さてさて、パソコンも無事戻ってきてくれたわけですし、遅れていた『食戟のソーマ』の感想を取り戻さなくては!!
っていうか、今週のジャンプで早くも私が一番注目している選手が登場してきちゃったし・・・!
あわわ。急がねば。
でもその前に。
今週の『ソーマ』に、一言だけいいですか?
どこのどいつだ「バカ幸平」なんて書きやがった奴ぁ。💢💢💢
・・・さて、では本編感想へといきましょう。
週刊少年ジャンプ2017年24号掲載
掲載順第11位
第214話 【強者たる所以】
創真の「ゆきひら流 焦がし蕎麦」と、寧々先輩の「九割蕎麦 桜エビのかき揚げを添えて」。
両者の品の間には明白な風味の差があった模様。
突如寧々先輩に、自分の蕎麦を食べてみるよう促すアン。
怪訝に思いながらも食べてみると・・・
寧々先輩の蕎麦は普段作っている物よりも香りが立っていませんでした。
その原因は、温度。
冬の北海道、しかも暖房設備が整っていない特設会場という冷えた環境が、蕎麦の香りを立ちにくくさせてしまっていたのです。
この解説を香りのスペシャリストである葉山だけでなくアリスにも務めさせていたのは、秋の選抜絡みでしょうね。
アリスもまた「温度」がポイントになって創真に負けた人物ですから。
加えて寧々先輩の蕎麦は「繊細さ」を最大の持ち味にしていたため、より顕著に温度による影響を受けてしまっていたという。
なるほど、そう言われたうえで比較してみると確かに創真の蕎麦は「強い」品と言えます。
そんなのは偶然と反論する寧々先輩でしたが、それを否定したのは一色先輩でした。
創真が三番粉を用い、風味を際立たせた蕎麦を創ったのは偶然なんかではないと。
温度と風味の関係性といった“知識”は創真にはありませんでした。
だけど・・・
「審査員の人たちにそばの美味しさをしっかり感じてもらえるでしょ」
あああああ・・・。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛・・・・・!!!
守りたいこの笑顔。
(T-T)
こういう所が創真の凄いところであり、とっても素晴らしいところ。
寧々先輩は最高の蕎麦をと、「料理」しか考えていなかった一方で、創真は最大限に蕎麦の美味しさを味わってもらおうという、料理だけでなく「料理を食べる相手」のことも考えていたというわけです。
その格差を厳しく指摘する一色先輩。
普段は至って温和なものの、しかるべき相手に対してはかなりシビアな事を言ってくる人物ですからね、一色先輩は。
そういう所も創真と似てるんだよなあ・・・。
昔から実直にあらゆる技を学んできた寧々先輩。
それは努力家であり真面目であったという、確かな美点。
ただし。
裏を返せば、物事の本質に目を向けることなく、ただ教えられたことを繰り返してきたに過ぎなかったということ。
教えられた通りの事しかしない。
それはつまり。
“教科書”通りのことしか出来ないという。
第208話での「まるで蕎麦のテキスト・ブック!!」という薊の発言が、ここで特大のブーメランになって返ってきたわけです。
これは見事。
大きな悔しさを抱きつつも、創真の答えに、一色先輩の指摘に、寧々先輩は何も反論できませんでした。
その代わり、寧々先輩は創真に尋ねます。
どうしてそこまでの事が出来たのかと。
「私には・・・わからない・・・!!」
ここの寧々先輩の表情は印象的でした。
これまでずっと「優等生」としてのすました表情ばかりだった寧々先輩。
そんな彼女の顔を覆っていた「自信」や「矜持」が無くなった事で、初めて本質的な表情が見られたように感じました。
そんな寧々先輩の問いにあっさり答える創真。
・・・初めてですね。
創真が「当然」という言葉を口にしたのは。
「当然」「当たり前」という言葉は主にえりなが口にしてきた言葉ですが、物事を一方的に決めつけない創真は、これまでこの言葉は口にしてきませんでした。
そんな創真がこの言葉を用いたということは、驕りでもなく、謙遜でもなく、
それが創真にとっては至って自然な事だということです。
私も。
「プロ」というのはそういうものだと思っています。
料理だろうがスポーツだろうが、どんな分野であれども。
傍から見ればとても凄い事をやっているように思えても、本人からしてみれば日常習慣同然の「当たり前の事」に過ぎないという。
技術や知識は至らないところが沢山あるかもしれない。
だけど。
気概においては、創真は立派な「プロ」という事ですね。
審査員から下される判定。
寧々先輩も完敗を認め―――
四宮師匠の如く
眼鏡が外れた。
恵の如く
三つ編みおさげも解けた。
それすなわち。
創真の完・全・勝・利!!!
