先日は黒うさぎが暴走してしまい、大変失礼致しました。(m(_ _)m)
だが後悔はしてない。
さて、本編。
どちらのチームも、そのメンバー編成だったからこそ創れた料理というのが良かったですね。
味だけで見れば、堂島チームの方が上だったことでしょう。
イメージにおける服の飛散率が創真の方が高かったですし。(悔しい)
ですが、単純に「味」だけでは価値が測れないのが料理の面白いところなわけで。
城一郎チームの方は独創性。堂島チームは協調性を秀だたせ、「引き分け」にしたのは落としどころとして中々上手かったと思います。
ケンカしてるようでむっちゃ褒め合ってるやり取りも大変微笑ましかったです。(^^)
これこそお互いが心から認め合っていなければ出来ない事でしょうからね。
創真もタクミもえりなもプライドが高くて負けず嫌いなだけに尚更。
そんな特訓の第一段階は上々でクリアできた創真達でしたが・・・。
ほう。そうきたか☆
創真の料理から思い出したことや極星寮での生活で教わったこと、仲間達との交流の中で気付かされたこと等、周囲の温かさに支えられて少しずつ、でも確実に薊への“怖れ”に立ち向かい始めていたえりな。
ですが、私の中ではそれでも、えりなが再び薊の支配下に置かれてしまう可能性は存在し続けていました。
何故なら、えりなは「父親への愛着」から逃れることは出来ないのでは、と考えていたからです。
それが最も根深い、最大の不安要因だと。
この事は第171話の感想内でも述べたことでした。
えりなが薊に逆らえないのは、その教育法以上に、「親に捨てられてしまうという恐怖」が彼女の心を支配しているから。
子供にとって、親から捨てられるというのはとてつもない絶望。
怖い。
賛同したくもない。
だけど、拒めない。
そんな「愛情」という鎖にも、えりなは囚われている、と。
その最大の不安要素を、仙左衛門は否定するでもなく排除するわけでもなく、逆に肯定してくれたんですね。
刃向えば父親から捨てられてしまう、と思うえりなの怖れを。
親子なのだから、それは“刃向う”のではなく“我が儘”。子供が親に我が儘を言うのは何も悪い事ではない、と。
私から見れば、えりなは当初から人一倍我が儘で甘えん坊な子でしたけどねっ。
でも・・・。
世間に対しては「優等生」であり続けたように、親に対してもえりなは「良い子」であり続けようとしていたのでしたか。
なんだかんだでえりなはアリス以外の親族との交流があまり描かれてこなかっただけに、これは盲点でしたね。
根っから真面目な子なだけに親に逆らうのはいけないこと、悪い事という考えが硬くえりなの心を縛っていたわけですが、今回仙左衛門に肯定されたことで、えりなはまた一つ“解放”されたことでしょう。
薊に遠月を乗っ取られた時は「えりなを救ってほしい」と創真に頭を下げた仙左衛門でしたが・・・。
ちゃんと貴方もお孫さんを救ってくれているじゃありませんか、お爺ちゃん。(⌒‐⌒)
そういえば、今回テーマに出された料理は『アッシェ パルマンティエ』というものでしたが・・・。
んなもん知らねーよ。
と思った方が大多数だったことでしょう。
実際私もそうですし。
ただ、全く見たことも聞いたこともない品ではありましたが、ミートソースとマッシュポテトとチーズの重ね焼きという、とても味のイメージがしやすい料理ではありましたね。(おいしそう・・・)
それらから推移するに、今回出された料理は読者への「試し」に思えました。
読者がどれだけ料理についてこれるかを測るための。
今回の料理がもし私達読者にとって馴染み深い品だったなら、城一郎チームの突飛なアレンジに「こんなの元の料理とは別物じゃないか!!」という意見が出たかもしれません。
かといって、それこそ味も全くイメージ出来ないような料理をテーマに出したら、それこそ読者は“置いてきぼり”になってしまいます。
読者の中で定着している「オリジナルの料理のイメージ」と、創真達が創り出す「型破りな料理」。
共感性と斬新性。
そこらの境界線をどう引くか、附田&森崎先生は模索しているのかもしれませんね。