『壬生義士伝』(滝田洋二郎監督 2003) を観た。
胸打たれる次のような場面があった。
新撰組が壊走するなか、隊士である主人公の吉村は、自分は何も口にしていないのに、斉藤一に最後の握り飯を与えてしまう。
それを知って斉藤が感情を爆発させる。
「俺はお前のような奴が大嫌いじゃ」
「人が人を憎み、恨みあって殺しあう世の中だというのに、お前は何故、おのれの腹をも満たそうとせんのじゃ!」
でも、その後吉村に言う。
「お前のような奴は絶対に死んではならんのだ」
そして独白する。
「こいつは真の侍じゃった」
歴史には全然詳しくないのだけれど、どうもこの映画を見ていると幕府側にシンパシーを感じる。
先日読んだ、吉村昭の『彰義隊』も薩長の蛮行を描いていた。
奥羽列藩同盟が戦いに敗れる中、女性は性暴力にさらされ、子供や老人は切り捨てられた。
こんな行為は憎しみしか生まない。
人間は、どこかで憎しみを背負っている。
どこかで、誰かが、憎しみを止めなければ、わたし達はただ滅びるだけの存在に過ぎない。
なぜ、それがわからない。