お見事!!!
★。.::・'゜☆。 \(>▽<)/ ☆。.::・'゜★
なんかもう、なんかもう、な・ん・か・も・う・・・!!!(o(><o) (o><)oo(><o) (o><)o)
今回はあの創真の笑顔だけで満たされました。
何の文句もありません。
創真はいつも笑ってくれていますが、この時の笑顔はまあ格別。
真の眼福というのはこういう事を言うのですね。
・・・なのに・・・。
個人的には大満足だったものの、どうやら今回の内容はネット界ではかなりの不評が湧き起っている模様・・・。
どうやらその不評は「紀ノ国寧々は蕎麦のスペシャリストであるはずなのに、「温度による風味の劣化」という蕎麦職人にとって至極基本的な事に気付かないというのは如何なものか」というような意見が大半を占めているみたいですね。
確かにご尤もな意見だとは思います。
ましてや寧々先輩は代々続く江戸蕎麦の名家の出身。
その出自やエリートとして邁進してきたこれまでの経歴から考えれば、今回のミスはメタ的に見ればご都合主義とも取れかねないものでしょう。
ですが、私は全く不満も違和感も抱きませんでした。
私がそう感じたのは、第208話で描かれていた寧々先輩の過去を事前に見ていたのが大きかったと思います。
幼少時から名家の生まれの嗜みとして、多くの習い事を掛け持ちしていた寧々先輩。
料理もそのうちの一つだったわけですが・・・
それはすなわち
寧々先輩にとって、料理というものは「習い事」の域を出ないものだったのでは。
その英才教育によって知識や技術は最高の域にまで磨かれていましたが、それらはあくまで「机の上」的なもの。
勿論スタジエール研修などで「現場」での経験はある程度積んできたでしょうが、骨身に染み渡るほどのレベルにまでは至らなかったのだと思います。
一応社会人として「現場」で働いている私も、時々やらかしてしまうんですよ。
知識としてはきちんと覚えているというのに、いざ現場で動いているとどういうわけか抜けてしまうということが。
“仕事”というものは、物事に一直線に集中するだけでは成り立たないんですよね。
集中と同時に、常に広い視野で多方面から考えるという難しい事も要求されるものなんです。
寧々先輩も同様に、「温度の低下」という不測の事態に気付ける視野の広さが育まれていなかったのでしょう。
それに対して、創真は「現場」の経験においては折り紙つき。
しかも創真は実家で調理だけでなく接待もこなしていた事から、客の声を聞き、相手の立場になって考えるという視野の広さも大いに育まれていましたからね。
要するに。
寧々先輩は「料理を最も得意とする人物」ではありましたが、「料理を生業とする料理人」ではなかったということです。
そういうわけで、附田先生は
北海道という、いつもと違う環境が厨房という「現場」に与える影響。
教えられた知識、与えられた環境にただ従うという受け身の姿勢では、自分から探求し、模索し続けるという自発的な姿勢には勝てないという事。
これらを今回の勝負で描きたかったのかな、と。
ただし、寧々先輩が自分の蕎麦と創真の蕎麦を食べ比べてみた時に「どうして・・・? ・・・まさか!!」といった具合に、自分から温度の見落としに気付いてくれていれば、もっと寧々先輩の格は保持できたのではとは思いますがね。
そんなわけで、「蕎麦」という庶民層にも上流層にも馴染み深い品を通して繰り広げられた今回の闘い。
この連帯食戟における最大の目的は薊の理念を突き崩すことと考えている私としては、今回の勝負はまさに理想的とさえいえるものでした♪
今回の寧々先輩の敗北は、
薊の教育方法では「凄く料理が上手な人」を排出することはできれども、「不測の事態に対応できるような本物の料理人」を育て上げることはできない
ということを如実に示していたと思います。
一色先輩も述べていた「ただ教えられたことを繰り返しているだけ」という行為。
実際、これまで革新的な発見をしてきた偉人達は、そのほとんどが「教えられたこと」に対して疑問視し、独自の探求や追求をしてきた人が多いですものね。
学校に馴染めなかったエジソンしかり。アインシュタインしかり。
最高の蕎麦を作る事だけを意識した結果、視野が狭くなってしまい逆に料理の持ち味を損ねてしまった寧々先輩。
幅広い人達が平等に楽しんでもらう事を意識し、その広い視野によって料理の持ち味を活かしきることができた創真。
料理面と気概面が両者とも良い対比になっていて、全体を通して大変満足できた勝負でした!!(^∇^)