さて、それでは引き続き三周年記念考察の第二部後編を語らせて頂きます。
昨日の前編では主にこれからの「食の舞台の移行」、そして「ライバルやヒロイン達の料理人としての成長方向」について考察しました。
今回はいよいよ主人公創真の料理人としての成長方向について考えてみたいと思います!
【主人公創真の料理人としての最終スタイル】
この料理漫画の主人公であり、世界観そのものである『幸平創真』。
そんな彼の料理への姿勢は最初から強烈なものでした。(本当の本当に初っ端から!)
誰もが避けて通るような奇抜な食材の組み合わせに挑む気概。
そしてそんな壮絶に不味い失敗作さえも笑って楽しむ姿勢。
料理漫画として非常に異端と言えるスタイルでしたが、それがまさかこれほど深い価値観に昇華されるとは・・・!
ストーリーが進むにつれて創真のその姿勢は
偏見や固定観念に囚われない自由な発想
失敗からの学習
試行錯誤によって積み重ねられた自信
という、料理人として非常に前向きで崇高な信念に繋がっていたというのが立証されていきます。
そんな無限の可能性を感じさせる創真の料理ですが、このままでは“頂点”に届くことは出来ないという現実にぶつかることに。
それが秋の選抜編での葉山との闘いでした。
この章で創真は「自分自身の料理」について見つめ直すことになるわけです。
葉山が勝利した理由、それは汐見への想いを通すことで「己の料理」を最も深く追求したためでした。
自分の名前はおろか、両親の顔さえ知らなかった葉山。
つまり彼は、自分のルーツが虚無だったという。
だからこそ自分の価値を見出し、人生を照らしてくれた汐見への想いを料理にのせることは自分の全てをのせることと同義だったわけです。
対して創真は、そんな葉山に及びませんでした。
何故なら、これまでの自分の料理は城一郎の後を追っていたものにすぎなかったからという。
「父親(城一郎)を超える」という、創真の最大の目標。
その志が逆に「創真自身の料理」を曖昧にさせていたというこの事実は、皮肉でありながらも非常に大切な事だったと思います。
この敗北によって、創真は「自分自身の料理」、ひいては「自分にしか出来ない料理」を探っていくことに。
ですが。
そもそも、創真は「自分自身が何者か」ということを全然知らないんですよね。
強気で堂々とした言動から普段は全くそれを感じさせませんが、創真は主要キャラの中でもかなり自分自身のルーツが不明瞭な子です。
現在のところ彼の血縁で明らかになっているのは父親の城一郎のみ。
母親はおろか、祖父母の存在さえも一切明かされてはおりません。(実際、創真は祖母を知らないことが作中でも明記されています/第65話)
そんな不明瞭な背景を抱えていながらも、創真は登場人物中でもトップクラスの安定した人格者であり、とても明朗かつ社交性豊かな人物です。
それは、それだけ創真がこれまでの人生で温かい愛情を沢山受けてきたという証。
父親から。
店の常連客達から。
そして・・・。
「ただ一人の人との出会い」だけでなく、「多くの人々との出会い」によって今の自分があることを分かっている創真。
「意志の強さ」としては葉山に敵いませんでしたが、「意思の安定さ」においては創真の方が遥かに上です。
成長とは、土台が安定していてこそ伸びるもの。
遠からず、きっと創真は葉山の鼻をあかしてくれることでしょう。(※「上手いこと言った!」みたいな顔をしております)
「自分自身」を知るには「自分のルーツ」を知ることも必要不可欠。
それに繋がる手掛かりを、創真は次の章であるスタジエール編で掴むことに。
それに大きく貢献してくれたのが、もはや言わずもがなの四宮師匠☆
“原点”と“頂点”を共に見据えた四宮の姿勢に創真は大きく感銘を受けるわけですが・・・。
もう一つ、四宮は創真のこれからの料理スタイルを考察させるうえで、非常に重要なヒントを教えてくれました。
それが「ゴボウにまつわる史実」。(第113話)
フランスと日本、両国の文化にふれている自分にしか作れない料理。
国と国との溝を埋める料理。
それが『四宮小次郎』という料理人の志。
そしてそれは、タクミが抱いている志とも酷似しているという。
四宮という師匠。
タクミを始めとしたライバル達。
そんな彼らの志と、創真の人間性から考えれば・・・
全ての“隔たり”を取り払う料理。
それが「創真だけの料理」になるのではないでしょうか。
技法的には
日本の馴染み深い料理をベースに、様々な分野の食材や技法を融合させた革新的な料理。
そして世界に「日本の食」の良さを伝えると同時に、各国の食文化の素晴らしさもまた引き立て合えるような品。
そして信念的には
文化や宗教、身分や人種の差に留まらず、言語や思想といったありとあらゆる垣根を越えて、世界を、人々の心を通わせる料理。
その料理を前にすれば、皆が笑顔で食卓を囲める。
それが創真の最終的な料理スタイルとなることでしょう。
