいような高い実力者は必須でしょう。
そこをどうするのか。
そこでえりなが“鍵”になってくるのかもしれません。
前回の感想で私が考察した、[神の舌]の量産化です。
まずは薊の教育指針の賛同者、もしくは崇拝者を抜擢しセントラルに加入。
そこで人格・思想など薊にとって問題ない人物と認定されれば、えりなの[神の舌]を磨き上げた時と同じ教育を付与し、人工的に味覚能力を向上させたうえで次世代の十傑にさせるという。
そうして人格・能力共に薊にとって最高の料理人を永続的に作り出そうと計画しているのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・こうなってくると、完全に「人造人間」を作ってるようなものですがね・・・。
仙左衛門が創真に言っていた通りです。
薊のやり口は昔と全く同じ。
外界との接触を断たせ、えりなにとって薊だけが絶対の存在にして、価値観そのものとなるように仕立て上げたように。
今度は遠月学園という場を、自分の絶対領域に仕立て上げるつもりなのでしょう。
とことん恐ろしいことを考えますねコイツは。
・・・といっても、その本質はただ単に狭い世界で自分の価値を認めてもらおうとしてるだけなんですけども。
そう考えると、悲しい人だな・・・と、軽く憐みまで覚えてしまいます。
今回の話を読んで色々考えた後、ふと思い出したのが単行本第2巻の附田先生のコメントです。
そして第33話(単行本第5巻収録)の堂島先輩の言葉。
そして創真の呟き。
「学校」というものはどういう処なのか。
それを改めて考えさせられました。
さあ。
そしてそんな薊の支配に創真達はどう打って出るのでしょう?
一学年の中での勝負が繰り広げられたこれまでの章と違って、今回の章は薊と十傑の大半という「遠月学園」そのものと対峙するという、まさに全面抗争となりました。
敵の力が強大な分、尚更創真達の団結力に期待が高まるところです!!
タクミや郁魅といったお馴染みの面々はもとより、月饗祭編で創真と新たに繋がった“縁”もきっと協力してくれるでしょうね。
そう、[鉄腕体躯]北条美代子や、[鍋の前の魔女]貞塚ナオが!!(特に貞塚は薊政権と思いっきり噛み合わなさそうだしな~/苦笑)
他にもこれまで登場した先輩達等も彼らなりの形で協力してくれたら大変面白くなりそうですね。闘うのは創真ら1年生だけじゃないんだぞっていう。
団体戦はずっと前から期待していた展開なだけに、ワクワクがノンストップです♪
ただ・・・。
薊側についてしまうのでは、と懸念している人物が一人いたり。
それは葉山。
今回で汐見ゼミも解体されてしまったわけですが、汐見の表情が他の人物達よりも深刻に見えたんですよね・・・。
ひょっとしたら葉山にセントラルからの勧誘が来たのでは?
葉山は「秋の選抜」の優勝者ということもありますし、実力は折り紙つきですから。
薊の考えに同意はできないけど、葉山のためにはなるのでは・・・と、汐見は困惑しているのかもしれません。
葉山としても、もし自分がセントラルに加入したならば汐見ゼミは解体しない、とかいう条件を出されたら断る理由なんて全く無いと思いますし。
彼にとっては「自分の料理を極めること=潤のため」ですからね。
葉山は汐見のためならば自分の手を汚すことも厭わない子だと思います。
といっても、薊って料理人の「出身」さえも選り好みしそうなんですが。(なんてったってえりなの父親ですから)
スラム出身の葉山を純に歓迎してくれるとはとてもじゃないけど思えないんですが、ね・・・。
一方で、当の十傑達はこれからどう動いていくのでしょうか?
えりなはしばらく静観でしょうね。
新教育に特に反対はしていないものの(だって自分がこれまでやってきたことと大して変わってないし)、単に薊の支配下に置かれることが怖いということで。
叡山は早速出てきましたね。
見事なまでの当て馬として。
もはや悪役全開といった表情という事もあって、尚更創真のダークフェイスに高揚させられます。
いてこましたれ創真!!!と全力で思えますね。
まあ、創真は無闇に事を荒立てる子ではありませんから、冷静に対応してくれるでしょうけども。
久我は反薊派の十傑メンバーのうちで、今のところ一番気になります。
今回の薊の政策は、久我が中華研で行っていたこととほとんど同じなんですよね。(久我の場合は部員達も彼のやり方に賛同している姿を描くことで、全く嫌味さを感じなくさせていたわけですが)
それを考えると薊を支持していた可能性は充分あった筈なのに、なぜ根回しがされていなかったのか。
中華研を解体されてしまったこともありますし、そこらの理由と共に薊政権に反発しそうです。
一色先輩はというと・・・う~~~ん・・・。
極星寮がピンチになった以上一色先輩も黙ってはいないと思いますが、彼はやはり最低限の行動しか起こさないかと。
今や彼は十傑陣と創真ら一般生徒の橋渡し的存在ですからね。
思慮深い人ですし、中立的な立ち位置でいると思います。
そして未だに、反薊派でありながら女木島冬輔の動きは全く見えてこない・・・。
まあ、もう腰を据えてじっくり待つことにしましょう。
そして残りの十傑メンバーは、一体なんでこんな薊の教育指針を支持したのでしょうか?
やっぱり「退学者を出さない」という点にでしょうかね?
それだったなら、確かに共感できますけども・・・。
“葛藤”。
これが今回の対決の一つのポイントかもしれません。
多くの意見が飛び交う中、一体自分はどんな考えを持つのか。譲れない意志は何なのか。
十傑や仲間達やえりな、そして創真がこれをそれぞれの形で示していくことになりそうです。
とりあえず。
この度の章を。
「遠月革命編」と呼ばせて頂くことにします。