アコースティックギターを鳴らしていたら、表から怒鳴られた。うるさかったか。
バンダナをネックの上からかけて、消音して弾いていたら怒られなかった。
裏の米国人が22時過ぎまでベースを大音量で弾いていても、誰も怒鳴り込みにいかないのな。
今度やってたら、乗り込んでいって一緒に練習させてもらうか。
一人暮らしで出て行く前は、夜中にいくらクラシックギターを練習していても、苦情一つ来なかった。
何でだったんだろう。いま思うと不思議だ。
アコースティックギターを鳴らしていたら、表から怒鳴られた。うるさかったか。
バンダナをネックの上からかけて、消音して弾いていたら怒られなかった。
裏の米国人が22時過ぎまでベースを大音量で弾いていても、誰も怒鳴り込みにいかないのな。
今度やってたら、乗り込んでいって一緒に練習させてもらうか。
一人暮らしで出て行く前は、夜中にいくらクラシックギターを練習していても、苦情一つ来なかった。
何でだったんだろう。いま思うと不思議だ。
大岡昇平の『野火』を読み終えた。
大日本帝国陸軍の一兵卒として従軍した「私」が、死の危機に絶えず晒されて、次第に狂気の沙汰を狂気と思わなくなっていく。その様を読んでいて気分が重くなった。
映画だけれども、戦争の狂気を扱った作品として、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』を思い出した。一般市民の青年たちを、人を殺しても平気な非人間的な存在にどうやって造り上げていくか、そのための訓練が前半の内容だった。終盤で主人公はベトナムの女性兵士を逡巡した末に射殺する。そのことで彼も一個の殺人機械になってしまう。
『野火』は訓練の過程は無く、既に「私」が戦場にいるところから始まっている。米軍の進行から逃れるため、あちこちさまよう途中、偶発的に現地の女性を射殺する。それまで兵士の格好はしているけれど一般人でしかなかった「私」は、その事実にひどく動揺し、自分を人殺しだと認識し、罪の意識に悩む。平気で人を殺せる兵士にはなっていない。しかしそこから話しは進み、友軍の敗残兵を「猿」と呼んで撃ち殺しては、その死肉を常食としているかつての戦友たちに再会し、人殺しが是とされる状況からもう一線越えた問題に直面する。人殺しを平気で行えるのなら、どうして人肉食が悪であるのか。
文化、文明など、非日常を前にしては何と脆いのか。人間であることの意味を問うている小説だった。
買ったまではいいものの、その後練習を怠っていた。一年前同様全然弾けないまま。
昨日ギターの練習を忘れてしまい、夜中に大きな音を出すわけにも行かないから、
半年振りぐらいにベースを触った。
VOX のヘッドフォンアンプにつないで指弾きする。
アポヤンドなら隣の絃を抑えるので消音されるところ、
アライレだと信号が増幅されて、雑音やミストーンが生ギターより目立つ。
大人しくピックで弾くか ? ピックの方が更に下手だしな・・・
一時間ばかり楽器をいじり回して今日はおしまい。
以前のように弾けるようになるには一年はかかるな。
昔も大して巧くなかったけれど。