立場の差など一切気に留めず、誰にでも平等に、真っ直ぐかつ温かく接する創真。
そんな創真だからこそ、彼はきっと「世界を繋げる料理人」になってくれるに違いありません。
【創真と“頂点”と原点”との因果関係】
こうして見ると、秋の選抜編とスタジエール編は創真の料理人的成長を見据える意味で大変重要な章だったことが分かりますね。
ちなみに。
この二つの章には、創真の料理人性のみならず人間性を語る上でも必須の“鍵”が組み込まれていました。
それは
母親。
秋の選抜編で美作との戦いの際にえりなが評していた、創真の料理の味付け。
それは
創真の料理の味はとても優しいということ。
そんな創真の優しい味付けは「大衆食堂の味」であり、言い換えれば「おふくろの味」。
つまり。
創真の料理の“味”は母親譲りということです。
そしてスタジエール編で明らかにされていた、四宮が料理人を目指すことになった動機。
それは「母親の笑顔」でした。
私から見て、四宮という人物は「遠月学園という舞台を去った、かつての主人公」です。
そんな「かつての主人公」の根源が“母親”であったならば、「現在の主人公」もまた。
そう考えています。
敵さえも屈服させる「膂力」という強い“力”をその料理に宿す創真。
その一方で創真の料理は食べた相手を笑顔にさせ、和やかさや楽しさを与えてくれるといった、とても温かい“心”が込められているものでもあります。
恐らく創真は[修羅]と呼ばれた城一郎の“力”、そしてそんな[修羅]さえも変えた母親の“心”両方をその料理性として受け継いでいるのでしょう。
・・・いえ、創真の内面から考えるに、むしろ母親からの影響の方が大きいとさえ言えるかもしれません。
「いつか超える」という創真の最終目標であり、型破りで破天荒かつ自由な料理スタイルは父親から。
「『ゆきひら』を背負って立つ」というもう一つの最終目標にきっと深く関わっており、料理というものにおいて最も基本かつ重要なものである“味”は母親から。
それぞれを譲り受けている創真。
創真の料理人性を「世界」という“頂点”と「家庭」という“原点”とに二分するならば
父親は“頂点”、そして母親は“原点”の象徴
と言えましょう。
そして
それら“頂点”と“原点”は、メインヒロインであるえりなと恵を象徴するものでもあるわけです。
【『食戟のソーマ』という料理漫画における「良い料理人」の定義】
ここまでの考察で、創真の料理人としての成長には[三大ライバル]や四宮の存在が大きな刺激になることが窺えます。
・・・本当に出世したなあ~~~四宮・・・。(しみじみ)
ですがやはり。
創真が良い料理人として如何様に成長していくかを考察するうえでは、どうしても欠かすことが出来ない事柄がありますよね。
それは勿論。
第一話ラストで城一郎が掲げていた「良い料理人になるためのコツ」。
自分の料理の全てを捧げたいと思えるような女性と出会うこと。
この概念が提示されたからこそ、この作品は料理面だけでなく恋愛面においても大きな注目を集めることに。
実際に料理人像として見ても、えりなは食の世界における“頂点”そして“力”を、そして恵は故郷の味という“原点”そして“心”を、大きなファクターとして持っている料理人です。
その意味でも、メインヒロインであるこの二人は創真の料理人としての成長に必須の存在と言えるわけですが・・・。
この概念は創真だけでなく、えりなや恵自身にも、そして[三大ライバル]にとっても大きな意味を持つものなのではないでしょうか?
私がそう思うようになった切っ掛けは、秋の選抜決勝で描かれていた葉山の意志。
あの時の葉山の姿は、まさに城一郎が提示していた「コツ」そのものでした。
実際その志によって秋の選抜を制したこともあり、現状のところ葉山は一番城一郎の言う「良い料理人」に近いように見えます。
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
果たして本当にそうでしょうか?
実は私個人としては、これは読者に対する附田先生の非常に巧妙なミスリードだと思っています。
それについては最終章である記念考察第三部の方で説明させて頂きます。
それを説明させて頂くにあたり、この「コツ」を私なりの解釈で述べさせてもらう必要がありますので。
「自分だけの料理」。
それに関わる「自分だけの大切な人」。
創真がいつの日か築き上げるであろう【スペシャリテ】。
それは、きっと。
「世界」だけでなく、いずれヒロイン達が創真に置いてくるであろう“壁”も“距離”も取り払ってくれる。
そんな料理になる。
そう断言します。
“頂点”や“原点”が巧妙に関わり合っている創真の料理ですが、最も中心にあるのは創真自身の気持ち。
この先創真がどんな成長を遂げ、どう変わろうとも
料理を楽しみ続けて欲しいです。
料理を創ることを
自分の料理を食べてくれることを
楽しく思う気持ち。
それが『幸平創真』という料理人の“核”ですから。