はじめまして。2018年春、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。感じたこと、体験したことを文章にすることは「こくご」です。
「こくご食堂」本日調理する食材は[人間味]
余談が好きです。学生の頃から、授業の内容よりも、余談を楽しみにしていました。余談を話してくださる先生の、いつもと違う目がみられるからです。そして、どの先生も余談をしているときに、「ふふっ」と笑います。「思い出し笑い」であり、自分のプライベートを切り取ってしまった「照れ」の場合もあります。
日曜日のアナンサー教室では毎週違う講師がいらっしゃいます。今回授業をしてくださった先生も、余談をしてくださいました。ナレーションの授業でしたので、ナレーションについてのお話でした。ニュースをみていて、とても上手なナレーションだと思うと、有名な俳優さんがやっている。そして、視聴率の高い番組では制作費も多いので、有名な俳優さんに依頼できる。しかし、番組のコーナーでスポーツ選手を追うことになりました。そのナレーションは、あえて素人のほうが良いだろうということで、番組制作者が担当しました。それが、とてもよかった。ナレーションの世界は深いそうです。その先生は声には自信があったので、もっと若い頃にナレーションをみっちりやっておけばよかったと言っていました。今は引退されていますが、引退間際にナレーションのオファーがあったそうですが、もうその年齢から取り組むのは、とやめてしまったそうです。そして、その素人がナレーションしたコーナーを担当していた人は、今ではテレビ局でとても偉い方になりました。そして、それがこの先生のいだ従兄弟そうです。
「入社するときに少し口添えはしたけれど、出世した従兄弟は、実力で入社しましたよ。」
そこで、笑顔です。この笑顔が、余談の醍醐味です。従兄弟の入社に関与した話しをして、すぐにその言葉に訂正のような言い方をしています。そこに、先生の人間味を感じました。
私の授業の前や途中に余談をします。それは、生徒に集中してほしいためもありますが、私のことをしってもらうためであり、生徒たちの個性を引き出すためです。余談に対する意見がでてくると、そこに生徒たちの「人間味」を感じることがあります。悲しい話しをして、想像以上に感情移入する生徒、とてもおっとりしていると感じていたが、冷淡な発言をする生徒。生徒たちも、普段教壇という高い場所にいる先生が、みんなの広場に降りてきたような感覚になるのでしょう。余談をしてから、その前よりよく授業を聞いれるようになります。余談をするには、その会場のニーズに答えないといけないので、普段から情報収集のアンテナはピント立てていないといけません。それが、脳を活性化させているかもしれません。
みなさんも、余談を生活に取り入れてみてください。部下や、お子さんや、ご主人にむけて。余談から入ると、みなさんの願いごとを聞いてくれるようになるかもしれませんよ。
「こくご食堂」本日調理する食材は[人間味]
余談が好きです。学生の頃から、授業の内容よりも、余談を楽しみにしていました。余談を話してくださる先生の、いつもと違う目がみられるからです。そして、どの先生も余談をしているときに、「ふふっ」と笑います。「思い出し笑い」であり、自分のプライベートを切り取ってしまった「照れ」の場合もあります。
日曜日のアナンサー教室では毎週違う講師がいらっしゃいます。今回授業をしてくださった先生も、余談をしてくださいました。ナレーションの授業でしたので、ナレーションについてのお話でした。ニュースをみていて、とても上手なナレーションだと思うと、有名な俳優さんがやっている。そして、視聴率の高い番組では制作費も多いので、有名な俳優さんに依頼できる。しかし、番組のコーナーでスポーツ選手を追うことになりました。そのナレーションは、あえて素人のほうが良いだろうということで、番組制作者が担当しました。それが、とてもよかった。ナレーションの世界は深いそうです。その先生は声には自信があったので、もっと若い頃にナレーションをみっちりやっておけばよかったと言っていました。今は引退されていますが、引退間際にナレーションのオファーがあったそうですが、もうその年齢から取り組むのは、とやめてしまったそうです。そして、その素人がナレーションしたコーナーを担当していた人は、今ではテレビ局でとても偉い方になりました。そして、それがこの先生のいだ従兄弟そうです。
「入社するときに少し口添えはしたけれど、出世した従兄弟は、実力で入社しましたよ。」
そこで、笑顔です。この笑顔が、余談の醍醐味です。従兄弟の入社に関与した話しをして、すぐにその言葉に訂正のような言い方をしています。そこに、先生の人間味を感じました。
私の授業の前や途中に余談をします。それは、生徒に集中してほしいためもありますが、私のことをしってもらうためであり、生徒たちの個性を引き出すためです。余談に対する意見がでてくると、そこに生徒たちの「人間味」を感じることがあります。悲しい話しをして、想像以上に感情移入する生徒、とてもおっとりしていると感じていたが、冷淡な発言をする生徒。生徒たちも、普段教壇という高い場所にいる先生が、みんなの広場に降りてきたような感覚になるのでしょう。余談をしてから、その前よりよく授業を聞いれるようになります。余談をするには、その会場のニーズに答えないといけないので、普段から情報収集のアンテナはピント立てていないといけません。それが、脳を活性化させているかもしれません。
みなさんも、余談を生活に取り入れてみてください。部下や、お子さんや、ご主人にむけて。余談から入ると、みなさんの願いごとを聞いてくれるようになるかもしれませんよ。