12月18日(日)まで
日比谷の出光美術館にて
日本の美・発見「長谷川等伯と狩野派」が
開催されています。
北陸の地方絵師から
京都画壇の中心的な存在に
上り詰めた長谷川等伯。
33歳の等伯が京都に移住した当時は
狩野派が君臨していました。
何百人もの絵師を持ち、
名門の狩野派が、
能登の風土や土俗性を背負って
生きてきた等伯に
なぜライバル心を燃やしたのか?
狩野派は巨樹表現を得意とし
隆盛を極めていましたが、
等伯率いる長谷川派は
幅広いジャンルから自由に絵を学んで、
絵師の個性を大切にしたようでした。
しかし、この二派の絵を並べて比べると、
画題や絵画表現に共通する特徴があり
だだライバルというだけではなく、
互いに意識しあい、
相手の表現を盗み、学び、
独自の表現に変えていったという
過程を見ることができました。
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